マスコミの報道で米国への譲歩や現体制及び経営者団体などの既得権益は当たり前のようになっています。
そしてそれが変更されない事も日常の閉塞感同様に熱くなってもどうにもならないような大きな存在として捉えられています。
ただ、それにしてもあまりに大きな既得権益で絶対に変更不可能な企業・業界が存在しむしろ起業して稼げる仕事の方が限られているくらいなのかと思ってしまいます。
格差是正の基礎的な点で1個人が出来るような仕事とは別に大きな組織でしかも巨大資本、かつ下手をしたらその地域全体へ影響するような業務が存在してもなんらの批判もされないどころかむしろ歓迎されるのが問題なのかとさえ思います。
つまり、この国の成り立ちからどうしても変えられないような存在があり、その根幹に枝葉のように書く業界・業務・企業等が成り立っている訳で中国由来の儒教的な縦社会を崩せないでいます。
代わるのはまさに時代が変わる時でその時代の変化で土台となる消費すら代わる時に起きるくらいかと思います。
それなのに看板の掛け替えのように話をするのですが、中身を確認していないので実際に格差を是正しようとすれば過去の経緯と異なる話になります。
ところで前提になっている大きな事柄がそうなようにたいていはその状況が安定するから、またその地域が繁栄するから継続してきたのでしょう。
そうでなければ無関係に批判や好き嫌いだけでも変わる時は変わります。
なので格差是正は美談としてはあるのですが、実際にそれが大きく是正されるよりは安定を望むのかとも考える次第です。
そこで注目されるべきは時節柄、格差を是正しても良いのになかなか改善されない点なのかもしれません。
これだけ価値観の多様性を言ってながら、現実のアナウンサー、タレントなどは一定の基準でもあるかのような状況です。
だから、現実は好き嫌い、世の中の流行や美的感覚などで左右されますよね。
それで流行なんかにしても昔の人はかなり多くの人が影響されたのに今だとそれが少ないと言うか影響されない人も珍しくないのです。
多様化と言えばそれまでですが、基本的な人生の流れさえも変わってその事でかえって人々の生き方や価値観が変わってなかなか一つの大きな流行や持続する流行にならないのでしょう。
それで経済的に大きな消費の変更や消費拡大するような需要もなくなります。
大量生産大量消費が少量多種消費になり生産コストを上げてしまっています。
上手く説明出来なかったのですが、格差是正と騒ぐ割に大前提で変えられないのとその硬直した慣習が底辺にまで及ぶからなかなか更に下克上にはなり難い社会なのでしょうね。
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