ブログ冒頭の⤴️画像:記事内容と関係なさそうな「食べ物やお料理さん系」が少なくないことの理由はなんだろう?
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2011-05-06 16:11:24
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随分前、そう、おそらく七年程【2004年】の前のことでしょうか、新聞に「ケセン語で福音書完訳」という記事が掲載されていました。朝日新聞平成16【2004年】年4月28日夕刊。岩手県大船渡市在住の内科医、山浦玄嗣さん(64歳)がこのほど四年がかりで新約聖書の4福音書を「ケセン語」に翻訳されたという記事(以下引用開始)。
「ガリラヤの田舎で育ったイエスは、きっと方言で話したはずだ。だったら、方言の方が似合う」と思った山浦さんには、標準語訳の聖書は、直訳過ぎで分かりづらく感じた。だから、標準語訳を重訳するのではなく、あえて【「新約聖書」の原典である】ギリシャ語の原典から訳した。(以上、引用終了)
実は、私はこの「ケセン語」と山浦さんの聖書翻訳については、その更にニ年前、このブログの本家サイトで取り上げたことがあります。ですから、もちろん山浦さんとは一面識もないのですけれど、「とうとう完訳ですか! 凄いですね」と新聞を読んだ時に一人で喝采したことを覚えています。そして、2011年3月11日午後2時46分。七年後の今【2011年】、私は「ケセン語」の息づく地が今回の東日本大震災の被災地の一つ気仙沼エリアであることを思い、改めて山浦さんの訳業に思いを馳せています。
しかし、七年前も朝日新聞の記事では今ひとつこのケセン語訳聖書の意義というか山浦さんの動機が伝わってこなかった。実は、「著名なテキストを方言で読む」という試みは、その後、例えば、「日本国憲法を山県弁で読んでみる」等々の出版やプロ市民活動の、今では、むしろ定番の手法の一つになっている企画の端緒になったものなのです。
しかし、朝日新聞のその記事も、あるいは、その後のプロ市民の取り組みも、山浦さんがご自分の直観に従い試行錯誤の末に辿り着かれた「外国語で、しかも、かなり昔に書かれたテキストを現在の日本の、しかも、方言で読む」ということの思想的意味を理解していたとは私には思えません。
・暇潰しの言語哲学:「プロ市民」vs「ネットウヨ」
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・英単語は2000語も覚えれば充分?⬅そんなわけないだろう❗ (*^o^)/\(^-^*)
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要は、その朝日新聞の記事だけ読んだだけでは、新約聖書のケセン語訳という方法の必然性が皆目分からない。多分、その記事を書かれた朝日新聞の記者も校正担当や編集の方も、山浦さんの仕事を、その後、雨後の筍の如く流行り廃れた、「方言で読む日本国憲法」「関西弁で読む資本論」とかの企てと同じようなものとしてしか理解できていなかったのだと思います。違うんですよね、多分。そこで旧稿を転載改訂して山浦さんの仕事を紹介することにしました。
ケセン語の故郷である気仙沼地方、そして、東日本大震災で被災した、
岩手・宮城・福島が、各々の言葉の<苗床>として復活することを確信して。
[再掲]カレーライスの誕生★カレーの伝播普及が照射する国民国家・日本の形成
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熊本大地震--民主党政権のときでなくて本当によかった
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【再掲】3・11のこと”NMB48teamBIIの本郷柚巴です。忘れてはいけないの巻”
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(以下、自家原稿改訂転載)。
◆2002年7月16日(火曜日)
「ケセン語で聖書を読む」を堪能した
一昨日(7月14日)はパリ際だった。1789年の7月14日パリはバスチュ-の牢獄(要塞)を民衆側が攻撃陥落させた日、それが「パリ際=革命記念日」である。バスチュ-の牢獄に限れば、事実はこれと随分違うのだけれども、まあそれはよいとして、その事件が起きたのは今から213年前のこと。日本では、徳川11代将軍家斉公の時代、松平定信公が寛政の改革(1787年-1793年)を押し進め、TVで御馴染みの鬼平こと火付盗賊改加役・長谷川平蔵が活躍していたころのことである。
で、213回目のパリ祭の日、昼食もすみ寛子ちゃんお気に入りの「なんでも鑑定団(再放送)」も終わったころ、何気なくNHK教育TVにチャンネルを替えた。丁度新しい番組が始まるところだった。午後2時。番組タイトルが奇異。『こころの時代(再)』「ケセン語で読む聖書」。私も一応語学教育の専門家のはずだけれど、「ケセン語」なんて聞いたことないよ。寛子ちゃんも始めて聞く名前だという。これは面白いかな、お互い仕事にも役立つかなと思い数分間見ていても画面に映るのは日本の東北の漁村の風景のみ・・・。ケセン語って何じゃらほい?
