詩人の血

今日も作詩、明日もまた、本格詩人のブログ。

夢想家か?

2018-04-21 22:53:34 | Weblog
彼は国々のあいだをさばき、
多くの民のために仲裁に立つ。
彼らはその剣を鋤きに、
その槍を鎌に打ち直し、
国々に向かって剣を上げず、
戦いのことを、ニ度と学ばない。
(イザヤ2章4節)

この預言の初めの「彼」は、前節最後の「エルサレムから主の
ことばが出る」の「主(ヤハヴェ)」であります。
この預言の中心は、国々が軍備を撤廃することによって世界平和が
来るのではなく、主が国々のあいだの争いの原因をみことばをもって
さばき、人類を和解させ、その結果、人類はもはや争うための武器を
必要とせず、これを人類平和のために使うようになると言うことです。
(名尾耕作著『旧約聖書名言集』)

*ジョン・レノンの『イマジン』の一節
「僕を夢想家だと思うかもしれない
だけど 僕ひとりじゃないはずさ
いつの日か きみも仲間に加わって
世界はひとつに結ばれる」
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『魂のこよみ』シュタイナー

2018-04-21 10:48:52 | Weblog
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自分の力が充実すると
その力が 私を世界に委ねようとする。
自分の存在が 力強くなると
この世の運命の中で
明晰であり続けようとする。
(『魂のこよみ』シュタイナー著 高橋巖訳)
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午前1:00の聖書

2018-04-21 01:50:27 | Weblog


「魔王 死す」と言う、書籍。ディヴィド ロックフェラーの
101歳での死を扱った本の事を考えると、聖書の「毒麦」
の例えを思い出し午前1:00に新約聖書を引っ張り出す。
先ず、最初に目に飛び込んで来た聖句は『マルコによる福音書』
13章32節「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも
子も知らない。父だけがご存じである。気をつけて、目を覚まして
いなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからで
ある。…」まずは第一段階。マルコでは「毒麦」が見つからず、
『マタイによる福音書』の最初のページから「毒麦」を捜す。
ほどなく13章24節に「毒麦」を発見!「イエスは、別のたとえを
持ち出して言われた。「天の国は次のようにたとえられる。ある人が
良い種を畑に蒔いた。人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に
毒麦を蒔いて行った。芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。
僕(しもべ)たちが主人のところに来て言った。『だんなさま、畑には
良い種をお蒔きになったのではありませんか。どこから毒麦が入ったの
でしょう。』主人は『敵の仕業だ』と言った。そこで僕たちが、『では、
行って抜き集めておきましょうか』と言うと、主人は言った。『いや、
毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れるまで、
両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、
焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に
言いつけよう。』」
国家の中枢、多国籍企業の役員、医者、政治家、ブルジョア、死の商人。
もうすぐ刈り入れの時か?さてさて聖書によると父しかその日、その時は
知らないと………
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