まず、勇者の章は非常にテクニカルに攻めてきていると言及したい
アニメ映えするように王道で作るのではなく、ピンポイントにテーマを伝えようとしてきている
アニメとして純粋にバラエティを提供してきたのは鷲尾須美の章だろう
新規も楽しめるように序破急の三部作でドラマを見せてきた
一転、勇者の章は一期からのファンのみに焦点を当てて作っている
人気が出たから続編を作った、二期からの新期も楽しめるように窓口を広げましたという造りではない
二期というよりも1.5期として捉えた方がしっくりくるかもしれない
構成としては前回の感想で予想したとおり、やはりBパート後半で一気に物語の規模を広げてきた
4話で友奈と勇者部の苦悩を描き、5話ラストでそれが世界、もとい四国全体に広がる
一期の9話→10話→11話の流れと同様であるが、勇者たちや大赦など一部のものだけの知覚にとどまらず、今回は四国民全員に広がった
もしかしたら勇者の章で物語は完結するのかもしれない。着地点を用意しただけで一期のようにビターエンドで終わりそうな装いもあるが
神婚や神婚により人類が神域の存在となり、そうなれば天の神の罰から逃れられる
そういった設定部分についての考察は不明瞭な点が多すぎて予想妄想の域を出ず袋小路に陥るので割愛する
今回の勇者の章のテーマというか物語の作り方としては
なせば大抵なんとかなった一期。ではなしてもなんとかならない場合は一体どうなる?という部分について、友奈自身が一期から抱えていた闇、といえば聞こえが悪くなるが人間としての問題点を浮き彫りにさせて描いてきている
珍しく友奈が勇者部と喧嘩をしてしまうわけですが、、、いやでもこれも喧嘩じゃないんだよなあ
友奈という人間はまず他人ありきで物事を考えてしまう。風にも言われましたね、みんなのしあわせを願うから。でもそこのみんなという範疇に自分が入っていない
高嶋友奈という存在ののわゆでの描かれ方はメタ的に考えれば一期友奈のリベンジというか一期ではぼかされて描かれていた友奈を主人公の枠から外し一人のキャラとして描くことで友奈という人間がどんな人間なのかを描こうとした存在でもある
一期ってシナリオの運び方が、心がぶれていく勇者部のメンバーに軸がぶれない主人公を絡ませ牽引させるように物語を進ませていた
友奈は「勇者」という象徴としてあらなければいけないし、心が11話でいったん折れたとしてもすぐに立ち直って主人公の位置にまた戻らなければいけない
一期の友奈はある意味人間性が薄かった
でもそれは一期のシナリオがそう思わせていただけで実際は人一倍臆病な女の子なわけですが
友奈から主人公のステータスを取り上げて友奈を描いているのがのわゆと勇者の章
痛ましいのがタタリで苦しんでいるというのに自分の痛みだけじゃなくて常に周囲の人たちの事を考えているところ
もっと自分の事ばかり考えてしまってもいいんだよって言ってあげたい
そして今回勇者の章にして初めて安芸先生がしゃべりましたね
心が押し殺した喋りかた、その中でも東郷さんと園子様の言葉に徐々に感情が入った口調になっていくのが佐藤利奈さんのすごいところ
わすゆ車中の安芸先生の「あのね」のように
勇者とはいつの時代もていのいい生贄でしかない
多数を生かすために少数を殺す
FATEの衛宮切嗣のような考え方
でもそれが社会の真理
我々が生きている現代社会においてもそれは同じ
日本に絞っても資本主義社会は一部の富裕層のために多数の貧民層が犠牲となっている
だけど日本はまだいい方
規模を世界に広げれば一部の先進国は第三世界の多大な犠牲のもとに生を謳歌している
世界70億の人間みんなが幸せになることはありえない
書いていて思いましたがこの例えはおかしいですね
多数の犠牲のもと少数が幸福を享受している
でもそれが今の社会
切嗣や大赦のように少数の犠牲で多数を生かすのはマシとも捉えられる
でもそれは少女たちの価値観には相入れない
安芸先生も言っていたがだからこそ無垢な少女は勇者たりえるのか
世界はいつだって犠牲のもとに成り立っているという真理をゆゆゆにも当てはめてきたのが勇者の章
一期もそうなんですよ
大人たちの不条理を無垢なこどもに押し付けて仕方のない事と臭いものに蓋をする
だけどこどもたちが頑張りでどうにかできたのが一期
勇者の章はどうあがいてもこどもじゃ、大人ですら解決できなくなっている
一期終了時点でも岸監督らはインタビューで言ってました
ゆゆゆ一期の物語は現実世界のカリカチュアと
腐敗した社会基盤の大赦、真実から目を逸らさせてくる悪い大人たち、その中でもひたむきに純粋にともだちを思い合う友奈たち
