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資料★大河ドラマ「平清盛」における「王家」をめぐって

2012年01月14日 22時14分49秒 | 言葉はおもしろいかも

ブログ冒頭の画像:記事内容と関係なさそうな「美人さん系」が少なくないことの理由はなんだろう?

https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/c566c210ad11db94fc1d87a5fddcf58e



下記拙稿(↓)の資料として、本郷和人・東京大学史料編纂所准教授と作家の堀田純司氏の記事を転記収録しておきます。尚、註記、および、「太字」「赤字」の強調はKABUによるものです。



・『平清盛』における「王家」という用語の使用に対する批判への疑問
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11152790651.html

・第二の中世の“今”考える「中世とは何か」
 -平清盛が先鞭をつけ足利尊氏が確立した日本(上)(下)
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11136180130.html






大河ドラマ「平清盛」における「王家」をめぐって

今年のNHK大河ドラマ「平清盛」では、法皇・上皇らによる院政体制を「王家」と呼んでおり、ネットでは「『皇室』『天皇家』ではないのか」といった議論が起きている。同作品の時代考証にあたった気鋭の中世史家、本郷和人 東京大学史料編纂所准教授と「肉食と草食の日本史」(中央アート出版社)の共著もある作家の堀田純司氏に、「王家」問題について寄稿してもらった。(編集部)

縁もゆかりないのに、あえてNHKを擁護してみる。

ドラマ「平清盛」はなぜ「王家」という言葉を使うのか。

このような話題にうかつに首をつっこまずに過ぎ去るのを待つのが大人の態度だと思うのですが、この話題は実は「表現における用語の規制」に関わるものです。ですので非力かつ超末席ながら、言葉を使う商売のはしくれとして、あえて大河ドラマ「平清盛」における言葉の使い方について解説してみようと思います。いたらぬ人間の解説ですが、なにかの足しになれば幸いです。

今、一部で話題のNHK大河ドラマ「平清盛」で使われる「王家」という皇室の呼称ですが、まずこれは中世を扱う歴史学ではごく普通に、自明のものとして使われている用語です。この用語が広く用いられるようになったのは歴史学者、黒田俊雄氏の「権門体制論」以降のことでした(歴史評論2011年8月号「王家をめぐる学説史」)。

この権門体制論とは現代でも有力な中世史観であり、簡単にいうと王家(天皇家)を国家の中核にすえ、寺家や武家などの諸権門が相互補完的に存在し、国家権力を形成していたという中世日本の国家観です。

【註:更に言えば、それぞれの「権門」が、公的と私的の、「国家の正当性→権限」と「私的な利権→権利」の重層的な社会的な影響力を、かつ、公家・寺社・武家の三権門の相互補完的な関係において編み上げたというのが「権門体制論」の帰結です。

而して、黒田氏の切り開いた地平は、(黒田氏に比べてさえ、遙かに教条的なマルクス主義の歴史研究者であった石母田正氏の'''『中世的世界の形成』'''(1944年)の一閃が浮かび上がらせた中世日本のリアルなイメージと並んで、)マルクス主義の歴史学を徹底することでマルクス主義の歴史観の枠組みを突き抜けたものとして、現在でも左右の立場を越えて高く評価されています。

ちなみに、黒田氏の切り開いた地平は網野善彦氏を含む民衆史学の形成に多大な影響を及ぼしたもの。他方、所謂「皇国史観」の代表的な論者とされてきた平泉澄氏の、実は、中庸を得た社会史とも通底するものと現在では考えられています。】



この権門体制論を構築する際に黒田氏は「王家」という言葉を使うほうがいいと提唱しました。なぜか。黒田氏は天皇家や皇室といった用語が、近代国家権力によって使われた用語であり、それはどうしてもある種の先入観、イデオロギーなど思考上の制約を与えてしまうと指摘。そうした既存のイメージを脱構築するために、中世の当時、実際に頻繁に使用例が見られる「王家」という用語を使うことを提唱したのです(「中世天皇制の基本的性格」,1977)。

【註:私見では、「天皇家」「皇室」という用語では、中世の「天皇とその一族」の権門としての色彩、すなわち、それが私法と公法にまたがる存在、かつ、「制度」と「実存」の両義的存在であった経緯が曖昧になる恨みがある。その点でも「王家」という用語は優れていると考えます。この経緯は、「神聖ローマ帝国皇帝」になり得る一族のあり方とパラレル、鴨。】



近代に成立した用語で過去の歴史を振り返ることの危うさは、黒田氏は他のテキストでも指摘していますが、僕などにも納得できるところです。たとえば、僕はかつて高校を中退し引きこもった過去を持つ男ですが、あのころはまだそうした境遇を表現する用語はありませんでした。今もあまり変わらない生活なのですが、現在ならば、ニート、自宅警備員などと名乗ることができ、ずいぶんと世の中も変わったものだと思います。

ひるがえってドラマ「平清盛」ですが、明らかにこの権門体制論の枠組みを意識して描かれていると感じます。劇中、天皇家があくまで王権を掌握し、武家はその犬と呼ばれ、自らの持つ力を自覚していない。この史像をつらぬくと、武家はあくまで諸権門のうちに武力の担当者でしかなく、源平の戦い(学術的には「治承・寿永の乱」と呼ばれる)も、権門体制の枠組みの中で軍事指揮権の長の座をめぐって戦われたコップの中の戦争(でしかない)という見方になります。

