英語と書評 de 海馬之玄関

KABU家のブログです
*コメントレスは当分ブログ友以外
原則免除にさせてください。

高校無償化の愚劣と蒙昧

2010年09月11日 20時19分47秒 | 教育の話題


民主党政権が推進している実質的高校無償化は、無駄であるだけでなく不条理であり、その最初から<北斗の拳>である。本稿は、所謂「朝鮮学校への高校授業料無償化適用問題」を前奏としてこの制度の相貌を一瞥し、もって、「高校無償化」自体が孕んでいる愚劣と蒙昧を究明しようとするものです。

高校無償化を巡っては、朝鮮学校への無償化適用の是非が主要な論点として言及されているように見受けられます。曰く、その保有する大量破壊兵器を日本に対して使用することも辞さないと公言している北朝鮮の直接の影響下にある朝鮮学校に授業料支援するなど、「敵に塩を送る」的の美談ではなく「盗人に追い銭」的の戯言である、と。

私は、しかし、ある「前提条件」が満たされるのであれば、そして、この施策の根拠法である高校無償化法2条1項4号に基づき、文部科学大臣が「高等学校の課程に類する課程を置くものと」指定できる各種学校として朝鮮学校が本当に相応しいのなら「敵に塩を送る」のもありだと考えています。

蓋し、朝鮮学校は、学校教育法1条に該当しない「各種学校≒非1条校」であり、要は、そこでどんな<教育>をしていようが、それこそ、狐を拝もうが狸と踊ろうが、あるいは、金日成主席の写真を拝もうが金正日将軍の讃歌に合わせて踊ろうが本来自由なのです。而して、高校無償化法に基づき、文部科学大臣が朝鮮学校を「高等学校の課程に類する課程を置くもの」と指定するということは、

(イ)朝鮮学校が日本の学習指導要領の内容と水準を踏まえた<学校>であり
(ロ)高校無償化法に基づく授業料無償化の適用を受け続ける限り、今後も朝鮮学校は、(イ)の如き<学校>であり続けなければならず
(ハ)日本は(イ)(ロ)を確認すべく朝鮮学校を、適宜、調査・監視・指導できるということ   


実際、謙信公が信玄公に塩を送ったのは、単に騎士道精神の発露ではなく、品不足で高騰する塩で大儲けするためと、次なる武田との合戦に備えて、塩商人に紛れ込ませた密偵に敵の情勢を探索させるためだったとの説もあるらしい。

ならば、朝鮮学校がオープンスクールを頻繁に開催しようとも、「都合の良いとこだけ見せているのではないか」という日本国民の抱く当然の疑念を払拭できるはずもない以上、高校無償化の適用対象になることでその<教育>の実態が少しでも透明になるのであれば、それは日本にとっても悪い話ではないだろう。いずれにせよ、朝鮮学校の透明性を高めるためのコストが毎年5億円程度であることを鑑みればなお更私はそう思うのです(★)。

★註:朝鮮学校へ送る「塩」の費用
①文科省によれば、2009年度現在、全国で稼動している全65校の朝鮮学校の児童生徒総数は約8,300人。②朝鮮学校は各種学校であるが、学校教育法1条・教育基本法6条に定める日本の「普通の学校=1条校」と同様「6・3・3」制を採用しており、よって、高校課程在籍者数を児童生徒総数の3/12と仮定すると、その総数は約2075人。

他方、③各種学校に対する高校無償化法に基づく就学支援金は生徒一人当たり、11万8800円~23万7600円(∵通常は11万8800円;但し、年収250万円未満の世帯には23万7600円;250~350万円の世帯には17万8200円が国から学校法人等の設置者に支給される)。蓋し、④朝鮮学校が「上限満額」の支援金を狙うと想定すれば、求める費用の値は、2075人×23万7600円。    


