気の向くままに junne

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その様な人生を追及しています

‘11. 長寿の落とし穴  医学の進歩と政治

2011年10月19日 | 日記・エッセイ・コラム

  医療(医学)の発達してきた現在、寿命が大きく伸びてきました。(一般的には)織田信長の時代では「人間50年」と云われ、東京オリンピックの頃は65歳で長生きに含まれ、20世紀末では80歳越えに迄至り、21世紀の今は更に伸びています。現在100歳以上の老人は25万人を超えています。このままで推移すると35年後の2.046年には、65歳以上の人口は日本全国民の4割以上になると言います。それもその時の人口は、現在の1億2千7百万人が、何と大幅に減少して1億人を割るという事態での話し。これは一国の問題としては大変な事象です。まさに老人大国の図式そのものなのです。

  一方では医学が進み、また別にそれと並行して経済状況や社会状況が『少子高齢化』を加速化させているという「負の連鎖」を招いているという事です。加えて言うならば、福祉医療の(負担金)問題まで拡がっていきます。誰が負担するのか、いや、負担できるのか・・という問題です。前述したように65歳以上の人口が4割以上だとすると、残り6割弱のうち18歳以上の就労人口は4割程度でしょう。となると、凡そ4千万人弱の国民がこの日本を背負っていくという事になります。そうなるともはや年金問題云々などとは言っていられません。今のままでは35年間でこの問題が解決されるとは思い難いですよね。年代層の理想的な図式としてはピラミッド型ですが、現在は逆ピラミッド型です。・・・と、このように申しますと老人に対して不都合な発言として受け取られそうですが、その様な意図は有りませんので、どうか誤解のない様に。

  問題になるのは、如何にしてピラミッド型になる様に、底辺となるべき「子供たち」を増やすか・・・という政策を生み出すか、なのです。国を発展させ、維持する一番の要素は次世代を担う若者層です。これ迄の政策の失敗は、老人問題を重視するがあまり遅れを取ってしまった・・と言えなくはないでしょうか。

  高度成長時代に豊かさの象徴となった文化住宅(ニュータウンなど)が今や老人村になってしまったのも、目先の事を優先するがあまり、後の社会プランを考えずにいたからにほか有りません。勿論、何度も訪れた不景気の波という問題も多大な要素となっているのも、外せない原因ではあります。それは良く解ります。が、しかし、世の中がどの様に動こうと、医学が発展し続ける以上、老人の数が増え続ける事も認識出来ていた筈なのです。そして生活レベルが上がり核家族化が進めば,その先に待っているのは「少子化」であることは、言わずもがなの結果であるのは目に見えていた筈。高度成長が永遠に続くとでも思っていたのでしょうか? 不景気になれば当然少子化になります。

  大体に於いて、親の面倒を子供が見られない社会が、本当の文明国家と言えるのでしょうか? 〇△ホームなどというのは「現代に於ける姥捨て山」と等しい側面が有る・・とも言えるでしょう。 皮肉な事にこれは医療技術の進歩が生み出した『長寿の悲劇』と呼べるものだと思えます。正に、「長寿の落とし穴」になってしまったのです。更にはそこに少子化が加わり、今の日本の危機的状態を築いてしまっているのです。

  医学の進歩は否定しません。しかし、どこまで進歩して良いものやら・・・とも思います。命は有限なのですから。運が良ければ100歳迄はそこそこ可能になりました。でも150歳、200歳迄は不可能でしょう。人間の尊厳に基づいた医学の進歩という観点も必要なのではないでしょうか? 人が人として息をひきとる為にも・・・。


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