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英文読解 one パラ道場:英語教材として読む安倍談話(英文全文)-【前口上-吽】

2015年12月03日 14時10分50秒 | 英文読解 one パラ道場



正直な所、他方、特定アジア諸国以外の親日国も<歴史認識>など正解のないイシューで日本と特定アジアの間でこれ以上波風が立つのは勘弁と思っている、多分。「あまりとばっちりかけないでね」、と。

例えば、Newsweek日本版(2015・10・25)。その特集記事の巻頭「歴史戦争--勝者なき不毛な戦い」(pp.24-27)が支那と韓国の動向を「歴史にこだわりすぎる不毛」と断じているのを読んだときそう思った。但し、「この件では日本もあんまマジになりなさんな」と読み取れる特集全体のトーンには、「降りかかっているのは「火の粉」じゃなくて「ゲリラ豪雨型-火柱群」なんです」と、日本の保守派としては反論しなければならないのでしょう。でもね、親日国とはいえ<他人>の目にはそう見えるのは理解できないこともない。だって、これ世界的にはものすごーくマイナーなイシューで、まして、所詮「他人事」なんですもの、彼等にとっては。

(><)

国家の主権と国民の名誉が浸食さていれる現状を、しかし、日本の内政と外交両面における政治的と社会的コストでもって--日本国内の不満の蓄積、ならびに、特定アジア諸国の国際法無視の行動の前例化による国益の毀損に目を瞑って--容認し続けて欲しいなどとは、実は、単なる通りがかりの親日国どころか同盟国のアメリカでも言えない台詞。ならばこそ、そんな親日国や同盟国にとって、安倍談話は<規定演技>ではあるが<規定演技>としてはかなりの高得点ものだったのではないか。考えられうる限り最上の出来映えだった、と。これが、安倍談話に対する特定アジア諸国を除く世界からのポジティブな反応の理由ではないか。まあ、これは私の主観ですけれども。

しかし、正義は勝つ。それが言い過ぎなら、水は高きから低きに流れる。両談話は安倍談話によって上書きされた。換言すれば、「後法は前法を破る」、すなわち、今後は、「安倍談話」と矛盾のない線でのみ両談話は再解釈されることになる。よって、実質的に、村山・河野の両談話はお蔵入りになった。と、私は考えます。

而して、ここで前口上の結論を先に書けば、--<AKB48>とは高橋みなみのことであり(秋元康)、そして、<前田敦子>のぬけたAKB48はノンアンアルコールビールのようなものである(KABU)のとパラレルに--「安倍談話」とは「安倍談話の英文テクスト」のことである。ならば、保守派は「安倍談話」としてはその「英文テクスト」にこそ注目しなければならない。と、私はそう確信しています。



敷衍。安倍談話は外に向けて--というか、白黒はっきり言えば、それは特定アジアに向けて--出された。よって、「安倍談話」とは、その英文テクストのことだ。そう私は確信しています。そして、それは<テクスト>自体からも言えるの、と。簡単な話です。「安倍談話」の日本語正文を普通の日本人が読んでどう感じたか。あるいは、特定アジア諸国以外の国々でそれはどう報じられたか。格調高い上品な言葉で綴られてはいるが--英文テクストも、知性と教養を感じさせる英語でお行儀よくまとまってはいるが、しかし、--それは「ごく普通の当たり前のことを述べた些か退屈な談話」でしかなかった。そうではありますまいか。

б(≧◇≦)ノ ・・・その通り!

安倍談話のテクストには、--歴史上も国際法上も金輪際存在したことがない所謂「日本による韓国の植民地支配」などという妄想への言及がないこととともに--左右ともそこに言及した箇所、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません:We must not let our children, grandchildren, and even further generations to come, who have nothing to do with that war, be predestined to apologize. 」(S52)と、日本国民に日本の首相が「we」を用いて呼びかけた箇所を除けば、特に何の問題もないかわりに目新しさもない。些か眠たい談話(苦笑)。

>クリーン・バット・スリーピー

それ、正に、<不動のセンター前田敦子>。よって、同談話を評して、「出す必要がなかった」
と朝日新聞が述べたのは、皮肉ではなく満更間違いではないの、鴨。


・AKB48-前田敦子さんの次のセンターは? 「大家志津香」ちゃんに5000LC!、鴨
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/4e63281b6f97af08199721fd4ed54977

・AKB総選挙という<窓>から考える生態学的社会構造の実相
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65362478.html
 

