:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ デオ・グラチアス

2022-11-28 00:20:30 | ★ ホイヴェルス著 =時間の流れに=

~~~~~~~~~~~~

デオ・グラチアス

神に感謝したてまつる!

ホイヴェルス著 =時間の流れに=

~~~~~~~~~~~~

 

デオ・グラチアス

 武蔵野の秋の夕方、私は新しく耕されたばかりの麦畑の間を、向うにそびえる黒い森のほうへと歩いていました。満月が森の上にかかって、それは北ドイツの詩人マチアス・クラウディウスの歌ったような景色です。

           Der Mond ist aufgegangen,

           die goldnen Sternlein prangen

           am Himmel hell und klar.

     Der Wald steht schwarz und schweiget,

          und aus den Wiesen steiget

          der weisse Nebel wunderbar.

        「月のぼりたり、金の星きらびやかに輝く、空にさやかに清らかに。

          森くろぐろと黙して立ち、まきばより立ちのぼる白き霧は妙なるかな」

 私は黒い森に向かって、デオ・グラチアスというラテン語の言葉をいってみます。なぜなら、カルメル修道院からの帰り道ですし、このデオ・グラチアスはこの修道院で学んだのですから。それを今、私はけいこしているのです。カルメルで誦えるように。

 申すまでもなく、幼い頃からたびたびデオ・グラチアスを聞き、私もまたそれをときどき誦えることもありますが、カルメルでは、全く別のもののように響きます。そこでは、デオ・グラチアスを誦える人の姿を見ることはできません。格子と幕を通して、何かあの世から聞こえるように、このデオ・グラチアスは会話の終わりに誦えるのです。さようならというかわりに、デオ・グラチアスと……。それもまた一切の問題の解決として誦えます。嬉しいことも、悲しいことも、デオ・グラチアスを誦えて快く受けとるのです。

 カルメルでは世の中の騒ぎや心配から離れて静かに暮していますが、全く心配がないのでもありません。それも普通の人びとの心配とは違います。カルメルにはただ一つの心配しかありません。それは「必要なことはただ一つのみ」ということについて。すなわち神のみ心に適うということだけなのです。カルメルでは皆様は本当の神のために十分につくしたかどうかと不安をお感じになります。この不安は、人間の心に一番必要な最も美しい不安ですから、皆様はもう無理に心配なさらなくてもいい、と申し上げたとき、皆様の心からみごとなデオ・グラチアス、神に感謝したてまつるという言葉が、武蔵野の麦畑の上に立ちのぼる雲雀の歌のように快く聞こえました。

 世の中には、このような清らかなデオ・グラチアスが人間の心から天に昇るのですから、神は人類のあらゆるわがままも罪悪も、少しは忍び給うのでしょう。

 このような清らかな心を作るのに、カルメルの面会室のあの嫌な格子と、その二百以上もある鉄の刺が必要であるなら――よし、私はもう反対はしません。カルメルの塀が、灰色の監獄のそれのように高いとしても、私はもう気にせず黙っていましょう。

 そしてまた、壁と格子と幕で、祭壇にさえ隔てを作っていても、皆様のデオ・グラチアスを聞きましたから私は我慢しましょう。神はこのデオ・グラチアスでみ心を和らげられ、ゆるして下さるに違いないのですから。

 カルメルのデオ・グラチアスを聞かない人は、この報告を聞いても、それを感じ味わうことはできますまい。このデオ・グラチアスがどんなに美しく神秘に響くか、カルメルの皆様がお気づきにならないようにと望みます。もし、おわかりになったら、遠慮深く、反省的になってしまい、あの純粋な響きは失われてしまいましょう。それはいけません。デオ・グラチアスは、いつでも今のように清く響かなければならないのです。

 臨終の最後の瞬間まで……。一切の務めを果して、いよいよ神のみ前に出て、神へ最初のご挨拶としてデオ・グラチアスとおっしゃって下さい。デオ・グラチアス! 神が在すことは感謝すべきことです。皆様もこの世に生れ、この世界宇宙の果てしもなく大きな神のご計画の中に組み入れられたことは感謝すべきことであります。また、ようやく無事に神のみ心にまで達したことは誠に感謝すべきことです。そのときにこそ、皆様は最も優れてよいデオ・グラチアスをお誦えになるでしょう。

 カルメルのデオ・グラチアスを、人びとがあまり聞く機会のないのを大変残念に思います。でも、それはやむを得ないことでしょう。このデオ・グラチアスは使いにくい言葉です。私たち一般の人は神にすべてを感謝していても、なおまだ神に対して、自分の希望を通してみたいと思うのです。そして私たちは、神が私たちの希望をみたし給うたとき、初めて心からデオ・グラチアスと言います。しかしカルメルでは、神がご意志を通し給うときにでも、デオ・グラチアスを誦えます。苦しいことも、与えられるままに、冬の寒さも、夏の暑さも、こうして皆様には、もうたいした辛いことは残っていないようになってしまいました。すべては喜びに満たされていますから、落着いた喜び溢れる心の底から湧き上るこの「デオ・グラチアス!」はこの世の誰もまねることはできません。 

 カルメルの皆様、いつもこのデオ・グラチアスをお誦えなさい。これは、たまに人びとの前で会話の終わりにだけお誦えになるのではなく、毎日幾度もひそかに心の中でお誦えになることでしょう。天に在す御父のためのデオ・グラチアスですから。隠れた所を見給う御父、すべてのデオ・グラチアスに報い給う御父、皆様はお考えにもならないでしょうが、天に在す御父は皆様のデオ・グラチアスへの報いを考えられ、もう、どのような報いをもって驚かそうかと、お喜びになっていらっしゃいます。それは決して私たち人間の考えるような報いではありません。それは、花が根と茎と葉のあらゆる骨折りに対する報いであるように。そしてまた、雨や風の数々の努力と陽の光りの恵みに対する報いであるように。皆様の心は、神の喜びにおいて花となって咲きでるのです。お喜びなさい。天国での報いは、大変大きなものです――神に愛されること、神を愛し奉ること!

 そうです。そうなるに違いありません。この地球とその上に無数の人びとがいることはよいことです。そしてそこで知らずしらずのうちに、このデオ・グラチアスを学ばれたことは私たちのあらゆる希望にまさることです。 

 私も、デオ・グラチアスを口ずさみ、皆様をまねて試みながら、元気に、黒々と沈黙している森へ向かって歩いて行くのです。満月は静かに森の上から明るい光りを放っています。

 

付記

デオ・グラチアス 神に感謝し奉る なんと美しい言葉でしょう。ホイヴェルス師は、もちろんこのラテン語の神への感謝の言葉を、子供のころから何度も聞いて知っておられました。

しかし、師はそれがカルメル会のシスターたちの口を通して語られるのを聞いて、あらためてその言葉の深みを感じ取られたのでしょう。

キリスト教をよく知らない皆様のために、またカトリック信者の皆さんにも、カルメル会の修道院がどういうところかご説明いたしましょう。カトリック教会には古くから修道院というものがあります。神様への愛と人々への愛のために生涯独身で、祈りと労働の厳しい共同生活をします。貧しい人のために働いたり、医療や社会福祉活動や教育活動のために働く活動修道会もありますが、世間から身を隠し、生涯にわたって世間とのかかわりを断って、祈りと犠牲とささやかな自給自足の労働に生きる修道者たちもいます。後者のような生き方をする会を観想修道会と言います。女子のカルメル会もその一つです。

私が司祭職への召命に燃えて多感だった20歳代のころは、カルメル会の若い聖女「小さき花の聖テレジア」(「リジューの聖テレジア」とも呼ばれる)が有名で、その自叙伝などが盛んに読まれ、会は多くの若い志願者に恵まれれていたが、カトリック教会の信仰が世界的にある高揚感に浸った懐かしい時代を思い出させてくれます。

小さき花の聖テレジア

その修道院では、ホイヴェルス師のような老司祭がミサをささげるために訪れても、普段は鉄の格子と垂れ幕で隔てられ、声しか聞こえてきません。それほど外界と厳しく隔てられています。

私は日本で知り合ったスペイン人の若い娘が、故郷の観想修道会に入会して、修練期間を終えて初誓願を立てるとき、その誓願式に与るために彼女の修道院を訪れました。晴れの祝いの日だったので、垂れ幕はなかったものの、聖堂の一般信徒の席とシスターたちの席との間にやはり鉄の格子がありました。

式が進むにつれて、美しい声で歌い祈るシスターたちと世俗の世界にいる私たちとの関係が全く逆転してしまったかのように思えてきました。高い塀をめぐらし、鉄格子のなかに閉じ込められている彼女たちが、まるで天国の自由な広がりの中に生きていて、私たちがこの世のしがらみと生活の煩いの鉄格子で囲まれた窮屈な檻の中に閉じ込められているかのような錯覚に陥りました。

彼女たちは、清貧と従順と貞潔の誓いのもとに、厳しい修行をしているのに、その顔は自由と幸福感に明るく輝いているではありませんか。

キリストの花嫁として幸せに生き、世俗の汚れと悩みの中に動めいている私たちのために、日夜祈りと犠牲の生活に身をささげているのです。

ホイヴェルス師も彼女たちの デオ・グラチアス 神に感謝したてまつる の、歌うような声を後にして、四谷に帰る道々、武蔵野野ひばりの声に耳を傾けておられたのでしょう。

 

 

 

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38 コメント

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真一さんのこと(光よ) (新米信徒)
2024-02-23 11:22:14
谷口神父様 

もう一度だけ、上のコメントに引用いたしました書の「真一さん」のことを引用することをお許しください。

「『神父さまは患者の希望を受け入れたと言いたいのでしょう。けれどもわたしはどうなるのでしょうか。神父さまはわたしを鎖で縛って放さない。イエズスさまの名を借りて患者を自分の支配下に置こうとする。転院をしてもいいと口では言いながら、支配している』
 自分でなにを言っているか分かりませんでした。神父からくり返し教えられるイエズスさまは、神父と重なっています。神父を通してしかイエズスさまを知りません。衣食住ばかりでなく精神も丸抱えにされたわたしは、自分自身がどこにいるのか分からなくなりました。」cf. 葛藤 p. 160.

