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ここはチェコ!ニッポン女子駐在生活<回想録>

チェコでの駐在生活は2006年1月をもって終了(悲)続きは回想録としてぼちぼち更新します♪現在はシンガポール駐在中!

クラクフの魅力

2005-07-24 21:18:07 | ポーランド2005.07
オシフィエンチムから重たい空気のままクラクフへ。

ここはパッと華やかに旅行気分に切り替えなければ
クラクフは世界遺産に登録されている美しい街で、
ガイドブックによればですね、
ワルシャワ=東京
クラクフ=京都
みたいなもんなのだそーな!

元京都人、期待が高まります

ホテルはネットで予約済み♪
(Hotel Europejski:3人で412ズロチ=14,420円)
一方通行&トラム優先の道に悪戦苦闘しながら、
ようやく今晩の宿へたどり着きました!

旧市街をブラブラしてみると、観光客がけっこう多い。
なのに何かみんなセカセカしておらず、ゆったり!
車は通らないし、石畳をパカパカ馬車が走ってて、
おおおおお~これは中世チック
(↑車が来ないのはポイント高し!プラハは狭い路地まで
  ガンガン車が来て落ち着かないのよねぇ・・・)


↑ヴァヴェル城にて         ↑広場にある聖マリア教会
                      広場は花屋とハトがたくさん!


↑路地を散策中           ↑クラクフは(も?)カフェ天国です!!
 絵になるところが多い!       オシャレなカフェだらけ


↑織物会館と観光用馬車      ↑ポーランド名物「ピエロギ」
 これがまた風流☆         餃子ソックリでしょ?
                   中身はサワークラフトとマッシュルーム!
                   挽肉、ポテト、カッテージチーズもある


とにかく、路地をあちこちうろうろして、
古い街並みを鑑賞したり、お気に入りのカフェを探したり。
そんなのんびりした過ごし方ができるのです。
物価の安さも心強い
ポーランド人の人当たりもとてもよかったです~
いい人たちに出会うと、その街の印象はとってもよくなる
これ、旅行者の法則ですから!


う~ん、ところで話は変わって・・・
車で来たから地図を見ながらナビしてたんだけど、
ポーランドの地名ったらなかなか難しい
途中で目標となる街の名前を、運転してる同僚に言うんだけど・・・

PSZCZÓŁKOWSCY
こんなん、どーやって読むんですか!!??

「プスズスゾ・・・?」ってモゴモゴ言ったら、一蹴された。
「は?何言ってんの?」
ぎゃふんっ。

無事チェコに帰ってこれてよかったよーー(笑)

ポーランド:ビルケナウ

2005-07-23 23:04:51 | ポーランド2005.07
オシフィエンチムを後にし、3kmほど離れた「ビルケナウ」へ。
ここは第二のアウシュビッツと呼ばれる収容所。
アウシュビッツが「収容所」から「絶滅工場」になり
それでも対応が追いつかなくなるほど囚人が増えたために建設された。


はじめに、施設に向かって伸びる線路を見ただけで気が滅入った。
「片道/入場専用」と思ったから。
ここに連れてこられて、無事に出られた人はどれくらいいるんだろう。

中央近くを線路が走り、敷地を分断している。
左にも、右にも、囚人を収容するバラックがずらりと並んでいたらしい。
(ほとんどは焼かれたり破壊されたりしたらしいけど)
その敷地の広さだけでこの収容所の規模を物語ってる。

線路の終わり地点に立った。

逃げ場の無い「終点」に追い込まれた気がする。
ここから出て行けるのはカラッポの貨車だけで、
数日後にはまた人を満載にしてここに到着する。


囚人の生活するバラックで見つけた絵。
アウシュビッツと同じく辛い強制労働が待っていたのでしょう。


線路の終点近くに、4つものガス室と焼却炉が設置されていた。
後期には、列車で到着した人々をそのままガス室へと連れて行ったらしい。
ナチスが撤退する際、犯罪証拠を隠滅しようとしてガス室を爆破。
瓦礫となったガス室を見ながら、ガイドの説明を聞く学生。
どこの国から見学に来たんだろう?
みんな、「いたたまれない」といった表情だった。


犠牲者追悼の記念碑には、各国の言葉で追悼の念が記されていた。
これだけの規模の敷地・施設にも関わらず、
アウシュビッツ・ビルケナウともに入場は無料。
おそらく、ドイツや各国の寄付で維持しているのでしょう。
ちなみに日本語の記念碑はありませんでした。

本当にこれらのできごとがたった60年前に起きていたのです。
近くの町で悠々と自転車に乗っている老人を見かけると
「この人はあの場にいた人かもしれない」と思ってしまう。
囚人としてだったかもしれないし、
ナチ側として囚人に手を下したかもしれない。
どちらにしても思い出したくない出来事でしょう。

私だったらどうしただろう?と考えてみるけど想像できない!
見つかって処刑されるのを覚悟で脱走しようと試みる?
模範囚としてナチの手伝いをする?
強制労働して衰弱しながら今日を生きながらえる?
勇気を出してナチの転覆を図る?

