1937年 NYTダーティン記者等メディア向け渡されたベイツメモ

2017年12月07日 22時32分11秒 | 1937年 南京攻略...

 『Eyewitnesses to Massacre』という南京安全委員会とその関係者が書いた書簡や抗議文書の内、マイナー・シール・ベイツ(Miner Searle Bates)が書いたベイツメモと言われるものを訳してみました。誤訳もあると思いますが、それは原文を見てご自分でご判断ください。

尚、このベイツメモの内容ですが、いろいろと書かれていますが、ベイツのメディア向けの想像の産物と考えられます。何故なら【many cases are plainly witnessed by foreigners and by reputable Chinese.】と書かれた、外国人達は、該当者が存在しません。唯一、フィッチという人物が【Any person who ran in fear or excitement, ...  was likely to be killed on the spot.】に該当する日記を残しておりますが、同行していたラーベ、スマイス等の同時期の記録もなく、【南京安全区当案】に纏められた、安全区委員会の日本軍や領事官への陳述・抗議、他の欧米領事官への陳述書の中にも見られることが無く、事実ではないことが判明しております。これについては松村俊夫氏論文を読んで頂くことをお薦めします。多くの民間人とありますが、支那軍の正規兵が軍服を脱ぎ捨て、民間人着用をしていおります。道路における遺体に関しても下関へ向かう道路で支那軍同士の同士討ちなどが発生しており、場所が不明ではそれが日本軍による戦闘によるものかどうか判りません。そして、これを書いたベイツですが、後の東京裁判での証言でも自身が目撃した】とは主張しておりません。その辺をご理解の上お読みください。

Eyewitnesses to Massacre: American Missionaries Bear Witness to Japanese Atrocities in Nanjing


