
下記はブログ友のfukufukimama女史の記事転載です。
尚、転載記事下に原文と解題を収録しています。
以下、転載。
「バターン死の行進」(Bataan Death March)って、ご存知でしょうか。
ウィキペディアによりますと、
「第二次大戦中の日本軍によるフィリピン進攻作戦において、バターン半島で日本軍に投降したアメリカ軍・フィリピン軍捕虜の死の行進。戦闘・病気での消耗と過酷な行軍に加えて、辻政信の扇動などにより虐待も行われ、約7千人から1万人の捕虜が死亡した。
フィリピンでは、バターン半島が陥落した4月9日を勇者の日 (Araw ng Kagitingan) として休日に定めている。
本事件は戦時中アメリカ本土で誇張して宣伝され、格好の反日プロパガンダとして利用された。」
だそうです。
普天間問題で米軍に興味が深まったわたくしですが、米軍の機関紙Stars & Stripesのサイトを見ておりましたら、
面白い記事がありました。
http://epaper.stripes.com/
「Bataan photo corrected」
By Adam Geller
AP
記事の概要は、ずっと「バターンの死の行進」の写真だとして米国が認識し(そして反日プロパガンダに活用されていたに違いない)ていた有名な写真が、実は亡くなった捕虜を埋葬するために運んでいる様子であり、死の行進中のものではなかったことが分かったというものです。それは、当時19歳だった、そして現在87歳になる、元米兵の指摘がきっかけだったそうです。誤った注釈を付けてこの写真を報道していたAP(The Associated Press)が、指摘を受けて半年かけて調査し、修正することを決めたとか。
この記事を読んで、いくつか、気が重くなったり再認識したりしたわたくしでした。
原爆も東京大空襲もとりあえず脇に置いておられるようではあるけれど、とにかく、米国は、米軍は、自分たちが払った犠牲という部分においては過去をずっとずっと大事に持っているということ。
(たとえば、自国民を大虐殺された東京大空襲を指揮した人間に、その後どのような事情があったとしてもです、最高レベルの叙勲をしたような行為とは、少なくとも大違いではないでしょうか)
そして、その裏返しともいえるのでしょうが、記録の正確性にはこだわり、客観的に正しいと思えば修正するという面。
英米人って基本的に傲慢で自己中で能天気だと思っているわたくしですが、しかし、
自分の国の先人たちの苦痛を決して忘れないこと、そしてそのためにこそ、正確な事実認識に少なくとも可能な範囲でまじめであること。
これって、我々にっぽん人、できているのだろうかと、改めて、思ったのでした。
(以上、転載終了)
転載元: なぜかロンドンそして東京
http://blogs.yahoo.co.jp/fukufukimama/59602446.html

■記事原文抜粋
◎After 65 years, news service adjusts Bataan photo caption to match veteran’s memory
By Adam Geller, The Associated Press
Pacific edition, Monday, March 22, 2010
NEW YORK — For 68 years, John E. Love has been haunted by the memory of carrying fallen comrades to a mass grave hollowed out of a Filipino rice field. Now, at last, a bit of history is being rewritten because of those memories.
After six months of research, The Associated Press is correcting the caption on one of the most famous photos in its library, 65 years after the image first moved on the newswire. The image shows defeated Allied soldiers after their surrender to Japanese forces on the Philippines’ Bataan Peninsula in April 1942.
Over the years, the photo has become perhaps the most widely published image of what came to be known as the Bataan Death March.
But for many of those years, Love, a native of Albuquerque, N.M., who fought to defend Bataan as a 19-year-old Army corporal, saw captions paired with the photo that he believed did a disservice to the truth.・・・
A Journal reporter, Charles D. Brunt, found other local Bataan survivors who agreed, wrote a story about the conflicting information and contacted AP, the source of both the photo and the caption. That launched the cooperative’s own investigation of the photo, originally supplied to news services by the U.S. military after it was confiscated from defeated Japanese forces.
AP archivists contacted the Pentagon. Eventually, that led to the original photograph, on file in the National Archives in Washington, D.C. The catalog recorded it as a photo of U.S. prisoners using improvised litters to carry comrades. But a note filed along with the image, date unknown, said that, according to a retired U.S. Army colonel, the photo was not of the death march, but of the burial detail in the weeks that followed.・・・
After discussing the evidence, AP decided to correct the caption. It now reads, in part, “At the time of its release, this photo was identified as dead and wounded being carried by fellow prisoners during the Bataan Death March in April 1942 ... Subsequent information from military archivists, the National Archives and Records Administration, and surviving prisoners, strongly suggests that this photo may actually depict a burial detail at Camp O’Donnell.”