一期の物語が心に響くのは現実ではありえない夢物語が勇者部によって理想として描かれたのも大きい
ともだちの為ならなんだって乗り越えられる。大好きなともだちと一緒なら
年を重ねるごとに純粋な思いは消えていくのかもしれない
擦れた大人にこそ勇者部の友愛は心に響く。純粋に尊い
我ながら恒例のようになにが言いたいかまとまらなくなってきました
6話の物語の予想はつけられます
勇者部が天の神に直談判して人の尊さを訴えるのだろうと
もともとなぜ天の神は西暦の時代に人間滅ぼさなくちゃ、と思い立ったのか
今回も神婚により人類が神に近づくことでそれを阻むために神樹の寿命よりも早く顕現してヒトゼッタイコロスマンとして現れてきたわけですが
もしや西暦の時代も人が神になろうとした試みがあったのかもしれない
わすゆ勇者御記でバベルの塔を引用していましたが、人が神の力を利用なりするシステムを開発したから天の神が現れたとか?
問題は勇者であるシリーズが勇者の章でシリーズ完結になってしまうのかどうかというところ
個人的にはまだ終わってほしくはないので勇者の章で今後の展開に一定の方向性をつけて三期へ、というのが願いですね
くめゆではまだ防人の活躍はありそうだったり迫真のちかげどのの完成も待たれる
赤嶺家の出てくる構想はあるみたいだし、この時期になってくめゆドラマCDを出すなどでメタ的に考えたらシリーズものとして今後も続けていく気は満々な気配がして
まちおこしもこれからだろうから3期はあるとは踏んでいます
ゆうみもがどうなるか、勇者部がどうなってしまうのかというのが最大の論点?
PCゲーAがある以上勇者の章6話以降の時間軸で勇者部6人全員無事というのは考えられるが、実はPCゲーAは勇者の章1話よりも前の時間軸の話だよゲへへというのもありえるのが、、、
でもメタのメタで考えたらきゃっきゃうふふなPCゲーを誰かが欠けたあとのエンド後の心境でプレイさせてこないはずだから
逆算させて大団円は普通な考え
まだ絶賛アニメイトでお取り寄せ中のわすゆBDBOXですが、ブックレットに勇者の章は大フィナーレと書かれているみたいなんでハッピーエンドだと予想はしてますが
個人的にどんな終わり方になるかとの予想ですが、勇気のバトンPVの少しあとくらいから予想は立てていました
二期は友奈がみんなを守る為に消えていきそうになる話だと
くしくもその予想は当たったわけですが
あと、こじつけかもしれませんが友奈と風先輩に不幸が訪れる予想もあたっていました
自意識過剰だとは思いますが
多分自意識過剰だろうなと思うから重ねて二度書きますが
ゆゆゆ制作側もたぶんこのブログ読んでるんじゃないかなあと感じる節はたまにあります
タカヒロさんとかは特にネットの声というのを非常にリサーチされる方ですし
のわゆ単行本下巻の対談とかわすゆ映画パンフレットの対談とかでのファンの声に対するコメントの仕方とか
勇者である関連でネットで検索かけると割と上位に食い込むくらいこのブログがもう勇者であるシリーズについてばかり書いているのもあれですが
たぶんある程度読んでくださっているスタッフの方もいるとは思います
そのことに確信とまではいかないまでも疑念をもったのは一期終了後2015年6月12日のニコ生で五箇条が発表されて、のわゆの連載が明かされた時のタカヒロさんのコメントの言い回し
少し前にPCゲーSの感想記事でPCゲーSでゆゆゆコンテンツは終着をするのか、それとも新たなコンテンツとしての「起点」となるのかって言い回しで感想書いてました
そのあとにこれは多分続編の構想入ってるなーと続くような形で
それを受けてかのわゆ発表時のタカヒロさんのニコ生でのコメントは、のわゆは今後の勇者であるのお話の新たな起点となる物語という触れ込みで宣伝してたんですよね
でもこれ以上書くとさすがに自意識過剰にすぎるので止めておきます
ということで訳の分からない方向に話が脱線してますが軌道修正すると
個人的に勇者の章6話はヱヴァ新劇破ラストのような方向に話が流れるのではと妄想しています
自己犠牲により消えそうになる友奈を救う東郷さん
園子様は百合の相補性のエナジーが云々と解説するリツコポジション
6話はゼラニウムのハナコトバ、君ありて幸福
つまり君がいてこその幸せ。あなたがいるから幸せなのだと
このタイトルからもハッピーエンドは見えている気がします
怖いのがゆうみもがまど神様みたいに概念化してしまうんじゃないかという恐怖
それはないと個人的には思っていますが
天の神に人の尊さを伝える事で赦しというか猶予というか、ひとまずの救済を得る?