これは、真一さんが恋焦がれ、ともに病院から脱走した女性が、真一さんに何も言わずに(結婚することが許されている)国立療養所へ転院した後のことばです。

「 神父の病床は聖堂の奥の香部屋の二階です。わたしたちは聖堂に集まって神父の病床を仰ぎ、病気平癒のミサにあずかりたいと、誰言うともなく、聖堂に集まりました。・・・
 
 どうにかしてきれいなハーモニーを病床に響かせたい、全員の思いはそれだけでした。
 『やまいの床にも慰めあり、われらに代わりて血を流せる、
イエズスの苦しみ想い見れば、痛みはいつしか忘れけり。嘆きの中にも喜びがあり、み父は愛する子を鞭打ち、火をもて鍛うることを知れば、身を焼くばかりの苦をも忍ばん』。
 岩下神父がわたしたちの病苦を想って教えた歌を、今わたしたちは神父の病床へ贈りました。
  『われらに代わりて血を流せる、イエズスの苦しみ想い見れば、痛みはいつしか忘れけり』と、重症で喘いでいた栄一さんのベッドの傍らで、岩下神父が低い声で口ずさんでいたのです。そのときわたしは、その歌の意味が分かりませんでした。
同じ歌を心をこめて唱いながら、わたしはようやくその歌の意味を知ろうとしていました。」cf. 光よ pp. 226-227.
この歌は、「讃美歌 397 番」の第 1 節と第 3 節とほぼ同じです。手持ちの讃美歌には、「忘られけり」、とあり古語としては、忘るの未然形に助動詞の、る、の連用形が接続しているので、(神的)受動態の意味が強調されているようにも感じます。

岩下神父様の霊名である聖フランシスコ・ザベリオのお祝いの日(岩下神父様が帰天された日)に、
「わたしたちは聖堂にこもって唱い続けました。岩下神父から教えられたグレゴリア聖歌をラテン語で暗誦しました。わたしたちの歌声は静かに病室に響いていたそうです。」cf. 光よ p. 230.

光よ、の最後に近いところで、(大日本帝国の上層部は)
「しかし軍部が神と仰ぐ皇室の
手厚い庇護が、復生病院の患者の上にあることを知って、絶対に手出しはできませんでした。」 

その頃国立療養所がどのようになっていったかわたしは知りませんが、ナチスドイツの所業のことは少しは知っています。真一さんはそのことにふれ、
「皇室に不敬の思いを抱いたことが、恥ずかしくてたまりませんでした。」、と語っています。cf. 光よ pp. 242-243.

以前もそうでしたが、イエス様の十字架に向かっていくようです。真一さんの短歌に触れたいと思います。
返信する
タイトルの訂正について (新米信徒)
2024-02-19 22:35:47
谷口神父様 

先程、わたし(新米信徒)が投稿いたしましたコメントのタイトルは入力間違いです。正しいタイトルは、「岩下壮一神父様の信仰と真一さんのこと」です。すみませんでした。
返信する
[ (新米信徒)
2024-02-19 22:25:47
谷口神父様 

上に引用いたしました「重兼芳子 闇をてらす足おと」から、もう少しだけ(長い)引用をお許しください。

 「いつもは深夜に一度だけ見廻りに来る岩下神父が、弔いのあった夜は二度見廻りに来ます。・・・
 いつかの寒い冬の深夜、岩下神父がある室の前の廊下にひざまずき、頭を垂れたまま動かない姿を見た人がいます。その室の患者が自殺をしようとして事前に発見され、連れ戻されたのです。自殺をしようとした患者が落ちついて、そのおそれがなくなるまで、神父は毎夜ひそかにその室の前に来て、天主さまに祈っておられたそうです。」 cf. 転生 p. 63.

この書の題は、岩下神父様が深夜に見廻りに来るときの足おとのことも指しているように感じます。本では、岩下神父様が片足をひきずって歩くので、かた、ことっ、かた、ことっ、・・・(強弱、強弱)、のように表現されています。ホイヴェルス神父様の詩「司祭ー岩下壮一師の思い出に」のことが思い出されます。

真一さんと同室の栄一さんの身の上のことは、p. 50 から p. 52 にかけて紹介されています。

「 三か月ほど前から病室に入っていた室長の容態がよくないと知らせがありました。室長の栄一さんは爪先の潰瘍から菌が入り、手当の甲斐もなく片足を切断して松葉杖をついていました。頼りにしている丈夫な方の足すら踵の方から痺れて歩けなくなりました。そのうちに結核が再発して寝ついてしまったのです。・・・
 病室には三日あげずに見舞に行きました。『真ちゃん、短歌をつくってみたらどうですか。
こうして寝ていても空が見えます。あの空の変化や雲の様子をどう表現しようか苦心するのは、楽しいものですよ。生きていることが、しみじみとありがたくなります。与えられた時間が、あとどのくらいあるか分かりませんが、時間いっぱい楽しむことができるのですよ。真ちゃん、短歌をはじめなない。』
 と言いました。」 cf. 絶望 pp. 195-196.

本のあとがきからその冒頭を引用いたします。
「あとがき

 岩下神父のことを知ったのは、ふとしたきっかけからだった。昭和万葉集に四首ほど掲載されたハンセン病患者の歌人がいる、ということを聞き、神山復生病院へ取材に行ったのは四年前のことだ。」

最後に、次を引用します。
「カトリックの信仰 岩下壮一(神父様)ちくま学芸文庫 (2015)」の、第一章 天主、の、神の存在の認識と信仰、に、
「さて神の存在ということは、
信仰の対象にもなるし、また理性の推論の結果、到達し得る認識でもあり得る。換言すれば、神の存在の承認に理性の力で到達もできれば、また神の啓示によってこれを信ずることもできる。しかしながら、問十六の答にある通り、第一に知らなければならないのではなくて、信じなければならないのが神の存在である。信じなければならぬと書いてあって、知らなければならぬとは書いていない。第一に要求されることは信仰であって、知識ではない。・・・」 、とあります。cf. pp. 057-058.
この後に、「絶海の孤島の譬(たとえ)」が続きます。
返信する
岩下神父さまと神山復生病院 (新米信徒)
2024-02-09 22:15:07
谷口神父様 

返信をありがとうございます。

マカオに滞在しておられ、お忙しい中、また長文の引用をさせていただきます。

「重兼芳子 闇をてらす足おと 岩下壮一と神山復生病院物語 春秋社(1986)」 に出会いました。1982 年頃、神山復生病院でハンセン病の後遺症を養っていたある方(真一さん)が、岩下神父様のことを語ったことからこの書の執筆が始まったそうです。本文は、「暁闇」、「転生」、「葛藤」、「絶望」「光よ」からなります。

「葛藤」には、大変生々しいことがありますが、
「真一さん、大切な選択のときです。あなたは聖堂で黙想してください。ただじっと坐って重大な選択のときを静かに過ごすのです。あなたの人生ですから、あなた自身が選択するのですよ」(岩下神父さま) cf. p. 164.

「絶望」に、
「・・・、医者がわたしを手招きしました。聴診器を自分の耳
から外すとわたしの耳にいれたのです。なんのことか分かりませんでしたが、聴診器の中から、ごう、ごう、という音が伝わってきました。それは、まぎれもなく栄一さんの心臓の音でした。
 嵐が吹き荒ぶようなその音は、呼吸の音というより栄一さんの闘いの音のように聞こえました。・・・。
 わたしは息苦しくなって聴診器を耳から外し、神父に渡そうとしました。神父はそれを押し止めて、
『栄一さんの最後の呼吸なのですよ。しっかり聞いてあげなさい、しっかり聞いて忘れないように覚えておきなさい。』
 ・・・。
 隙間風もしずくも次第に音が小さくなり、最後のごうっという音が聞こえて、あとは静寂しかありませんでした。
 皆が顔を伏せて泣いています。それまで無言だった神父が、
『栄一さんのいのちを受け継ぐのは、あなたたちですよ。真一さん、最後の呼吸を聞いたでしょ。栄一さんは最後の一呼吸まで立派に生き抜きました。あの音は栄一さんのいのちの音なのです。覚えておいてあげるのですよ。真一さん、分かりましたか』
 と、いつになく大声で言いました。そのときわたしはようやく気がつきましたが、たとえ眼が見えなくなっても、手の指が欠けても、顔の形相が変わっても、いのちの音が絶えない限り、人間の尊厳を保ち続けなさいと教えようとしたのです。」 cf. pp. 200-201.

