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やっと開戦かよ、鴨――「北に先制核攻撃も辞さず」と言明した米国務省

2017年12月07日 18時49分37秒 | 国際政治

 

 

▼「北に先制核攻撃も辞さず」と言明した米国務省

 
 
 
 
日本では「戦争なんか本当はおきない」的な雰囲気あるみたいですけど、
アメリカ国民の殆どは賛成反対にかかわらず「覚悟」しています。
これには、大統領がトランプさんかオバマさんかの違いはなく、
この期に及んで開戦できない大統領はアメリカ国民の信用をなくしますよ。
 
まぁー、南朝鮮のオリンピックはなくなるよね。
その方が、オリンピック関係者も本当はラッキーなの、鴨。
 
 
<コメント>
◆反核運動は国際関係を不安定にする戦争の誘発要因
反戦論は国際平和の阻害要因である。それは、1980年代半ばにクライマックスを迎えた中距離核弾道ミサイルのヨーロッパ配備を巡る米ソ交渉を想起すれば思い半ばに達しましよう。米ソの中距離核弾道ミサイル廃棄の交渉を、西欧の反戦市民運動がいかに不必要に混乱させ米ソ間の、まして欧州の緊張をいかに高めたか(東側の市民の怒りをかったか)を想起すれば十分でしょうから。

実際、イラク戦争においても湾岸戦争においても西欧の反戦運動が延べにせよ数千万人規模のデモ&集会の動員を実現したにもかかわらず、それらが現実政治の大枠に影響を与えられなかったのはなぜか。それは、欧州を始めとする世界中の指導者(ということは世界中のサイレントマジョリティーの有権者)が、その20年前の西欧の反戦論の危険性を忘れていなかったからではないか、私はそう考えています。

まして、反核運動が一定の影響を持ちうるのは市民社会が確立している先進国に限られるだろうこと;つまり、その核保有や保有する核兵器の運用について合理的な制御が期待できにくい後進国にはなんらの効果も及ぼせないだろうことを鑑みれば、反核運動は先進国の核抑止力を相対的に劣化させ世界の安全保障の均衡を危うくする運動であることは間違いないのではないでしょうか。

畢竟、「高校生1万人署名活動」や「高校生平和大使」、「核兵器廃絶~地球市民集会ナガサキ」などは大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義を信奉する勢力特有の<善意>から(独善的で傲慢な善意から)それらを推進しているのかもしれないが、彼等の指し示す目的地は不安定な国際政治秩序であり、要は、戦争勃発の危険性増大なのです。


◆平和を念じても平和は実現しない
先進国の都会に住むホワイトカラーがワンルームマンションで平和を念じようが平和は具現しない。「念じれば平和」といえば、私は27年前のある光景を思い出します。

1991年1月17日。私はミネソタ州のとある田舎の大学街に仕事で滞在していた。そして、<アメリカ軍湾岸戦争に突入>の第一報が入ったときちょうどその大学のカフェテリアにいた。その第一報が館内放送で流れたとき、100人近いアメリカ人の学生や教職員はしばらく(といってもほんの4~5秒ではあったけれど)静まり返った。しーん、しーん。そして、次には唸りのような大歓声!

WOWOW! (わーい/うをー!)
Do it! (やったー、やっつけろ/よっしゃ、いてこましたれ!)
Bush forever! (ブッシュ(←先代)大統領万歳/さすがブッシュや!)


なぜか、なぜ彼等は数秒の間静まりかえったのか? なぜに次に大歓声が期せずして巻き起こったのか? それは、彼等には(確率的にも、)身内や親しい知人に必ず軍関係者がおられ、その大切な人達がイラクで戦死するかもしれないから。それを彼等は子供の頃から皮膚感覚的にわかっているから。而して、米国でも伝統的にリベラルな中西部のこの北辺の大地でも、アメリカの学生や教職員は自分達の国の決断と自分や自分の大切な人達の運命を重ね合わせ、そのコミットメントの強さゆえに歓声をあげ感激したのだと思う。そう今でも思っています。
 
以上
 


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