
平成18年1月21-22日、関東南部でも雪の降る中、大学入試センター試験が実施されました。これについてはリスニングの不手際等が報道されていますけれども、広い意味の教育産業で働くものの一人として、とにかく受験生と試験運営側の皆さんすべてに「お疲れさま」と言いたい気持ちでいっぱいです。

試験の運営はどんなテストでも大変です。まして、全国一斉に、同じ試験問題を最大55万人が受験するセンター試験。何より、今回から英語のリスニングが導入されたのだから、去る1月21日-22日の試験運営サイドの苦労は並大抵ではなかったと思います。

私は、多数の上場企業でその年度の新入社員全員を対象としたTOEIC/TOEFLの模擬テストや英会話のアセスメントを何度も実施したことがあります。そして、自分の恥をさらすようですが、このエントリー記事のテーマであるリスニングに限定しても私は試験の実施側として、誇張ではなく起こりうるすべての「失敗」を経験してきました。

音声再生用のラジカセが作動しない;テストブックとリスニング音源が対応していない;途中でカセットテープが切れた(もちろん、顧客企業の人事研修担当の方も切れた!);イエローページと路線図だけを見て手配した試験会場の真上を大阪空港に着陸しようとするすでに車輪を出している飛行機が次々に飛来してきた;あるいは、テスト問題がまだ始まっていないのに、テスト内容を英語で説明している前口上を聞き取れない数十人の受験者が「この音声、テストと対応してへんのとちゃいます!」と騒ぎ出す・・・。
人間失敗の中で成長するものです(苦笑);失敗を乗り越えてきた人間は仕事には厳しく他人には優しくなれる。と、これらの経験を経て(もちろん、喉元すぎれば熱さ忘れただけかもしれませんが)、現在そう思っています。しかし、確かに今回のセンター試験リスニング

●毎日新聞: 01月22日
「センター試験:リスニングトラブル続発 425人再テスト」
大学入試センター試験は21日、国語、外国語など4教科が終了した。英語のリスニング(聞き取り)テストでは「聞こえない」「ICプレーヤーを落とした」などトラブルが各地で相次いだ。(中略)
トラブルに巻き込まれた受験生たちは午後6時40分の同テスト終了で初日の全日程を終えた後も試験会場に残り、プレーヤーを交換してテストに挑んだ。同7時50分ごろまで残された受験生もいた。リスニングでは、実施の前からプレーヤーの故障や周囲の雑音などトラブルを懸念する声が、教育関係者や受験生から上がっていた。
●朝日新聞: 01月23日
「リスニング不具合でも試験続行 全国で5件発覚」
トラブルが相次いだ大学入試センター試験の英語のリスニングテストで、大学入試センターは22日、機器の不具合で本来なら再テストを実施すべきなのに試験を続行させていたミスが5件発覚したと発表した。これらの受験生に対しては別な問題を使う28日の再試験を認めることを決めた。また、報告の遅れた大学の分を加えて、再テストを実施した受験生の数は453人に拡大した。(中略)
受験生から「音が大きくなったり小さくなったりする」「片方のイヤホンが聞こえない」などの訴えがあったのに、監督者は中断して再テストに移行させずに試験を続けさせたという。受験生から実施大学側に苦情が寄せられた。(中略)
一方、センターによると、ICプレーヤーの不具合などのために再テストの申し出があったのは、全国の301会場461人。このうち、本人の意思で辞退した8人を除く453人が、その日のうちに再テストを受けた。
再テストの原因をセンターが集計したところ、うち437件を「機器の不具合」が占めた。この詳細は(1)音声が止まったなどの機器不良=366件 (2)音が大きくなったり小さくなったりする=52件 (3)イヤホンの不良=19件――となっている。その他の24件は、ICプレーヤーを落とすなど機器自体の不具合とは別の要因だった。
記者会見した松浦功事業部長は「再テスト自体はすべて順調に終わった。(機器の故障率については)ゼロだと思っており、何%の故障率になるかなど予想や把握はしていない」と、事前のトラブル想定への甘さもうかがわせた。
●読売新聞: 1月23日
「九大の監督教員の携帯、試験中に着メロ」
大学入試センター試験2日目の22日、福岡市博多区の代々木ゼミナール試験場で、午後1時半から始まった「数学2」の試験中、男性試験監督者の携帯電話の着信メロディーが鳴った。監督者はすぐに着信音を止め、受験生42人から苦情はなかったという。
九州大入試課によると、同会場は九大が担当。監督者は試験終了後、このトラブルを同試験場長に説明した。同大では、携帯電話を教室に持ち込まないよう指示していたが、男性教員は「昼休みに用件があって携帯電話を使い、そのまま持ってきてしまった」と話しているという。九大は口頭で厳重注意をしたという。(以上、引用終了)

