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読まずにすませたい保守派のための<マルクス>要点便覧-あるいは、マルクスの可能性の残余(参)

2009年04月22日 22時41分55秒 | 日々感じたこととか


■マルクス関連必須用語

[A]社会主義・共産主義
社会主義・共産主義(socialism・communism)は元来、個人主義(individualism)の反対概念として登場した言葉です。マルクスの社会思想が主に展開された舞台たる経済部面に引き付けて言えば、平等で均一、独立した<個人>だけを社会的・経済的な諸関係のプレーヤーと見立てて、財の生産と富の分配はそのような<個人>を単位にその責任で行なわれるべきだとする近代社会に特有な人間観・社会観を個人主義と呼ぶならば、財の生産と富の配分は<個人>を超えたある特定の集団たる<部分社会>や<全体社会=国民国家規模の社会>を単位にその責任で行なわれるべきだと考えるのが社会主義・共産主義であると一応言えると思います。つまり、社会主義・共産主義と個人主義・自由主義は不倶戴天の敵ではあるが資本主義・民主主義と社会主義・共産主義は必ずしも矛盾するわけではない。

注意すべきは、社会主義・共産主義はポスト=モダンの思想であると同時にプレ=モダンでもありうること。実際、資本主義成立以前の中世・近世の村落共同体や同業者の友愛的紐帯をモデルとするロマン派的の社会主義・共産主義は空想的社会主義の論者から繰り返し主張されました。

蓋し、佐藤優『国家論』(2007年)の「スターリンの民族理論の強さは、近代的な国民国家が成立する以前の近世帝国にも目配りが利いているところです。マルクスのテキストを読み込んで、国民国家というモダンを超克するようなポストモダン国家に対する構想力を、おそらくプレモダンへの想像力をバネにして作っている」(p.145)との指摘は正鵠を得ていると思いますが、しかし、スターリンがそのように強靭な民族論を構築できたについては、社会主義・共産主義が元来プレ=モダンとポスト=モダンの両義性を帯びていることが与して力あったと考えています。

而して、おそらく『経済学・哲学草稿』の第1草稿4「疎外された労働」(岩波文庫, pp.84-106)の延長線上にあると思われる『ドイツ・イデオロギー』の次のような共産主義社会イメージにもやはり同様の両義性を指摘できるかもしれません。

「共産主義社会では、各人は排他的な活動領域というものをもたず、任意の部門で自分を磨くことができる。共産主義社会においては社会が生産の全般を規制しており、まさしくそのゆえに可能になることなのだが、私は今日はこれを、明日はあれをし、朝は狩りをし、午後は漁をし、夕方には家畜を追い、そして食後には批判をする ―― 猟師、漁夫、牧人あるいは批判家になることなく、私の好きなようにそうすることができるようになるのである」(岩波文庫, pp.66-67)


社会主義・共産主義の両義性。けれども、カール・ポラニー(1886年-1964年)が『大転換』(1944年)で喝破した如く、中世・近世までの「経済現象が社会的諸関係に埋め込まれていた社会」から、資本主義の発展により、「自己調整型市場システム」が確立し「社会的諸関係が経済現象に埋め込まれた社会」と成り果てた近代社会では、空想的社会主義が主張するようには<懐古>や<善意>だけでは社会主義・共産主義が具現することはあり得ない。よって、「マルクス=レーニン主義」は暴力革命を否定しなかったのでしょうし、他方、我々保守改革派には社会思想のみならず社会理論が不可欠なのだと思います。

而して、空想的社会主義を批判するプロセスでこの経緯を悟ったマルクスは、社会主義・共産主義への現実的の道筋を考察する段ではプレ=モダンと通低するナイーブな社会主義・共産主義からは漸次離れていく。前節で紹介した『ゴータ綱領批判』の社会主義の高低二つの段階のイメージと併せて、次の『共産党宣言』第2章「プロレタリアと共産主義者」からの引用でその経緯を確認しておきましょう。

「共産主義者は、その理論を、私有財産の廃止というひとつの言葉に要約することができる」(岩波文庫, p.58)

