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『一路〈上〉〈下〉』 浅田次郎

2019年03月18日 21時11分00秒 | ■読書
「浅田次郎」の長篇時代小説『一路〈上〉〈下〉』を読みました。


終わらざる夏残侠―天切り松 闇がたり〈第2巻〉王妃の館に続き、「浅田次郎」作品です。

-----story-------------
〈上〉
父の急死により家督を相続、交代寄合蒔坂家の御供頭として、江戸への参勤行列を差配することになった「小野寺一路」、十九歳。
家伝の『行軍録』を唯一の手がかりに、中山道を一路、江戸へ――。
「浅田次郎」がおくる、時代エンターテイメント。

〈下〉
中山道を江戸へ向かう「蒔坂左京大夫」一行は、次々と難題に見舞われる。
中山道の難所、自然との闘い、行列の道中行き合い、御本陣差し合い、御殿様の発熱…。
さらに行列の中では御家乗っ取りの企てもめぐらされ―。
到着が一日でも遅れることは御法度の参勤交代。果たして、一路は無事に江戸までの道中を導くことができるのか!
〈解説〉「檀ふみ」
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「中央公論新社」の総合雑誌『中央公論』の2010年(平成22年)1月号から2012年(平成24年)11月号に連載された時代小説、、、

第3回「本屋が選ぶ時代小説大賞」を受賞した作品… 観てはいませんが、2015年(平成27年)にはNHK BSプレミアム『BS時代劇』にて「永山絢斗」主演でテレビドラマ化されているらしいです。

 ■其の壱 御発駕まで
 ■其の弐 左京大夫様御発駕
 ■其の参 木曽路跋渉
 ■其の四 神の里 鬼の栖(すみか)
 ■其の五 風雲佐久平
 ■其の六 前途遼遠
 ■其の七 御本陣差合
 ■其の八 左京大夫様江戸入
 ■地図 蒔坂左京大夫参勤行列が歩んだ中山道
 ■解説 「一路」の一所懸命 檀ふみ


1862年(文久2年)師走、参勤交代の全てを取り仕切る供頭(ともがしら)「小野寺家」の嫡男で19歳の「小野寺一路(おのでら いちろ)」は、国元、西美濃田名部郡の屋敷で父親が失火で命を落としたとの報せを受け、急きょ田名部へ戻る… 田名部の地を治める「蒔坂左京大夫(まいさか さきょうのだいぶ)」は無役の旗本で、石高は7500石と決して多くないが、大名と同等に扱われる交代寄合表御礼衆を務めるため、隔年の参勤を果たさなければならなかった、、、

殿様からの拝領屋敷を焼失したという大失態は家名断絶にも等しい不祥事だったが、参勤の出立が間近に迫っていたため、重臣の「蒔坂将監(まいさか しょうげん)」や家老の「由比帯刀(ゆい たてわき)」の口添えにより、一路は家督を相続し供頭としての務めを果たすこととなった… しかしながら、一路は江戸で生まれ育ち田名部の地を知らないだけでなく、まだ若く現役だった父から仕事について何も教わっていなかった。

焼け跡から見つかった文箱から、先祖が記した約230年前の参勤の記録「行軍録」を見つけた「一路」は、古すぎて参考にならないと一度は諦めかけるが、旅籠で出会った易者の助言で、時代を経て省略されてきた古式床しい行列の作法を復活させようとする… 親戚からも家中の仲間らからも徹底して協力を拒まれる中、仕立てた羽織一式を人目を忍んで届けてくれた許嫁の「国分薫」に初めて会う、、、

つつがなく務めを終えるようにと祈ってくれた美しい「薫」に心を奪われた一路は、行列を何事もなく成功させ、その暁には「薫」を娶りたいという思いを一層強くさせる… 行列に不手際があればお家取り潰しは確実、古文書の「参勤交代は行軍、戦そのものである」との言葉を胸に、背水の陣の覚悟で臨み、一所懸命におのれの本分を全うしようとする「一路」に、真冬の中山道の難所が立ち塞がり、難題は次々と振りかかる。


