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1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 四国巡拝は、いいでっせ。何にも拘らず、ただ淡々と歩く環境は、自分を見つめ直すには、絶好の場所にて。

2024-02-14 12:13:17 | 法話

【2月15日投稿分】拙僧の息子が、歩き遍路(全行程1400キロの四国巡礼)に。


2月8日から5日間、拙僧の息子(30歳)は、四国霊場の歩き遍路に。コロナのお陰(工夫)でリモートでの仕事が出来る様になり、ネットで本社と遣り取り(設計、会議など)をしながら巡礼を。ちょっと前までは、考えられない仕事形態ですよね。1周1400キロを数回に分け、今年中に結願したいとの事。早い人は全行程(1400キロ)を35日間で。普通は45日間ぐらい掛かると。田舎(檀家)のご老人が「1里(約4キロ)は1時間で歩く」と。その計算でいけば、1日に8時間歩いたとしたら、32キロ。そうなると、全行程は、44日という事になりますよね。巡拝途中で「10番札所まで行った」と息子からメール連絡があったので「四国巡礼に限っては『何番まで打った』という言い方をするんだよ。四国巡拝を最初に行った衛門三郎さんが、弘法大師に直接会って謝る為に『あなたを追って今、巡拝しております』を知らせる印として、お寺に木札を打ち付けていったが『納め札』の始まり。よって、四国霊場に限っては『何番まで打った(参拝した)』という言い方をするんだよ」と息子に。衛門三郎さんの詳細は、ググってみて下さい。


続けて息子が「歩き遍路って、結構大変だね。父さんの叔父さんだが、90歳近くまで8回も周ったなんて、凄い事だよね」と。「なかなか出来る事じゃないよな。父さんも40回近く四国巡拝(1年に1周、高野山へ御礼参りまで)をしたので、歩き遍路がどれほど大変か、という事は少なからずわかる。が、あくまでも、少なからずわかるだけだ。父さんの四国巡礼は毎回必ず、ご病人、時には今現在、命の遣り取りをされている人(余命宣告者)やご老人(檀家さん達)などが同行されるから、どうしてもタクシー巡礼となる。が、そういう人達は、タクシー巡礼でも楽じゃないんだよな。山門から100段、200段の石段はザラだからね。が、父さんは、実際に1400キロの距離を歩いた訳ではないから、歩き遍路の本当の大変さはわからん。だから、歩き遍路に関して父さんは『ただの物知りさん』でしかない。何でもがそうだが、経験して初めて、その本質がわかるもんだ。お前さんは、よか経験をさせてもらってるな。きっと、今後の人生の糧になるよ」と。


続けて拙僧、息子に「四国の人達(住人)に言わせれば『歩き遍路が最も贅沢な巡拝である』と口々に。まず、1400キロ歩ける健康な身体を持っているという事。これは、そんな体に産んでくれた親に感謝だよな。40日という時間(日数)が確保出来るという事。これは許可(理解)してくれる会社と家族に感謝だよな。それに対する費用(宿賃、食費、その他諸々)が工面出来るという事。これは仕事(収入)を頂いておる事に感謝だよな。確かに、贅沢といえば贅沢だが、だけど実際、1400キロは大変だよ。もし足を痛めたら、無理をせず撤退し、次の機会に。若いからとて、無理をすると水が溜まり、回復が長引くぞ。意地を張らず、撤退するも選択の1つだよ。四国巡礼は、人生と同じだ」と。


更に息子が「ところで、父さん。歩いてたら、地元(四国)の人がお接待(食べる物)をくれるんだよね」と。「お接待は絶対にお受けしろよ。巡拝したくても、様々な理由で出来ない人達が『私の心を巡礼に連れて行ってください』が、お接待が始まった基本だから。ところが数年前から、そのお接待を地元の人達が止めだしたんだよな。そうなった理由は、もらったお接待(食べ物)の空袋をその場に捨てていったり、弁当箱や空き缶、タバコの吸い殻を捨てていったり、と。そのゴミの後片付けは、地元の人達が。あまりのマナーの悪さに嫌気がさして、伝統(風習)みたいに繋がっていたお接待が、いつの間にか風化の方向へ。コロナの間は巡礼者が減少していたので、恐らくその間は、本物(物見遊山じゃない人達)さん達が巡拝を。そういう人達は『四国巡拝は弘法大師の追体験』と自覚しておられるから、そんなマナーの悪い事はしないだろうからね。そうなるとまた、お接待の習慣もじわじわと戻ってくるかもしれないね」「お接待をくれたお婆ちゃん(地元の人)も、父さんと同じ事を言われていたよ。だけど、父さん。地元(四国)の人達って、優しいね。『大丈夫か』とか『無理はするなよ』とか、声を掛けてくれるんだよ」と息子が。


【余談】

四国巡拝で約35年間、お世話になった徳島の個人タクシーの運転手さんが、73歳で引退される前(四国巡拝世話最後の時)、次の様なお話を拙僧に。

「住職よ、わしは今日まで事故も違反も1度も。まだまだ、運転には自信があるが、今後、お客さんを乗せておる時に事故を起こし、周囲から『歳を考えて、ハンドルを置くという選択はなかったのか』と言われた時、これ程に辛い事はないので、そうなる前に引退する事にした。わしの1番の思い出といえば、40年程前、10年間、ある社長夫婦の四国巡拝のお手伝いを。その社長の奥さんは酷い腰痛持ちで、社長と社員さん(1人)が介護をしながら巡拝を。山門からお寺(何番札所)まで100段以上ある石段の上り、下りに掛かるは2時間。10年目のある札所(お寺)で、わしと社長と社員さんが話をしている時、目を離していた奥さんが石段から転落。3人共が青ざめて急ぎ駆け寄ると、奥さんが『ちょっと待って』とゆっくり起き上がり『腰の痛みがない』と。こんな事ってあるんや、と驚かされた。その場で社長が社員さんに『会社は君に任せる。私は引退して家内と四国巡拝者の為の遍路宿を開き、御礼報謝の晩年を生きる』と。余程に嬉しかったんだろうな」と。


この話を檀家さん達に話すと「お大師さんも人が悪い。10年目じゃなく、1年目の巡拝の時に、この奥さんを転ばせてやればよかったのに」と。この言葉を冗談で言われたは承知の上で「普通ならこんな身体(腰痛)で、四国巡拝(健全者でも大変)なんてしないよね。それも、続けて10年なんて。途中(数年目)で巡拝を断念していたら、この10年目のご縁(転んで腰痛改善)には、出逢えてないですよね。お大師さんの加護というよりも、只々、御礼報謝と先祖の供養で巡拝を続けていたご夫婦が『10年先に待ってくれていたご縁にたどり着いた(継続は力なり)』というが、正しい言い方かもしれませんね。読者の皆さんも『こんなご縁だったのかな』という経験は、何かしらあるんじゃないですか。



下記で過去の法話を読む事が出来ます。


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【追伸】尚「法話が長い」と不快感を示されておられる方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』をさせてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦くださいませ。


次回の投稿法話は、2月20日になります。投稿写真の様な巡礼者、結構お見かけします。四国巡礼は自分を見つめ直すに、最適な場所だと思います。