「共産主義者に対して、祖国を、国民性を廃棄しようとする、という非難が加えられている。労働者は祖国をもたない。かれらのもっていないものを、かれらから奪うことはできない。プロレタリア階級は、まずはじめに政治的支配を獲得し、国民的階級にまでのぼり、みずから国民とならねばならないのであるから、決してブルジョア階級の意味においてではないが、かれら自身なお国民的である」(ibid, p.65)

「【土地所有の収奪と地代の国庫への納入、強度の累進課税、相続権の廃止、すべての運輸機関の国有化、国有工場・生産用具の増加と共同計画による土地の耕地化、すべての人に対する平等な労働強制等々の施策の実行により】階級差別が消滅し、すべての生産が結合された個人の手に集中されると、公的権力は政治的性格を失う。本来の意味の政治的権力とは、他の階級を抑圧するための一階級の組織された権力である。プロレタリア階級が、(中略)革命によって支配階級となり、支配階級として強制的に古い生産関係を廃止するならば、この生産関係の廃止とともに、プロレタリア階級は、階級対立の、階級一般の存在条件を、したがって階級としての自分自身の支配を廃止する。階級と階級対立とをもつ旧ブルジョア社会の代りに、一つの協力体があらわれる。ここではひとりひとりの自由な発展が、すべての人々の自由な発展にとっての条件である」(ibid, p.69)


畢竟、原理的にプレ=モダンに親近性を持つ保守主義にとって、それが再構築を目指す社会のイメージ獲得に関して社会主義・共産主義は無意味ではない。加えて、それを<精神論>で具現することの困難さを指摘したマルクスの社会思想は、資本主義の暴力性、すなわち、現下のグロバール化の昂進に拮抗し得る伝統尊重型社会の再構築を目指そうとする我々保守改革派にとっても傾聴に値する。そう私は考えています。


[B]唯物史観
唯物史観に関しては前節で引用した『経済学批判』序言、所謂「唯物史観の公式」が重要です。要は、ある時代ある社会の(労使関係・所有関係等々の)生産関係とその社会の生産力との間に生じる齟齬が歴史を発展させる、と。拡大する生産力と変化を抗する生産関係の間の矛盾が歴史発展の動因である、と。『共産党宣言』第1章の冒頭の言葉の如く「今日まであらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史」であった、と。これが唯物史観の最もプレーンな内容と言えると思います。

唯物史観をこう捉える場合、それは単なるイデオロギー的仮説(=「社会や歴史に対する体系だった説明」)にすぎません。実際、新左翼系・ポスト=モダン系の論者の多くは唯物史観が「科学」でも「法則」でもないことを認めています。また、『開かれた社会とその敵』(1945年)と『歴史主義の貧困』(1957年)によって、科学哲学の切り口からマルクス主義に対して致命的な打撃を与えたカール・ポパー(1902年-1994年)の批判の要諦もこの「唯物史観による科学的法則性の詐称」でした。

しかし、それが荒唐無稽であったとしてもマルクスの唯物史観の優れた所は、思想史上数多存在する進歩史観(≒ギリシア・インド的な「循環史観」ではなく、仏教の「末法思想」やキリスト教の「終末史観」を含む<線分的史観>)とは異なり、ヘーゲル弁証法の転回による、すなわち、『ドイツ・イデオロギー』で確立された弁証法的唯物論によって唯物史観に哲学的な基礎づけを行なったことだと思います。

弁証法とは、あるものがそれを構成している不可欠の要素が(その要素を含むあるものの、本性に沿った運動に起因して)変化することにより元来のあるもののままでは最早存在しえなくなる。そのような運動形式を継起的に経ることで漸次そのあるものが順次別のものに変転していくという歴史認識の枠組みです。弁証法の開山開祖ヘーゲルはそのあるものを「絶対精神」と観念的に捉えましたが、マルクスの弁証法的唯物論はそのあるものを「物質的な基礎を持つ社会」とした。謂わば、逆立ちして頭で立っていたヘーゲルの弁証法を逆転させた。そうマルクスは豪語しています。マルクス曰く、「ヘーゲルにとっては、思惟過程が現実的なるものの造物主であって、現実的なるものは、思惟過程の外的現象を成すにほかならないのである。(中略)私においては、逆に、理念的なものは、人間の頭脳に転移し翻訳された物質的なるものにほかならない」、と(『資本論』第1巻2版「後書」(岩波文庫(一),p.31)。