しかし、結局、ある「前提条件」が満たされていないがゆえに、朝鮮学校への授業料無償化の適用は採用すべきではない。

而して、その条件とは、「時の政権が、文科省をして朝鮮学校を、適宜、調査・監視・指導させる意志を持っていること」。蓋し、民主党政権下での朝鮮学校への高校授業料無償化適用などは、「盗人の片割れに見張りをさせた金庫から投げられる、盗人への追い銭」以外の何ものでもないでしょうから。


◆高校無償化の愚劣

朝鮮学校への高校授業料無償化適用問題を通して高校無償化の制度について一瞥しました。要は、それは、高校教育に対する国からの資金支援の側面と、他方、個々の<学校の教育>が学習指導要領に沿う形で計画され実施されているかを文科省が管理し易くする側面を持つ<双頭のヤヌス>的制度なのです。

高校の義務教育化は日教組の宿願でした。他方、国際人権規約A規約13条は、高校と大学の学費を段階的に無償化することを目指すと定めており、2009年5月現在、同条約加盟の160ヵ国中、日本とマダカスカルの2ヵ国だけが同条を留保(13条に拘束されないという条件の下に同条約に加盟)しています。


国際人権規約A規約13 条
1.この規約の締約国は、教育についてのすべての者の権利を認める。締約国は、教育が人格の完成及び人格の尊厳についての意識の十分な発達を指向し並びに人権及び基本的自由の尊重を強化すべきことに同意する。更に、締約国は、教育が、すべての者に対し、自由な社会に効果的に参加すること、諸国民の間及び人種的、種族的又は宗教的集団の間の理解、寛容及び友好を促進すること並びに平和の維持のための国際連合の活動を助長することを可能にすべきことに同意する。
2.この規約の締約国は、1の権利の完全な実現を達成するため、次のことを認める。
(c) 高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること。   


大東亜戦争の敗戦から幾星霜。高校の義務教育化という日教組の宿願も国際人権規約も、今では、「主婦の味方、ダイエー」のキャッチコピーに似た響きを感じさせる。蓋し、日本社会の現実によってそれらは乗り越えられ置き去りにされているということ。すなわち、

1974年に同学齢の90%を初めて超えた高校進学率は、その後35年間、93-94%前後の高原状態で推移しています。これは、同じこの期間、70%前後と80%前後で推移している英独、あるいは、90%弱で推移してきた米仏と比べても、日本が高校の実質的な義務教育化をとっくに、かつ、完全に実現してしまっていることの証左なのです。    

畢竟、最低限の生活資材にもこと欠いていた時代、安くて良い品を豊富に提供するダイエーは、確かに、「主婦の味方」だった。しかし、生活資材がほぼ行き渡った段階では、目新しい品物が見当たらないダイエーは退屈な存在でしかなくなった。而して、国際人権規約A規約において、高校無償化とは「能力のあるすべての者に教育を均等に与える」ための手段なのであり、実質的に高校の義務教育化を達成している日本にとって、そのA規約13条の留保を続けるかどうかなどは、最早、ほとんど本質的な意味を持っていない。ならば、高校の実質義務教育が現実に実現した状況下の日本社会でなされる、高校無償化などは「満腹の赤ん坊に更にミルクを飲ませるようなシュールな愚劣」に他ならないのだと思います。

高校無償化は無駄である。この点だけ見ても(もちろん、高校生の子供のいるご家庭や<高校の経営者>にとってそれは<福音>であったとしても)、高校無償化が、現在、イの一番に廃止と仕分けされるべきことは明らかでしょう。


◆高校無償化の蒙昧

高校無償化は無駄である。まして、苦しい財政事情の下、高校無償化の予算(約5000億円)を捻出するために、例えば、日本の国際競争力を維持強化するために誰しも不可欠と考えるだろう大学の研究予算が大幅に削れている現状を見れば、そして何より、生活が苦しいために子作りを断念した夫婦の世帯から、高校生の子供を持つより所得の高い世帯に税金が流れている現実、正に、所得の低い世帯からより高い世帯に所得が再配分されている現実を見れば、蓋し、高校無償化の愚劣さは自明。