ケセン語とは、この場合、宮城県と岩手県に跨る気仙沼地方の方言のこと。「ケセン語で読む聖書」はケセン語で新約聖書を翻訳された地元在住の医師山浦玄嗣さんを取り上げた番組だった。何故に、山浦さんがケセン語で聖書を翻訳するなどという、おちゃらけとも余興ともつかぬことをやり始めたのか、ケセン語訳聖書を作る上での苦労話、そして、聖書をケセン語で読むことから何が見えてきたか、これらが新約聖書の幾節かの翻訳を読み解く中で明らかになるという知的興奮に満ちた60分番組だった。
山浦さんはこの翻訳に30年以上も取り組まれたわけで、新約聖書のケセン語訳はとても世間でいう「余興」ではないし、ましておちゃらけでは全くない。翻訳を敢行する上で山浦さんご自身が立てられた二つの方針がそれを如実に示している。
即ち、
①ギリシア語の原典から翻訳すること
②漢語表現はできるだけ使わないこと
この二つである。要は、気仙沼地方で使われる普通の<生活世界>の言葉にイエスの言葉を置き換えるということ。しかも、抽象的な漢語使用は避け、かつ、聖書の言葉そのままに原典からケセン語に移すということだ。
こんなん文献学を少しかじったりちょっとでも翻訳をやったことのある方なら、どなたでも、それはとてもおちゃらけや余興どころではない、否、寧ろ、正気の沙汰ではないことが直感的に解ると思う。作業のボリュームと作業の困難さのどちらを取っても、これは一個人のライフワークのレヴェルを遥かに越えることだ。
東北の開業医のおっさん、あんたまじかよ。我が家は夫婦で息を呑む。
山浦さんは代々医師の家系で、ご両親ともカトリックの信仰をお持ちの家庭に育った。16年前、東北大学医学部の助教授から実家の医院を継ぐために気仙沼に戻られた。而して、彼が聖書をケセン語に訳すことを思い立った動機はシンプルである。共通語で語られる聖書では気仙の人々にとってそれはイエスの言葉としては伝わりにくいのではないかということ。そして、イエスの言葉は伝言ゲームによるノイズを一番少なくするべく、原典(ギリシア語)から読み取られるべきだと思われたことだ。確かにこれはシンプルかつ真理だろうけれどね、でもね、それは残酷なほど厳しい現実と対応しているよね。
しかし、そこからが凄い。山浦さんは残酷なほど厳しい現実を見据えて、かつ、それらから逃げなかった。要は、この「ケセン語で聖書を読む」という試みは全く単なる思いつきではなかったということ。
要は、聖書のテクスト本体に挑む前に、山浦さんは15年以上の歳月をかけてケセン語の辞書と文法書を作られた。また、共通語と異なるケセン語の音韻をより正確に記述するために独自にケセン語特有の「文字」も考案された・・・。而して、そのベースキャンプ設営の作業の後、新約聖書の言葉を文献学的な手法を遵守しながら、一節一節、一文一文、一語一語、ギリシア原語からケセン語に移し替えられた。イエスの言葉を。イエスの息遣いを移し替えられた。
蓋し、それは、共通語や漢語という自身の思考に混入され組込まれている表層文化のシステムから翻訳者が自分自身を離脱させる作業だったの、鴨。そう私は想像する。もちろん、目的は自己の解放だが、手段は他者たる自己との格闘だったのだろうけれども。
例えば、マタイによる福音書6章26-29節の話。「Look at the birds of the air, how they neither sow nor reap nor gather into barns, but your HEAVENLY FATHER feeds them.:空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる」この日本聖書協会・新共同訳の中の「鳥」と「種も蒔かず」をケセン語訳では「カラス」と「田植え」とされる。それは、ケセン語ではトリとは鶏のことであり、種を蒔くことなど気仙地方では農作業の一般的な喩えにはならないからである。
また、山浦ケセン語訳聖書には「愛」という言葉も「天国」という言葉もでてこない。愛という漢語は抽象的で、しかも、上位者が下位者を慈しむ心の動きを表す、ゆえに、愛することと「嫌い/憎い」の気持ちは両立しえない。つまり、「汝の敵を愛せよ」は絶対にケセン語には翻訳不可能なセンテンスである、と。これはギリシア語原文の「アガペー」を「愛」という漢語に訳すこと自体にそもそも孕まれていた間違いなのではないか、と。
そこで、山浦さんは隠れキリシタンの聖書理解からヒントを得て、「愛」を「大切にすること」、ケセン語で「でーじにする」と訳した。「天国」もそう。天国は原語ではある状態を表わす動詞が名詞化した用法であり、それは近代国家のようなある人民と主権と領土を持つ周囲から隔絶されているような領域概念ではない、と。「天国」はケセン語では神様の「お取しきり」となる。神様が取り仕切られているその状態という意味。見事な仕事だと思う。
私は山浦玄嗣さんのこの聖書翻訳の事業に大変共感した。言葉で書くと月並みだけれど、簡単に「我が意を得たり」と感じたそのポイントを記せば、人間は言語(母語)で考え感じる動物だということ。そして、この経緯は2000年以上前のイエスにも現在の気仙地方の人々にとっても同じだろうということ。
人間の言語自体は辞書と文法書の合体として一応把握できる。細分化したとしても、精々、その二つに語用のルールブック、そして、文字表、音韻表と音声の発声ルールといった、膨大ではあるけれど、所詮、有限個の規則の束というかルール体系の束で構成されている。そう理解しても満更間違いではない。だからこそ、性能はまだまだにせよ自動翻訳機や自動通訳機も可能になるわけだ。而して、その有限個の差異のシステムを上手に使うことで人間は、範囲としても無限の、思想としては不朽の、文字通り千紫万紅かつ天壌無窮の思索と信仰を天衣無縫に表現してきた。誰に対して。そう、自分を含む過去・現在・未来の<他者>に対して。
ならば、原罪を抱えた総ての人類に語りかけたイエスのメッセージの実在性を確信される山浦さんが、その言葉を真正面から受取ろうとした場合、ギリシア語とケセン語の研究に迷わず突き進まれたのは、蓋し、当然だったのかもしれない。有限で数に限りのある言語ルールのシステムをマスターすればイエスの言葉という無限なる福音、普遍なる真実、永久の信仰の生命に触れることができるとすれば、この賭けに参加するのは合理的ではないか。参加するだけでも大変な苦労を伴なう「賭け」であることは言うまでもないけれど。共感。堪能。