「『皆さんによく、よく申し上げます。御聖体は火に焼かれても爆弾が命中しても、痛くも痒くもないのですよ。もっとも最優先に大切にしていただきたいのは、病室に入室中の方です。今、病室には五人の方がいらっしゃいます。担架を備えましたから病人一人に四人の軽症者が付き添って建物の外に出ること。避難場所は今から申し上げます。』」 cf. p. 215.

「『建物が焼けても御聖体が焼けてもあきらめることはできますが、皆さんの中に一人でも不測の事態が起こったら、わたしは絶対にあきらめることができません。皆さんの命は聖霊の宿る命です。貴重なのです。先ず重症者、それから女子、障害者、軽症者、職員、の順です。これは避難の絶対的な順位です。分かりましたね』」 cf. pp. 215-216.

「『・・・。船医の手当を受けながらようやく神戸に着きました。船医は下船するとき、神戸で入院するようにと強く注意しました。けれども神父さまはどうしても復生病院へ帰る、自分が帰るところはあそこしかないと言われるのです。・・・、神父さまが這ってでも帰ると言われた皆さんのところへ、確かにお届けしましたよ』」(北支に同行した秘書の言葉) cf. 226.

岩下神父様がプロテスタント教会のことを「異端」と書かれたことを今のところ見たことがありません。また、自由意志を大変に大切にされていたことが伝わってきました。信仰の世界は一歩間違うと、(時間をかけた)マインド・コントロールにつながりかねないように感じます。学問の研究、医学の研究は尊いですが、畏れも持たなければいけないと思います。この書に出会うことができたことを有り難くおもいます。
返信する
新米信徒さまへ (谷口 幸紀)
2024-02-07 08:35:17
上のコメント有難うございました。
フランシスコ・ザビエルの時代のイエズス会の宣教の拠点マカオの地て拝読いたしました。
有難うございました。
谷口
返信する
ホイヴェルス神父様への追悼のことば (新米信徒)
2024-02-06 23:40:18
谷口神父様 

「森 緑 編 ホイヴェルス神父様を語る 中央出版社(昭和 52 年)」、の、追悼の言葉ーその 4 ー尾原 悟(イエズス会司祭)、に次があります。cf. pp. 35-36.

「魂を漁るためにあらゆる手だてが用いられた。講話に、文筆に、あふれる豊かな詩情、ドイツに育まれた徹底性、明晰なまでの論理、長く大学に講じた広い学識、そのいずれにも出会う魂を魅きつけずにはおかない味わいがあった。そして神父さまの豊かな人間性に魅せられた魂は、そのお人柄の一番奥深くに活きたもう神を知り、神父さまをかくも豊かに活かしたもうキリストを感じるようになるのである。しかしその瞬間から神父さまは徐々に透きとおっていかれる。強くご自分を打ち出して、力強くお導きになるのではなく、その魂に小さく芽生えた
キリストへの歩みを、その魂らしく育て上げていくように温かく見つめながら、そっと消えようとなさった。あたかも神父さまの透明度こそその魂のキリストへの愛の成長度である、とでも考えていらっしゃるように。愛するとは愛するもの・欲するものを満たすことにはちがいないが、神父さまにはともすればそこに生じがちな甘えの部分がなかった。あらゆる努力で魂をとらえながら、それはキリストのためであって、ご自分がその魂の中に座を占めようとなさらず、ご自分の育てた『私の子羊』という司牧者の生きがいとも思える喜びにこだわらぬ、何事においても神は賛美されるべきかな、という縹々としたまことの自由の風格が備わっていた。」 

ホイヴェルス神父様との出会いは、神父様のこのブログに引用されているホイヴェルス神父様のことばからですが、上に引用した本には、ホイヴェルス神父様による「カトリック要理」に
ついてのまとまったことばがいくつかあり、大変有り難き事です。

正教会との出会いは、プロテスタント教会とのあるかかわりから、"THE WAY What Every Protestant Should Know About the Orthodox Church Clark Carlton REGINA (1997)" の第 5 章を正教会の司祭ゲオルギイ松島雄一(大阪ハリストス正教会)が翻訳され、web 上で公開しておられるものを偶然読んだことからです。聖なる伝承のこと(とくに聖書のこと)はほとんど考えたこともありませんでしたが、Carlton 先生のことばを読んでようやく聖伝の大切さに気がつかされました。

岩下壮一神父様のことは、神山復生病院のことから、岩下神父様の伝記と復刊された岩下神父様の本を通して出会いました。
「信仰の遺産 岩下壮一(神父様)著 岩波書店 (2015)」の、
キリストを信じうるか、を読み直していますが、ようやく岩下神父様が何を言わんとしているかが、少し伝わってきたように思います。

谷口神父様に教えて頂いたことも含めて、「イエス・キリスト」の実在ということでつながっているように感じます。自覚はしていませんでしたが、今はそのように感じます。不思議な気はしますが、つながっていると思います。
返信する
(ホイヴェルス)神父さまが泣いていらっしゃる (新米信徒)
2024-02-03 11:13:01
谷口神父様 

「森 緑 編 ホイヴェルス神父を語る 中央出版社(昭和 52 年)」、の、祈りの手ー慕う弟子たちー、の、「ホイヴェルス博士との出会い 中原道子」、の中に次があります。

「神父さまが泣いていらっしゃる
第二次大戦中、私は豊川海軍工廠(こうしょう)につとめておりました。
 戦況が苛烈をきわめ、東京空襲がたびたび報ぜられるように
なった冬の日(正月)、やっとの思いで上京いたし、麹町教会を訪れました。
 司祭館の玄関で、モンペと防空ずきんの私は、今までこらえていた精いっぱいの思いで、
 『神父さま、お別れにまいりました』と申し上げました。
 神父さまはいぶかしげに、
 『お別れ?』とお問いになりました。
 『ええ、お別れです。もうこのように戦争が激しいから、私はいつ死ぬか分かりませんから・・・』と申し上げますと、神父さまは、
 『死ぬ。おお、それはあなたの決めることではないでしょう』と、暗い暗い重いお声でおっしゃいました。私がお返事に困っています時、傍らにいた友だちが、『神父さまが泣いていらっしゃる』と小声で言いました。その声を聞くと私はもうたまらなくなって、表にとび出して、さんざん泣きました。
 神父さまのお悲しみがじーんと伝わってきました。私のおろかなきつい言葉は、どれほどに神父さまを傷つけたことでしょう。
 この頃の神父さまは、戦争のために嫌というほど、多くの別れをしいられていたのですのに。でも私はそれ以来、神さまのみむね以外で死ぬことはないと悟って、どんなに、どんなに激しい空襲下でもおそれを感じませんでした。」

(ホイヴェルス神父様の弟子である)押田神父さまがおっしゃる、こと(事・言)ことばだとおもいます。わたし(新米信徒)が上に引用した重い病と今はの際まで闘って天に召された方のことばも「ことことば」だとおもいます。観念や理念による作文とは程遠いことばだと思います。昨日、鹿村由起子さんのこと(事・言)に触れてまた泣きました。理屈ではないと思います。
返信する
2 Tim 4:6-8(ホイヴェルス神父様) (新米信徒)
2023-12-13 12:20:09
谷口神父様

上のコメント「道(ホイヴェルス神父様) 」(08/12/2023) の
補足をさせていただきます。

「神の国への近道(記録者)森 緑」の(神の国の門についての)最後は次のように結ばれています。引用の始まり:ところで気にかかっていた、東京に帰ってから、もう一つの「三つのもの」を加えましょうというお言葉は、その秋、神父さまの
最後のカトリック要理となった、お話の中に発見しました。
それは、聖パウロのティモテオへの後の書簡からです。

(1) お捧げのぶどう酒 (2) よい戦い (3) 勝利の冠

そのご説明のために『師とその弟子』 139 項の一節を付記させていただきます。「次の文章は、パウロの書いたすべての文章の中で、まことにいちばん深いもの、おもしろいものだと思います。『人たちは、もはや私をお捧げのぶどう酒のように捧げた。私の終わりの時が近づいた。よい戦いを戦った。走るべき道を走った。信仰を守った。今は勝利の冠、正義の冠が私を待っている。主が正しい裁判官として、その日に、すなわち死ぬ時に、私を報いるだろう。私ばかりでなく、愛をもって、キリストを待つすべての人たちも、そのような報いを受ける』」森 緑・記:引用の終わり。cf. p. 201

Nova Vulgata の AD Timotheum Epistula II Sancti Pauli Apostoli
4:6-8 の 8 節は、

"8 in reliquo reposita est mihi iustitiae corona, quam reddet mihi Dominus in illa die, iustus iudex, non solum autem mihi sed et omnibus, qui diligunt adventum eius."

ど素人がおきかえると、
・・・、あの日のときに主は私にまことの冠を載せてくださるでしょう、・・・。理念的、観念的になりかねない時制が表になく、この地にふみとどまっているホイヴェルス神父様の上のことば(訳?)をながめると、(自身で仰るように)押田神父様の師はホイヴェルス神父様であると強く感じます。またそのことは、「押田成人著作選集 3 いのちの流れのひびきあい 地下流の霊性 日本キリスト教団出版局 (2020)」の、 <<エッセイ>> 神父さまの最後から(聖体尼)、の、(心臓の病の苦しみから)「・・・、ある時は、あまりの苦しさに "がんばれ! がんばれ!・・・ がんばれ! がんばれ!" と自分を励まされ、またある時は、"神さま! 神さま!" と悲鳴の叫び、またある時は、"デオグラチアス(神に感謝)!デオグラチアス!" と必死で苦しみを受けとられました。それも極まって "殺せ!殺してくれ!" と叫ばれるほどの時もありました。」「・・・。死ぬかもしれない、最後の時かもしれない、との思いはいつもあったものの、死ぬことではなく、ただ生きることを思い、せいいっぱいにし尽くされたようにみえました。死の準備をするとか、最後の時を過ごす、というような意識は全くなく、ただ存在するということの深い根のところ、生きるということの一番深い根のところを単純に生きてらしたのだと思います。・・・」cf. p. 183.

