実際に国家と言うような立場にない人程、国家を形式や理想で考えて現実的な問題を軽視する傾向にあります。
実際に国家として現実問題を抱えている以上それがアイデンティティの裏返しでその問題を解決する事の方が優先しないと破綻します。
例えば、災害がこれだけ多い国はそうなく、それの対策をするだけでも他の国とは違う法律体系、価値観になります。
これまでの慣習だけでもかなりのアイデンティティなのにまだ国家観などと言う物を意識する余裕があると思っている人達の国際感覚の無さは酷いのでしょう。
日本の政治家が何か中国共産党が立てる中長期計画みたいな事を言い出しても無意味です。
市場の論理と民主主義的な世論があり、かつ自由または「リベラル」だからです。
誤解していると思うのは行政、官僚ですら最近は全てに規制をするような事ではなく、問題を起こさないような仕組みであとは自由にしないといけない感じになります。
この前も選択的夫婦別姓で書いたのですが、実際問題は慣習でそうなっているだけで法律は例外の対応をしています。
ところが細部となるときちんと説明しなくてはならないのでしょう。
国家観が形成されるのも歴史の上であって何か哲学的な思想でこうあるべきと言えるのかは難しいのでしょう。
他国のように宗教観や歴史的、伝統的に守られるような、優先されるようなものがあるのかです。
天皇制や皇室だけでもかなり独特です。
だからと言う訳でもないのですが、説明の出来ないような慣習まで法制化して残す必要があるのかです。
必要なのは国家観ではなく、きちんとした理論に基づいた政策であるかを問う方が先です。
例えば、国家観とは違いますが日本は電柱が多くてと言って地中化しようとしました。
地震で停電になってしまった時に地下だと直すのは大変ですよね。
景観が海外より劣るのを指摘すれば確かに地中化と言う発想になります。
それを理屈で止めるのが本当は政治なのですが、そう言うのを総合的に勘案するだけの政治と言うような状況にありませんよね。
利権優先みたいな風潮にしてもそうですが、国家観なんて言い出す時点で日本が孤立して失敗した先の敗戦を理解しているとは思えません。
例えば、鯨の漁に拘るとしても伝統的な話は有るとしても、一方で海の汚れと言う話もあります。
だから、歴史も科学も両方必要なのです。
そもそも公約にしてもおかしいのは守る気があるのかです。
普通に考えたら、実績を評価して貰ってその上で将来の話ですよね。
これやりますと言う話になり易いのが日本の政治や選挙の薄っぺらい所です。
公約を出した所で守られるかは難しいのです。
原因は金のかかる物程、当然ながら予算を通すのに力が要ります。
そしてそれは以前なら派閥とか領袖とか権力による影響もあった筈です。
また、法整備にしてもそれを説得して数がいないと通せません。
漠然と国家観とか言って如何にもそれが何か道徳かのような理屈で倫理観とされるのにはもう時代が違う気がします。
普通の人が国家に対する必要性が低くなり、選挙にも行かない程に関心を持たなくても良い状況にあります。
市町村のレベルなら避けて通れない話でも国家となればまた別です。
ただ、岸田首相が恩義でか安倍晋三氏の国葬を強行してそれはそれで良いのですが、ただこのレベルの話になると他の人は国葬ではなかったと言う話になります。
本当に国に寄与したかは難しいし、歴史が決めるのかもしれません。
だとすれば国民の生命、財産を守るとして、その上で対諸外国の外交がスムーズに進むような事も必要です。
国民の足を引っ張るだけの国の行政機関で重税感は大きいのに公的サービスのレベルは酷いとかよくあります。
やはり原因は歴史的にそう思いこまされるような制度体系でしたから。
政治が本来の理論に基づいて行われているだけなら、そんなに有意差はないのでしょうけど大抵利権絡みでどうしても利害関係が生じます。
綺麗事を並べる前に実際の政治の問題点をクリアにしないと債務が溜まるだけです。
総理に理想を求めるよりも実際の問題解決するだけの能力や行動力を求めないとやっていけません。