1937年の南京での日本軍の行為に対して【虐殺】という【用語】を使うのは【不適切】である

2019年07月05日 21時00分05秒 | 1937年 南京攻略...

1937年の南京での日本軍の行為をして【虐殺】という用語が使われるが、例えば、【南京大虐殺】【南京虐殺】【南京事件での虐殺】などである。それは果たして【歴史】としての【事実】を表すのに使用することが【正しい用語】と言えるであろうか。



【結 論】

【虐殺】という【用語】は、【惨い・酷い】を付加した【抽象的・中傷的・誇張的用語】であって、日本軍のケースの実際の状況を説明するには【不適切な用語】には変わりはない。
なぜなら、日本軍の行為が【拷問を伴うような殺害方法】であることが、問題になっている訳では無く、当時の日本軍の行為として【大量殺害、掠奪、強姦、放火】などを国際社会つまり戦勝国側は極東国際軍事裁判所で【南京暴虐事件】として違法行為を行ったとして松石根大将・広田外相・武藤参謀を被告人として裁いた。(*1)
全体的な用語としては【アトロシティ(atrocity)(*2)】で【暴虐、非道、残虐、残虐行為、凶行、ひどいもの、悪趣味なもの】(*3)、単純にこれを【虐殺】と訳すには範囲が広すぎて適当ではない。この用語は、国際法用語でもあり①ジェノサイド、②戦争犯罪、③人道に対する罪の3つの法的に定義された国際犯罪で、破壊・掠奪等も含む行為であり、その内の【殺害】に関するのは、①の集団の構成員の殺害(killing members of the group)、②の故意の殺人(wilful killing)、③の殺人(murder)、大量殺人(extermination)だからである。(*4)

【虐殺】という【用語】は、日本軍の【歴史】としての【行為】を表すのに使用することが【正しい用語】ではなく、政治的・個人的意図であり科学的歴史検証を述べる際には【使うべきではない用語】である。



日本語版のwiki(*5)には、【虐殺】を次のように書いてある。

引用《
宗教、主義、主張、グループ、民族、政治、結社、また、村や国家、軍によって、ある目的や、主張の元に形成された2人以上の集団により行われ、1人以上の反抗できない状態におかれた非戦闘員一般の市民を殺人すること。

一般の報道では、手口の冷酷さや死体の惨殺の有無によらず、明らかに抵抗できない者が集団によって不法に殺された事件で虐殺と呼ばれることが多い。現代の報道の例の多くは、戦争的状況である勢力によって一般人犠牲者が出たとする事件を虐殺と呼ぶ事もある。チベット虐殺のように直接の殺害と別に圧政の強制政策によって多くの餓死犠牲が出た数字をまとめて虐殺数と語られていることもある。

国際的に一般人への大規模な事件で使われることが多く、国外の戦争について虐殺という表現だけで組織的で大規模な民衆殺人と解釈されることもある。このため、虐殺事件の内容に議論があるときにさらに大をつけて「大虐殺」と呼ぶ場合に、対立的混乱の一因になっている。
国際法では虐殺が規定されているが、時代に不変ではない。それは、基本的に意図を持ってある程度の人数を不法に殺すように命令されたものであり、個人的な犯罪の集合とは別である。
引用終わり赤色は当方強調の為付加)

目に付くのは、非戦闘員や不法というものである。
『大日本国語辞典 第1巻』(*6)には、【虐殺】 虐殺 むごたらしく殺すこと。残酷なる殺害。史記秦始皇紀「食戻無レ厭、虐殺不レ巳」とある。古くは【史記】に見られる用語である。
【虐殺】という【言葉】は、【虐】という【酷い、惨い】などの意味と【殺】を併せた、より酷い殺害という意味であり、殺害までへの過程なのか、殺害までの苦痛を与える方法か、殺害後の死体の凌辱か、殺害の動機なのかは明確に示されていない。
元々【殺害】自体が【惨い】行為には変わりなく、相手がどんなに極悪人であろうと無かろうとそれは変わりない。それは【惨く無い】というのならば、【惨い】自体が相対的な物であって、全・悪の価値観を持って対象を眺める用語となり、ひいては【虐】も方法・過程・動機を表す用語ではなくなり、使用した本人の《価値観》からくる印象での意味となってしまう。受け手によって印象が変わる【印象語】とも言えるような【用語】である。【具体性の無い】【主観的】な【用語】である。
つまり、有るテーマでこの用語を受けた人物は、発信者の意図とは別に【自分の価値観】でそれを判断してしまう恐れがある【用語】であることが判る。又、【刑事事件】としての被害者を酷く苦痛を与える方法での殺害や戦時を含む【拷問】などによる【致死】に対する用語として使われもしている。
これとは別の【意味】として、上述引用のwikiのように集団への殺害を表す事に使われる。ただし、【残酷・惨い】という【誇張された意味合い】は【付加されたまま】である。その認識は、マチマチで統一された見解があるわけでもなく、エッセンスとして【酷い】+【殺害】という【印象】ぐらいの共通認識ぐらいである。日本語としての具体的な【定義】があるわけではない。どちらの使用がメインかは判らないが、それぞれ使いたい人間の都合で決まるものと判断出来る。