神父様の記事 「★ ふと思うこと。煉獄(れんごく)って本当にあるの?2023-07-06 00:00:01 | ★ 神学的省察」の平山司教様のことばにもつながっているように感じます。長文をいつもすみません。
返信する
道(ホイヴェルス神父様) (新米信徒)
2023-12-08 12:01:47
谷口神父様 

上のコメントに竹田明夫さんの「道」を引用いたしました。

「森 緑 編 ホイヴェルス神父を語る 中央出版社(昭和52 年)」の後半の、神の国への近道ー師の言葉ー、に、「神への道 ヘルマン・ホイヴェルス」があり、続いて、「神の国への近道 (記者録) 森 緑」があります。ホイヴェルス神父様のことばは、「天然の美しさ」、「良心」、「幸福」、「救い 『主のみ名を呼び求める人はみな救われます』(ロマ 10・13)」からなります。この最後は、「現代人は人間の存在について、もっと苦しい経験をせねばなりなすまい。こうして、永遠の生命について言われた、神のみ言葉は変わらないということがわかる時が来るでしょう。
 『主のみ名を呼び求める人はみな救われます』。神を知る人は、この世の中でそれほど寂しくなりません。永遠の希望をもってこの世の重荷を担うことができます。
 ヘルマン・ホイヴェルス」、と結ばれています。

森 緑さんのことばから次を見つけました。cf. p. 189. 「テヤール・ド神父は割合オプティミストで、科学と信仰とは相たずさえて、人類のクライマックスまでも、相当平和的に進むだろうと思うらしいのです。
 私はいっぽう、自分の八十以上の年の経験によって、なかなか世の中は、そんなありがたい”平和の道”ばかり進まないだろうと思います。・・・」 このことばは、上のホイヴェルス神父様の最後のことばとつながっているように感じます。神父様から以前に、ホイヴェルス神父様が Teilhard de Chardin, Pierre の話をしていたことを教えていただきましたが、杞憂の念を持っていることは知りませんでした。「神の国への近道」の(森さんによる)「付記」に、「以上のお話は一九七一年の夏、神父さまが蓼科の森で、二週間の黙想をなさってからいただいたテープによるお便りです。
 まずテープをかけてびっくりしたことは、あの格調高いテナーのお声で、アイヘンドルの『美しき森』ーDer schöne waldーが響き渡りました。・・・。このあと、山の小鳥の合唱をふんだんにお入れくださって、『さてさて、森さん、よくお聞きください』からこのお便りは始まりました。・・・」、とあります。

「★ 時間の流れに 2022-08-25 00:00:01 | ★ ホイヴェルス著 =時間の流れに=」に書かせていただいたコメント「II ペトロ 第 3 章」(25/06/2022) に、 「ホイヴェルス神父ー信仰と思想土居健朗・森田明・編 聖母文庫 (2003)」の <公教要理から>

「16 現在のキリスト教信者は自然によって神を賛美することを
忘れてしまったといってよい。

17 存在の不思議についてー

物があれば絶対者があるはずである。物がない方が当然
ではないか。」、を引用いたしましたが、ホイヴェルス神父様
のありのままのことに触れることができました。有り難い
ことです。また、長文になりすみません。
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竹田明夫さんの「道」 (新米信徒)
2023-12-05 07:54:52
谷口神父様 

上のコメントに、「亜也さんと神様」(16/08/2023) と「神に感謝を」(22/08/2023) そして「竹田明夫さんと牧師先生 」(26/08/2023) というコメントを書かせていただきました。「神に感謝を」の中で、六歳で筋ジストロフィー症を発症して二十三歳で召天された竹田明夫さんの日記からなる「苦しみの雲を越えて ある筋ジストロフィー症児の人生の記録 千葉県立四街道養護学校教諭 菅崎 進・石田 皎 編 
発行 慶応通信 (昭和五三年)」から彼のことばを引用いたしました。今、読み直すと、以前、コメントに書いたときと、わたしへの働きかけが随分変わったように感じます。

そのコメントに引用いたしました彼の絶筆のことばの後に次のうたがあります。

「道

歩いても歩いても
どこまで行っても何もない
ただ果てしなく続いている
雨にうたれ風に吹かれ
いつかきっといい事あるさ
歩いて行こうこの道を
命の限り歩いて行こう
どんなに苦しくてもつらくとも
みんなみんな頑張って
最後の花はもうそこだ」

正教会の教えである theosis のようなことを感じます。時の一点での救い(特別な何か)とは異なる救いへの道のようなことを感じます。彼のうたの改行をそのままにして、そのため、コメントが長くなったことをお許しください。
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感謝 (新米信徒)
2023-09-21 22:36:31
谷口神父様 

この記事に対して、多くのことを書かせていただきましたが、「感謝」ということに、またもどってきたように感じます。この気持ちが濁りなくあるときは大丈夫なような気もします。

「福音」 (Mc 1:15) の古代ギリシャ語としての語源を素人の範囲で少し調べてみると、イエス様のことのように感じて、少し調べると、予期せず、「同志社大学キリスト教文化センター」の「2007年度 チャペル・アワー」の「今出川水曜チャペル・アワー」の正教会の松島司祭のことばに出会いました。同志社大学のこのような活動は初めて知りました。自己実現という言葉があるので、あれっ、と思って開いてみると松島司祭のことばでした。正確には「6月6日 奨励者 日本ハリストス正教会教団名古屋教会司祭 松島 雄一 奨励題 自己実現の逆説 会場 神学館 礼拝堂」です。検索することにより、誰でも読むことができます。信仰の有る無しに関わらず、大切なことを話されていると感じます。引用は控えますが、FEBC の番組で聴いたことや site で読んだことは、このような一つの流れにつながっていたのか、と思いました。上のカルメル会の修道女の方々は(世俗的な)自己実現からは遠いところにおられたのだろうと思います。わたしであれば、この地に足をしっかりつけて、社会のかかわりの中で、神様に信頼して(感謝して)、希望をもって生きていくことが大切なことのように思います。

今日、交通機関の乱れにより、普段より遅く仕事場に向かって歩いていると、歩道に支援学校のバスが止まっていました。何気なくバスの窓を見上げると、幼い少女が笑ってこちらの方を見ていました。その屈託のない笑顔から元気をいただきました。また、仕事の帰りに、祈祷書の Evening Prayer の "help me to do better in following Jesus tomorrow" を思い出しながら歩いていました。正教会から教えれることは多いように感じます。
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上のコメントに対する補足です (新米信徒)
2023-09-19 23:01:56
谷口神父様 

わたし(新米信徒)が上のコメントに書いたことに、言葉が足りなかったことがありますので、少し補足させていただきます。

上に引用した本によると、鈴木亜里さんには、英語の先生と数学を助けてくれたお姉さんそして国語を助けてくれたお姉さん(編著者の娘さん)がいたそうです。英語は二年間この先生に教わったそうです。

和光高等学校(東京都)の site を見ると、「自由と自治を学ぶ学校 主体的な活動を通して自立した人間を育む」、「和光高校の学びは『競い合う』学びではなく『仲間とつながりあう』学びです。知識の『詰め込み』ではなく、『答えのない問題をどこまでも追求する』ことを重視します。」、とあります。このことは大変重いことのようで、この学校の歴史は、戦前のエリートを育てる教育に対する抗議から始まったようです。学校は戦前から始まっていました。亜里さんには、おそらく、入院等による欠席や実技をともなう科目のこともあって、内申点が重くのしかかり、私立の学校を探されたようです。この本は、編著者のことば、亜里さんのお母様の日記、亜里さんのことばそして多くの方の寄稿からなり、非常に多面的に亜里さんを浮かび上がらせているように感じます。最後に、亜里さんのことばを一つだけ引用します。

印象
「中学生の思い出の特に印象に残ったことは、腕を切ったこと以外は考えられない。
 退院して学校に行くまでの左手の生活には、少々努力したけれど、学校に行くようになってもはじめのうちは、友だちがただでさえ重い荷物を私の分までもってくれたり、先生もいつもからだを心配してくれて、みんながみんな私に協力してくれた。
 みんなが協力してくれなかったら、私はきっといじけた暗い性格に変わっていたかもしれないと思う。私はみんなに感謝しなければならない。
 中学生の思い出にはならないかもしれない。でも今の私にはこれしかない。」

これからも、医学の研究を中心にして、患者のありかたに対する研究が進みますように。人のこころや社会のありかたも変えられていきますように。
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鈴木亜里さんのこと (新米信徒)
2023-09-19 00:30:47
谷口神父様 

