醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1406号   白井一道

2020-05-10 10:29:26 | 随筆・小説


  徒然草第229段 よき細工は、少し鈍き刀を使ふと言ふ



原文
 よき細工は、少し鈍き刀を使ふと言ふ。妙観が刀はいたく立たず。

現代語訳
 優れた職人は少し切れの悪い刀を使うという。有名な仏師の妙観が用いた刀はひどく切れが悪かった。

 「よき細工は、少し鈍き刀を使ふ」とは
白井一道
「彼は利きすぎる腕と鈍い刀の必要とを痛感している自分のことを言っているのである。物が見えすぎる眼をいかに御したらいいか、これが徒然草の文体の精髄である。」  小林秀雄著「徒然草」
この兼好の229段の文章は、「妙観が刀」が切れない、などと言っているのでは無い。 全く逆な事を言っていると小林秀雄は述べている。
つまり、その「技」と「道具」とが利きすぎる、『切れすぎることの危うさ』について、その事を語っている。
妙観は、『切れ過ぎる刀の危うさ』を畏れていた。知り抜いていた。
妙観は“切れ過ぎる刀”(=「技」「道具」)をあえて使わなかった。その理由が兼好には分かっていた。
切れすぎてはいけない。 小刀は、切れなくては困るが、切れすぎてはいけない。
なぜか。
妙観の一木を彫るという行為、それは彼にとって神聖な行為ですが、その事によって出現するであろう仏、妙観の己の「観」によって捉えた仏・・・。
妙観は、ただその仏を彫る。
妙観は、彼が“観じていたその仏”をそこに出現させるために彫るという行為に至るのです。
それが、彼の認識であり、行為です。
仏を彫るという行為は、妙観にとってそれ以下でも無く、それ以上でも無いのです。
画家がそうするように。詩人がそうするように・・。
刀など、切れなくてもいい。切れ過ぎてしまうことこそ、危うい。
むしろ、問題の本質は別にある。
饒舌は人の欲です。
切れない事は、困る程度のことですが、切れすぎる事は、すなわち欲に通じる、過度の表現は、すなわち表現の賤しさ、醜さに通じてしまう事が分かっていた。
このことは、文章において然り。
すべての芸術に通じることでもあるのかもしれない。
木食仏「子安観音像」木食上人
“妙観”という名前を見るに、僧籍に身を置いた仏師だだった。
例をあげるまでもなく、私たちは、木喰上人の彫った仏などを見る時、いわゆる“仕上がりにの良さなどというものをを鑑賞して溜息が出るわけではない。もっと別の事、まったく別の事です。
それはおそらく、“その一木に、仏が現れる”という事。 言いかえれば、美の出現。その一事なのである。仏が現れれば、妙観は、それで小刀を収める。
それ以上、小刀をふるう必要も理由もない。木喰上人であれ、妙観であれ。一木に仏(美)が現れれば、それで良し。
兼好の「徒然草」も、また、同じ事。
『彼(兼好)には常に物が見えている、人間が見えている、見えすぎている』と、小林秀雄は書いている。すなわち、兼好自身が切れすぎる事の危うさを知り抜いていた。どこまでをどう表現するか。
だからこそ兼好は刀を選ぶ。少し鈍い切れ味の刀を時として使う。『物が見えすぎる眼をいかに御したらいいか、これが徒然草の文体の精髄である。』「妙観が刀は、いたく立たず」とは、まさに、その事なのであろう。
この一行は、小林さんの兼好の批評眼(観と表現力)に対する大いなる賛辞である。小林秀雄著「私の人生観」の中から、小林さんがベルグソンの文章に関して述べている部分を抜粋する。
最もよく切れる鑿(のみ)は、科学の成果がもたらした正確な諸観念に違いなかろうが、それはあんまり切れ過ぎるかもしれぬ。
切れ過ぎるとはまるで切れないことかも知れぬ。
 やまねこ新聞社 号外より


『五重塔』幸田露伴著
あらすじ
腕はあるが愚鈍な性格から世間から軽んじられる「のっそり」こと大工の十兵衛。しかし谷中感応寺に五重塔が建立されることを聞いたときから、一生に一度あるかないかの、その仕事をやり遂げたいという熱望に苦しめられ、朗円上人に聞いてもらいたい一心で会いに行く。

本来ならば、感応寺の御用を務める川越の源太が請け負うという話である。世間から名人よ、器量者よと褒められる源太はその通りの男であり、さらに十兵衛は日頃から源太の世話になっていた。十兵衛の女房お浪は心中で苦しめられ、源太の女房お吉は利口な女だが、のっそりの横着ぶりに怒りを覚える。

上人は十兵衛の熱意を知り、模型を見てその技術と反面の不遇に同情する。十兵衛と源太を寺に呼んだ上人は、技術においても情熱においても比べられない二人だからこそどちらが仕事をするか二人で話し合って決めるように諭す。