でもそれは諸刃の剣で下手するとシリーズが完結しかねない
自分はこのシリーズのファンなのでもっと勇者部を見ていきたい
メタで考えた際にまだまだシリーズを展開させている余地をちらちら見せてきているのが救いなのだろうか
ひとまず最終回まで2週間あきますが、この2週間のうちに一度通してシリーズを見直して最終回を万全な状態で見たいと思います
しかし、勇者の章。話の作り方からTV放送ではなくて二時間映画にした方がしっくり来た気がする
でもそうなるとお金が落ちにくくなるから今後の事を考えたら仕方のないことなのかも
映画はパッと盛り上がることは出来ますが持続性にかける
TV放送の利点とは、3か月盛り上がり続けられること。前後に商品展開やイベントやラジオ等。メディアミックスによるシナジー効果が見込める
映画単品だと盛り上がりがどうしても独立してしまうんですよね
続編のための利益という点からとらえると今回の勇者の章の展開は制作うはうはかと
劇場でのわすゆ円盤、関連グッズ売り上げだけで下手しなくても最低限は確保できてますからね
・追記
コメントの内容込みで追記したいのでこちらにコメント返しさせて頂きます
>>アマゾンだと通常版、限定版どちらも売り切れなんよー
最終話ではわっしーがゆーゆを殴るんよー
特典絵柄が準備中で決めきらなかった悲しみ
難民を恐れてアニメイトに決め打ちでオンライン予約しましたが時既にお寿司です、、、
満開祭りの申し込み期限までには届いて欲しいところ
春雨さんへ
>>自分もくめゆでの千景殿や勇者追加
くめゆドラマCD
赤嶺家の連載(?)
高嶋友奈の存在
などを考えると勇者の章じゃ完結しないとは思うんですけどね...
まだ勇者部の話は続いていきそうですが、5話ラストで天の神が出張ってきたとなると中途半端に収まりがつかなくなりそうなんですよね
ラスボスが来たとなるといったん神樹の寿命やタタリは解決して勇者達の戦いはこれからだ、という振り出しに戻るような展開は予想しづらく
行くところまで行く感じで物語が一気に進むと思います
ノンケの天の神がゆうみもと対談して「百合っていいよね」と仲違いしていた百合厨の神樹と懇ろになって人類にもう一度チャンスを与えるとか、もうそれでゴールってところまでいってしまうんじゃないかという
>>シリーズ作品も含めて、全体を通して見れば相応に納得出来る話の展開ですが、一つ一つの話を見ると後で録画や円盤で何度も見て楽しみたい、とは一概には思えない勇者の章。
ある意味TVアニメとしては本末転倒に感じる話の作りなので(余暇を楽しむ趣向の筈がストレスも溜まってしまう)、2時間映画で一気に見るような形の方が良かったよねと確かに思ってしまいます。
納得の出来る話の組み立てですが観るものに高い敷居を要求しているのが勇者の章ですね
一期も辛い鬱になる話ではありましたが、辛い話の先に勇者部の友愛があった
プラスが描かれていた。その尊さの魅力は辛い話のマイナスとの対比により、深く視聴者の心へ訴えかけてきた
今の勇者の章は天の神、タタリに苦しむ友奈、神樹の寿命に見られるようなマイナスの絶対値が高すぎる鬱展開により、本来プラスとして描かれる筈の勇者部の友愛までも破壊しているんですよね
5話の善意のぶつかり合いによりギクシャクしてしまった勇者部に見られるように
要は一期はマイナスとプラスの振れ幅で視聴者に尊さを訴えてきたが
勇者の章は一期の比ではないマイナスのみが徹底的に積み重なっていき、プラスに揺れない
ただただ辛い話となっているのは6話で一気にプラスへと転じてその差で魅せる為の前振りだとは思いますが、その構成からも映画なら一気に観れるので良かった気がします
個人的には友奈が脚本に徹底的にいじめられているのが本当に辛い
改めてカウントすると勇者の章5話の内、4話が悲しみから友奈が涙を流しているんです
6話は喜びの涙になるかも知れませんが泣くのは確実だろうし5/6話が友奈が涙を流すという鬼畜さ