雪深い峠越え、殿様の発熱による到着の遅れ… そして、何よりも重大な難事は、「将監」らが主君「左京大夫」の命を狙う陰謀を企てていることだった、、、

いやぁ… 久しぶりに時代小説を読みましたが、笑えて、泣けて、面白くて、感動できる、そんな魅力たっぷりの作品でしたね。


父親の急逝により、参勤交代の全てを取り仕切る供頭という大役を任されることとなった若侍の「一路」が人間として成長する姿、一所懸命に自らに与えられた役割を全うしようとする姿に感動できたし、

「一路」が古式床しい行列の作法を復活させようとすることに応え、御殿様を支えよう・守ろうとする行列関係者たちの和や絆… 忠義・忠節を重んじる考え方に共感したし、

私利私欲のために主君「左京大夫」の命を狙おうとする「将監」等の謀略が、物語に冒険活劇要素を加え、懲悪勧善的な面白さが愉しめたし、

「左京大夫」の、うつけ・馬鹿呼ばわりされても、愛すべき田名部の民のことを常に考えて行動・判断する姿に魅力を感じるし(江戸屋敷留守居役で老齢の「楢山儀右衛門(ならやま ぎえもん)」も同じような魅力を持っていましたね)、トップとしての苦悩も巧く描かれていて、奥の深い重層的な物語に仕上がっていると感じました。

時代小説も面白いですねー


以下、主な登場人物です。

【蒔坂家(田名部)】

「小野寺 一路(おのでら いちろ)」
 参勤道中の全てを取り仕切る供頭を代々務める小野寺家の嫡男。19歳。
 江戸で生まれ育ち、故郷というべき田名部にも一度も帰ったことがなく、
 父・弥九郎から仕事について何の引き継ぎもしていなかった。
 北辰一刀流の免許皆伝、東条学塾の塾頭まで務めた穎才。

「蒔坂 左京大夫(まいさか さきょうのだいぶ)」
 蒔坂家39代当主、14代左京大夫。西美濃田名部郡を領分とする7500石の旗本。
 交代寄合 表御礼衆。
 江戸在勤の折は、3日と開けず芝居に通い、
 過去には役者の出待ちをしているところを町方に見つかり謹慎処分を下されたこともあるなど、
 「うつけ者」と見なされている。

「国分 七左衛門(こくぶ しちざえもん)」
 勘定役。薫の父。小野寺弥九郎とは昵懇の間柄だった。

「国分 薫(こくぶ かおる)」
 七左衛門の娘。
 一路とは親同士が決めた許嫁で、一路は顔も知らなかったが、美しい顔立ちで、
 皆から冷たくされる中、道中羽織を仕立てて忍んで旅籠まで届けてくれた。

「栗山 真吾(くりやま しんご)」
 供頭添役。
 前年の秋に父が卒中で急死し、
 一路と同じく仕事の引き継ぎを全くやっていない状態で参勤に挑む。

「佐久間 勘十郎(さくま かんじゅうろう)」
 蔵役。
 前年までは30人徒士の行列だったため参加したことはなかったが、
 一路が取り仕切る今年は50人となったため、駆り出され、
 派手な衣装を身に着けて道中先触れを務める。
 おつむの足らない武辺者とされているが、面倒な世事に関わらないために、
 あえて馬鹿なフリをしている向きもある。

「矢島 兵助(やじま ひょうすけ) / 中村 仙蔵(なかむら せんぞう)」
 10俵3人扶持の組付足軽。同い年の従兄弟同士。
 兵助は「猿(ましら)の兵助」の異名を取るほど身軽。
 7つ下の真吾とは又従兄弟で、子供の頃からひ弱でいじめられっ子だった真吾を気にかけてきた。

「蒔坂 将監(まいさか しょうげん)」
 左京大夫の後見役、叔父(正しくは先代の従兄弟の子)。
 男子に恵まれなかった先代左京大夫の養子に入った矢先に、
 側室が懐妊し当代が生まれ、廃嫡された。
 当代からは実の兄のように慕われている。