人を容れる難しさと、それゆえの尊さを伝える上人の思いやりに応えようと源太は十兵衛の家を訪ね、職人の欲も不義理への怒りも捨て一緒に作ろうと提案する。お浪は涙を流して源太に感謝するが、十兵衛は無愛想にその提案を断る。寺からの帰りにすべてを諦めた十兵衛だが、それでも自分が作るか、作らないか、どちらかしかないのであった。

情とことわりを尽くした源太の言葉にも嫌でござりますとしか返事をかえさない十兵衛に源太は虚しさを感じ、五重塔は己で建てると帰っていく。家には弟分の清吉が待っていた。誠実で優しい兄貴に尽くすことを生き甲斐とする清吉は十兵衛への怒りを隠さないが、源太は酔いつぶれた清吉を見ながら先ほどの己を振り返る。

葛藤の果てに源太は上人のもとへ向かい先日の顛末を語り、十兵衛に任せても自分に任せても一切のわだかまりを持たないため上人に決めてほしいと願いでる。上人は十兵衛も全く同じ話をしていったと源太に伝え、満面に笑みをたたえながら建てる以上の立派なことだと褒められた源太は「兄として可愛がってやれ」と言われて涙を流す。

源太は五重塔を建てることになった十兵衛を宴に招き、全てを水に流そうと申し出る。更に己が描いた五重塔の下絵や寸法書を役立てて欲しいと渡すが、十兵衛は見ることもなく断る。十兵衛が五重塔の仕事がやれるのは、源太より優れているからでもなく、正直さが上人から好かれた訳でもない。

ただ源太が上人の言葉により全てを胸に納め席を譲ったことによる。それが事実である。しかし十兵衛は他人の心を汲むよりも職人としての構想、技術を満たそうとするdemonic possession が優先した。もはや源太も怒りを抑えることは出来なかった。下卑た足の引っ張りはしないが、いつか失敗することを待っていると口にして席を立った。弟子や馴染みの娘を集めて賑やかな宴をひらくが、誇り高い男だけに周りに愚痴や怒りは毛筋ほども見せなかった。

仕事に取り組む十兵衛は誠を尽くし、全てに心を入れて己を捧げる。しかし情の鈍い「のっそり」だけに、源太への応接も忘れていき純粋に仕事の悦びに浸る。お吉は十兵衛の仕打ちを周りから知らされ、清吉に毒づいてしまう。清吉は十兵衛を殺そうとして重傷を負わせるが源太の兄貴分である火の玉鋭次に抑えつけられ散々に殴られる。

清吉を預かった鋭次は源太の家を訪ねると、主人は不在で代わりにお吉が応対に出た。鋭次は源太が十兵衛のもとに頭をさげに向かっていたと知り、人を殺そうとした清吉も浅はかだが、十兵衛にも非があったため源太が上人様にお詫びをした上では話もつく、心配のしすぎはするなとお吉に労りの言葉を残して去る。

源太は十兵衛のもとを訪れて頭を下げるが、先日よりの怒りは深く硬く、気分は晴れない。世話をかけた鋭次のもとに向かうつもりで家に戻ると清吉の母が訪ねてくる。愚かなまでに子を思う親の心の深さに源太は感じるものがある。一方、お吉は金を工面するために家をでると鋭次のもとに向かい、源太の怒りがとけるまで上方へ清吉を向かわせるため身銭をきり路銀を工面してきたと事情を説明する。清吉の母の面倒もみるつもりである。

片耳を切り落とされる重傷を負った十兵衛は休むことなく仕事場に向かう。十兵衛は職人たちが自分を軽んじていることを承知しており、働いて貰うには身体を労ることも無用だった。塔は完成する。

落成式を前にして江戸を暴風雨が襲う。百万の人が顔色無く恐怖に襲われるなか、感応寺の世話役は倒壊の恐怖から十兵衛を呼び出すが、使者の寺男へ十兵衛は倒れるはずは無く騒ぐに及ばずと断る。しかし世話役からの再びの呼び出しは上人からの呼び出しと偽りのものだった。上人様は自分を信用してくれないのか、恥を知らず生きる男と思われたなら生きる甲斐なしと嘆きながらも嵐の中を谷中に向かう。塔に登り嵐に向かう十兵衛。その頃、塔の周りを徘徊する源太の姿があった。果たして塔が壊れれば恥を知らず生きる職人として十兵衛を許さざる腹だったのか、叙述はない。

人の為せぬ嵐が去った後、人が為した塔は一寸一分の歪みが無かった。落成式の後、上人は源太を呼び、十兵衛とともに塔を登り「江都の住人十兵衛これを作り、川越の源太これをなす」と記し満面の笑みを湛える。十兵衛も源太も言葉なく、ただ頭を下げて上人を拝むだけだった。
ウィキペディアより

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