総統閣下も激おこぷんぷん丸カムチャッカインフェルノになるというものです(笑)
>>最終話は2話分詰めてるって上江洲さんのインタがあったので1期のように映像に情報を載せてがんがん押していくのでしょうね
1期と同じ賛否両論ENDになりそうな予感がしています
考察すれば受け入れられるENDなら問題ないとは思いますがどうなるか
2話分の密度。もしかしたらバーテックスとの戦闘はないかもしれないですね
そこに尺を取れるかどうかという
もし6話も天の神との対話に終わり、戦闘が無ければ勇者の章は本当に意欲的な作品だと思います
イメージを前面に押し出してくるのは良いんですが一期と同じように勇者部の視点からでしか世界の真実に触れていけない創りになっているので、設定に不明瞭さがあるのは否めないですね
例えば、御姿や神婚や神樹の寿命、タタリなど視聴者でさえも実際については深く知れず、安芸先生が友奈に語る言からしか知ることが出来ない
視聴者の情報量が勇者部が知っている情報レベルな為に、例えば毎度ながら安芸先生が「それしかないのです」といって土下座してきても「本当か?」って視聴者も感じてしまう
ある意味勇者部と同じ目線になる為感情移入がしやすいんですが、大赦が提示してくる選択肢しか選べないので疑念が生じるところも
神婚による人類の神域への移住は人類補完計画のようなものだろうか
人体を脱ぎ捨てて神樹の元に人類の意識が集う
個は溶け合い群体としての概念的存在へとなる
死もなくなり永遠と続く時間の中、永久に彷徨い続ける
そんな生き方は嫌だなぁ
エンドクレジット
大赦神官(CV 佐藤利奈)となっている
わすゆの頃は
安芸先生(CV 佐藤利奈)だったんだよなぁ
Bパートも東郷さんと園子様は神官を安芸先生と認識した上で話しているのでつまりはそういう事なんだろう
当初、安芸先生はどこかで決壊してしまうと思っていました
でもそれはもう無いでしょう
だけど私情を捨てて職務に徹してるかと思いきやそれは違う
人類存亡の為に非情になり合理で動いているが、奥底には感情が乗っている
佐藤利奈さんの演技のうまさたるや
淡々と話しているようで、わすゆ車中の「あのね」ほどセンシティブではないが園子様と東郷さんに安芸先生だよね?と身バレした後からは揺らいでいる
くめゆでもセリフの節々にいたわりが感じられる
安芸先生の心労を察します
アニメ映えするように王道で作るのではなく、ピンポイントにテーマを伝えようとしてきている
アニメとして純粋にバラエティを提供してきたのは鷲尾須美の章だろう
新規も楽しめるように序破急の三部作でドラマを見せてきた
一転、勇者の章は一期からのファンのみに焦点を当てて作っている
人気が出たから続編を作った、二期からの新期も楽しめるように窓口を広げましたという造りではない
二期というよりも1.5期として捉えた方がしっくりくるかもしれない
構成としては前回の感想で予想したとおり、やはりBパート後半で一気に物語の規模を広げてきた
4話で友奈と勇者部の苦悩を描き、5話ラストでそれが世界、もとい四国全体に広がる
一期の9話→10話→11話の流れと同様であるが、勇者たちや大赦など一部のものだけの知覚にとどまらず、今回は四国民全員に広がった
もしかしたら勇者の章で物語は完結するのかもしれない。着地点を用意しただけで一期のようにビターエンドで終わりそうな装いもあるが
神婚や神婚により人類が神域の存在となり、そうなれば天の神の罰から逃れられる
そういった設定部分についての考察は不明瞭な点が多すぎて予想妄想の域を出ず袋小路に陥るので割愛する
今回の勇者の章のテーマというか物語の作り方としては
なせば大抵なんとかなった一期。ではなしてもなんとかならない場合は一体どうなる?という部分について、友奈自身が一期から抱えていた闇、といえば聞こえが悪くなるが人間としての問題点を浮き彫りにさせて描いてきている