Miner Searle Bates

At Naking the Japanese Army has lost much of its reputaiton, and has thrown away a remarkable opportunity to gain the respect of the Chinese inhabitanats and foreign opinion.
南京で日本軍はその評判の多くを落とし、そして中国人住民の尊敬と外国人の注目されるようなせっかくの機会までも投げ捨てた。
The disgraceful collapse of Chinese authority and the break-up of the Chinese armies in this region left vast nmbers of persons ready to respond to the order and organization of which Japan boasts.
この市内一帯での中国当局の不名誉な崩壊と中国軍の解体で、膨大な数の人々が、日本が誇りとする秩序と体制に応じる状況に置かれた。
Many local people freely expressed their relief when the entry of Japanese troops apparently brought an end to the strains of war conditions and the immediate perils of bombardment.
日本軍の入城と共に戦争状態による緊張感と砲撃の直撃による危険の終わりを意味していたので、多くの地域住民はホットして安堵の表情を浮かべた。
At least they were rid of their fears of disorderly Chinese troops, who indeed passed out without doing severe damage to most parts of the city.
少なくとも、乱暴な中国軍への恐怖はなくなった。大部分の市街に苛烈なダメージを与えることが無なかったのは確かである。
But in two days the whole outlook has been ruined by frequment murder, wholesale and semi-regular looting and uncontrolled disturbance of private homes including offenses against the security of women.
しかし、2日間(13,14日)に於いてその全体的予想は、度重なる殺人、大規模な半恒常的な略奪や無秩序な騒乱、民家での女性への犯罪を含め、台無しになってしまった。
Foreigner who have traveled over the city report many civilians' bodies lying in the streets.
街を行く外国人は道路に横たわっている多くの民間人の死体を報告している。
In the central portion of Nanking they were counted yesterday as about one to the city block.
南京の中央部では、昨日数えられた遺体は街の区画に約1体づつあった。
A considerable percentage of the dead civilians were the victims of shooting or bayoneting in the afternoon and evening of the 13th, which was the time of Japanese entry into the city.
13日の午後と晩の民間人の死者の割合の相当数は銃撃と銃剣による刺殺であったが、そのどれもが日本人が市内に入ってから行われたものであった。
Any person who ran in fear or excitement, and any one who was caught in streets or alleys after dusk by roving partrols was likely to be killed on the spot.
恐れと動揺から走り出したもの皆、そして暗くなった道路や路地で見つかった物は誰もが、歩き回る警らにその場で殺される恐れがあった。
Most of this severity was beyond even theoretical excuse.
このひどさと言ったら弁解の余地はない。
It proceeded in the Saftey Zone as well as elsewhere, and many cases are plainly witnessed by foreigners and by reputable Chinese.
それは他の場所で更に進むにつれて安全地帯でも行われた、多くのケースに於いて外国人と世間に信用のある中国人によってまざまざと目撃された。
Some bayonet wounds were barbarously cruel.
それら銃剣によって傷つけられた傷は残忍で惨たらしいものであった。
Squads of men picked out by Japanese troops as former Chinese soldeiers have been tied together and shot.
日本軍の分隊の男たちは、先に書いた瓦解した支那軍人達を摘出し、拘束し、そして銃殺した。
These soldiers had discarded their arms, and in some cases their military clothing.
それらの支那兵士は、彼らの武器を捨てていた、また何人かは軍服も着てないものも者もいた。
Thus far we have found no trace of prisoners in Japanese hands other than such squads actually or apparently on the way to execution, save for men picked up anywhere to serve as temporary carries of loot and equipment.
ここまで我々は日本軍に委ねられた捕虜の行く末や外にはこのような実に明白に死刑執行へ向かう途中の分隊を見失った。一時的に戦利品と装備を運ぶための男を除いて。
From one building in the refugee zone, four hundred men were selected by the local police under compulsion form Japanese soldiers, and were marched off tied in batches of fifty between lines of riflemen and machinegunners.
避難所の一つの建物から400名の男が日本軍からの強制の元に地元警察によって選別されました。そして50人の縛られた一群等は一列に並んだライフル銃やマシンガンを構える兵の前に引き立てられた。