わたし(新米信徒)が上のコメントに、病気で若くして天に召された方々のことを書きました。

昨年の春頃に、映画を通して、鹿村由起子さん、鈴木亜里さんそして木藤亜也さんに出会いました。亜里さんのことは、「翼は心につけて ガンと闘って死んだ十五歳の少女が教えてくれたこと 関根庄一編著 一光社 (1977)」で、多くの人の知るところとなり、映画になったようです。亜里さんは、中学三年生のときに、骨肉腫になり、高校の入学式直前に亡くなられました。入学するはずだった和光高等学校校長のことば「その志をうけついで」の中に、「・・・。私たちにできることは、あなたの死の日までたゆむことのなかった生への執着と、立派な人世へのたたかいを、われわれ和光の教師がひきつぐことです。・・・」、とあります。以前救霊に逃げていたことを反省させられます。亜里さんは、片腕を切断して、苦しみの中で、何か人の役に立つことをしたい、というおもいから、入院先の病院での配膳等の手伝いをされたそうです。看護婦になりたいという強い思いがあったそうですが、それは無理ということで、ケースワーカーを目指して、高校に進学するための勉強を懸命にされたそうです。映画では、塾に通ったことになっていますが、実際には知り合いの若い女性の方(一人は編著者の娘さん)に勉強をみてもらったそうです。編著者の関根さんは、新聞記者であった亜里さんのお父様の同僚であったそうです。お母さまの日記には、「・・・、いま身障者が傷つけられることなく、差別なく教育を受けられる内容の学校は和光高校しかないとの確信を持った」、とあります(当時の東京都での話です)。一人一人ができるだけ自立し助け合って生きるということは、大変大切なことのように感じます。亜里さんは、何か人の役に立ちたいという強い思いから、目標を見出して、生き抜かれたように感じます。

鹿村由起子さん、鈴木亜里さん、木藤亜也さんそして竹田明夫さんは、何か人の役に立ちたいという強いおもいをもって、懸命に生き抜かれたように改めて感じます。
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中川博道神父様のことば(回心の時) (新米信徒)
2023-08-28 22:47:36
谷口神父様 

ホイヴェルス神父様の上のことにつながっていると思われることばに、昨日偶然出会いました。

日本 FEBC からの 2022 年 1 月の便りが偶然出てきました。そこに「FEBC 特別番組 認知症とは何か? 回心の時ー認知症との出会い 中川博道(神父様)」の長めの要約があります。具体的な話は、奥村一郎神父様が認知症になられたことから始まります。

聞き手の長倉さんの、「ー認知症は祈りの言葉や所作も人から忘れさせてしまうと思いますが、祈りを重んじるカルメル会で生きる人として、では、いったい祈りとは何だとお考えになられますか?」、という問いかけに、アビラの聖テレジアの祈りの定義、「自分が神から愛されていることを知りつつ、神と二人きりになって過ごしながら、友情の交換をしていくこと。」から始められて、長いことばが続きます。長いので、二か所だけ引用します。

「・・・。すなわち、全てが取り去られても、これだけは残るという人間の根っこがどこにあるかを、日常の中で確かめ、注意深く生きていくために私たちはいるのだと。私たちに命を与え、この存在を支えて下さっている御方は愛そのものの御方です。たとえ私にどんなことがあったとしても、たとえ人から見捨てられても、こん御方だけは一緒にいてくださるということを確かめていくこと。ここに私たちカルメル会、そしてキリスト者の存在意義はあると思うのです。・・・」

アビラの聖テレジアが女子カルメル会を改革した後の生き方を話されて、「・・・。どこにも行かない、誰にも会えない。でも、ここで神との出会いを生きていけさえすれば、全ての人の幸せを祈り、生きる意味を満たしていけるのです。老いもまた同じです。何もできなくてどこにも行けなくなっても、生きることの究極の意味を見出し続けていける理由がここにある。・・・」

わたしが上のコメントに引用した、病気と闘い、この地での生を全うされた方の生き方にも通じるように感じます。ホイヴェルス神父様の上のことばにも通じると思います。ここでの話は、FEBC で放送された「イエスとの対話の旅 ―現代霊性神学講座」(2021 年から 2022 年ぐらいにかけての番組のようです)で、中川神父様が、アビラの聖テレジアの霊性、カルメル会の古い霊性と第二バチカン公会議が深く結びついているように思います、という意味のことを仰ったことにもつながっているようです。よくわかりませんが、わたしが出会っていることは、つながっているようです。
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竹田明夫さんと牧師先生 (新米信徒)
2023-08-26 10:58:09
谷口神父様 

わたし(新米信徒)が上のコメントに書いた、竹田明夫さんの証言「苦しみの雲を越えて」のことばをもう少し引用することをお許しください。

「第五部 中学一年の日記から(二一歳)」の「6 私の役目について」に、牧師先生に、私は役に立っているかどうかという大変大きな悩みについて質問をされたそうです。日記には、「・・・。まず私にできることは、看護婦さんや先生たちにお礼を心がけることだそうだ。牧師さんは、『お礼は、とても大切なんだよ。看護婦さんや先生が疲れているときにお礼を言うと、看護婦さんや先生はうれしくなって疲れもやわらぐ。だから竹田さんはそのことを自分の仕事だと思えば、竹田さんにもちゃんと役目があって人間として役に立つ。まだありますよ。自分の知っていることを教えてあげる。これも一つの役目です。もう一つ、お姉さんや看護婦さんや先生たちの幸せを願い祈るということ。これも、りっぱな竹田さんの役目です。だからけっして悲観的に考えないように、命のあるかぎり頑張ってください。医学の力と先生を信じ、命のことについて思いわずらってはいけません』と話してくれた。・・・」、とあります。

「19 素直な心」に、「・・・。それは、私が病気にかからなかったら、神を信じられなかったと悟れたからだ。病気にかかって入院して、院長先生に神を信じなさいと教えられたから、神を信じられるようになったのだと思う。これは母のおかげもある。素直にしてくれたからだ。母は私のことを理解して温かい心で世話をしてくれ考えてくれたおかげで、私は素直な心になれたと思っている。素直な心がなくては、神は信じられるものではない。
朝と夜、私は必ずお祈りをする。『兄弟、親類、先生(学校と病院の)、看護婦さん、その他世界じゅうの人が幸福になりますように』とお祈りをした後は、私はすごく幸福だ。どうして幸福になるのか、わたしにもわからない。・・・」

明夫さんが 18 歳のときに、お母さまは天に召されたそうです。

「第六部 中学二年になって」の「3 友を励ます」に、「栃木県の同じ病気の友だち S 子さんに勇気づける手紙を送ったとき、次のようなうれしい返事がきた。

・・・。竹田君、人間は一体何を求めて生きていると思いますか? 私も不幸な人であると思っていました。しかし、あなたの手紙により、幸福とは物質的、肉体的なものばかりを求めることではないことを知りました。・・・。私がもし病身でなく健康な体に生まれていたならば、あわれなる人間の一人に属していたと思います。そう思うと病身であるために、かえってほんとうの幸福を求めることができたと思うと、救われ恵まれた思います。・・・」

「4 喜び」に、「昭和四五年六月。決心してキリスト教会にはいることを先生に相談してみた。・・・。

私は、今他人をねたまず、幸福を祈り、神を信じて一生懸命勉強して自分を磨き、少しでも社会のために尽くそうと希望がいっぱいである。・・・」

これまで、鹿村由起子さん、木藤亜也さんの日記を読みましたが、女性と男性の違いなのか、明夫さんが哲学や心理学を学ばれたためかよくわかりませんが、明夫さんの日記のことばからは、よく思索をして、洞察をしておられるように感じます。上の二人の少女は、感情の表し方が豊かであり、ことばから気持ちが強く伝わってくるように思います。明夫さんは、洞察を通して気持ちを書いておられるように、わたしは感じます。明夫さんのこと(事・言)にも出会えたことは、よきことだと感じ、感謝しています。鹿村由起子さんのおかげです。
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ありがとう (新米信徒)
2023-08-25 01:03:23
谷口神父様 

わたし(新米信徒)が、12 or 16/08/2023 に上のコメントに木藤亜也さんのことを少し書きました。亜也さんが教会に行かれたかどうかはわかりませんが、上に引用した「ラストレター『1 リットルの涙』亜也の 58 通の手紙 木藤亜也(さん)幻冬舎 (2005)」に、高校生のときの親友への手紙の 57 通目の手紙に、「ようこちゃん、元気でいてくれますか? わたしはうれしいことが三つあったのでお知らせしますネ。・・・。そしてもう一つは自分も神のしもべとなりうることです。平安にみちた日々がすごせたら・・・どんなに幸せかと思うけど世の中甘かない。・・・」、とあります。また、48 通目の手紙には、「・・・。わたしはようこちゃんに、できるなら福祉の道にすすんでほしいナと思います。・・・。
朝、夕のお祈りをしています。でもひねくれて人に接して傷つけてしまうことがホントに多くて困ってしまいます。・・・」、とあります。亜也さんも上に引用した竹田明夫さんも人のために何かしたいと強く思っているにもかかわらず、寝たきりのためそのことができないことに随分苦しまれたようです。上に引用した「苦しみの雲を越えて ある筋ジストロフィー症児の人生の記録 千葉県立四街道養護学校(教諭)菅崎 進・石田 皎 編 慶応通信 (昭和五三年)」の、明夫さんのことばにある「感謝」は大変重く、「第六部 中学二年になって 10 洗礼を受けて」に、
「神様」という詩を書いておられます。