珍しく友奈が勇者部と喧嘩をしてしまうわけですが、、、いやでもこれも喧嘩じゃないんだよなあ
友奈という人間はまず他人ありきで物事を考えてしまう。風にも言われましたね、みんなのしあわせを願うから。でもそこのみんなという範疇に自分が入っていない
高嶋友奈という存在ののわゆでの描かれ方はメタ的に考えれば一期友奈のリベンジというか一期ではぼかされて描かれていた友奈を主人公の枠から外し一人のキャラとして描くことで友奈という人間がどんな人間なのかを描こうとした存在でもある
一期ってシナリオの運び方が、心がぶれていく勇者部のメンバーに軸がぶれない主人公を絡ませ牽引させるように物語を進ませていた
友奈は「勇者」という象徴としてあらなければいけないし、心が11話でいったん折れたとしてもすぐに立ち直って主人公の位置にまた戻らなければいけない
一期の友奈はある意味人間性が薄かった
でもそれは一期のシナリオがそう思わせていただけで実際は人一倍臆病な女の子なわけですが
友奈から主人公のステータスを取り上げて友奈を描いているのがのわゆと勇者の章
痛ましいのがタタリで苦しんでいるというのに自分の痛みだけじゃなくて常に周囲の人たちの事を考えているところ
もっと自分の事ばかり考えてしまってもいいんだよって言ってあげたい
そして今回勇者の章にして初めて安芸先生がしゃべりましたね
心が押し殺した喋りかた、その中でも東郷さんと園子様の言葉に徐々に感情が入った口調になっていくのが佐藤利奈さんのすごいところ
わすゆ車中の安芸先生の「あのね」のように
勇者とはいつの時代もていのいい生贄でしかない
多数を生かすために少数を殺す
FATEの衛宮切嗣のような考え方
でもそれが社会の真理
我々が生きている現代社会においてもそれは同じ
日本に絞っても資本主義社会は一部の富裕層のために多数の貧民層が犠牲となっている
だけど日本はまだいい方
規模を世界に広げれば一部の先進国は第三世界の多大な犠牲のもとに生を謳歌している
世界70億の人間みんなが幸せになることはありえない
書いていて思いましたがこの例えはおかしいですね
多数の犠牲のもと少数が幸福を享受している
でもそれが今の社会
切嗣や大赦のように少数の犠牲で多数を生かすのはマシとも捉えられる
でもそれは少女たちの価値観には相入れない
安芸先生も言っていたがだからこそ無垢な少女は勇者たりえるのか
世界はいつだって犠牲のもとに成り立っているという真理をゆゆゆにも当てはめてきたのが勇者の章
一期もそうなんですよ
大人たちの不条理を無垢なこどもに押し付けて仕方のない事と臭いものに蓋をする
だけどこどもたちが頑張りでどうにかできたのが一期
勇者の章はどうあがいてもこどもじゃ、大人ですら解決できなくなっている
一期終了時点でも岸監督らはインタビューで言ってました
ゆゆゆ一期の物語は現実世界のカリカチュアと
腐敗した社会基盤の大赦、真実から目を逸らさせてくる悪い大人たち、その中でもひたむきに純粋にともだちを思い合う友奈たち
一期の物語が心に響くのは現実ではありえない夢物語が勇者部によって理想として描かれたのも大きい
ともだちの為ならなんだって乗り越えられる。大好きなともだちと一緒なら
年を重ねるごとに純粋な思いは消えていくのかもしれない
擦れた大人にこそ勇者部の友愛は心に響く。純粋に尊い
我ながら恒例のようになにが言いたいかまとまらなくなってきました
6話の物語の予想はつけられます
勇者部が天の神に直談判して人の尊さを訴えるのだろうと
もともとなぜ天の神は西暦の時代に人間滅ぼさなくちゃ、と思い立ったのか
今回も神婚により人類が神に近づくことでそれを阻むために神樹の寿命よりも早く顕現してヒトゼッタイコロスマンとして現れてきたわけですが
もしや西暦の時代も人が神になろうとした試みがあったのかもしれない
わすゆ勇者御記でバベルの塔を引用していましたが、人が神の力を利用なりするシステムを開発したから天の神が現れたとか?
