徒然草第193段くらき人の、人を測りて
原文
くらき人の、人を測りて、その智(ち)を知れりと思はん、さらに当るべからず。
拙き人の、碁打つ事ばかりにさとく、巧みなるは、賢き人の、この芸におろかなるを見て、己れが智に及ばずと定めて、万の道の匠、我が道を人の知らざるを見て、己れすぐれたりと思はん事、大きなる誤りなるべし。文字の法師、暗証の禅師、互ひに測りて、己れに如かずと思へる、共に当らず。
己れが境界にあらざるものをば、争ふべからず、是非すべからず。
現代語訳
愚かな人が人を推し量るのを聞き、それを聞いてもっともだと思うこともないし、更にその評価が当たっていることもない。
未熟な人が碁を打つことにかけては頭が働き、優れているので、下手な碁を見て、自分の碁の力には及ばないなと思い決めて、いろいろな分野の匠が己の分野についてこの人は何も知らないのだと思い、自分は優れていると思うことは大きな間違いである。文字を知っている法師、経を暗証している禅師は互いに評価し合い、己には適うまいと思うのは、共に間違っている。
自分の専門外の者をひき比べることはしてはならないし、良し悪しを批評してはならない。
山本太郎氏の街頭記者会見を聞いて
白井一道
山本太郎氏の話を聞いて感動する。日本全国を回って一人一人の話に耳を傾ける。厳しい生活をしている人が山本太郎氏になけなしの金を献金する。きっと私と同じように山持太郎氏の話に真実があると感じるからであろう。その真実とは一人一人の存在が貴いものであるということを感じさせてくれるからであろう。この世に存在しなくともいいような人は一人もいないのだと心の底から山本太郎氏は訴えていると感じるからなのであろう。私のような存在、いてもいなくてもいいような存在だと日々感じさせられている社会の中に生きる哀しみを噛みしめてている人間にとって山本太郎氏の訴えは身に沁みるのだ。
あなたの代わりになる人はいくらでもいます。嫌であったら辞めてください。あなたの仕事を見ていると嫌々しているように見えます。そんなに嫌なら辞めていただいて結構です。気に入られないとこのような事を言われてしまう。だから気に入られようと誰もが必死に生きている。
兵士の命は一銭五厘と昔の人から聞かされたことがある。太平洋戦争参戦記には招集された新兵が上官から「お前ら兵隊は一銭五厘でいくらでも集められる消耗品だ」。「お前らの命は一銭五厘の値打ちしなかい」と言われたという。兵士の命は羽毛より軽いとも言われた。
明治時代に出された軍人勅諭には次のようにある。「軍人は忠節を盡すを本分とすへし凡生を我國に稟くるもの誰かは國に報ゆるの心なかるへき况して軍人たらん者は此心の固からては物の用に立ち得へしとも思はれす軍人にして報國の心堅固ならさるは如何程技藝に熟し學術に長するも猶偶人にひとしかるへし其隊伍も整ひ節制も正くとも忠節を存せさる軍隊は事に臨みて烏合の衆に同かるへし抑國家を保護し國權を維持するは兵力に在れは兵力の消長は是國運の盛衰なることを辨へ世論に惑はす政治に拘らす只々一途に己か本分の忠節を守り義は山嶽よりも重く死は鴻毛よりも輕しと覺悟せよ其操を破りて不覺を取り汚名を受くるなかれ」と。
日本国民の命を「鴻毛よりも輕し」と日本の支配者たちは見なしていたのだ。このような思想が日本の指導層の人々の中に今も息づいているのだ。その中で山本太郎氏は身体に重いハンデを持った人を二人、参議院議員に当選させたのだ。この世に生きる人々はすべての人がどのようなハンデを持った人であってもかけがえのない存在であることを主張し、実現したのだ。今まで誰も実現することの出来なかったことを身をもって実現したのだ。
山本太郎氏は人間を生産性で評価してはならないと主張する。昔のイヌイットの社会では猟の上手な人も下手の人も収獲したものを平等に食べる。特に上手な人がたくさん食べていいと言う事はなかった。分配は平等なのだ。これが社会というものなのだ。能力の高いものもいれば、低い者もいる。それでいいのだ。その上で人間は平等なのだ。この平等観を実現することなしには平和を実現することは不可能であろう。平等なしには平和はないのだ。
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