「もし神様が愛してくれなかったら

生きていけないだろう

真剣に考え死んでしまいたいとき

助けの手をさしのべてくださった

毎日やさしくしてくれ幸福だ」。

一年間程、病気で苦しんでいる人をおもってロザリオの祈りを唱えているうちに、人がこの地を過ぎ去っていく、今はの際に、ありがとう、とおもうことができれば、と強く感じるようになりました。亜也さんは、「ありがとう」を何度も書いておられるようです。「いのちのハードル 『1 リットルの涙』母の手記 木藤潮香(さん)エフエー出版 (1989)」にも、亜也さんが描かれた虫の絵の上に「ありがとう」と書いておられます。口語の「ありがとう」は、古語の「有り難し」からきているようです。「あり」は、ラテン語では sum だと思います。
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神に感謝を (新米信徒)
2023-08-22 11:18:15
谷口神父様 

わたし(新米信徒)は、上のコメント (16/08/2023) に急性白血病で天に召された少女のことを書きました。彼女は床上教育の生活記録に「苦しみの雲を越えて ある筋ジストロフィー症児の人生の記録 千葉県立四街道養護学校教諭 菅崎 進・石田 皎 編 発行 慶応通信 (昭和五三年)」を深い感銘を受けて読んだことを書いておられました。そのため、以前に購入しましたが、読む勇気をなかなか持つことができませんでしたが、昨日の夜に手に取って少し読んでみました。

3 年程前に古くからの信仰の友と話した後に、イエス様の十字架上の御受難を全くみることができていないことを自覚させられたことから、病気(障碍)をもつ方と出会っていることと思います。この竹田明夫さんにとってもこと(事、言)を書くことは大変大切なことであったそうです。23 歳のときに洗礼を受けられ、そのおよそ 9 か月後のクリスマスの日に昇天されたそうです。明夫さんは、小学校の三年生まで行き、その後 18 歳で、養護学校の小学部の四年生に編入されたそうです。昭和二十三年生まれの明夫さんは、筋ジストロフィー症児の一人として全国にさきがけて、「千葉県立四街道養護学校」に入学されたそうです。

「第五部 中学一年の日記から(二一歳)」の「17 神の存在」に、「・・・。私は、ときどき神が私の心に見える。特に自分の心に裏表がないとき、心から幸福だと思っているとき、自分より不幸な人たちのことを考えて心から幸福になってもらいたいと祈るとき、人間らしく一日を過ごせたときなどである。素直な目で見れば、神の姿ははっきりと見える。・・・」、とありあります。

最後の「第七部 折にふれて」の「8 感謝について」に、「・・・。社会の人々も物質文明を追いかけるだけで、じっくりと自分を見つめて考えている余裕もないのかもしれないが、ただ個人の権利を主張し自由を求めて生きているのである。・・・。

この人間性をとりもどすためには、聖書以外にないと思う。私は聖書を広め愛の生活がどんなに楽しいものであるかを知らせ、人間性を取りもどして感謝の気持ちを持った人々をつくりあげていきたいと思う。これが私に残された最後の使命であると思っている。(絶筆)」

明夫さんのことばは、押田神父様が仰ったことにつながっているように感じます。また、正教会の松島司祭の説教におけるタラント (talenta) の話にもつながっているように思います。cf. 「正教会を知りたい人のために by Fr. George Matsushima 司祭ゲオルギイ松島雄一 大阪ハリストス正教会」の、「生きることとキリスト教 エッセイ集」の「生きることをとらえ直してみたい人のために 1」の「したいことから、しなければならないことへ 98/5/6 自己実現?」(検索すると見つかると思います)。FEBC の放送では、「光、イイススというお方 26. 最終回 朗読箇所 マタイ 25:14-30」。 ホイヴェルス神父様が紹介された(自身の?)詩「最上のわざ」にもつながっていると思います。また、「告知(kērygma)宣教、宣言、説教。原始キリスト教の根本的な宣教内容を意味する」にもつながっているように思います。最後の告知は、「信仰の遺産 岩下壮一(神父様)著 岩波書店 岩波文庫版 (2015)」 の「ドグマと理性及び道徳との関係」の p. 168 の注解 (13) からの引用。
また長くなりましたが、お許しください。
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亜也さんと神様 (新米信徒)
2023-08-16 13:13:42
谷口神父様 

"Deo Gratias" は人の根にあると信じているので、もう少しだけ書くことをお許しください。

(わたし〔新米信徒〕が上のコメントに書いた)木藤亜也さんが高校生のときの三人の親友に送った手紙からなる「ラストレター Last Letter 『1 リットルの涙』亜也の 58 通の手紙 木藤亜也(さん)幻冬舎 (2005 年)」があります。半年程まえに購入しましたが、長い間読む勇気がなく、ようやく少し読みました。亜也さんが笑っている写真と亜也さんがマジックペンを握りしめて自分で書いた最後の手書きの手紙があります。それ以外は活字からなる手紙です。手書きのことばはこの地で唯一です。

マザー・テレサのことが手紙にあります。
「・・・。
あのね、ようこちゃんは生きてくださいね。私も生きます!

『理解されることより先に理解しなさい』とマザーテレサはいったそうです。優しいことばだと思いました。・・・」

祈りについては、
「・・・、アコちゃんの足の手術だったの。ちょうど手術の間中、お祈りと称して新約聖書を読んでいました。すごく不安なのがまるでウソみたいにおちつくんです。お祈りってこんな生易しいもんじゃないと思います。でもそれしかできなかった。・・・」

アコさんは亜也さんの妹さんで自転車に乗っているときに事故に遭われたそうです。上のコメントに引用した本には、事故の当日の日記に本人の手書きのことば「大丈夫」がおよそ 100 個ほどあります。以前からこの手書きの大丈夫はこころに残っていましたが、手術中に聖書を読んでいたことは想像もできませんでした。

教会については、
「ようこちゃん、
いったい私はどうやってこの罪をつぐなえばよいのでしょうか?
その罪とは、(一方的になってしまうけどきいてくれますか)心がせまいことです。人も自分もゆるせなくて人前で泣いてしまうことがあるのです。今度、教会に行きたいと思うけどいっしょに行きませんか(教会に行きたい! のです)。」

「罪」ということばが他に何度かでてきます。亜也さんは教会に行くことができたのだろうか、聖職者の方と話しをすることができたのだろうか、と思います。今、お母さまの手記を注文しています。

私が一年程までに出会った少女(中学二年生のときに急性白血病で亡くなられた)も、先に退院して行く人たちをみて、自分の中に醜いもの(本人のことばでは、「みにくい悪魔になっている」)を感じたそうです。しかしながらその少女は、床上教育(院内学級にも行くことができなかったそうです)での生活記録に、「他人を、自分自身と同じように愛せたら、それは素晴らしい。・・・、他人を自分自身と同じぐらい愛すなんて、不可能なのだろうか? 世の中の本当の厳しさを知らない子どものたわ言なのだろうか? わたしにはわからない。」、とあります。由起子さんも「試練」ということで、コリントの信徒への手紙一、第十章十三節を引用しています。そして、「・・・。どうか、世の健康なみなさま、病気で、自分よりずっとずっと苦しんでいる人を、しっかりみつめられよ。同情の言葉なんていらないから、その代わり、健康という幸せを大切に大切にされよ。・・・」とのことばを書かれました。
上の鍵括弧のことばは、「聞こえますか 生命(いのち)の歌 白血病で逝った少女からの“贈りもの” 鹿村由起子(さん)(1993)」から引用しました。

この二人の少女のことから、実在する神様に、自由意志によって、人の根は向かうように感じます。その一方で、わたしのことを思うと、魔の手にも向かいかねない恐ろしさも感じます。cf. Nova Vulgata Iac 1:12-15.

昨日の鳥取県の避難場所一覧に、公園が多いことを知りました。まず命が助かる場所ということだと思いますが、風雨をしのぐことができたのだろうかと心配です。家にテレビがないので、今の状況がよくわかりません。
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難病と闘った少女 (新米信徒)
2023-08-12 19:25:15
谷口神父様 

今年の 5 月 3 日に、神父様のブログに「訂正と追記」という題で、書いた中に、「脊髄小脳変性症」という難病と闘って、この地での生を全うされて、天に召された木藤亜也さんのことを少し書きました。この方の日記をもとにした「1リットルの涙 難病と闘い続ける少女 亜也の日記 木藤亜也(さん)エフエー出版(1986)」という本があります。病気がでてきたのは、15 歳ぐらいのようで、およそ 10 年間、病と戦われて天に召されたそうです。以前に気がついたことですが、「16 歳ー苦悩の始まり」に、ある日の本人が書いた日記、「今 11:00 寝ころがった半分のお月様が東の窓を通してほほえんでいます。電気を消したらお祈りができるのかな?(このことばの下に)窓の向こうに見える上弦の月と月の光に照らされて跪いて祈っている少女の絵があります。(そしてその下に)テレサ、にはかなわん!」、があります。以前から、このテレサは、神父様が書かれた上の記事にある幼きイエスの聖テレジアあるいはマザー・テレサ(二人はつながっていますが)のことだろうか、と思っていました。この本をこの度注意して少し読み返すと、神様のことがところどころに出てきます。上の絵日記のことばは本文にも活字でありますが、その数頁後に、「映画『野のユリ』をテレビで見る。神の存在をわたしは信じる。神はわたしをおためしになっているのだ、と思ったら、急に心が晴れ晴れとした。この気持ちを何とか忘れずにいたい。」、とあります。

「17 歳ーもう、歌えない」には、「わたしは反応が鈍いんだよね。障害者の自分に出会わない時があるんだ。どん底にいる。だけど不思議に、死にたいとは思わない。いつか、いつか楽しい時があるだろうから・・・