問題は勇者であるシリーズが勇者の章でシリーズ完結になってしまうのかどうかというところ
個人的にはまだ終わってほしくはないので勇者の章で今後の展開に一定の方向性をつけて三期へ、というのが願いですね
くめゆではまだ防人の活躍はありそうだったり迫真のちかげどのの完成も待たれる
赤嶺家の出てくる構想はあるみたいだし、この時期になってくめゆドラマCDを出すなどでメタ的に考えたらシリーズものとして今後も続けていく気は満々な気配がして
まちおこしもこれからだろうから3期はあるとは踏んでいます
ゆうみもがどうなるか、勇者部がどうなってしまうのかというのが最大の論点?
PCゲーAがある以上勇者の章6話以降の時間軸で勇者部6人全員無事というのは考えられるが、実はPCゲーAは勇者の章1話よりも前の時間軸の話だよゲへへというのもありえるのが、、、
でもメタのメタで考えたらきゃっきゃうふふなPCゲーを誰かが欠けたあとのエンド後の心境でプレイさせてこないはずだから
逆算させて大団円は普通な考え
まだ絶賛アニメイトでお取り寄せ中のわすゆBDBOXですが、ブックレットに勇者の章は大フィナーレと書かれているみたいなんでハッピーエンドだと予想はしてますが
個人的にどんな終わり方になるかとの予想ですが、勇気のバトンPVの少しあとくらいから予想は立てていました
二期は友奈がみんなを守る為に消えていきそうになる話だと
くしくもその予想は当たったわけですが
あと、こじつけかもしれませんが友奈と風先輩に不幸が訪れる予想もあたっていました
自意識過剰だとは思いますが
多分自意識過剰だろうなと思うから重ねて二度書きますが
ゆゆゆ制作側もたぶんこのブログ読んでるんじゃないかなあと感じる節はたまにあります
タカヒロさんとかは特にネットの声というのを非常にリサーチされる方ですし
のわゆ単行本下巻の対談とかわすゆ映画パンフレットの対談とかでのファンの声に対するコメントの仕方とか
勇者である関連でネットで検索かけると割と上位に食い込むくらいこのブログがもう勇者であるシリーズについてばかり書いているのもあれですが
たぶんある程度読んでくださっているスタッフの方もいるとは思います
そのことに確信とまではいかないまでも疑念をもったのは一期終了後2015年6月12日のニコ生で五箇条が発表されて、のわゆの連載が明かされた時のタカヒロさんのコメントの言い回し
少し前にPCゲーSの感想記事でPCゲーSでゆゆゆコンテンツは終着をするのか、それとも新たなコンテンツとしての「起点」となるのかって言い回しで感想書いてました
そのあとにこれは多分続編の構想入ってるなーと続くような形で
それを受けてかのわゆ発表時のタカヒロさんのニコ生でのコメントは、のわゆは今後の勇者であるのお話の新たな起点となる物語という触れ込みで宣伝してたんですよね
でもこれ以上書くとさすがに自意識過剰にすぎるので止めておきます
ということで訳の分からない方向に話が脱線してますが軌道修正すると
個人的に勇者の章6話はヱヴァ新劇破ラストのような方向に話が流れるのではと妄想しています
自己犠牲により消えそうになる友奈を救う東郷さん
園子様は百合の相補性のエナジーが云々と解説するリツコポジション
6話はゼラニウムのハナコトバ、君ありて幸福
つまり君がいてこその幸せ。あなたがいるから幸せなのだと
このタイトルからもハッピーエンドは見えている気がします
怖いのがゆうみもがまど神様みたいに概念化してしまうんじゃないかという恐怖
それはないと個人的には思っていますが
天の神に人の尊さを伝える事で赦しというか猶予というか、ひとまずの救済を得る?