■転載記事解題
蓋し、①欧米、就中、英米の歴史観は中立的などではなく極めて傲岸不遜なものである。②けれども、彼等は、自己の正当性を「中華-周夷」の<イデオロギーとしての歴史>そのもので担保しようとする支那や韓国の中華思想とは異なり、<科学としての歴史学>の権威でもって自己の歴史観を補強しようとする。③もちろん、支那も英米もその歴史観は自国の正当性と自国民のプライドを提供するイデオロギーである点ではなんら変わらないが、イデオロギーの正当化の手法が異なる。
畢竟、④英米では自己の歴史観がトータルで否定されない限り、個々の歴史的事実の改訂や修正は厭わない(というか、それを行なうことがひいてはトータルな彼等の歴史観の正当化の補強につながるという点で、歓迎さえする)。例えばアメリカでは、ネーティブアメリカンの虐殺や抑圧、黒人奴隷制度への反省は<歓迎>されるが、米西戦争や中南米諸国への干渉、まして、東京大空襲や原爆が正式に<反省>されることはない。また、英米(西欧)全体を通して帝国主義時代のアジア・アフリカの植民地支配が(最早、「帝国主義的植民地支配など(儲からないから?)今後はやりません」という<反省>はともかく)<謝罪>されることもない。
而して、①~④を反芻するならば、繰り返しになりますが、英米は一見自国の不利に見えることでも大胆に認めることがあるという事実。これは、支那や韓国に比べて彼等がより「紳士淑女」であること(だけ?)を意味するのではなく、彼等の歴史観が中華主義のそれに比べて遥かに堅固であることの裏面なの、鴨。将棋でも玉の固い陣営は相手の攻撃に対してより寛容に振る舞えるのとこれは似ている、鴨。ここは日本も見習うべきポイントなの、鴨。と、そう私は考えています。
ならば、「英米が正確な事実認識に真面目なら、最早、不可能とさえ思われている「南京事件虚構の証明」をアメリカで持ち出せる可能性はあるのでしょうか」。と、もしこう問われたら私は次のように答えたいと思います。
それは十分に可能だと思います。しかし、そのための「難所」が3個ある、と。
蓋し、その「難所」とは、()英語で具体的かつ論理的に主張すること、()その主張が結果的に戦前の日本の正当化に与するとしても、その主張自体が直接戦前の日本擁護のイデオロギーの表出(だけ)とは感じさせないレトリックと主張の目的の設定がなされていること、()現在の英米を中核とする世界秩序とも、今後の多極化した世界秩序ともその主張が親和性のある主張であること。
いずれにせよ、相手の特定アジアがそうだらか(売り言葉に買い言葉的に)仕方のない側面はあったとはいえ、基本的に「南京」も「慰安婦」も、これら()~()を欠いた<内弁慶の遠吠え>でしかなかったのではないか。ならば、この半世紀のこちら側の営みは、最早、(根拠を添えて論理的にアピールされなかった事象は存在しないとされる)国際政治のスタンダード的には「不作為による追認」と受け取られても仕方がない側面さえある。畢竟、英語で論理でイデオロギーで、重層的に勝負しなければ「正義も真実も出し遅れの証文」にしかならない。それが現下の国際政治ではないか。と、そう私は考えています。
尚、歴史と「ナショナリズム=イデオロギーとしての歴史観」を巡る私の基本的な認識については下記拙稿をご参照ください。
・政治と社会を考えるための用語集(Ⅳ) 歴史
http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/1325177.html
・左翼にもわかる歴史学方法論☆沖縄「集団自決」を思索の縦糸にして
http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/50035076.html
・歴史教科書の記述基準☆「集団自決」の記述再修正を求める
沖縄県民集会が照射した日本の歴史教育を巡る問題点素描
http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/49942866.html
・沖縄集団自決を巡る教科書記述問題を契機に
「歴史教育の再構築」という現下の日本の課題を再考する
http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/49826923.html
・キムヨナを<物象化>する日韓の右翼による社会主義的言説
http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/59298740.html
・<中国>という現象☆中華主義とナショナリズム
http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/53505603.html
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