内容的に至極穏当であるがゆえに安倍談話は、しかし、特定アジアとそのエージェントや走狗を除けば、諸外国では政府筋からは歓迎されながらも良くも悪くもあまり話題にならなかった。実際、特定アジア諸国以外では安倍談話は大したニュースとしては扱われなかった。他方、特定アジアとそのエージェントおよび走狗は、切歯扼腕、「出す必要がなかった。いや、出すべきではなかった」「stops short of WWII apology」「Echoes Apologies but Adds None」等々、いちゃもんをつけるのが関の山だった(嘲笑)。

何が言いたいのか。別角度からの再論になりますが、それは、安倍総理が念頭に置いていた「安倍談話」の<読者>は、普通の日本国民でも--前述の如く、政治学研究者の三浦瑠麗さんによれば、「日本国民・有権者の7割は保守派」ということだからして、遠慮なく書かせていただくけれど、保守派の国民でも--、あるいは、特定アジア諸国を除く、よって、「当該国の国益がぶつかり合う国際的な紛争の解決は国際法と確立した国際政治の慣習にのっとって行われるべきだ」と考えている諸国の人々でもなかったということ。それがテクストの分析結果からも言えるのではないかということです。

而して、安倍談話に寄せられた声の中には、(A)安倍談話の「日本は欧米列強の経済封鎖--英帝国・仏蘭西を始めとするブロック経済による国際経済からの疎外、および、日本を狙い撃ちした米国主導の経済封鎖(ABCD包囲網)--によって追い詰められて<戦争>に打って出た」という大東亜戦争開戦理由の説明は、「現在の国際経済学の定説」から外れた、自国に都合のよいエクスキューズにすぎない、(B)確かに、注目されていた(←あんたらだけだよ!)植民地支配・侵略・おわび・反省の4点セットは、韓国に対する言及がパスされたことを除けば一応口にされたものの、首相自身の一人称の語り口でのものではなく誠意と本心の所在を疑われる、(C)名指しこそしないものの支那に対する「国際法遵守」の要求が明らかで「謝罪の談話」(←安倍談話が「謝罪のためのもの」など思い込むのは勝手だけど、それを外交戦略にどう位置づけるかは日本の自由です)という批判もあります。もちろん、批判は自由、そして、称賛も自由。

本稿では、しかし、リベサヨ界隈では喧しいそのような謂わば<談話の外側>からの談話理解ではなく、徹頭徹尾、<談話そのもの>に焦点を当てた分析をしようと思いました。そこから、逆に、「安倍談話」の持つ政治的や歴史的の意味が別のものとして見えてくるように感じたから。


敷衍。前述した<読者>ではなく、今度はその<テクスト>自体に着目するとき、「安倍談話」のテクストの意味は重層性を、少なくとも、両義性を帯びている。就中、それは、日本国内の普通の読者--サイレントマジョリティーたる有権者の7割を遥かに超える潜在的と自覚的の保守派--に対する意味、すなわち、「表示義:denotation」だけでなく、特定アジア諸国という談話の本当の<読者>に対する「共示義:connotation」をも帯びた重層的なもの。表面的な意味と隠れた意味。「安倍談話」とは、それが読まれるコンテクストとそれを読む<読者>によって別の相貌を現す<両義存在的テクスト>なのではないか。そう私は考えているということです。

後者「共示義:connotation」の核心が、(a)村山談話・河野談話の止揚・葬送、(b)戦後世代の戦争責任・戦後責任なるものの否定、そして、(c)日本は今後は例外なく、国際的な紛争の解決は国際法と国際政治の慣習にのっとってのみ行うとの宣言・誓約であったこと、このこともこの「安倍談話の英文テクスト」理解から明らかだと思うのです。だって、英文テクストにはそう書いてあるんですもの。

(a)村山談話・河野談話の止揚・葬送
(b)戦後世代の戦争責任・戦後責任なるものの否定
(c)国際法と国際政治の慣習の遵守貫徹の宣言-誓約


例えば、上に紹介した--朝日新聞と並ぶリベサヨの双璧の相方--岩波書店の<旗艦誌>、『世界』(2015年10月号:特集「2015年夏という分岐点」の枝特集「「安倍談話」を検証する」の中)にこんな文章が載っています。それ、上に述べた推測そのもの、それ、畢竟、安倍談話の両義性の証明。ならば、これはリベサヨの一種の「敗北宣言」、鴨(下線はKABU)。

「安倍はすかさずこう付け加えた。・・・日本はすでにそういう謝罪をやり尽くした。さあ、気持ちを切り替えて未来に進もう。日本は歴史の教訓を胸に抱いていく。教訓とはなによりも、国際秩序を支持することであり、自由貿易を促進して経済ブロック化を防ぐことだ。・・・安倍が七〇年談話で語った物語の中では、侵略者と被害者、侵略する側と侵略される側の境界が消えている。これは、村山談話、小泉談話からの非常に大きな後退だった