答えは出ないけど、今はただ亡くなった方のご冥福を祈るばかり・・・。

ポーランド:オシフィエンチム(続き)

2005-07-23 22:35:32 | ポーランド2005.07
この収容所で、いったいどんなことが行われていたのか。
展示物の記録や、ネットを調べて分かったことを少し。

<死の壁>

名ばかりの「裁判」を受け、死刑判決を受けた者を待ち構える処刑場。
何千人もの処刑者がこの場で、
私が立っているこの場で銃殺された・・・

左隣の建物からはそれが見えないよう、窓に木で囲いがしてあった。
そこは病院だという。
病院といっても、安息の場とは程遠い。
常に人がいっぱいで、十分な治療は望めない。
回復の見込みが無ければ様々な恐ろしい人体実験が待っている。
生物学的な「絶滅方法の研究」、新薬の投与実験など・・・。

<拷問>

投薬や解剖などの医学的な人体実験以外にも、
「罰」と称して人間の生存能力をはかる実験があったらしい。
例えば、「立ち牢」
昼間はわずかな食料で長時間の強制労働、
そして夜中、体を休められない牢屋で「立ったまま」で過ごす。
この状態で何日間生きられるかといった実験・・・

<ガス室と焼却炉>


花が咲く静かなところにあるので、とてもそう思えないけれど
ここが悪名高いナチの大量虐殺施設。
ここに入る人たちはみんな沈痛な表情で、
ふざけて記念撮影したり騒ぐ人はひとりもいない。

薄暗いので写真はあまりありませんが・・・
右の写真がガス室。
混乱を防ぐため、囚人たちには「シャワーを使用させる」と嘘をつき
服を脱がせてガス室に送り込んだ。
見せ掛けのシャワーがついた部屋に一度に2000人ほどが押し込まれ、
ドアが閉められると、出てくるのはシャワーの水ではなく、
天井にあいた穴から落とされた毒ガス---「チクロンB」だった。

驚き、泣き叫び、逃げ惑う人々。
でも逃げ場はない。
15分から20分後には、無残に変わり果てた山積みの裸の死体。

考えただけでその空間で呼吸をするのが怖かった。
もうガスなんて残ってないのに・・・。


ポーランド:オシフィエンチム

2005-07-23 21:28:20 | ポーランド2005.07
朝4時、夜があけないうちに出発してポーランドへ。
今回はナチスの作った人類の「負の遺産」を見学する旅。
私たちに耐えられるだろうか、直視できるだろうか・・・
ちょっと軽率に訪問を決めすぎたような気がして、怖くなった。

日本では『アウシュビッツ』として知られている収容所。
その名前はナチがつけたもので、現地ではあまり使っていけない
ということすら知らなかった。
現地の地名『オシフィエンチム』を頭に叩き込む。

アウシュビッツ=ユダヤ人迫害というのが私のイメージだったけど
1940年設立当初はポーランド人の政治犯を収容する目的だったとか。
そしてユダヤ人、ジプシー、ソ連軍の捕虜などに対象を拡大。
結局合計して5年間に150万人の人々が殺害された。


150万人・・・・・!!


1日に800人、5年間毎日毎日800人ずつ殺して5年かかる。
神戸の人間が丸々いなくなる、気が遠くなるほどの人数。

『人種として絶滅させる予定の人々』
そんな身勝手なくくりを作られて殺害されるなんて!!


高圧電流の鉄条網で何十にも囲われた収容所。
収容所自体も囚人の「強制労働」で建てられた。
同じ目にあう囚人を収容するために働く。
働かないと自分の命の保証はない。
他人を思いやることなんてできないんだと思った。


収容施設の内部。
→ナチスに協力した囚人は個室。
→強制労働に当てられた囚人は定員オーバーのベッドで
  (1つのベッドで7~8人が寝る)眠る。
→決まりを破ったり、反抗した人は拷問部屋や処刑、人体実験。
→労働できないと診断されたものは最初からガス室で処刑。
どこもちっとも安住じゃない。
どこへ行っても恐怖の時間が延々と続くなんて、
考えただけで気が狂いそう。


囚人たちの写真。途中から囚人の記録すら取らなくて、
連れてこられた人たちをひたすら殺す。
たぶんヒトラーに従った人たちは、残虐だとかいう感覚は麻痺して
「片付けなければいけない作業」として
そういう行為を黙々とこなしていたんじゃないかな・・・。
「何で殺しても殺してもまだ絶滅しないんだ!」と
怒りすら覚えていたかもしれない。

金目のものはもちろん没収。
連れてこられた人が持っていた靴、カバンが巨大な山を築いてた。
他にも見たこと無いほど大量の眼鏡、義手・義足・・・
持ち主を失った物が無造作に「これでもか」と積み上げられていた。
写真を載せていいものか迷ったけれど
数トン分もの女性の髪の毛(想像を絶する量です)
(↑本国ドイツに送って、織物を生産しお金を稼ごうとした)

このケースの奥行きは約5m。これが横幅25mくらいずっと続くのです。
信じられない光景でした。

人類の「負の遺産」へ

2005-07-21 22:30:35 | ポーランド2005.07
今週末はですね、


「アウシュビッツ」


へ行くのです。


高校生の時、「シンドラーのリスト」っていうビデオを見て
(話は全然覚えてないんだけど、いつものことながら)
とにかくたくさんの人の「怯えた顔」だけが頭にこびりついてて・・・
衝撃的でした。

でも、アウシュビッツがポーランドにあることすら
こっちに来るまで知らなかった私
お隣の国だし、現代に残る人類の「負の遺産」を見学することに。

すんごい昔のできごとのような気がするけど
どんなことが起こったのか
足を踏み入れてこの目で確かめてこようと思います。