キリストは、この世の生は試練と語った。死後の自分を見つめて生きるということか・・・

聖書を手にしてみねばなるまい。」

他にもまだあります。本人は病気と言わずに重度の障害といっていたようです。病気と思うことと障害(障碍)と思うことの違いは、当人にとって大きいことかもしれないと最近気付かされました。

「21 歳ー生命ある限り」には、
本人の写真があり、体はほとんど動かないようで、ベッドの横に立てた紙にことばを書いている姿があります。その写真の下に本人が書いた字で、「感謝の気持ちはどういうふうに示せばいいのだろう」、とあります。本の最後には、本人が書いた字で、「ありがとう」とあります。

絵日記も本人が書いたことばも活字で見ただけでは伝わってくるものはわずかだと思います。このことは、押田神父様が仰ること(事)ことばだからだと思います。ことばは言葉だけではありません。ですから、わたしは本や映画を通して、木藤亜也さんの事に出会っているのだと思います。木藤さんもイエス様に出会ったのだと思います。おそらく「説明」からではなく、イエス様のこと(事・言)に出会ったのだと思います。
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新米信徒さまへ (谷口 幸紀)
2023-05-20 15:42:47
fホイヴェルス師を偲ぶ会の盛会を祈ってくださって有難うございます。
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カラスとヒバリ (新米信徒)
2023-05-20 10:28:30
谷口神父様 

ホイヴェルス神父様が "Deus" を懐かしいと自然に思えることは、自然を「美しく、楽しく」感じることからくることが大きいと思います。以前は、「楽しく」感じることは、わたしには難しいことでした。

先日、仕事の帰りに、道を歩いていると、歩道の柵に一羽のカラスがとまっていました。わたしの悪い癖で、抜き足差し足で近づこうと歩き始めたときに、向こう側から走ってくる人が来ました。これでカラスは飛んでいくだろうと思って見ていると、走ってくる人がカラスの二メートル半ほど横を通り過ぎても、カラスは動きませんでした。そこで、わたしは道の端を歩いてカラスの横を通りすぎ、ある程度離れてから、アイスクリームを食べながら、カラスを見ていました。人に慣れているのだろうか、と思い始めて暫くした後、カラスは飛び立ち、反対側の歩道にあった大きなパンをくわえて飛び立っていきました。カラスは、反対側の歩道から、人の往来と車の往来が途切れることをひたすら待っていただけのようです。以前も同じような姿を見たことを思い出しました。もしかすると、カラスは知恵(?)のようなものを用いるているので、案外、人にとってわかりやすいかもしれません。そして、わたしは、納得して歩き始めましたが、ヒバリの声が聞こえるので、立ち止まって見ましたが、姿は見えませんでした。ヒバリの声を聴き続けましたが、あちらから、こちらから、と聞こえるように感じて不思議に感じました。また、時には、その声は、人の言葉でいうと、モールス信号のように感じました。YouTube でモールス信号を聴いてみましたが、素人には強烈でした。人が遠くの人と交信するために、古来から工夫してきたことは少しは知っています。鳥は神様からその力をいただいているのだと思います。ただ不思議としか言いようがありません。

「ホイヴェルス師を偲ぶ会」で、集われた方が、師をおもい、楽しいときを過ごされることを願います。
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「武蔵野のひばり」神をたたえる (新米信徒)
2023-05-19 09:38:32
谷口神父様

「時の流れに ヘルマン・ホイヴェルス(神父様)女子パウロ会 (1997) 」の「武蔵野のひばり」をもう一度読み直しました。先ず、本の冒頭に、「Contemplatio すなわち 造られしものを眺めつつ 造り主のみ心を味わう!」があります。contemplatio の語源には、(本来は鳥の飛び方などによる)鳥占いのための区域で、という感じもあるかもしれないこと知りました。古代ローマからのようです。

そして「武蔵野のひばり」に流れていることと、「読書課(毎日の読書)」の「イエスのみ心(聖霊降臨後第二主日後の金曜日)祭日」の第二朗読 「聖ボナヴェントゥラ司教の著作 あなたのもとにいのちの泉はある」、に流れているものと近いものを感じます。ホイヴェルス神父様のことばでは、「毎年武蔵野に出かけましょう。舞い上がるひばりを眺め、彼らとともに神をたたえましょう。力の限り、心を尽くし、霊を尽くして。

Laudabo Deum meum in vita mea
生きているかぎり神をたたえましょう。

Solang noch mein Stimm erschalt
わが声の響くかぎり。

アイヒェンドルフ」

初めの節はラテン語で、次の節はドイツ語のような気がします(?)。聖ボナヴェントゥラ司教様のことばは、「・・・。信心深い人たちよ、皆、燃えるようなあこがれをもって、このいのちと光の泉(イエスの聖心)に駆け寄りなさい。そして、心の奥底から力強く叫びなさい。・・・、『喜び歌い感謝をささげる声で』で、あなたに賛美を歌うために。」

たとひ欠くることあるとも、「時の流れに」たまはる。有り難きことかな。Deo Gratias.
返信する
ありがとうございます。 (新米信徒)
2023-05-14 18:19:43
谷口神父様 

多くの返信をありがとうございます。

カラスは卵を狙うことは本で読みました。カラスが知恵(?)を使って、何かやっている姿をときどき見かけます。燕は年々駅に帰ってこなくなり(塗装のためだと思います)、今のところ一組のつがいだけが巣を守っています。雛が生まれたら、息つく暇もなく飛び交うことでしょう。燕の急上昇は見た記憶がありません。六月の終わりぐらいから、夕方に、多くの燕が空高く飛んでいますが、風にのって飛んでいる姿を見ると、人には決してまねができないこと、言葉で「説明」すると、感覚で飛んでいるように思います。わたしが階段を降りているときに、意識を過度に使い始めると、階段から落ちそうになることがあります。

また、少女のことですが、4 年程前から、小学校 2, 3 年生ぐらい女の子が弟さんや妹さんを腰のあたりまで持ち上げている姿を何度も見ました。ミサの帰りに、駅の近くで、弟さんを持ち上げて 10 メートル程歩いてから弟さんを降ろして、手をつないで歩いて行く姿も見ました。一度は同級生と思われる女の子を持ち上げている姿を見ました。仕事に行くときに見る、ある中学生の女の子の弟さんへの関わり方もいつも感心して見ています。その他の姿も併せて不思議に思います。兄弟(兄弟姉妹)が多かった時代は、年長の姉は母親代わりになっていたことと思います。
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新米信徒さまへ (谷口 幸紀)
2023-05-14 09:04:57
ヒバリの燕飛びの追伸です。
私はいつかどこかで、ツバメの哲学者について書いた記憶があります。
概略は、多くの燕が低い空を飛び交って、盛んに虫を追っている中で、ときたま、虫には見向きもしないで、虫などいそうにない高い、高い空に向かって舞い上がっていく燕を見たことがあるような気がする。小さくて見つけにくいほどの高さで、一体何をしているのだろう?
哲学者の燕に違いない、という話です。
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新米信徒さまへ (谷口 幸紀)
2023-05-12 09:25:26
新米信徒さま
追伸です。
ひばりは麦畑に巣を隠しますが、ツバメはよく見える、時には人の手が届きそうな軒先などに巣を架けます。でも、蛇やネズミなどの天敵が絶対に近寄れない場所を賢く選んでいます。
妙高の山奥の燕温泉は、その名の通り、温泉宿の一階の軒下にも、二回の軒下にも三階にも、ぎっしりと隙間なく燕の巣がかかっていて、初夏は飛び交う燕でそれは賑やかなところでした。
それが、ある年、悪いカラスに軒並み卵を盗まれヒナを殺され、悲惨な状態になりました。
以来、もう何十年も一羽の燕も巣をかけに戻らなくなりました。
それと、西武の堤の大馬鹿野郎が、地元の嘆願を無視して、スキー場のリフトを撤去したために、スキー客も途絶えました。そして、多くの温泉スキー宿が廃墟になりました・・・。
本州では最もシーズンが長く、雪質の良いオリンピック選手を輩出した伝説のスキー場でしたが・・・
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新米信徒さまへ (谷口 幸紀)
2023-05-12 09:07:46
よくかんさつされましたね。
私はホイヴェルス師の弟子として、世界中でひばりを探し、その声を楽しみました。
ひばりが高く舞って歌うのは天の神様を賛美するためだと思っていました。そして、降りるときはわざわざ巣のある場所から遠いところに降りて、苦労して麦をかき分けながら巣に偲びかえります。
空にはカラスやトンビなどの天敵が芽を光らせているからでしょう。
ひばりが燕飛びをするというのは、新しい知見で理由の解明に心いざなわれます。
燕はその日の湿度や気温などでヒナの餌になる虫が多く飛ぶ高さを全速で飛びながら、口いっぱい虫を加えて、ヒナの所に運びます。燕が謳わないのは口がふさがっているからではないでしょうか。
虫を追いながら歌ったら、大事な声帯に虫が引っ掛かって壊してしまうでしょう。だから、ツバメは謳わない働くのだと思います。
では、なぜひばりが燕飛びをするのでしょう。虫を集めるためなら歌えないはずではないでしょうか。
ひばりが歌いながら燕飛びする理由を解明したラ、鳥類学博士号が取れそうですね。(笑)
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ひばりとの出会い (新米信徒)
2023-05-11 22:14:57
谷口神父様 