イデオロギー的仮説にせよ、経済的動因から社会と歴史を考察するというマルクスのこの着想は、現在、あらゆる社会科学的営為の共有財産と言える。けれども、その後、唯物史観は「マルクス=レーニン主義」によって、『経済学批判』の「唯物史観の公式」から更に公式化・教条化が進行した。すなわち、「あらゆる「個別歴史=社会」の歴史は同一の発展法則に従って発展する。畢竟、次の如き歴史の発展段階を順次継起的に通過する。すなわち、「原始共産制または氏族制社会→古代奴隷制社会→中世封建制社会→近代資本制社会→社会主義・共産主義社会」の順序での発展を経る」、と。

原文を読めば一目瞭然なのですが、「唯物史観の公式」には「原始共産制または氏族制社会」などの字句は存在せず、「アジア的(生産様式)」が最初にきています。マルクス主義者の間での訓古学的議論では、この「アジア的生産様式の支配する社会」をマルクスは(マルクスがニューヨーク・デイリー・トリビューン紙に送った多くのアジア時局論に見られるように)「停滞した社会」として歴史の発展段階の埒外に置いたのか、それとも、古代奴隷制社会の前に位置する歴史発展段階の第一段階目(≒原始共産制または氏族制社会)なのか現在でも(!)結着がついていないようなのです。ご苦労なことです。

それにしても、支那の開国に対する次のような「唯物史観の総本家」の記事を読むとき、少なくとも、唯物史観が単なるイデオロギー的仮説にすぎないことは自明だと思えてきます。支那の開国によって世界恐慌は起きませんでしたから。

「完全な孤立ということが旧支那維持の根本的条件であった。いまやイギリスのはたらきかけで、この鎖国に強制的な終末が準備され、密閉された棺に保存されたミイラが新鮮な空気にふれると、たちまち崩れてしまうと同じように、この瓦解もまた必至の運命にあったのである」「支那革命が現在の産業組織の火薬桶の中に火の粉をなげいれ、全般的な恐慌の端をひらくことを確信をもって予言することができる」(「ニューヨーク・デイリー・トリビューン」1853年6月14日)








[C]疎外・物象化・物神性
「疎外」Entfremdung」、「物象化:Versachlichung / Verdinglichung」、「物神崇拝:Fetischismus」はポスト=モダン系の左翼が重用する概念。而して、新旧のマルクス主義者の最大公約数的理解は、「物象化とは人と人の社会的関係が物と物との関係として現われること」といった所でしょうか。ただマルクス自身は、これらの言葉を特に明確に定義した上で首尾一貫その定義に沿って使い分けてはいない。例えば、「疎外され外化された労働:die entfremdete, entäußerte Arbeit」という如く、ドイツ観念論の(就中、ヘーゲルやフォイエルバッハの)普通の用語法の延長線上で緩やかな互換性のある概念として使用している。

簡単に言えば、疎外・物象化・物神性、そして、外化という言葉の意味は、「人間が作った事物が、それ独自の運動法則性を持つに至りそれらを作った人間の意向に従わなくなる/それらを作った人間を逆に拘束・支配するようになる現象」のことだと私は考えています。例えば、トーテムポールを作ったのは人間であるのに、その木製の(made of wood)トーテムポールが逆に人間の行動を左右するような現象。あるいは、人間が生産した商品が一度市場に出されるや否や、その商品を巡る需給、価格や販売実績はそれを作った人間が左右できるものではなくなる現象。更には、人間が作った(しかも、現下の不兌換制度においては、紙切れにすぎない!)貨幣がそれ自体価値のあるものとして崇拝の対象として取り扱われることも稀ではない現象。これらが、緩やかな互換性が認められるこれらの言葉の意味の中核だと思います。

疎外や外化(sich entfremden, sich entäußern) は、元来、キリスト教神学的の用語。而して、神の子イエスが生身の人間として地上にその姿を現した如く、疎外や外化とは「神:観念的=精神的実体」が現実世界にその姿を現すこと。厳しくもこの経緯は「神の自己疎外」と語られるのですが、他方、疎外や外化という言葉自体は「縁遠くなる/親しくなくなる」「疎遠になる」や「放棄する」「捨て去る」という日常生活でも頻出のドイツ語の動詞から派生したものにすぎません。