(テッサ・M=スズキ, ibid.p.71, 72)

ちなみに、スズキ氏は、あの、リベサヨのアウトレット「アジア市民共同ネットワーク」の共同代表でオーストラリア国立大学教授の人。で、訳者の方もこれまたリベサヨの寄合所「TUP:Translators Union for Peace」の荒川雅子さん。しかし、訳稿を読ませていただいただけでも、お世辞抜きに荒川さんの翻訳の技倆の高さには感銘を受けました。でもね、これ、あの<黄金の反日壁パス>の「活け作りの展示即売」じゃんね(爆)。閑話休題。


いずれにせよ、特定アジアとその与力衆には、あの退屈でありきたりの「安倍談話」はありきたりではない危険な<安倍談話>としての相貌を見せるらしいということ。ならば、特定アジアの走狗=朝日新聞が安倍談話は「出すべきではなかった」と愚痴るのも当然だったの、鴨。

▽不動のセンター<前田敦子>としての<安倍談話>の構図

・退屈なテクストの朗読<==・・日本国民の7割を占める保守派と特定アジア以外の諸国
・<五右衛門の斬鉄剣>一閃<==・・特定アジア、ならびに、そのエージェントおよび走狗


ことほど左様に、事実を見る限り、繰り返しになりますけれども、--リベラル派のメンバーも巻き込んだ件の有識者会議の助言を踏まえながらも、最後的には「御親筆」とも言うべき出来映えに仕上がったらしい--「安倍談話」に込められた総理の狙いは、海外、就中、特定アジアに向けられていたと考えざるをえないのです。ならば、このテクストの分析からも「安倍談話とはその英文テクストのことである」と考えても満更間違いではないのではないか。そうではありますまいか、ありますまいか。

б(≧◇≦)ノ ・・・敵は<本能寺>にあり!
б(≧◇≦)ノ ・・・<天王山>は英文テクストだ!


総括。(1)安倍談話が想定した読者、<敵>は国内ではなく特定アジアにある-敵は<本能寺>にある。(2)ならば、--今後の外交戦を睨み、特定アジア以外の普通のまともな一般の国々を味方につける作業を考慮した上でも--安倍談話を巡る議論の<天王山>はその英文テクストになり、(3)保守派こそ英語力を武器にできる! 畢竟、この期待感がゆえに本稿を書くことにしました。

(A)安倍談話の対象-<本能寺>
(B)安倍談話の目的-(a)売国・反日談話の止揚, (b)戦争責任・戦後責任の止揚,
   ↓ ↓ ↓    (c)例外なき国際法遵守貫徹の誓約
   ↓ ↓ ↓
(1)安倍談話の<敵>の国際性-<本能寺>
(2)安倍談話テクストの国際性-<天王山>
(3)英語の保守派おける重要性-<天王山>


日本語の母語話者としてはこれ些か悔しい帰結、鴨。けれども、--国連人口基金の推定によれば、2013年現在、世界人口は72億人(非公式集計では2015年は76億人に!)。つまり、日本語の母語話者を除く人類の約98.5%にとって「安倍談話」とはその「英文テクスト」のことなのは現実。加之、「安倍談話」の狙いは海外なのだから--保守派は「安倍談話の英文テクスト」を自家薬籠中のものにすることが望ましい。何故ならば、「安倍談話」とはその英文テクストのことだから。それがいかに不愉快な帰結にせよ、保守派は<安倍談話>にタックルすべきではありますまいか。と、そう私自身は諦観しています。


б(≧◇≦)ノ ・・・「安倍談話」とはその英文テクストのことである!


この<本能寺と天王山>の認識が本エントリー記事作成の最大の理由。ならば、「安倍談話」を英語教材化しよう、しよう、そうしよう、と。それだけなんですけどね。それだけなんですけど、英語的にもなかなか興味深いテクスト。でもって、せっかくやるのに、

>誰にも読んでもらえないくたびれもうけは嫌だぁー!