The explanation given to observers left no doubt as to their fate.
居合わせた人間に与えられる説明は、彼ら(引き立てられた人々)の運命は疑問の余地がない。
On the main streets the petty looting of the Chinese soldiers, mostly of food shops and of unprotected windows, was turned into systematic destruction of shop-font after shop-front under the eyes of officers of rank.
主要道路で、中国兵による僅かな略奪のあった大部分の食料品店や無防備な窓で、店という店が上級将校の監視の下に組織的な破壊へ逆戻りとなった。
Japanese soldiers require private carries to help them struggle along under great loads.
助っ人の運搬人が必要なほど個々の日本兵はとても重い荷を背負って苦闘している。
Foods was apparently in first demand, but everything else useful or valuable had its turn.
最初は明らかに食べ物に対してであったが、その他の何でも役立つ物や高価な物になっていった。
Thousands upon thousands of private houses all through the city, occupied and unoccupied, large and small, Chinese and forign, have been impartially plundered.
街中の何千という民家全て、居住と非居住、大きい小さい、支那人外国人、等しく略奪された。
Peculiarly disgraceful cases of robbery by soldiers include the following: scores of refugees in camps and shelters had money and valuables removed from their slight possessions during mass searches; the staff of the University Hospital were stripped of cash and watches from their persons, and of other possessions form nurses' dormitory (their buildings are American, and like a number of others that were plundered, were flying foreign flags and carrying official proclamations form their respective Embassies); the seizure of motor cars and other property after tearing down the flags upon them.
特に恥ずべき兵士達の強奪は、次に述べる事柄を含んでいる;それは僅かな占領の探索中に避難民のキャンプや避難民の大半からお金や貴重品を奪い取った。大学病院のスタッフである彼らのような人からもお金や時計をはぎ取った。そして看護婦寮でも。(それらはアメリカの建物であり、その他奪われたもののは、各国のはためいている旗や、彼らの各国大使館からの公式文書が運び出されていた。);彼らによって旗は引きずり下ろされた後、自動車や建物は没収された。
Tere are reported many cases of rape and insult to women, which we have not yet had time to investigate.
多くの女性に対するレイプや侮辱的な行為が報告されましたが、それらを調査する時間がまだありませんでした。
But cases like the following are sufficient to show the situation.
しかし、以下のようなケースでは、十分にその状況を示してます。
From a house close to one of our foreign friends, four girls were yesterday abducted by soldiers.
我々外国人の友人の近くの家から、昨日四人の少女が兵士によって誘拐された。
Foreigners saw in the quarters of a newly arrived officer, in a part of the city practically deserted by ordinary people, eight young women.
外国人達は実際のところ普通の人々にほとんど捨てられた街の一角で八人の若い女性と最近やってきた将校と宿舎の中に居るのを見た。
Under these conditions the terror is indescribabale, and lectures by suave officers on the "sole purpose of making war on the oppressive Chinese Government for sake of the Chinese people, " leave an impression that nauseates.
その様な状況下での恐怖は口では言い表せない程である。そして"支那の人々の為に圧制的な支那政府と闘うことが唯一の目的 "であるという丁寧な将校の説明は吐き気を催す効果を残している。
Surely this horrible exhibition in Nanking does not represent the best achievement of Japanese Empire, and there must be responsible Japanese statesmen, military and civilian, who for their own national interests will promptly and adequately remedy the harm that these days have done to Japanese standing in China.
よもや、南京でのこの身の毛のよだつ行為が天皇の素晴らしい業績を表すものではないが、それらは日本の政治家、軍人、役人には重い責任があるはずで、誰の為なのか、彼ら自身の国民的関心はその数日において支那で日本人が行った損害を即座に十分に救済しようとするだろう。
There are individual soldiers and officers who conduct themselves as gentlmen worthy of their profession and worthy of their Empire.
彼らの職務にふさわしく、皇軍にふさわしい紳士としての彼ら自身の品性のある行為をした兵士や将校達も中には居る。
But the total action has been a sad blow.
しかし、全体的には悲しいことに吹き飛んだと言わざるを得無い。


