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忙しい社会人にとっての英語学習の意味

2005年08月11日 16時33分08秒 | 英語教育の話題


本稿は「日本人に英語力は必要か」の続編です。前稿で述べた「必要とされる英語力は個々人によって相対的であり、また、非対称的であるという」ポイントを少し詳しく掘り下げたものです。前稿と併せて読んでいただければ少しは分かりやすいと思います。例によって、(★)の註は少しマニアックな説明ですので御用とお急ぎの方は飛ばしちゃってください。


社会人がTOEICなりTOEFLを受ける実益は何なのか? また、忙しい社会人はそれらの試験に対してどのように取り組むべきなのか? もちろん、それはケース・バイ・ケースであり各自の置かれた状況によって千差万別でしょう。この記事では人的資源論(Human Resource Management)の観点から忙しい社会人にとっての英語学習の意義について考えて見ます。

最初に「忙しい社会人」の意味について説明しておきます。私のビジネスの持論はこうです。「儲かることなら何でもする人々のことを世間ではヤクザと呼ぶ。儲かることで法律に触れないことなら何でもするし、どのような努力も厭わない人々のことをビジネスマンと言う。そして、儲かっていない会社とは世間が必要としていない会社であり、世間に貢献していない会社である。而して、儲かるためには自分がやった方がよいことに注力しそれ以外のことは最適な他の人々に任せるべきである」、と。そう比較優位性を企業や官公庁もその中で働いている個々人も常に追求すべきなのだと思うのです(★)。そして、この記事で考える英語学習の意義は、そのような比較優位性を追求している社会人の英語学習に限定したものです。

★註:比較優位性
例えば、ある弁護士がタイピングの腕も一流であるとしましょう。その弁護士がルーティーン業務としても常にタイピングも自分で行うというのは経営的に考えた場合問題だと思います;本人の気は晴れても経営の観点からは滑稽なことでしょう。つまり、コストパフォーマンスから見た場合、弁護士にタイピングもさせているようではその弁護士事務所のボスは経営者としては失格ということ。それでも敢えて弁護士にタイピングも行わせるという場合、そこには明確な経営目的がなければならない。それは、経営資源の最適利用というようなレヴェルを超える政治的か組織文化的な目的が明確にある場合でしょう;弁護士のバッジはもっているけれど役に立たない問題児が自分から辞めるように仕向けるためとか;最重要な顧客の最もデリケートな機密文書をタイピストには扱わせたくないから、とかの場合です。



経営学(=組織論・人的資源論)から見て、英語が不要な職種の人々にも企業・官公庁が英語学習を要求することがあるとすれば、実は、それは<英語力>を要求しているのではない。比較優位の観点を踏まえた上で、英語の運用能力が不要なスタッフにも英語の学習を敢えて企業・官公庁が要求する際には、実は、英語力そのものではなく社会的に通用する英語テストのスコアを要求しているのです。それは、人的資源(=経営資源)の開発というレヴェルの問題ではなく、より本質的な組織の文化や理念のメインテナンスという経営戦略マターの解決のためにそうするのだと私は考えています。暴論? 暴論かもしれませんが、これは、企業・官公庁の英語教育制度を企画してこの道20年の私自身の実体験に基づく主張です。

喩えて言えばそれは、ISO(International Organization for Standardization)を企業が取得するのと同じです。導入している企業内でもISO自体の評判は必ずしも良いわけではない。ある総務担当部長曰く、「書類が増えただけだ。認定更新のたびに書類作成とハンコ押し、それに、学芸会の準備のような台本打ち合わせと無駄な作業の連続で本業の効率を落とすこと甚だしい」、等々。ISOの評判は必ずしも良くなくむしろ滑稽な嘲笑のネタでさえある。では、なぜISO9000やISO14000を取得する企業が後を絶たないのか? 否、増加しているのか? それは、ISO取得のお墨付きが企業のトータルのビジネス活動において意味があるからです。

ISO取得企業でなければ受注コンペティションへの参加資格すらもらえない;ISO取得企業であることが社会や世間から好感を持たれるファクターになる;ISOが営業と販売に不可欠または有利であり;ISO取得企業であるという好感度によって優秀な人材をより低コストで調達することが可能になる(かもしれない)等々。もし、ISOにこれらのメリットが本当に期待できるのならば、たとえISO取得のために書類の数が増え、認定取得と更新のたびにメークアップのための書類作成とハンコ押しと学芸会の台本打ち合わせという本業から見れば無駄な作業が必要になるとしても、トータルに見れば経営者にとってISO取得は安いものでしょう。そして、英語力がコンピテンシー(★)ではないタイプの職種に従事する社員に対して企業・官公庁がTOEICのスコアを要求するのもこれと同じようなことではないか。そう私は思っています。

★註:コンピテンシー:Competency
コンピテンシーとは「高い業績をあげている人材の行動特性」という意味であり、ある職種で望ましい成果を出すために必要とされる能力・資質のことです。コンピテンシーは、企業。官公庁の組織内で高い業績を上げている社員を観察し、他と彼/彼女を隔てている<専門技術・ノウハウ・資質>等を抽出することで特定されます。人的資源論では、このコンピテンシーをその職種に関わるスタッフ全員の行動基準や評価基準にすることによって、組織全体の成果向上を目指そうとします。


全社員がある程度英語ができるという前提が組織の共通了解事項になればどんなメリットがあるか? もし、TOEICスコアで600点以上の英語力を全社員が持ち、部課長職以上の幹部に登用されるにはTOEIC860点が必要というルールが実行されればその企業・官公庁にとってどんないいことがあるのでしょうか? 

