1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 偶に「あの世ってほんとにあるの」と。対し「死んだ爺、婆にまた、会いたいかい」「そりゃ、会いたいよ」「じゃ、あると信じなっせ」と。

2024-05-04 13:08:25 | 法話

【5月5日投稿分】


檀家の若者が「住職さん、先日ね、面白い(興味深い)夢を見たんだよね」と。「どんな夢を見たのさ」「飛行機の中で爆睡してたら、寝ている間に、どうもその飛行機が墜落したらしく『ここは、どこだ』と見渡していると目の前に、爺ちゃんと、婆ちゃんが、姿を現したんだよ。『あれ、何でこんなとこにいるんだよ。2人共、死んだはずでしょ』と声を掛けると、爺ちゃんが『何をとぼけた事を言っとるか。お前もこの度、死んだんじゃよ。口を開けて寝とる間に、飛行機が墜ちてな』で、目が覚めたんですよね」と。


続けて、この若者が「住職さん、夢とはいえ『死ぬ』とは、こんなもんかもしれないな、と思ったんだよね。爺ちゃんと婆ちゃんが迎えに出てきた事も、リアルな話なんだよな」と。「まあ、確かに、君にとってはリアル(両親離婚で母側の爺婆が、この若者の育ての親)な話だわ」「死んだ夢なのに、何故か、ネガティブな感覚はなかったんだよね。こんな風に爺ちゃんと婆ちゃんが、迎えに来てくれるんだろうな、と思えたからかな」と。


対し、拙僧「誰かが迎えに来るというは、もしかしたら、本当なのかもしれないよ。拙僧は1000人以上の葬式と、それ以上の人の『生き死に』に関わってきて、その中の数人だが、臨終間際に娘さんや、お嫁さんに手を伸ばし『お母さん』と呼んだ人(母親)がおられたもんね。拙僧の叔母もその1人だったが。どういう訳か『お父さん』じゃなくて『お母さん』なんだよな。考えたら『向こうには、住む世界がある。誰かが、迎えに来てくれる』と信じた方が、死も少しは落ち着いて、受け入れられるかもしれないよね」と。


頷きながら、この檀家若者が「ところで住職は、霊魂の存在を感じた事って、何かありますか」と。「そうだね、人間ではないが、大学1年の時だったかな。12年飼っていた犬(スピッツ)が危篤、と父から電話連絡が。その日の夜中、寝ている拙僧の周りを、何かがグルグルと走り回ったんだよ。恐らく、夢を見ていたんだと思う。が、『んっ、まさか』と思ったので、即、外へ出て自宅に電話をすると『たった今、息を。安らかに旅立ったぞ』と父が拙僧に。危篤と聞いていたので、その意識からそんな夢を見たのか。それとも本当に、別れの挨拶に来てくれたのか、それは、拙僧にはわからないけどね」と。「そうなんだ。ところで住職さん、本当にあの世って、あるのかな」と。「SNS の法話でも何度か言っているが、拙僧は死んだ事がないからね、あの世があるかどうかなんて、わからん。ただ、絶対にあの世はあってほしいとは思ってる。育ててくれた祖父母、親、親戚の叔父叔母、知人、友人にもまた会いたいし、何より向こうでも、永遠に家内と一緒に暮らしたいからね。拙僧にとってあの世は、あってくれないと困るんだわ」と。


霊魂といえば、仏壇参りに伺った時、檀家の70代女性がこんな話を。「主人が町内会の用事で留守だったので『昼食作るは、サボり』とコンビニで、ざる蕎麦を買って来て食べたのよ。その町内会の用事というが、家々を八幡(氏神)さんがお祓いをして回る行事で、我が家にも来たので、家の近所だけ、お祓いの手伝いをさせてもらったのよ。家に戻るとすぐに、暑かったので、ざる蕎麦と一緒に買ってきたアイスクリームを。しばらくすると、宅急便が。見ると、私の実家からの荷物だった。開封していた時に突然、吐き気と下痢が襲ってきて、1時間ほど大変苦しい思いを。その時、ハッと思ったのよ。私の実家は、全く先祖の供養をしてないので、先祖の心が満たされてないのが、実家の荷物と一緒に、私のところ(体)に運ばれて来た(祟った)のかな、と。どう思う、住職」と檀家女性が。


対し、拙僧「んっ、あなたって、何か悪い事が起こったら『先祖のせい、水子のせい、悪霊のせい、狐のせい、狸のせい、あいつのせい、こいつのせい』と自分の他に責任転嫁する、そっち側のタイプの人間だったっけか。以前、こんな話が拙僧のところに。知人や親戚から騙し取ったお金で、高級ブランドを買い漁った女性が『水子の祟りですかね』と。自分で中絶して命を奪っておきながら、今度はその水子さんを化け物扱いにして、その子のせいに。その水子さんがブランド品(鞄、時計など)を欲しがった、と言うんかいな。人間は皆、事情を抱えています。事情の塊が人間にて。中絶するからには、それなりの苦しみがある人ばかりだと思うが、この女性に限っては『この子はいらん』と簡単に。これで2人目とか言って、淡々と悪びれもせず話しておられたが」と、この檀家女性に。


対し、檀家女性が「えっ、いや、私はそういうタイプでは、ないですけど」と気まずそうな顔で。「まず、吐き気と下痢ですが、その時の体調が偶々悪かったのか、それか、暑い中をお祓いに付いて行った為、軽い熱中症にでもなったのか、どっちかだろうね。その体の状態で偶々、下を向いて荷物を開けたが為に、症状が襲って来ただけだと思うよ。何か悪い事がある度に、自分以外(先祖、人など)の責任にするのは、やめや、といつも法話の中で言ってるでしょ。だいたい先祖のせいにする様な人は、常日頃『ほったらかしてる』という身に覚え(罪悪感)が、心の片隅にあるからだよ。恐らく、あの世で先祖さん達が『俺がいったい、何をしたっていうんだ』と嘆いとりまっせ。取り敢えず、年齢も年齢だから、掛かり付けの医師に、診てもらっておいで」と言って、拙僧はお寺へ。


数時間後、この女性から電話があり「一応病院に行ったら、住職の見立て通りの事を、医師から言われました。何にせよ、ここのところ、ご無沙汰しておりますので、実家のお墓参りにでも行って来ようかな、と思ってます」と。「それはいい事だね。先祖の供養(お墓参り、納骨堂参り、寺院での盆法要、彼岸法要参拝、仏壇参り)とは基本、お世話になった人達(祖父母、父母、叔父、叔母、先だった子供など)への恩返しだからね。しなくてよい、というものではないですもんな。人には皆、父と母が。その父と母にも、それぞれ父と母が。これを1+2+4+8+16+32+64+、と、たった20代遡らせただけで、約200万人の父と母が。1つの命をバトンタッチの様に繋いでくれたお陰で今、私達はここに。1人でも欠けていたら、自分は今、ここにはいないんだもんね。自分がこの世を旅立つまで、この恩は消える事はないし、忘れちゃいかんものだと思うよ」と。


自分以外のものに責任を転嫁すれば、その場だけは楽になりますが、何の解決にもなりませんわな。今現在、目の前にある苦しみも喜びも、過去の自分の行いの結果。将来、自分を待っている苦しみも喜びも、これからの行いの結果にて。これ以外には、何もなし。


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【追伸】尚「法話が長い」と不快感を示されておられる方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』をさせてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦くださいませ。


投稿添付写真は、熱中症の症状の一部です。次回の投稿法話は、5月10日になります。