ティンパーリー『外国人の見た日本軍の暴行』─実録・南京大虐殺─ 第九章 結論

2017年12月07日 22時15分51秒 | 1937年 南京攻略...

『外国人の見た日本軍の暴行』─実録・南京大虐殺─
ティンバーリ著 訳者不祥(日本語)
昭和57年11月25日 発行
評伝社刊 緒方隆司発行者

P.154 第九章 結論
全数章で作者は目撃者が提供した直接の叙述が本書の主体を構成している。作者はこの材料と過去二十年間極東における個人的経験とに基づいて、この最後に南京占領の種々の暴行については世界の新聞紙はいずれも明白な立場から記載している。ただ姦淫、掠奪、惨虐、野蛮な種々の暴行報告が最も信ずべき筋のものであるかどうかは目撃者の直接の叙述を得、それに「ソース」の確実な写真と正式の文書とを加えて証拠とするのであって、これは一般の人々にとり提出してもらいたい問題なのである。
本書と本文とその附録は種々暴行の材料と証拠を網羅しているから、本書出版後にはあらゆる懐疑は皆一掃されるであろう。
しかし、本書に掲げた幾多の材料と証拠は、単に日本軍侵華暴行を代表する横断面にすぎないのである。紙篇の関係上、幾多貴重な材料を作者は割愛せざるをえなかった。従って読者は、本書内に収集された材料の範囲は僅かに若干の割合大きな都市と中立の外国人がその他を遊歴したものとに限られていることを記憶されたい。占領された全農村区城内でも同様の状態が勃発し、直接影響を受けつつあるものは全人口の百分の八十以上を含む農民であるが、その有様は「筆紙にのべ尽し難い」のである。その他日本軍がいかにして組織的計画的な行動をもって中国の工業を破壊し、文化機関や医院を破嶊し、一般産業(貧陋の裏長屋から華麗な「ビル」に至るまで)を焼却したか、その種々の暴行については本書はほんの少ししか触れていない。しかもこうした大部分のものは、占領された後に発生した状況なのである。
日本当局はただそうした報告が実際以上に言い過ぎているとうつろな表示しかしてないし、日本軍の南京および各地においてなされた暴行についてもまだ厳格には否認していない。良心的な日本人は極秘な機会で、それらの報告の真実性を認め深く慚愧を覚えたのである。日本官憲は以下に述べる二つの理由で自己弁護をしているようもののようである。第一に、こうしたことは単独な偶然の事件である。第二に、他の戦争中でも同様の事態が発生したというのである。日本側の上海で発刊している宣伝冊子「中日戦争の実体」でこう述べている。『たとえ日本軍に若干の暴行が確かにあったと認めるとし、また日本軍と外国居留民との間に確かに某種偶然的事件が発生したことを認めるとしても、この種暴行と偶発的な事件に関係あった士兵と中国で作戦している全日本軍とを比較するならば僅かに百分の〇・一、あるいは百分の〇・五、多くとも百分の一を占むるに過ぎない。もし百分の一の最高比率を認めるとしても日本軍の多数なののから見れば、これを大規模な不良行為とは真底言えないのではないか?どんな公正な人もこれを否定回答をあたえるであろう。』
この一種の強弁は嘘をつく人に酷似している。「これは一回だけの嘘に過ぎない」との理由で自己を粉飾するものである。根拠ある確かな報告の多いところから見て、暴行を働いた日本兵と日本の在華軍隊総数との比率は遙かに百分の一以上を占めており、少なくとも四千人から五千人の間と断定することが出来る。かりに英国あるいは米国の軍事当局がその部下から前章で述べたような四、五千名の乱行、放火、姦淫、掠奪が発覚するならば必ずや大いに不安に襲われたであろうし、またかりに彼等が幾多暴行の発生が軍官の指揮監督を受けていることが解ったならば、この不安の心理は必ずや更に増大するであろう。
もし前数章で述べた日本軍の普遍的な暴行をもって単に例外を代表するもので常規を代表するものでないとするならば、戦争の恐怖と軍隊が惨虐性となることについて熟視せず愚者や聾を装うもので、これは正義と道徳の根本存在を否認するに等しい。もし暴行を例外とするならば、また暴行が常規であるとするならば、事態の再演を阻止するよう我々は更に方法を講じなければならぬ。我々が目下必要なことは法律、道徳に対し、絶対に忠誠を表示することで、いかなる条件も付帯しない。そうでないと忠誠も忠誠とはならなくなるのである。
「陳腐な話」に籍口して日本側に代わり寃をすすがんとし、すべて戦争は恐るべき結果を生まないわけにはゆかないと発表しようと考えているものがある。しかし、彼らは日本の在華行動がまだ正式の戦争として認められていないことと、また受難者の主なるものは非戦闘員たる市民であることを忘れているものののようである。
日本軍の中国で犯した種々の暴行は、結局勝利の高潮中に士兵が状態を失ってなされたのであろうか? または日本軍当局の採った計画的な恐怖政策を代表するものであろうか?
若干の読者には、このような疑問が起こるかも知れない。事実によって推断すると、後者の方がより信ぜられるのである。
士兵の常態を失した暴行は、一都市を占領した際、あるいは困憊した戦争が終結に近づいた時に往々起こるもので、こうした暴行は寛恕し難いけれども、その状況は明瞭にし難いものである。しかし、日本軍の暴行は試みに南京を例とすれば三ヶ月間継続され、作者が四月中国を去る時まで完全には終止していなかったのである。
そこで我々の推断によれば、一部の日本軍が統制を失ったというのではなく、日本最高軍事当局は恐怖手段をもって中国民衆を恐懼屈服せしむる目的を達するよう希望していたと見られるのである。先の論が正しいかあるいは後者の結論が正しいかは論外で、この二つの結論は同じように人に苦痛を感ぜしむるもので、その他に第三の結論は見出しえない。日本軍はいかなる国家を侵略するにせよ、同様の手段を採ることは明らかで、この点についても疑いを抱く理由は見出せないようである。