ということで、主治医に睨まれながらも、現在TOEICスコア換算で400点前後の英語力の方からなんとか大丈夫のように--中級以上の同志の方にはかなり「ウザイ」ですけれど、重要な語彙は繰り返し取り上げたほか、冠詞・従属節・時制とかの基本の基本に力点を置いて--頑張ってみました【どうかな、まあ、「今でしょう」の講師で有名になった某予備校の、元英語教育推進部長さんとして自己採点すると・・・。うみゅー、出来映えは中の上(B+)の合格点もらえる、カナ】。


ちなみに、画像。理路のエスコート役の画像は、「安倍談話」の意味の両義性と日本外交の再生を画した<安倍談話>の意義に鑑み、弊ブログでは、美と再生の女神、<木花咲耶姫>と<同一神格>のほしのあきさんのものを投入させていただくことにしました。而して、著作権は放棄しませんが、--「木花咲耶姫」の画像は別にして--保守派の皆さんはこの記事ご自由にご利用ください。海外在住の保守派の皆さんには、(国語の?)自習用教材としてお子様のお役に立つ、鴨です。無理、カナ。

ということで、以下、「本編」に移ります。まずは、<安倍談話>も繰り返し述べている「誓約」の語義の観察から。これ、<安倍談話>の主な読者である英米の人々には、どういう性格のテクストとして<安倍談話>が受け取られたかを押さえる上で肝要。また、テクスト本体前の準備体操にもなる。なるなる、きっとなる。ということで、よろしければお進みください。また、本稿の目次(↓)も適宜ご活用いただければ便利、鴨です。


V(^◇^)・・・主治医に睨まれながらもなんとか頑張ったよ。
V(^◇^)・・・保守派の皆さん、ご自由に利用してください!



・英語教材として読む安倍談話-目次(余滴冒頭)
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/b3932ae40ff9b6555e2bb21f7f7286c8





▽ウエルカムコラム--「pledge:誓約」の周辺--

安倍談話にも「With deep repentance for the war, Japan made that pledge.:先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました」(S38), 「・・・and consistently upheld that pledge never to wage a war again.:・・・ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました」(S39)の箇所で「pledge」は登場します。更に、<安倍談話>の最終センテンス「Heading toward the 80th, the 90th and the centennial anniversary of the end of the war, we are determined to create such a Japan together with the Japanese people.:終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります」自体が、英語の語感から言えば「pledge」そのものと言えなくもない、鴨。pledgeとはではどんな言葉なのでしょうか。

アメリカでは、言葉の意味として「pledge=to take some Oath or Affirmation」ということからでしょうか、アメリカ合衆国憲法(1787)には「pledge:誓約」条項とも呼ばれるものがある。これです。

Before he enter on the Execution of his office, he shall take the following Oath or Affirmation: --I do solemnly swear (or affirm) that I will faithfully execute the Office of President of the United States, and will to the best of my Ability, preserve, protect and defend the Constitution of the United States."(§2-1-8)

(大統領はその職務の遂行を開始する前に、次のような宣誓あるいは確約をしなければならない。「私は合衆国大統領の職務を忠実に遂行し、全力を尽くして合衆国憲法を維持・保持・擁護することを厳粛に誓う(あるいは、確約する)」)
(憲法2条1節8項)

これを見て、おっ、「Before he enter on the Execution of his office」なら、やっぱ、クリントン(妻)が大統領になるのは憲法違反だぞ。そうだ、ヒラリーも立憲主義がわかっていないんだ。なら、さっそくワシントンD.C.に飛んで連邦議会前で、

>立憲主義って、何だ~!
>民主主義って、何だ~!

と叫ばなければと考える向きはそうは多くないでしょうから、これについてのコメントはしません(cf. 米国憲法修正19条, 同修正1条及び14条の解釈理論)。これ「pledge」の語感の理解に少しはお役にたちましたか。実際、この単語はアメリカ社会でも頻出ではないが、ここぞという場面では都度登場する、われわれ保守派にとってはかなりの重要単語です。なにより、米国の我々の同志「テ-パーティー」のメンバーも称揚するのが「the Pledge of Allegiance:忠誠の誓い」。アメリカの多くの小学校では子供達が都度、この「国家に対する米国国民としての忠誠の言葉」を唱和していますからね(↓参照)。

б(≧◇≦)ノ ・・・Republicans Cheer up! You can make it!
        (共和党頑張れ~!! 楽勝、楽勝~♪) 
        でも、2016年は駄目ポ? (><)    

oath(誓い/誓う)は類語、また、swear(誓う)は「誓約する行為」自体に焦点を置いた語。take an oath of office(就任宣誓を行う), the oath of assumption of the presidency(大統領の就任宣誓), swear the presidential oath(大統領が就任の宣誓を行う)。swearとoathはアメリカ大統領選挙年の年末からしばらくプチ頻出ボキャブラリーになるんですよ。



・憲法訴訟を巡る日米の貧困と豊饒☆「忠誠の誓い」合憲判決-リベラル派の妄想に常識の鉄槌(1)~(6)
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/ec85f638d02c32311e83d3bcb3b6e714



  
 




<「いよいよ本編」近傍に続く>



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