醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  852号  白井一道

2018-09-16 16:53:26 | 随筆・小説


  声すみて北斗にひびく砧哉  芭蕉 元禄二年(1689)


句郎 最近、暑かったころの空気と違って、澄んできたような感じがするね。
華女 秋なのよね。秋の空気は澄んでいるわ。
句郎 芭蕉の名句の一つではないかと思っている句の一つが「声すみて北斗にひびく砧哉」だと思う。
華女 しみじみとした同じような芭蕉の句があったんじゃないかしら。
句郎 「砧打て我にきかせよや坊が妻」という句かな。
華女 秋の世のつましい僧侶の妻の侘しさを詠んだ句ね。
句郎 その句と比べて「声
すみて」の句には侘しさはないように思う。
華女 秋の夜の静かさが表現されているように思うわ。
句郎 秋の夜の清澄さかな。侘び、寂びの世界を通り抜けた凛とした生の緊張感のようなものがあるように感じるな。
華女 私の母も秋の夜に砧を打っていたのを覚えているわ。土間の床几の上で布地を打っていたわ。単調な音なのよ。
句郎 「砧打つ」という行為には何か、女の哀しみのようなものがあるように感じるな。
華女 そうなのよ。母から聞いた話よ。昔、母がお嫁に来た頃の話よ。秋、稲刈りが終わった頃よ。嫁は夜なべ仕事するもんだと舅に言われ、みんな寝静まったところで砧を打ったという話を聞いたわ。
句郎 昔の農家の生活は厳しいものだったんだろうな。
華女 舅の寝息が聞こえてきたので、父の寝床に行って泣いてしまったという話を聞いたわ。
句郎 砧には昔の女の哀しみがあるんだ。この生きる哀しみに耐え抜いた昔の女には強さがあったのかもしれないな。
華女 女は強いのよ。砧の音には女の強さが籠っているのよ。私も砧の音に励まされるような気もするわ。
句郎 静かな内に籠った強さかな。
華女 そうね。へこたれない強さね。単調なものに耐え抜く強さかもしれないわ。
句郎 若かった頃、李 恢成の書いた小説『砧を打つ女』を読んだ記憶がある。李 恢成は自分の母を書いた小説だったような記憶がある。
華女 日本に生きた在日朝鮮人女性の哀しみね。
句郎 哀しみに鍛え抜かれた女の強さを李 恢成は表現したかったのかもしれないな。
華女 その小説は芥川賞を受賞した小説よね。
句郎 そう。だから読んだのかもしれないな。
華女 紀貫之の時代にはまだ砧に女の哀しみはないみたいよ。「からごろも打つこゑきけば月きよみまだねぬ人を空にしるかな」という貫之の歌があるでしょ。この歌には月見の静かさと砧の音の楽しむ風流が表現されているように思うわ。
句郎 芭蕉はきっと貫之の歌を読んでいたのかもしれないな。砧を打つ音を聞けば、月見を楽しんでいる人がいるに違いないと貫之は詠んでいるんだからね。
華女 月見を楽しむように芭蕉は「北斗にひびく」砧を打つを聞いて楽しんでいるのよ。
句郎 ショパンの夜想曲を聞くような楽しみが芭蕉の「声すみて」の句にはあるように感じるな。
華女 秋の夜の音、それはノクターンということね。

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