英語だと、スラーファ(slaughter)、マサカー(massacre)、アトロシティ(atrocity)、マーダー(murder)、ブッチャー(butcher)、スレイ(slay)などがある。どれも語源や認識などが微妙に違う。【虐殺】ではないが、皆殺しという意味ではエクターミネーション(extermination)と言う言葉があり、【大量殺害】の意味が付いている。
スラーファとブッチャーは、同じ【人】の意味があり、マサカーも【場での】という意味合いがある。そしてどれも【故意】【明確な意図】がある場合を示している。マサカーには現代語の翻訳サイト(*7)の意味では【無差別に】【大量に】という意味が付加された【皆殺し】という意味合いを持つ殺害の意味となっている。ただ、どれ程が【大量】かという意味は付されて居らず、具体的な数値は存在して居らず飽くまで個人が抱く主観的な意味である。
こういった主観的な意味を削って明確に違法性・犯罪性を追求するという点では、法律用語が優れている。
国際法においてもこICTY(旧ユーゴ刑事裁判所/1993年)(*8)、ICC(国際刑事裁判所)(*9)でも、この用語が使われている。ただ、量的数値への明示はなく国際司法でも被害者数は733名の殺害が最小である。(*10)
南京事件に関しては【Rape of Nanking】や【Nanjing Massacre】などを目にすることが良くあり、前者はアトロシティという意味合いが強い比喩で、後者が【大規模殺害】をあらわしている。どちらも実態ではないレトリックである。
国連などではどういう表現が使われているかは、2005年国連世界サミット成果文書138項にアトロシティの規定があり、英語版の【Mass atrocity crimes】のテキストがある。それには、ジェノサイド、戦争犯罪、人道に対する罪の3つの法的に定義された国際犯罪とある。基本的に殺害だけではなく広い範囲を示している。参考までに『Framework of Analysis for ATROCITY CRIMES』(*11)にも掲載されている。
【マサカー(massacre)】に関しては、国際社会や国連では、過去東京裁判の米国の検察側の文書には見られるが、東京裁判文書でも国連でも、国際法でも何か定義されている感じではない。(詳細に調べられた訳ではないので有るかも知れない。ご存知の方が居られればご紹介下さい。)
1937年の南京での日本軍の行為に対して【虚偽の戦時宣伝】を行った民間人である国際安全委員会のメンバーの米国人のベイツが【マサカー、massacre】(*12)と表現しているが、実の所、彼らの報告においての【殺害者数】も、53名もしくは報告書には記載されていない者を併せても約100名位となって居り、警察関係者による現代のような【科学的現場検証とその後の検証】を経たものでは無いあくまでも彼らがそのように思ったという事例に過ぎない。つまり【意図的に】【誇張された表現】として【マサカー】が使われている。
1915年から【ハミディアンのマサカー】(*13)と呼ばれた【アルメニア人ジェノサイド】でも、紛争という戦いではなく、非戦闘員(一般人)に向けられたものであり、明らかに【民族浄化的】と言う意味で国際法での規定通りのジェノサイドを示している。当時は【ジェノサイド】という言葉が無く、【マサカー】は【ジェノサイド】を意味している。
1994年のルワンダや1999年のユーゴでのセルビア人とその他の民族間でも【ジェノサイド】の意味である。
前述の国連報告書の表紙裏の写真説明に【Santa Cruz Massacre】とあり、【massacre】が使われているが、これは1991年11月12日の旧インドネシア国の東ティモール(現在は東ティモール民主共和国)でインドネシア軍による【非武装】デモ隊への攻撃による殺害(東ティモール人による独自の調査結果で、死者273人)である。【デリのジェノサイド】とも呼ばれており、マサカーを使っているがこれも【ジェノサイド】に該当している。
マサカーも、どちらかと言うと【ジェノサイド】という意味合いでの【非戦闘員である一般人】に向けた【攻撃による殺害】を示している。
では、南京における日本軍の行動で、【ジェノサイド】が有るのかと言えば、【国民的、民族的、人種的又は宗教的集団の全部又は一部を,集団として,破壊することのを目的として犯される】(*14)に該当するような意図を持っての行動を取った結果の【史料】は見つからない。
国際法では、【故意】が重要であって【未必の故意(*15)】までによって行われたということが前提となる。分類には、次の4点で正確には6点、
  ①現実に認識(actual knowledge)、
  ②確実性を認識(knowledge of certainty)、
  ③蓋然性を認識(knouledge of probability)で中で
   (a)高い蓋然性を認識(high probability)
   (b)単なる蓋然性を認識(non-high probability)
  ④可能性を認識(knowledge of possibility)
で分類され、①②③が【意図的】に【行為】を行ったと言う事になる。(*16)