でもそれは諸刃の剣で下手するとシリーズが完結しかねない
自分はこのシリーズのファンなのでもっと勇者部を見ていきたい
メタで考えた際にまだまだシリーズを展開させている余地をちらちら見せてきているのが救いなのだろうか
ひとまず最終回まで2週間あきますが、この2週間のうちに一度通してシリーズを見直して最終回を万全な状態で見たいと思います
しかし、勇者の章。話の作り方からTV放送ではなくて二時間映画にした方がしっくり来た気がする
でもそうなるとお金が落ちにくくなるから今後の事を考えたら仕方のないことなのかも
映画はパッと盛り上がることは出来ますが持続性にかける
TV放送の利点とは、3か月盛り上がり続けられること。前後に商品展開やイベントやラジオ等。メディアミックスによるシナジー効果が見込める
映画単品だと盛り上がりがどうしても独立してしまうんですよね
続編のための利益という点からとらえると今回の勇者の章の展開は制作うはうはかと
劇場でのわすゆ円盤、関連グッズ売り上げだけで下手しなくても最低限は確保できてますからね
・追記
コメントの内容込みで追記したいのでこちらにコメント返しさせて頂きます
>>アマゾンだと通常版、限定版どちらも売り切れなんよー
最終話ではわっしーがゆーゆを殴るんよー
特典絵柄が準備中で決めきらなかった悲しみ
難民を恐れてアニメイトに決め打ちでオンライン予約しましたが時既にお寿司です、、、
満開祭りの申し込み期限までには届いて欲しいところ
春雨さんへ
>>自分もくめゆでの千景殿や勇者追加
くめゆドラマCD
赤嶺家の連載(?)
高嶋友奈の存在
などを考えると勇者の章じゃ完結しないとは思うんですけどね...
まだ勇者部の話は続いていきそうですが、5話ラストで天の神が出張ってきたとなると中途半端に収まりがつかなくなりそうなんですよね
ラスボスが来たとなるといったん神樹の寿命やタタリは解決して勇者達の戦いはこれからだ、という振り出しに戻るような展開は予想しづらく
行くところまで行く感じで物語が一気に進むと思います
ノンケの天の神がゆうみもと対談して「百合っていいよね」と仲違いしていた百合厨の神樹と懇ろになって人類にもう一度チャンスを与えるとか、もうそれでゴールってところまでいってしまうんじゃないかという
>>シリーズ作品も含めて、全体を通して見れば相応に納得出来る話の展開ですが、一つ一つの話を見ると後で録画や円盤で何度も見て楽しみたい、とは一概には思えない勇者の章。
ある意味TVアニメとしては本末転倒に感じる話の作りなので(余暇を楽しむ趣向の筈がストレスも溜まってしまう)、2時間映画で一気に見るような形の方が良かったよねと確かに思ってしまいます。
納得の出来る話の組み立てですが観るものに高い敷居を要求しているのが勇者の章ですね
一期も辛い鬱になる話ではありましたが、辛い話の先に勇者部の友愛があった
プラスが描かれていた。その尊さの魅力は辛い話のマイナスとの対比により、深く視聴者の心へ訴えかけてきた
今の勇者の章は天の神、タタリに苦しむ友奈、神樹の寿命に見られるようなマイナスの絶対値が高すぎる鬱展開により、本来プラスとして描かれる筈の勇者部の友愛までも破壊しているんですよね
5話の善意のぶつかり合いによりギクシャクしてしまった勇者部に見られるように
要は一期はマイナスとプラスの振れ幅で視聴者に尊さを訴えてきたが
勇者の章は一期の比ではないマイナスのみが徹底的に積み重なっていき、プラスに揺れない
ただただ辛い話となっているのは6話で一気にプラスへと転じてその差で魅せる為の前振りだとは思いますが、その構成からも映画なら一気に観れるので良かった気がします
個人的には友奈が脚本に徹底的にいじめられているのが本当に辛い
改めてカウントすると勇者の章5話の内、4話が悲しみから友奈が涙を流しているんです
6話は喜びの涙になるかも知れませんが泣くのは確実だろうし5/6話が友奈が涙を流すという鬼畜さ
総統閣下も激おこぷんぷん丸カムチャッカインフェルノになるというものです(笑)
>>最終話は2話分詰めてるって上江洲さんのインタがあったので1期のように映像に情報を載せてがんがん押していくのでしょうね
