子供の頃、うちに「コーカサスの虜」つう本があった。
戦争時の話で、一人ぼっちになった兵隊が敵の陣地の村で捕虜になるが、だんだん村の人と仲良くなって、自由に動けるようにしてもらったすきを見て逃げるッつう話。
どこかの外国の話で割と気に入ってたのを覚えてる。
そのなかで、医者とかもいない村の人が捕虜の兵隊に薬を作れと言うんだけど、兵隊も医者っていう訳じゃないので「できない」訳よ。
でもそこらの砂とか混ぜて「すごい薬だ」みたいにして、村の人に飲ますと、直っちゃう。
それから、どんどん信頼されていく話なんだけど。
ここで妙に感動した私。
「そうか、薬と信じればなんでも直るものなのか」と。
折もよく、ひざに怪我をした妹をこっそり呼んで、(←常に実験台)
「これを薬だと思えば治る」と
母親の安物の乳液になんか混ぜたのを傷口に塗ってあげたら、
どうしてもそれが薬だとは思えない妹がはげしく抵抗して、
母親にすごく怒られたのを覚えてる。
あの時は
「混ぜるところを妹に見せなければ、信じて直ったのかも」とか
「乳液の匂いでばれたのか」とか
自分の段取りに反省したものの、もう一回、妹で
「信じれば、なんでも薬になる」というのを立証してみたかったのも覚えてる。
(←なぜそこまで執着したのやら…)
自分でそれを忘れちゃったので(←その割にバカだし)、その後「信じろ薬」が調合されることはなかったのだが、とんでもないことになってたかもしれないわけで…。
妹も無事に二児の母になってるし。よかったな、妹。生き延びて。
なんで、こんなことを思い出したのかと言うと、ポストに「信じよう」の本みたいのが、「寄贈」されていたからです。
今や、すっかり大人になって「まず、疑え」みたいな私にも純粋な頃があったなーと、その本を捨てながら、述懐している次第です。
戦争時の話で、一人ぼっちになった兵隊が敵の陣地の村で捕虜になるが、だんだん村の人と仲良くなって、自由に動けるようにしてもらったすきを見て逃げるッつう話。
どこかの外国の話で割と気に入ってたのを覚えてる。
そのなかで、医者とかもいない村の人が捕虜の兵隊に薬を作れと言うんだけど、兵隊も医者っていう訳じゃないので「できない」訳よ。
でもそこらの砂とか混ぜて「すごい薬だ」みたいにして、村の人に飲ますと、直っちゃう。
それから、どんどん信頼されていく話なんだけど。
ここで妙に感動した私。
「そうか、薬と信じればなんでも直るものなのか」と。
折もよく、ひざに怪我をした妹をこっそり呼んで、(←常に実験台)
「これを薬だと思えば治る」と
母親の安物の乳液になんか混ぜたのを傷口に塗ってあげたら、
どうしてもそれが薬だとは思えない妹がはげしく抵抗して、
母親にすごく怒られたのを覚えてる。
あの時は
「混ぜるところを妹に見せなければ、信じて直ったのかも」とか
「乳液の匂いでばれたのか」とか
自分の段取りに反省したものの、もう一回、妹で
「信じれば、なんでも薬になる」というのを立証してみたかったのも覚えてる。
(←なぜそこまで執着したのやら…)
自分でそれを忘れちゃったので(←その割にバカだし)、その後「信じろ薬」が調合されることはなかったのだが、とんでもないことになってたかもしれないわけで…。
妹も無事に二児の母になってるし。よかったな、妹。生き延びて。
なんで、こんなことを思い出したのかと言うと、ポストに「信じよう」の本みたいのが、「寄贈」されていたからです。
今や、すっかり大人になって「まず、疑え」みたいな私にも純粋な頃があったなーと、その本を捨てながら、述懐している次第です。
新薬を開発する時には必ず偽薬と比較して効果を確認するそうです。
本物そっくりの小麦粉薬の方がよく効いて、ボツになった薬も多いのだとか。
子供にはラムネ菓子をよく効く「酔い止め」だと言って飲ましておくと酔わないそうですよ。
「いたいのいたいのとんでいけ~」は塗り薬ではないですが、よく効きますね。
プラシーボ効果とは、初耳でした。メモメモ。
「いたいのいたいのとんでけー」は、本気で痛くない時限定ですけど、(ぐしゃぐしゃの骨折は無理)やっぱり、「ハンドパワー」つうやつですかね。
ヒャー。こっちの意識が「とんでけ~」になっちまいますよ。