テーマの南京については、東京裁判での当時の中華民国の【主張】や現在の中華人民共和国側の【主張】、日本側の通州事件やその他事件での【主張】では、むしろ本来の【惨い・酷い】意味が強調されて、【惨い・拷問された殺され方をした】という【平時】における【刑事事件的性質】の【使用法】あり、現在の中華人民共和国側はそれを単に人数を拡大水増しし、【大規模である30万人】を付加したものと理解出来る。この点だけを考えてもその【主張】に使われている【用語】としての【虐殺】は誤りである。
これは南京攻略戦前後に関する双方陣営(肯定派・否定派)に言える事だが、『戦争プロパガンダ 10の法則』(アンヌ・モレリ著)(*17)のP.109に


引用《
言葉の選択は大きな意味を持つ。自国陣営について語るときは、領土の「解放」、「民族の移動」、「墓地」、「情報」という言葉を用いるが、相手の陣営については、同じ事象が「占拠」、「民族浄化」または「大量虐殺」、「死体置き場」、「プロパガンダ」という言葉に置き換えられる。

とある。言葉の選択は、その人物の政治的意図か科学的歴史の情報かに別れてしまうため、【虐殺】などという【用語】は使う場合はほぼ政治的意図であり科学的歴史検証を述べる際には使うべきではない。