1期と同じ賛否両論ENDになりそうな予感がしています
考察すれば受け入れられるENDなら問題ないとは思いますがどうなるか
2話分の密度。もしかしたらバーテックスとの戦闘はないかもしれないですね
そこに尺を取れるかどうかという
もし6話も天の神との対話に終わり、戦闘が無ければ勇者の章は本当に意欲的な作品だと思います
イメージを前面に押し出してくるのは良いんですが一期と同じように勇者部の視点からでしか世界の真実に触れていけない創りになっているので、設定に不明瞭さがあるのは否めないですね
例えば、御姿や神婚や神樹の寿命、タタリなど視聴者でさえも実際については深く知れず、安芸先生が友奈に語る言からしか知ることが出来ない
視聴者の情報量が勇者部が知っている情報レベルな為に、例えば毎度ながら安芸先生が「それしかないのです」といって土下座してきても「本当か?」って視聴者も感じてしまう
ある意味勇者部と同じ目線になる為感情移入がしやすいんですが、大赦が提示してくる選択肢しか選べないので疑念が生じるところも
神婚による人類の神域への移住は人類補完計画のようなものだろうか
人体を脱ぎ捨てて神樹の元に人類の意識が集う
個は溶け合い群体としての概念的存在へとなる
死もなくなり永遠と続く時間の中、永久に彷徨い続ける
そんな生き方は嫌だなぁ
エンドクレジット
大赦神官(CV 佐藤利奈)となっている
わすゆの頃は
安芸先生(CV 佐藤利奈)だったんだよなぁ
Bパートも東郷さんと園子様は神官を安芸先生と認識した上で話しているのでつまりはそういう事なんだろう
当初、安芸先生はどこかで決壊してしまうと思っていました
でもそれはもう無いでしょう
だけど私情を捨てて職務に徹してるかと思いきやそれは違う
人類存亡の為に非情になり合理で動いているが、奥底には感情が乗っている
佐藤利奈さんの演技のうまさたるや
淡々と話しているようで、わすゆ車中の「あのね」ほどセンシティブではないが園子様と東郷さんに安芸先生だよね?と身バレした後からは揺らいでいる
くめゆでもセリフの節々にいたわりが感じられる
安芸先生の心労を察します
最終話ではわっしーがゆーゆを殴るんよー
くめゆドラマCD
赤嶺家の連載(?)
高嶋友奈の存在
などを考えると勇者の章じゃ完結しないとは思うんですけどね...
最終回で二冊目の勇者御記をやる余裕はなさそうですね
ある意味TVアニメとしては本末転倒に感じる話の作りなので(余暇を楽しむ趣向の筈がストレスも溜まってしまう)、2時間映画で一気に見るような形の方が良かったよねと確かに思ってしまいます。
1期と同じ賛否両論ENDになりそうな予感がしています
考察すれば受け入れられるENDなら問題ないとは思いますがどうなるか
そうか、まだ1回観ただけで盲点でしたが友奈は端末を自室に置いてきてましたね
6話は友奈も勇者に変身するとは思いますが、となれば端末によらない1期12話のスタイルで変身しそうですね
ついでに満開ゲージ1にも関わらず根性で満開できそう、友奈だけは
>>御姿御姿って強調されてたので御姿は解決しそうですねぇ…そうすると神樹の中から高奈の体引っ張って来て友奈が高奈の体で復活したりするんですかね。そうだったら胸熱、ついでに酒呑童子!って叫んで欲しいです
高奈の体で復活とかは流石にないような気がしますね
神樹に体用意してもらって延命とか、一時しのぎで振り出しに戻り、私たちの戦いはこれからだみたいな流れにはならないと思います
6話は一気に別次元まで話が持っていかれてタタリや神樹の寿命などがどうでもよくなってしまうようになるくらいに話が動くと思います
当事者からしたら冷静になれる内容ではないし、なによりみんな中学生の少女達なのを考えたら「勇者部らしくない」とは全然かんじなかったけど。
あのUFO相手だと満開できない園子っち様は戦力的に厳しいので、友奈の神婚を止めに行くとかして序に端末届けるかもしれないけど。
根性満開はありえそうな反面、神樹が作った体のパーツを燃料代わりに!とかなりそうで五体満足で終われるかという不安も。1期で東郷さんが車椅子生活だったから、「半身不随の代償ENDまでならまぁ。。」という受け入れ下地もこれまでの話的に出来上がってますけど。