「リスニングでは、実施の前からプレーヤーの故障や周囲の雑音などトラブルを懸念する声が、教育関係者や受験生から上がっていた」などの後出しジャンケン的なコメントはこの際どうでもいいことでしょう。而して、一度、①平成18年1月実施の試験から英語にリスニングテストを導入する、②ラジカセや館内放送ではなく「ICプレーヤー」を使って実施すると決めた以上、その条件下で(「ミスがでないように」というのは、絶対無理だから、)「ミスをミニマム」にできるように/「ミスが生じた場合のダメージをミニマム」にするべく努力することこそ運営側の責務だったと思います。

ならば、実施責任者が「機器の故障率についてはゼロだと思っており、何%の故障率になるかなど予想や把握はしていない」という認識でしかなかったことは「お粗末」の一語であり、それは、トラブルに遭遇した453人の受験者だけでなく全国301会場で苦労された試験の運営担当者に対しても失礼な発言だったのではないでしょうか。この危機管理に対する実施責任者の認識の甘さに比べれば、(これはリスニングとは別の科目の試験時間の事件ですが)「試験中に着メロ」のような現場の不細工な事態もむしろ可愛く見えてくる。そりゃ、実施総責任者がそんな認識なら運営の現場でもそんな意識しか持てんよ、です。実際。

今まで延べた内容。「試験にはミスは付き物」という認識と、「ミスをミニマムにする/ミスから生じるダメージをミニマムにしようとする努力」は矛盾するものでも二者択一的なものでもありません。「ミスは不可避」だからこそ「ミスをミニマムにする/ミスに起因するダメージをミニマムにする努力」が不可欠になる。ならば、「機器の故障率についてはゼロだと思って」いたという大学入試センターの「朝日新聞の如き無謬論の前提」に立つ認識は、自慢じゃないがリスニングテストに関して想像できうる限りのありとあらゆる「ミス」を体験してきた私には、「甘い!」を通り越して「八百万の神の一柱である試験運営の神様に対して不遜だ!」と感じられたのです。