要は、日常用語であった疎外や外化の表示義(denotation)の上に、「中世の神学→ドイツ観念論→マルクス」の順に各々独特の共示義(connotation)が積み重ねられてきたということでしょうか。ならば、物象化という概念に注目してマルクスを読み返した、ルカーチ(1885年-971年)、そして、アルセチュール(1918年-1990年)や廣松渉(1933年-1994年)の作業もまた新たな共示義の屋上屋を架したものと言えると思います。

語源と表示義と共示義。例えば、人口に膾炙しているように、語源的には「経済:economy」はギリシア語の「オイコス:oivkos」(住居、家族)に遡る言葉であり、economyとは、(建物としての家屋ではなく、また、現在の核家族などでもない、家の子郎党・下僕、時には家畜をも含む)「家類似の共同体の運営や運営のスキル」という意味です。実際、この「オイコス」に派生する「オイコノミー:oivkonomi」という言葉を、ギリシアの人々は、「世界の創造と運営」「人間の救済のための神々による現世来世での取り仕切りや取り計らい」といった意味で使用していました。ですから、中世期まではしばしば見られる「神の経済」「自然の経済」という今でならば隠喩的とも見える用法は(神の知ろしめす天上天下の世界も自然界も家類似の共同体と受け取る感性を前提にして)「経済」の原意に沿った表現なのであり、むしろ、現在の「経済成長」や「数量経済学」等々の用語の方が「経済」の比喩的、あるいは原意の表示義に共示義的を重ねた用語法なのです。閑話休題。

疎外は『経済学・哲学草稿』の、物象化は『ドイツ・イデオロギー』の鍵用語であるとしばしば語られます。先にこれらの言葉の意味を「人間が作った事物が、それ独自の運動法則性を持つに至りそれらを作った人間の意向に従わなくなる現象」と捉えましたが、ある意味、それだけのことであれば疎外も物象化も物神性も世界の出来事を理解する上での単なる認識枠組みの域を大きく出るものではないでしょう。

而して、マルクスの天才は(自分が作った商品に対する権利認められない商品からの疎外、自己の労働が他者の管理の下に置かれる労働からの疎外等々の)労働における疎外、商品が物象化して独自の法則性を持つ経緯、あるいは、他のあらゆる商品から疎外され貨幣となった貨幣商品が物象化により物神崇拝の対象となるメカニズムを「歴史的-論理的」に説明したことにある(cf. 『資本論』劈頭、第1巻1篇1章「商品」(岩波文庫(一), pp.67-151)。そして、逆に言えば、疎外・物象化は人間が作った事物があたかも自然界の事物の如く外化する現象であり、ならば、自然現象と自然法則の関係とパラレルに、その外化した経済現象を貫く法則を知ることができれば人間は経済現象を制御可能になる、と。そうマルクスは考え、その法則の発見のために『資本論』を書いた。そう私は考えています。


[D]使用価値・交換価値
マルクスがそのパラダイムに準拠した古典派経済学において、「価値」には二つの意味があります。それは「物やサーヴィスの効用・用途・利便性に我々が感じる好ましさとしての使用価値」と「物が他の商品に比べてどれだけの好ましさを持っているかという、物と物の効用の比率としての交換価値」の二つ。例えば、タバコの効用はそれを吸ってストレスを軽減すること、朝日新聞の効用は「その道に日本は進んではいけない!」ことを読者に知らしめる反面教師の役割を果たすこと。また、朝日新聞の1ヵ月分の効用の大きさは、セブンスター12.21個分の効用に等しい(∵3662円÷300円≒12.21)と社会的に相場が決まっている。

ここで注意すべきは、貨幣で表示された交換価値(=交換比率)を「価格」と呼ぶのですが、あくまでも交換価値は複数の物やサーヴィスの「効用」の比率であるということです。而して、「貨幣」とは諸々の事物や物品の交換価値を表示することを専らその使用価値とする物品(≒商品)と言える。また、ロビンソンクルーソーの世界では交換価値(くどいですが、個々の物品間の「効用」の交換比率ですよ)は彼一人が決めることでしょうが、複数のプレーヤーが登場する通常の社会において交換価値は「相場」として決まってくる。すなわち、資本主義の市場経済においては交換価値とは生産者ではなく消費者のための、生産者から見て「他人の使用価値」に他ならないことです。