全社員がある程度英語ができるという前提が成立した企業・官公庁は、個々の社員や組合に文句を言わせることなく社内社外のコミュニケーションのルールと仕組みを英語(あるいは英語と日本語の二本立て)で構築できます。また、言語の壁が原因となった経営的な失敗事例についても顧客や株主や世間に対して言い訳ができます:「我が社は考えられるベストの対応はしていたが不幸にも失敗したのです」とね。要は、人事戦略の機動性と透明性と公平性を(表面上にせよ)向上させることができ;社内外の情報調達と伝達コストが低減できます;そして、副産物として、「この会社、英語力ないと採用せーへんねん。多分、ごっー国際的な実力主義の風通しのええ明るい会社や思うねん」とか考える世間知らずのポテンシャルの高い優秀な人材を採用できる可能性も高くなるかもしれないのです。

そうなるのであれば、全社員・職員にTOEIC500点、課長は600点、部次長になるには800点以上を要求することに伴う少々の混乱などは企業の人事戦略(=人的資源管理や人的資源手配:Human Resource Management, Human Resource Logistics)から見て安いものでしょう。まして、TOEICのスコアは基準点を取得できないグループの昇進昇給を行わない口実にもなるのですから。しかし、慌ててコメントしておきますが、この最後の点「TOEICや英語力判定制度が昇進昇級を避ける口実に使われる」というのは、実は<神話>にすぎません。企業・官公庁にとっては英語がコンピテンシーでない職種の優秀なスタッフを英語スコアを原因に昇進昇給させられないことはむしろ大問題です。人材の流出が惹起するかもしれませんし、英語だけができるアホナ幹部が企業の競争力を削ぐ危険を抱えることになるのですから。

ことほどさように、英語がコンピテンシーである職種の忙しい社会人(=比較優位性のある方)は英語はすでにできるでしょうから、論理的に言って、英語がコンピテンシーでない職種の社会人が(しかも忙しい社会人が)英語を勉強することとはスコアを取ることである。上の考察から私はそう考えています。

再度、比較優位性について申し上げますが、忙しい社会人とは、組織と世間から必要とされている社会人です。そんな比較優位性のある優秀な社会人が、本業本務の貴重な時間を割いてまで総ての領域で英語力を向上することなど、個人にとっても会社・官公庁にとっても時間と資源の浪費だと思います。資本主義というのはタイムイズマネーなのですから。ならば、比較優位性のある英語がコンピテンシーではない社会人がやるべきは英語のスキルアップではなく英語テストのスコアアップに他ならないと思います。そして、スキルアップとスコアアップは似て非なるものです。

彼等はTOEICやTOEFLやご自分が受験する英語テストのスコアアップに役立つことだけをやればよいのです。まだ日本では「彼女は英語ができる」というと、読み・書き・聞き・話しの4技能のすべての領域で、はたまた、シェークスピアからウオールストリートジャーナルから物理学の専門論文までカバーできると素朴に受け取られている。そんな妄想がまだこの国の英語教育を支配していると私は思います。もちろん、それは全くの誤解であり事実と異なります。そして逆に言えば、スコアメイクに必要な領域のそのまた必要な難易度の情報だけを、しかも、そのテスト特有の解答のルールにのっとって処理できるのであればスコアは必ず上がるのです。「忙しい社会人よ、無駄な抵抗は止めてスコアアップに邁進せよ!」です。

最後に一言。この記事で私はすべての社会人について「スコアアップ以外の英語学習なんて必要ない」「テスト対策以外の英語の勉強なんか価値が低い」などとは一行も書いていません。英語は必要な人には必要であるし、残念ながら日本でも英語が必要とされる人々の範囲は加速度的に拡大しているだろうと思っています。また、「忙しい社会人よ、無駄な抵抗は止めてスコアアップに邁進せよ!」とは、ビジネスの比較優位の点からコメントしたのであって、私自身はどなたにとっても(=忙しい社会人にとっても)母語の他に外国語ができることは間違いなく楽しく素敵なことだと言いたい気持ちでいっぱいです(それに、英語できたからと言って最悪、邪魔にはならないでしょう)。もっとも、「英語なんかより日本語を勉強して来い」という若者が増大していることも、正直、現代日本の大きな問題だとは思っていますけれども。

よって、この記事の結論としては、「忙しい社会人よ、無駄な抵抗は止めてスコアアップに邁進せよ! そして、余力があれば、将来、英語力がコンピテンシーとされる職種への移動や転職・転社を想定した場合、キャリアアップの選択肢を広げておくためにもスコアアップ以外の本格的な英語力養成は望ましいですよ。そして、ビジネスだけではなく英語が使えるようになればそれは素敵なことですよ」ということになると思います。


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