ミスというか危機管理を巡る私の基本的な考えは大体上で述べた通りです。この認識を踏まえて、この記事「センター試験リスニング☆あまりに潔癖症な!」の眼目を書きます。それはセンター試験のリスニングの音声再生にICプレーヤーを使う必然性は必ずしもなかったのではないか;あるいは、ICプレーヤーを選んだ試験実施側の決定には、ひょっとして「過剰な潔癖症」や「過度な完全主義」ともいうべき傾向があったのではないか、この2点です。
実は、私の実兄が、今年、全国のセンター試験301会場の中の一つで運営責任者を務めました。そして、センター試験へのリスニングの導入という事態が自称英語教育の専門家である私の興味を引かないわけはありませんから、この正月の帰省中、ICプレーヤー採用の是非について兄と議論しました。
ご存知の方も多いと思いますけれど、TOEICや(CBT:コンピューター試験に移行前の)TOEFLでもリスニングのアセスメントは80人から100人の受験者にラジカセ1台で実施されています。確かに、ラジカセに近い席と遠い席では<音声の品質>が異なることは事実ですが、特に、それを「不公平」と抗議する声を私は寡聞にして知りません。
土地の有力者の子女などが有利な席を割り当てられるとかいう事態でもあれば別でしょうが、そのような<音声の品質>の違いがテスト結果にそれほど大きな差をもたらさないだろうことを受験者自身が、文字通り、肌で感じていることが「不公平だ!」という抗議がでない理由だと思います。
センター試験の問題の内容から見て「ICプレーヤー採用やむなし」という話も聞きました。TOEICや英検のように、かなりまとまったボリュームの英語の音声と格闘しなければならないテストと違い、単語1語やせいぜい1センテンスの聞き取りが専ら試されるセンター試験のリスニングでは<音声の品質>の違いが受験者のスコアに反映する度合いが大きい(=受験者が感じる「不公平感」に直結しかねない)、と。
しかし、そんなことは「再生機器を想定して問題を作れば済む話」ではなかったのでしょうか。問題にあわせて再生機器を選定するのと/再生機器にあわせて問題を作成するのと、これはどちらか一方が正しいという類の事柄ではありません。このどちらが妥当かは、センター試験が対応処理しなければならない受験者の量、リスニングテストで測定すべき聞き取り能力の内容、ならびに、センター試験が維持しなければならないテストの品質水準(能力とスコアの相関関係の強弱の度合い)から逆算して判断されるべきことでしょう。ならば、私は以下の2点を鑑みてICプレーヤー採用は、少なくとも、唯一の選択肢ではなかったと考えています。
(A)50万台の機器の故障率と1万台のラジカセの故障率
50人に1台CDラジカセを使うとすれば必要となるラジカセの台数は1万台:しかも、ラジカセの操作に慣れる必要があるのは試験運営側であり受験者の操作ミスは皆無:もちろん、ラジカセの場合、1台の不具合につき50人がダメージをこうむることになるものの、「クラス全体」での問題解決が可能 ∴この比較考量の結果は歴然ではなかったでしょうか。
(B)ラジカセ対応型問題の作成可能性
CDラジカセを使用した場合に、センター試験が要求するリスニングコンプリヘンション(Listening Comprehension)の能力判定という<試験の品質>を確保しつつ、同時に、<音の品質>の差異が試験の不平等に直結しないテスト問題作成は充分可能です;嘘だというのなら自分で一度TOEICなり受験して見られよ! なんなら私がボランティアで作成しましょうか♪
結論。ICプレーヤーの採用は、試験問題の事前漏洩の予防、また、将来的には(受験者お持ち帰りの)ICプレーヤーの方がコスト的に有利、等々の他の要因も考慮された結果なのでしょう。しかし、ICプレーヤーが実現する「公平」は不具合のリスクを抱えており、代替案もないわけではなかったという今までの考察から確実に言えることが一つあるのと思います。
すなわち、ICプレーヤー選択の裏には、「公平性確保」という理念が一人歩きしていたのではないかということ。すなわち、現実具体的な場面で「ICプレーヤーが具現する公平性の程度とそれが惹起しかねない不具合の確率の比較考量」がまともになされたとは思えないのです。蓋し、この世に絶対の「公平」などは存在しないでしょう。而して、ICプレーヤー採用の背後には、「教育や受験はどこまでも公平でなければならない」という大東亜戦争後の戦後民主主義と通底する歪なまでに<潔癖症的な公平妄想>が横たわっていたのではないか。私はそう思います。

★出典:
松尾光太郎 de 海馬之玄関BLOG(1月24日の記事)より自家原稿加筆の上転載

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しかも、この世に絶対の「公平」など存在しない!!とのご意見、、、私も書きましたがごもっともです。
昔、バングラディシュからアメリカに留学に来ていた方(彼ご自身は「財閥」でしたが)、「south-east Asiaでは、体育館みたいな所でラジカセ1台だ」と仰っていました。まあ、それがいいとか/それでいいとかは言いませんが・・・、こんどのICプレーヤーには本来、「公平」を確保する程度を超えた配慮があったと感じます。
特に、ICプレーヤー