畢竟、資本主義社会における交換価値が「他人のための使用価値」であり、貨幣によって表示された、他の商品群との交換比率である交換価値が「市場-相場」で決まる限り、生産者の主観的な交換価値を世間が受け入れるかどうかは保証の限りではありません。要は、生産者が自信をもって市場に出した商品も売れ残る可能性が常にあるということ。この経緯をマルクスは「商品価値【交換価値】の商品体から金体【貨幣】への飛躍は、商品の「命がけの飛躍」である」「商品は貨幣を愛する。が、「誠の恋が平かに進んだ例がない」ことをわれわれは知っている」(『資本論』第1巻1篇1章, 岩波文庫 pp.188-191;cf. 『経済学批判』第2章, 岩波文庫, p.110)とシェークスピアの名句を借りて記しています。

尚、「経済学が扱うべき価値とは何か」を究明措定する経済学的思索の導入段階(これを「価値形態論」と呼びます)を除けば、古典派経済学が専ら扱う価値形態(≒価値の概念)は交換価値に限られています。よって、アダム・スミスからマルクスに至るまで交換価値は単に「価値」と表記され、それに対して使用価値は「使用価値」と都度、「使用」という形容詞付きで用いられるのが普通です。而して、時々左翼の中にも誤解している向きもあるのですが(笑)、交換価値と使用価値の峻別、あるいは、後に説明する剰余価値の概念はマルクスの創作ではなくマルクスの独創はそれらの用語を用いて資本主義の運動法則を究明したことにあります。もちろん、それが見事な失敗であったことは言うまでもありませんけれども。


[E]商品・貨幣
マルクスの社会思想は19世紀西欧の特殊歴史的な産物です。『資本論』は第1巻1篇「商品と貨幣」で始まっていますが、その劈頭でマルクスはこう述べています。

「資本主義的生産様式の支配的である社会の富は、「巨大なる商品集積」として現われ、個々の商品はこの富の成素形態として現われる。したがって、われわれの研究は商品の分析をもって始まる」(岩波文庫,p.67)


而して、ここには当時の知識人層の関心を集めていたダーウィン(1809年-1882年)の『種の起源』(1859年)を始め生物学、すなわち、生物を細胞の機能的集積たる有機体と考える発想の影響が大きいと言われています。一種の「有機体的社会観」の基盤の上に、資本主義経済の「細胞」として商品を位置づけ、その「細胞=商品」の性質と機能を観察分析することで資本主義経済の運動法則を発見する試みとして『資本論』を位置づけることができるということです。

蓋し、商品を「他人の効用を満たすことによって貨幣との交換を期待できる物品やサーヴィス」と措定できるとするならば、資本主義とは「商品と貨幣を媒介にした利潤獲得を手段とする資本の無限増殖の自律的再生産プロセス」に他ならない。これがマルクスの社会思想の基底的な認識であると私は理解していますが、商品と貨幣を巡る『資本論』の考究はこの謂わば「イデオロギー的仮説」を<科学>に高めようとする試みの初手と言えるでしょう。

とりあえずは個々人の主観的「効用」でしかない物品やサーヴィスの<価値>がいかにして社会的な交換価値を獲得するか。そして、交換価値がなぜに必然的に貨幣によって表示されるようになるのかの経緯をマルクスは(数学が苦手なくせに背伸びしたとしか思えない「算数的表現」を用いて)同書同所で仔細に検討しています。

その要諦は、(前項で触れたように)ある商品の交換価値は他の商品の使用価値でしか示され得ないということ。そして、あらゆる商品の交換価値を表示することをその効用(=使用価値)とする商品が貨幣に他ならず、「歴史的-論理的」に貨幣になりうる商品は金銀の貴金属に漸次収斂した。よって、「金と銀は生まれながらにしての貨幣ではないが、貨幣は生まれながらにして金と銀である」、と(『資本論』第1巻1篇2章・岩波文庫, p.160;『経済学批判』・岩波文庫, p.204)。而して、この金銀に対するマルクスの認識も間違いであったことは「不兌換制度-変動相場制」が支配的な現在明らかだと思います。


<続く>


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