この一時代は日本の覚醒時代であり、一方では西洋文明を受けて行動に発展し、一方面ではその固有の古い文化に自惚れていると一般に認められている。しかし禍根はこの種の仮定の中に含蓄されており、目下の極東は底知れぬ禍を受けつつあるのだ。
米国前国務長官スチムソン(Henry Stimson)は「極東の危機」(The far eastern crisis)の中で言っている。(注1:当方補)『米国政府の見るところでは、日本は一つの良き友であり、強大にして敏感な隣邦である。彼は短い数十年の間に軍閥専政の封建的島国から一訳して工業化された現代国家となった。若干の深謀遠慮な老成重厚な政治家の指導の下に、彼は驚くべき速度をもって西洋文明の要素を吸収融化し、勤勉で聡明な人民は、実際技術方面で工業方面で、また商業方面で偉大な進歩を獲得した。工業方面の発展は漸次政治社会思想上の自由主義的傾向を孕んで育成され、日本の憲法は議会政治の特点を採り入れ、人民は暫時参政権を獲得した。』
これは米国政府の日本に対する見方であるばかりでなく、西方各国政府と人民の日本に対する見方でもある。すなわち多くの中国人もこのような見方をしている。しかし、これは完全に事実の表面的観察に基づく誤った仮定であった、この一種の誤った仮定が極東政治の一般概念を形造っている。そこでスチムソンは、その書で更に語をついて述べている。『産業革命は日本の経済社会の条件を迅速せしめ、同時に西方民主主義の思想もこれに伴って入ってきた。しかし、こうした条件と思想は僅かに局部的に日本軍国主義元来の優点と弱点とを修正しただけである。日本の政府は現在以前として当方固有のものと西洋輸入のものと両勢力を反映しており、この両勢力はまだ完全に融合一致出来ず、相互に指導的地位を争奪している。』
スチムソンの言う工業化せる現代国家とは、実体を一口で言えば、日本封建軍閥政治の工具に過ぎないのである。日本の一般人民は農民たるとあるいは職工たるとを問わず、自分の幸福に対しては依然として権利ははなはだ少なく過去とほとんど同様である。日本は軍閥と財閥の連合統治を受けつつあり、議会には少しも力なく、人民には人民の権利も自由もなく、言論あるいは出版の自由もなく憲法は天皇に至上無限の大権を付与しており、もし憲法に修正を加えようと考えるものがあれば大逆不道とされるのである。一九三七年十二月と一九三八年二月中に自由主義の学者、教授、作家および新聞記者数百名、それに左翼代議士二名は「反戦言論を撒き散らした」ために前後して捕縛、入獄された。
日本の統治階級は社会内部の不安を解消する為に侵略戦争を進めた。ただ中国を征服すれば日本は繁栄するという荒唐無稽な言葉を信じさえすれば、日本の封建的地主・軍閥グループは農村の改革を引き延ばし、またその経済上、政治上の権力を保全しうるのである。侵略戦争が資本家の支持さえあれば、日本の統治階級も目的の上では一致点に達することが出来るのである。しかし、もし侵略戦争の前途が危険であり、利の図るべきものなく、またもし英米両国が経済上日本を圧迫したならば軍閥と財閥との協力は勢い必ず決裂するであろう。かくて日本国民に対し、自由を争取し、戦争を阻止する機会を与えることとなるであろう。この第一次侵略戦争中で、日本人民は実際損をして益するところはなかった。彼らはあるいは死に、あるいは傷つき、彼らの家族は物価高騰し、就業時間は延長され、生活は恐慌をきたしたために極度の苦痛を受けている。将兵は単独で親友と会うことを許されず、自由に談話を発表することも許されなかった。峻厳な統制検査によって日本人民は、中国の抵抗がすこぶる強靱な力を持っていることも知らず、この第一次戦争の終結が無期限であることも知らないのである。日本政府は真相が一旦漏洩し、人民の士気がこれに伴って低落するのを深く恐れているのである。
日本の金融資本家と産業資本家は、英米両国に対する信頼性を自身でよく了解している。もし英米両国が対日牽制を実行し資本家の利潤を削減し、また日本が軍需品や原材料を購入出来ないようにするならば、全体的経済政策を採らざるをえなくなり、彼らは侵略戦争の停止の叫びを起こすであろう。日本産業界の巨頭は決して力量がないわけではない。彼らは有利な害のない条件の下でのみ侵略戦争を擁護するのである。
中国に発生した、また発生しつつある事態は全世界の人々にとって、集団安全主義者たると孤立主義者たるとを問わず、すべて密接な関係を持っている。作者は中国目下の苦難な過程において、南京の中外紳士・淑女の高尚な行為と国際正義を擁護する人士に対し、有力な激励と加護を与えられんことを熱望する。人類が絶大な危険を冒し、中国が目下遭遇している名状すべからざる恐怖、苦難を将来再び演ぜしめない限り、全世界の人士は勇敢に抗戦する中国に対し拱手傍観、無関心であってはならないことである。
英国の統治グループは恐怖審理を抱き力もよく出ない声で「我々にいかなる方策ありや」と叫んでいる。方法はある。目下切実な具体的順序としては、我々は火器あるいは金銭をもって中国を援助するという諾言を実践することである。しかし、我々の行動はこの主の援助をもって満足すべきではない。我々は永久的な集団安全制度を樹立し、和平を愛好する国家を保護し、侵略を受けないようにすべきで、かくてこそ初めて休戚を共にする理義に精通してこそ初めて戦争の暗影を消滅せしむることが出来るのである。

(注1)『極東の危機』スチムソン 著[他] 中央公論社刊 1936年 P.11/10行目
国立国会図書館デジタルコレクション(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1878492)