「由比 帯刀(ゆい たてわき)」
 蒔坂家家老。

「伊東 喜惣次(いとう きそうじ)」
 側用人。
 長年、将監の元で禄を食んできたため、左京大夫より将監に忠義が深い。

「ぬい」
 左京大夫の側室。将監の娘。左京大夫からは内心では嫌われている。

「辻井 良軒(つじい りょうけん)」
 医師。大坂の適塾で蘭方医術を修め、先年の夏に召し抱えられた。年は27、8。
 将監と帯刀にお家のためと騙され、一路の父と七左衛門に毒を持ったが、
 うつけ者呼ばわりされている左京大夫の真の聡明さに気付き、
 医師としての本分を全うしようと思い直す。


【行列関係者】

「空澄(くうちょう)」
 田名部陣下の浄願禅寺の住職。
 弥九郎の死後、江戸までの道中を往復し、行列の出発後は先行して一路の助けとなる。

「朧庵(ろうあん)」
 田名部のほとんどの宿で投宿を断られた一路が、
 街道の端の博打場も兼ねる旅籠で出会った道中筮(易者)。
 一路の面相が大変優れていると褒めちぎり、
 参勤道中についても庶民の立場からの忌憚のない意見を伝える。

「丁太(ちょうた) / 半次(はんじ)」
 筋骨隆々の双子の馬喰。
 行列の先頭で家康から下賜されたと伝わる朱塗りの槍を持つ役目を任せられる。

「新三(しんざ)」
 髪結い。鼻筋の通った細面の顔立ちに、剥いたゆで卵のような肌をしている。
 一路に腕を見込まれ、道中髪結いとして行列に付いていく。

「ブチ」
 丁太と半次が市場で売り切れなかった斑馬。殿様の替え馬となる。

「白雪(しらゆき)」
 殿様の愛馬。名前の通り、白雪のように美しい白馬。何度も参勤道中を経験した老馬。


【中山道中の人々】

「スワ」
 馬籠宿で生まれ育った。
 前年の暮の大火事で両親を亡くし、スワは庄屋に、6つになる弟は中津川の遠縁に引き取られた。

「檜山 角兵衛(ひやま かくべえ)」
 福島関所番頭。
 与川崩れを迂回せずに渡ったという一路の言を信じなかったが、現場を見て変心し、
 行列が谷に捨てざるを得なかった宝物類を拾い集め、宿場まで届けた。

「大賀 伝八郎(おおが でんぱちろう)」
 下諏訪宿の宿場役人。
 幕閣に参与していた主君、諏訪因幡守の小姓として江戸詰めだったが、
 5年前、20歳の時に、父の急逝に伴い、宿場役人の家督を継いだ。
 「鬼の栖」の異名を取る和田峠を急ごうとする一路を諌める。

「内藤志摩守 正誠(ないとう しまのかみ まさあきら)」
 信州佐久郡岩村田藩1万5千石の当主。17歳。奏者番。
 10歳の時に父が自害したため、若くして祖父の跡を継いだ。
 内藤家と蒔坂家は江戸の本所屋敷が隣同士で交誼が深く、
 病に臥せていた先代が左京大夫に正誠の行く末を託し、
 自身も幼くして家督を継いだ左京大夫は兄のように正誠を導いた。
 血筋及び先代である祖父の功績により、父祖代々の念願であった築城を許され、
 陣屋大名から城主大名になったことで、ふてぶてしい態度が一層悪化した。
 家督を継ぐ前の名は「?一郎(ひいちろう)」。

「浅井 条右衛門(あさい じょうえもん)」
 内藤家家臣。軽々しい言動が多い正誠を諌めるが、聞き入れられない。

「乙姫(おとひめ)」
 加賀藩前田慶寧の才色兼備の妹。
 実母ではないが、父の正室は11代将軍・家斉の娘。国元で育ったが、
 輿入れに相応しい年齢(16歳)になったため、江戸下屋敷へ移り住むことになる。
 行列は300人余に達し、速度も遅いため、
 時には休憩や見物を兼ねて渋滞した後ろの旅人らを先に通らせる。
 蒔坂家が早駆けで行列を追い抜いていった際、一路に叶わぬ恋をし、身に付けていた簪を与える。