以上 



《参考文献・参考史料》


(*1) 冨士信夫著『「南京大虐殺」はこうして作られた』展転社(1995年5月)
(*2) 【Atrocity】 (https://en.wikipedia.org/wiki/Mass_atrocity_crimes)
Atrocity crimes refer to the three legally defined international crimes of genocide, war crimes, and crimes against humanity.[1] In 2017 the International Criminal Court (ICC) will be deciding upon whether or not to include crimes of aggression within their jurisdiction; effectively adding a fourth atrocity crime.[2][needs update] These crimes are defined in the 1948 Convention on the Prevention and Punishment of the Crime of Genocide,[3] the 1949 Geneva Conventions and their 1977 Additional Protocols, and the 1998 Rome Statute of the International Criminal Court.
「残虐行為犯罪」とは、ジェノサイド、戦争犯罪、人道に対する罪の3つの法的に定義された国際犯罪を指す。(1) 2017年、国際刑事裁判所(ICC)は、管轄権内に侵略犯罪を含めるか否かを決定する。;第4の凶悪犯罪を加えることになります。[2] [更新が必要]これらの犯罪は、1948年のジェノサイド犯罪の防止及び処罰に関する条約、 [3] 1949年のジュネーブ諸条約とそれらの1977の追加議定書、1998年の国際刑事裁判所設置規程で定義されている。
(*3) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%90%E6%AE%BA
(*5) 多谷千香子著『戦争犯罪と法』(2006年12月5日)岩波書店 P.165
(*6) 大日本国語辞典. 第1巻あ〜き 上田万年、松井簡治著 金港堂書籍 大正4年
(*7) マサカーの現代語の日本語訳
(*8) 旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷
(*9) 国際刑事裁判所
(*10) 多谷千香子著『戦争犯罪と法』(2006年12月5日)岩波書店 P.83
(*11) 【Framework of Analysis for ATROCITY CRIMES】(残虐犯罪のための分析の枠組み)
(*12) Zhang Kaiyuan『Eyewitnesses to Massacre: American Missionaries Bear Witness to Japanese Atrocities in Nanjing』
(*12)【Massacre】wiki
《語源》
現代の大虐殺の定義である「無差別殺戮、殺戮」と、それに続くこの形式の動詞は、16世紀後半のミドル・フレンチに由来し、「マカク、マカク」を意味するミドル・フレンチ「場、場」から発展した。他の起源は疑わしいが、ラテン語macellum「食料品店、肉屋」に関連している可能性がある。
中フランス語の「肉屋、殺戮」という言葉は11世紀後半に初めて記録された。その主な用途は、18世紀に入っても家畜の(シカの頭を指す狩猟用語で)との関連であった。人々の大量殺人の不気味な「肉屋」の使用は、12世紀に始まり、人々が「動物のようにされる」ことを意味している。この用語は必ずしも多数の犠牲者を意味するわけではない。例えば、Dialogue des Morts(1712)のFénelonは、ギーズ公ヘンリー1世(1588)暗殺のロリド・ブロイス大虐殺(「[シャトー]ブロイでの恐ろしい大虐殺」)を使用しており、サティレス11世(1698)のBoileauは、欧州宗教戦争のL'Europe fut un champ de Massacre et d'reur「ヨーロッパは虐殺と恐怖の地であった」を使用している。
フランス語の単語は1580年代に英語に貸与されました。具体的には「多数の無差別殺戮」という意味です。Christopher MarlowによるThe Massacre at ParisでのSt.Bartholomew's Day大虐殺に関連して使用されている。この用語は1695年に1281年のシチリアのヴェスパーズに使われた。はヨハネス・スリーダヌス(1556)が書いた書物De quattuor monarchisの英語訳で「シチリア島での有名なフランス人虐殺は」と呼ばれている。シチリア紀のGallorum clades per Siciliamを翻訳したもので、ここでは虐殺をラテン語クレードの翻訳として使っている「ハンマリング、破断;破壊」。歴史学におけるこの用語の使用は、ギボンの(1781〜1789年)によって広まった。彼は、1182年のコンスタンティノープルでのローマカトリック教徒の殺害について、「ラテン系の虐殺」を使用した。
《定義》
詳細情報:massacresという名前のイベントのリスト
The term massacre, being a synonym of "butchery, carnage", is by nature hyperbolic or subjective, primarily used in partisan descriptions of events. There is no neutral definition of what constitutes a "massacre" although some authors using the term may lay down general "working definitions" of what they mean by the term.
虐殺という用語は、「肉屋、殺戮」の同義語であり、本質的に誇張的または主観的であり、主として出来事の一方的に偏った記述に用いられる。何が「虐殺」を構成するかについて中立的な定義はないが、この用語を使用している著者の中には、この用語の意味するところについて一般的な「作業定義」を定める者もいる。
The term massacre, being a synonym of "butchery, carnage", is by nature hyperbolic or subjective, primarily used in partisan descriptions of events. There is no neutral definition of what constitutes a "massacre" although some authors using the term may lay down general "working definitions" of what they mean by the term.
(*13) 【Massacre】wiki このように、ロバート・メルソン(1982)は、「ハミディアンのマサカー」の文脈で、「虐殺による」という「基本的な作業する為の定義」を使用しました。殺人が意図的であれば、虐殺の動機は合理的である必要はありません。大量の殺害は、誤った噂への対応、政治的な虐殺など、さまざまな理由で実行される可能性があります。刑事上または病理学上の集団殺害とは区別されるべきです。政治団体としてはもちろん国家とその機関だけでなく、非国家主体も含まれます。
Thus, Robert Melson (1982) in the context of the "Hamidian massacres" used a "basic working definition" of "by massacre we shall mean the intentional killing by political actors of a significant number of relatively defenseless people... the motives for massacre need not be rational in order for the killings to be intentional... Mass killings can be carried out for various reasons, including a response to false rumors... political massacre... should be distinguished from criminal or pathological mass killings... as political bodies we of course include the state and its agencies, but also nonstate actors..."[11]
同様に、レヴィーン(1999)は、無防備な犠牲者に対して圧倒的な力を行使する集団によって行われた殺害を指す用語として、歴史を通して「虐殺」という客観的な分類を試みている。彼は一部の大量処刑を例外とし、虐殺は道徳的に容認できない性質を持っていなければならないと要求している。[12]
(*14) 多谷千香子著『戦争犯罪と法』(2006年12月5日)岩波書店 P.166 4条 ジェノサイドの罪の2ジェノサイドとは,国民的,民族的,人種的又は宗教的集団の全部又は一部を,集団として,破壊することを目的として犯される次の行為をいう,(a)集団の構成員の殺害、(b)集団の構成員に対する肉体的又は精神的な重傷害,(c)集団に対して,その全部又は一部に身体的破壊をもたらす生活条件を,意図的に課すこと,(d)集団内の出生を防止するための措置を課すこと,(e)集団の子供を他の集団に強制的に移送すること
(*15) 未必の故意 (https://www.bengo4.com/c_1009/c_1208/b_591197/)
(*16) 多谷千香子著『戦争犯罪と法』(2006年12月5日)岩波書店 P.98【7節 戦争犯罪に必要な故意は,どのようなものか】の表。
(*17) 『戦争プロパガンダ 10の法則』 アンヌ・モレリ著(Anne Morelli)/永田 千奈翻訳  草思社(2002年3月) P.109


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