今日、偶然、仕事の帰りに、三羽のひばりに出会いました。ホイヴェルス神父様の「武蔵野のひばり」を思い出し、読み直しました。その最後に「まことに人間らしい気持ち、人間の心こそ、この世で最もすぐれた宝であります。」、とあります。全体の文を読まないと伝わりにくいことばかもしれませんが、この地にしっかり足をおいて、天をみる、ということで貫かれているように感じます。

今日見たひばりは不思議でした。空高く舞い上がりますが、あるところまでしか上がらず、地の比較的近くの同じような高さを、物凄い速さで飛ぶことも
していました。その速さに驚きました。長い時間立ち止まって見ていましたが、声も不思議でした。そのうち、人間の知恵を使って考えてしまい、ひばりの声はものすごく散乱されているように思え、そのため、声がいろいろなところから聞こえるように感じました。数学の有限伝搬速度をもつ双曲型方程式に対する散乱の問題が思い浮かびました。また、声を分解すると、いくつかの周波数の音波からなるのではなかろうか、と感じました。ギリシャ、デカルト由来の思考法でしょうか・・・。しかし、そのまま聞き続けると、どうしてこんなに鳴くのだろう、とまた不思議に戻りました。結局、人間には現象の説明らしきことはできても、どうして、という問には、現象にとどまる限り、わからない、と答えるしかないように思います。

此の日、わたしはひばりを見て、声を聴いて、最後は素直に感動し、"Deo Gratias" を強く感じました。
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ありがとうございます (新米信徒)
2023-01-01 20:30:45
谷口神父様 

ありがとうございます。
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新米信徒さまへ (谷口 幸紀)
2023-01-01 10:11:15
メッセージありがとうございました。ご趣旨に沿って敢えてここには公開しません。
デオ・グラチアスですね。
ともに祈りましょう!
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ホイヴェルス神父様と日本人 (新米信徒)
2022-12-21 08:19:49
谷口神父様

返信と助言をありがとうございます。

ホイヴェルス神父様の著書「人生の秋に」を繰り返し読まなければいけないことを強く感じます。読むとおもいだすことも多いですが、以前は人ごととして読んでいました。この書の「序」には、「一九六九四月一九日 イエズス会入会六十年の記念に 著者」とあります。

I の「がっかりしたホフマン先生」には、関東大震災の年(一九二三年)の八月二十五日に、乗船した船が横浜港に入港したとあります。また、ハンブルク大学で、「万葉集」、「祝詞(のりと)」とか、能楽の「老松」とかを研究された、とあります。しかしながら、漢字を読むことは大変であったようです。上智大学の創立者で学長であられたホフマン先生は、ホイヴェルス神父様に漢文の素養を期待しておられ、大学での働きのことをおもい、失望されたようです。

「関東大震災」には、「・・・。三日目の月曜日あたりからは、火勢はしだいにおさまったので、人びとは助かった荷物をかつぎ、長い果てしない列をなして道を行きます。

声もなく、涙も見られない。みんな黙ってあきらめたように、その道を行くのです。感心すべき国民、そのときから日本の人がすっかり好きになりました。みんな相互に助け合い、そして心の中では互いに将来どうなるかもわからぬまま、しかも相互に迷惑をかけまいとする態度が見受けられました。・・・。」

わたしも大きな震災を経験したり、報道を通して大きな震災をみましたが、上の精神が今もあることはうれしい限りです。

ただし、次をみつけました。

第186回国会 (2014 年)
請願の要旨 新件番号 1707
件名 関東大震災時の朝鮮人虐殺の真相究明に関する請願

これは、とくに日本政府の関与の実態を明らかにするように、ということのようです。

聖ヨハネ・パウロ2世教皇様が多くことを謝罪をされたことは
大切なことだと思います。わたしは "Old Goa" での異端審問についてのいくつかの論文を読んだだけですが、ホイヴェルス神父様のような精神があれば、とおもったことが、石仏との出会いについて書いたことの動機です。長文をすみません。
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新米信徒さまへ (谷口 幸紀)
2022-12-18 10:13:51
上にいただいたコメントにお答えする前に、右手の本箱の中から師の「人生の秋に」を取り出して、31頁からの「日本の暮らしの見習い」をあらためて読み返しました。
師は確かほかの所で、日本人のモラルは高水準でドイツ人のそれをしのいでいる。私は一体何を日本人に教えに来たのだろう?と、自問されたくだりがありました。もちろん意味は大体同じでも、用いられた日本語は私の乱暴な、また直截な表現よりずっと磨かれたものだったと思いますが・・・。
そして、やはり「精霊の嵐」をあえてもたらす使命を確認されたのだったと思います。
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ホイヴェルス神父様と日本との出会い (新米信徒)
2022-12-17 23:21:36
谷口神父様

返信をありがとうございます。最近は少女から教えられることが多いような気がします。

ホイヴェルス神父ー信仰と思想 土居健朗・森田 明・編 聖母文庫 (2003) 第三部 ホイヴェルス神父と日本人、の、 ホイヴェルス神父の使命 土居健朗、に玉島の教会の裏の山での石の仏像との出会いについてのホイヴェルス神父様の文が引用されています。

「・・・。このあまりにも静まりかえった天地を、そのままま黙って受け取るべきものなのでしょうか。それとも、この静かな世の中に、聖霊の光の嵐をまきおこすべきでしょうか。・・・」。

このことが、ホイヴェルス神父様に(おそらく)決定的なことであった、と感じました。そこで、ヘルマン・ホイヴェルス、人生の秋に (一九六九 ?)、の、「日本の暮らしの見習い」、を読み直しました。わたしの気持ちは、変わりました。一部分だけをみてはいけない、と感じます。
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新米信徒さまへ (谷口 幸紀)
2022-12-13 09:09:14
いいエピソードですね!
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挨拶 (新米信徒)
2022-12-12 23:04:54
谷口神父様 

今日、道を歩いていると、少し離れたところから小学生の三、四年生ぐらいの少女から、大きな声で、「こんにちは」と挨拶を受けました。こちらも、挨拶をしましたが、わたしの反応が悪かったのか、その少女がわたしとすれ違うときに、大きな声で(挨拶をして)、すみません、と言いました。わたしは、元気な方がよいですよ、と二度言いました。その後、わたしの気持ちは明るくなり、元気をもらったような気がしました。

"Deo Gratias" と言うときは、顔をあげて、意識を使わずに、真っ直ぐに、大きな声で言えばよいように思いました。そのことを少女から教わったように感じます。
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訂正 (新米信徒)
2022-12-10 09:16:30
谷口神父様

先に、わたし(新米信徒)が書いたコメントのラテン語を "in confessione" に訂正します。o と n の順序が間違っていたと思います。すみません。
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「謝」 (新米信徒)
2022-12-09 22:16:57
谷口神父様

返信をありがとうございます。

素人がなすべきことではないのですが、もう少し調べました。「時課の典礼(教会の祈り)」の詩編は、J・アブリ神父様の訳で唱えています。詩編 95 の 2 節と詩編 100 の 4 節に、「賛美もて」と訳されていることばがあります。Nova Vulgata では、"in confessinoe" です。告白が浮かんだので調べると、
"fateor"(告白する)とつながっていました。「話す」ということが根底にあるようです。上の詩編のことばは、「感謝」と訳されることが多いようです。今度は、「謝」を、漢和辞典で調べると、根底に、「ことばを残して去る」ということがあるようです。上のカルメル修道院の修道女の方の話とつながっているかどうかはわかりませんが、わたしが、祈りがとぎれる、と感じたこととつながっているかもしれないと感じました。"Deo Gratias" を、

隠れ身様に畏(かしこ)まりを。

とおきかえてみました。わたしには、これがよいかもしれません。ホイヴェルス神父様のことばからは離れているかもしれませんが。
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新米信徒さまへ (谷口 幸紀)
2022-12-08 21:37:18
示唆に富んだコメントありがとうございました。
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"Deo Gratias" (新米信徒)
2022-12-06 21:25:24
谷口神父様 

上の記事を読み、考えさせられて、土居健朗・森田 明・編「ホイヴェルス神父ー信仰と思想」聖母文庫 (2003) の後半を少し読み返しました。第三部 「ホイヴェルス神父と日本人」にある、ホイヴェルス神父の使命 土居健朗、の、 (2) 宣教の困難、に目がとまりました。そこには、ホイヴェルス神父様が、現代日本語の習得に苦労されたことと、来日後十年以上もたった頃に細川ガラシャ夫人と出会ったことから日本人への宣教の使命の遂行に決定的なことを受け取られたことが書いてありました。この二つのことを、わたしはみていませんでした。神父様の記事と併せて、よく読もうと思います。

"Deo Gratias" ですが、一年程前に日本語におきかえたことがあります。順に、与格、対格ではないかと思いますが、私的な意向で「ロザリオの祈り」を唱えて、"In Nomine Patris ... " を唱えながら十字を切って、続けて、最後に、Deo Gratias. Thanks be to God. 感謝を神に。、と唱えてきました。神に感謝を、と唱えると、祈りが途切れてしまうように感じてきました。わたしの感覚がおかしいのかもしれません。改めて日本語におきえてみました。

隠れ身様こそありがたけれ。

隠れ身様に思ひを。

ありがたし、が根源的なことばであることを知りました。後のおきかえは、イエス様からの第一のおきてにつながるようにおもいます。感謝は、欧米のことばの感覚に近いように感じます。素人の感想ですが。
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