「鶴橋(つるはし)」
 乙姫のお付女中。
 女としての幸せ(=恋が成就すること)を体験できないまま老境を迎え、
 乙姫の叶わぬ恋をせめてもの思いで応援する。

「板倉主計頭 勝殷(いたくら かずえのかみ かつまさ)」
 上野国安中城主。42歳。
 武芸の基礎は駆け足であるとの信条の持ち主で、自分や家来はもちろん、領民にも駆け足を奨励する。
 先代の頃から始まった、
 城下から碓氷峠頂までの7里を走って往復する「安中の遠足(とおあし)」は名高い。
 口癖は「よおっし!」。

「根本 国蔵(ねもと くにぞう) / 石塚 与八郎(いしづか よはちろう) / 海保 数馬(かいほ かずま)」
 安中藩家来。走術の免許皆伝、直近の遠足で好成績を残した3人の武士。
 「風陣の秘走」で、左京大夫の発熱による江戸到着遅延の知らせを、
 松井田から江戸表までの32里を三刻半で届けるよう命じられる。

「ひぐらしの浅(あさ)、又はひぐらし浅次郎(あさじろう)」
 その日暮しの博打打ち。色男。
 元は田名部生まれの武士で、郡奉行を務めていた父があらぬ罪を被せられ、一家もろとも放逐された。
 遠縁を頼って、隣国彦根で田畑を買ったが、父母は流行病で死去。
 秋の終わり頃に、浅次郎の恩人である貸元の親分が、
 彦根を訪れた七左衛門から将監一派の企みと行列の助っ人になってほしい旨を依頼され、
 将監は浅次郎の親の仇も同然だからと任される。
 父から「田名部と関らぬよう」言い残されているため、煩悶する。

「黒岩 一郎太(くろいわ いちろうた)」
 牧野家の道中供頭。19歳。急な卒中で昏倒した父親に代わり、供頭の大役を初めて任される。
 父から役目の引き継ぎもしていなければ、道中にお供したこともなく、父は卒中で口が利けない、
 頼みの綱の添役は、前任者が尊皇攘夷にかぶれて出奔したため代役であるという、
 一路と似た境遇の持ち主。

「牧野遠江守康哉(まきの とおとうみのかみ やすとし)」
 信州小諸藩1万5千石藩主。井伊直弼の肝煎りで若年寄に抜擢されたが、
 桜田門外の変後に罷免された。
 3年間の激務がたたって体を壊し、領分で死にたいという意思を公儀に認められ、
 小諸へ戻る途中、深谷宿本陣で田名部と差し合い(宿泊藩が重複すること)になる。

「井上河内守(いのうえ かわちのかみ)」
 寺社奉行。氷川神社参拝の折に左京大夫と行き合う。

「海老沢 吉三郎(きちざぶろう)」
 大宮宿代官支配の公事方手付(領民の揉め事を裁量し、領内の治安に携わる助役)。
 代官の留守中に氷川神社の参道で蒔坂家家来2名が討死する事態に見舞われる。


【江戸の人々】

「すず」
 左京大夫の正室。笑顔が地顔。
 歴代の妻は高家や同格の交代寄合、大名家から輿入れする倣いだったが、
 実家は1200石の両番筋、父親は書院番組頭。
 向島の下賤な出会茶屋で逢瀬を重ねていたが、妊娠していることが分かり、
 父が蒔坂家に乗り込み祝言を上げた。
 決して美人ではないが、見ようによっては美しく、使用人たちとともに台所で立ち働き、
 子育ても人任せにしないため、家中では大変人気がある。

「楢山 儀右衛門(ならやま ぎえもん)」
 蒔坂家江戸屋敷留守居役。77歳。

「せつ」
 一路の母。

「神崎 又兵衛(かんざき またべえ)」
 すずの父。作事奉行。左京大夫が最も苦手な一人。
 蒔坂家の行列が江戸に到着したのと同日、大目付(諸大名の監督)への昇進と、
 道中奉行兼任の内示が下る。

「松平豊前守(まつだいら ぶぜんのかみ)」
 老中。丹波亀山藩5万石の藩主。
 楢山儀右衛門とはかつて寛永寺の茶会で知り合って以来、茶の道の師と仰いでいる。

「徳川家茂(とくがわ いえもち)」
 将軍。優秀な人材を求めて、左京大夫の真の姿を御庭番に探らせる。
 左京太夫が江戸に到着した日、おしのびで市中へ行き彼の様子を見つめていた。







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