醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  853号   白井一道

2018-09-17 15:51:01 | 随筆・小説


  白井聡著『国体論・菊と星条旗』を読む

  
 
 最近、本屋に行くと店頭に山積みになっている書籍が白井聡の『国体論』だと羨ましがる政治学者の話を聞いた。TBS「報道特集」キャスター金平茂紀は『国体論』に全面賛成だと述べ、白井聡とシンクタンク「新外交イニシアティブ」の事務局長猿田佐世と共同で『白金猿』という書籍を出した。白井の「白」、金平の「金」、猿田の「猿」とを取った書籍なのだろう。日本の論壇の一角にデヴューしている。
 私は近所にある市立図書館に白井聡の『国体論』をリクエストした。二週間ほどたったころ、図書館員からわざわざ用意できたから取に来てくれとの電話をもらった。インターネットで確認すると私の後に三人程が『国体論』を待っている。今や『国体論』はベストセラーなんだということを実感した。
 最近、元総理鳩山由紀夫とジャーナリストの角谷浩一の対談「ユーアイチャンネル」をyou tube で見た。この中で安倍総理は「戦後レジームからの脱却」と言っている。「戦後レジーム」とは、戦後の「国体」ということでしょと、角谷氏は述べ、日本の戦後の国体、レジームとはアメリカ政府に従属していることなんだから「戦後レジームからの脱却」とはアメリカ政府から自立すると言うことなんですかねと、皮肉っていた。
 「国体」という言葉を恐れた時代があったことを私は知っている。それは日本の「冬の時代」だった。。言論の自由がなかった時代だ。だから自由な言論ができなかったから一部の知識人たちが冬眠していた時代である。そのような恐ろしい国体という概念の成立、発展、消滅の経過を白井氏は明らかにしている。
 国体と言う言葉に代表される天皇による絶対専制支配の成立、発展、消滅の経過を「天皇の国民(臣民)」が「国民の天皇」になった。それは同時に天皇制ファシズムであった。天皇制ファシズムが恐ろしい国体というものであった。国体と言うものに実態があったのかというと幻のようなものであった。私は天皇も国体もフェティシズムだと『国体論』を読んで思った。
 この「国体」の概念が戦後も生き続けているとことを発見したところに白井氏の手柄がある。戦後の日本にあっては、憲法が国権の最高法規であるということは事実に反していると解明していた人がいる。
その人は新原昭治である。新原は砂川判決を研究し、安保法案は憲法に拘束されていないことを解明している。一九五六年から五七年にかけ、「駐留軍用地特措法」に基づいて、強制的な土地収用が進む中、拡張の対象とされた立川飛行場が立地した東京都砂川町では、農民や労働組合を中心とした反対運動が盛り上がった。一九五七年七月八日、当局による強制測量に抗議するデモ隊と、警察との衝突が発生。この最中に、デモ隊の数人、共産党員のみが米軍基地内に数メートル立ち入ったとして、日米安全保障条約に基づく刑事特別法(刑特法)」違反で起訴された。東京地方裁判所で行われた第一審では、駐留米軍基地の存在は日本国憲法九条に違反するという判決が、伊達秋雄裁判長から言い渡された。駐留米軍が違憲である以上、米軍基地への立ち入りを禁止する刑特法も違憲だという判決である。ところが、検察は、高裁への控訴を飛び越して、すぐさま最高裁判所への跳躍上告という、異例の動きに出る。結果、一九五九年一二月の最高裁判決では、田中耕太郎裁判長により、「米軍駐留は違憲ではない」こと及び「日米安全保障条約のような高度な政治性をもつ条約について、違憲であるかの法的判断を下すことができない」ことを骨子とする判決が出された。
 日本国憲法に則って下された伊達判決を田中耕太郎最高裁裁判長は覆したのだ。安保法制は日本国憲法に優越するということを最高裁長官田中耕太郎が明らかにした。
 田中耕太郎は駐日米国大使マッカーサー二世と事前に協議し、判決内容を決めていたことを新原昭治はアメリカの公文書館で資料を調べ、明らかにしている。このことを白井は『国体論』の中で述べ、戦後の国体は天皇に代わってアメリカになったということを述べている。
 昭和天皇は占領軍最高司令官マッカーサーの下に出向き、沖縄を占領支配することを認め、マッカーサーは天皇の戦争犯罪を不問にした。こうして天皇の支配、戦前の国体は生き延びたと白井は主張している。しかし国体は天皇からアメリカに変わった。問題は衰退していくアメリカに盲従する日本政府はアメリカのために日本を犠牲にするつもりなのか。

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