もっとも、このドラマでは第1話で、そうした歴史観をこえ、清盛自身が自分が何者であるかを自覚する過程を、武家が自らの持つ力に目覚めていく歴史に重ねる。そして彼を新たなる王権の開拓者として描くというグランドデザインを見る者に感じさせており、これはなかなか骨太な第1話だったと僕などは思います。



再び「王家」という用語ですが、しかしいくら学界で主流だからといって「なにも誤解を招きかねない学術用語をひっぱり出して、ドラマで使うことはないだろう」という批判もあるかと思います。それは確かにもっともなことです。ですが学問分野と一般も同じだろう、と僕などは感じるのです。

【註:私はそうは思いません。この点には、些か、「素朴実在論」的なマルクス主義の雰囲気/蒙古斑をこの記事の話者達の発言に感じないではありません。】



つまり歴史研究において、ある種のイメージがつきまとう用語が思考の制約を招くのとまったく同じように、既存の言葉は読者のイメージを限定してしまう。であるならば、今までとは違った言葉をあえて使うのも創作の方法論として、なくはないのではないでしょうか(古い文芸理論をひっぱりだせば、言葉のこうした使い方についてロシア・フォルマリズムでは「異化」、対してすっかり慣れて言葉が刺激を感じさせなくなることを「自動化」と呼んだものでした)。実際、ドラマが描く「王家」の姿は既存のイメージとはまた違う魅力を放ち、なかなかカッコよかったです。

僕は昨年、あるNHKの結構な年配な人によくない扱いを受け、いまだに少し根に持っているくらいなのでかわりに弁解する義理は全然ないのですが、上記事情により、王家という用語に皇室をおとしめる意図はない。それはむしろ天皇家こそが国家の中枢と見なす歴史観に基づいているのだとは、言えると思います。

【註:上の註と矛盾するようですが、この2パラグラフの発言には同意。】



余談ですが、いつの時代も「うるさ型」の人はいるので黒田氏の提唱に対して、「王家という言葉は不適切だ。むしろこちらも中世に使用例が見られる『朝家』がいい」と反論した人がいました。この「朝家」を使えばドラマも論議を巻き起こすことはなかったでしょう。しかしこの用語はどちらかというと王権の執行機関としての「公的な性格」を想起させる“クール”な言葉のように感じます。反面「王家」であれば私的な側面も包含し、このほうが劇中のドラマがより熱く際立つように思われませんでしょうか。

実際問題、ラウドな層や特定のイデオロギーを持つ人々に配慮して、作中の用語が無難なものに変えられてしまうことは、作品づくりの現場でごく普通にあることです。このドラマの場合も普通だったら、こうした用語はどこかの段階で無難なものに直されてしまっていたでしょう。最大級に注意を払う必要があるところです。しかし、そうした配慮の先では、とんがった作品などは生まれない。むしろ毒にも薬にもならない作品ばかりが出てくる土壌になりかねず、自分の場合は「そんな世の中で暮らしたくないなあ」と思います。

そう考えると僕は、最近では珍しいような、このドラマにかける製作者の人々の意気込みを感じます。願わくば、途中で変えるなどせずこの姿勢を貫いてほしい。用語が変えられたりしたら、僕はむしろがっかりします。しかし得てしてえらい人がどこかでなにか言い出すものですが。

また余計なことを言いますが、用語の解釈をめぐるよりも本当の問題はもっとディープなところにあるのではないでしょうか。さきほどはサラっと書きましたが、清盛は本当にもうひとつの王権を築いたとみてよいのでしょうか。平家政権、そしてそれに続く鎌倉政権はあくまで朝廷の権威に服していた従属的な存在、地方の総督みたいなものだったのではないでしょうか(つまりあくまで権門体制論的な見方をつらぬき、それはもちろん室町や織豊政権の対朝廷観にもつながります)

【註:上下(↑↓)の2パラグラフの指摘には全面的に同意します。】


武士たちが築いたものは、日本におけるもうひとつの王権だったのか。本当はこちらのほうがもっとナイーブなトピックであり、より深い論議ができるように思います。黒田俊雄氏のテキストは、現在では「黒田俊雄著作集」(法蔵館)に収録されていますので、この話題に興味を持たれた方はご一読を(高いのですが・・・)。

(ITmedia ニュース 1月14日(土)15時16分配信)





付録:本郷和人『謎とき平清盛』(文春新書・2011年)より抜粋

制作スタッフの間で天皇の家を何と表現するか真剣な討議がなされ、天皇家、皇室、あえて呼ばない、などの案が出されましたが、学問的見地から「王家」で統一することになりました。(p.37 )

先ず押さえておかなければならぬのは、当時の言葉の使い方です。・・・調べてみると、天皇家も皇室も王家も使われていない、が正解です。当時は天皇や上皇や皇太子や女院などをひとまとめにして「ファミリー」として考える、ということをしなかった。すると、天皇家と呼んでも王家と呼んでも、間違いではないことになる。・・・

王家という語が用いられるようになったのは、・・・黒田俊男氏の権門体制論からのようです。黒田氏は武家・公家・寺社に呼応するかたちで、王家と称した。黒田氏によれば、天皇は日本の国王、と位置づけられていましたから、この用い方は妥当なものといえるでしょう。(p.63)

戦前のように、日本の天皇は他国に例を見ない唯一無二の存在というのではなく、天皇を国の頂点に君臨する王として捉える。そうすると自ずから他国との対照・比較の視点が開け、東アジアの中の日本、世界の中の日本を考える際にも有用である。ですので、現在の学界では、王家という呼び方が確実に市民権を得ているのです。そこで時代考証の判断として、学問的な見地から「王家」の語の採用を提案しました。(p.64)




推古天皇


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