高校無償化は、「低きから高きへの不条理な所得の再配分」をともなった、高校の実質義務教育化という目的のための手段が自己目的化した愚劣な施策である。而して、愚劣ということを超えて、高校無償化はこの社会に深刻なダメージを与える危険性を孕んではいないか。すなわち、高校無償化は、日本の若者の自律と自立を妨害する施策なのではないか。蓋し、高校無償化は、社会主義的な均一な人間観と単線的なライフイメージに導かれた施策であり、それを社会主義的に機械的に管理しようとする制度なの、鴨。要は、高校無償化は日教組流のアナクロニズムがゾンビや亡霊のように魔界転生したもの、鴨。

文科省の2004年度のデータによれば、日本の高校中退率は2.0%程度であり、よって、毎年18歳人口の92%が高校を卒業しているはずなのに(∵高校進学率94%×高校卒業率98%)、かつ、様々な進学を支援する奨学金制度が年々充実しているというのに、短大を含む大学進学率は50+α%を漸近線にしてここ20年近くほとんど変動していない。詳しくは、吉川徹『学歴分断社会』(ちくま新書・2009年)もしくは同書を紹介した下記拙稿を参照いただきたいのですけれども、要は、日本の高校生の半分は<確信犯的>に短大を含む大学への進学を選択していないということ。   

・書評☆吉川徹「学歴分断社会」(上)(下)
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/c105f7e51f3b364922fbe969035c173f

ならば、国際競争力を維持強化するための人材育成という政策目的から、白黒はっきり言えば、(職業高校・総合高校を含め)高校教育が、短大・大学での高等教育の準備段階である側面を逃れられない以上、同学齢の半数が高校でその教育を終える状況が固定している現下のこの社会で(要は、笛を吹いても太鼓を叩いても大学進学志望者が増えない現状では)、高校無償化は、

上で述べたように、大学・大学院の教育と研究の予算を横取りする愚策であるだけでなく、高等教育を受ける意志と適性を欠く多くの子供たちを無意味に高校に<幽閉>している現状を固定化するもの。逆に言えば、それは、中学卒業と同時に働くというあるタイプの子供たちにとっての正しい選択肢をその子供たちが選択する機会を税金を使って妨害する慇懃無礼かつ無知蒙昧な施策ではないでしょうか。   

ならば、それは、思想的には「義務教育→高校→大学」という単線の学歴スタイルが、(適切な情報が与えられれば誰しもそれを選択するに違いない)唯一の学歴のあり方とする、社会主義的な人間観に基づく貧困な構想力の顕現であり、現実的には、日教組の組合員の職場を税金を投じて死守する姑息で狡猾な施策ではないか。むしろ、良くも悪くも格差社会が定着していくだろうこれからの日本の社会では英国やドイツなみの70%から80%の高校進学率がむしろ健全なの、鴨。いずれにせよ、高校無償化は、各々の若者にその適性にあった、かつ、自己責任の原則に貫かれた多様な人生のスタイルを提案しようとする保守主義の人間観の対極にあることだけは確かでしょう。

蓋し、高校無償化は、政策として愚劣なだけでなく、「社会主義的-リベラリズム」の貧困な人間観が憑依した蒙昧なる施策である。而して、ディケインズが『クリスマス・キャロル』の中で喝破しているように、蒙昧こそ愚劣と貧困の原因であるとすれば、この蒙昧なる高校無償化を、愚劣と貧困を体現している北朝鮮の支配下にある朝鮮学校が熱烈に希求していることは、ある意味、当然の帰結なの、鴨。そう私は考えています。


コメント    この記事についてブログを書く
« 刺青慕情-<伝統>の伝播と... | トップ | 政党政治における国民主権原... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

教育の話題」カテゴリの最新記事