誰かと比較して言うのは良くないのかと思います。
紅白単なる歌合戦でしかありません。
ランキングでも、特殊な評価でもないのです。
誤解の原因はテレビ放送開始の頃の視聴率が高く、多くの人が見ていると思っていたのが原因なのです。
ところが、実際に全てを正確に憶えている人なんて少数です。
いつ頃からそうなったのかと言えば、1985年頃には既に崩壊し始めています。
顕著なのは平成になってからの落ち込みなのかと思います。
それで更に音楽離れやテレビ離れが拍車をかけているとされます。
そう考えると紅白歌合戦の役割はとうに終わっていました。
帰省とか、家族団欒とか、一年の締め括りとか年中行事の一つだったのは昭和の頃でそのテレビ離れ、音楽離れの中でも踏ん張っていた方です。
年末の行事のもう一つレコード大賞の方は更に深刻な話です。
視聴率も低いのですが、更に疑惑が持たれています。
それに比べればNHKだけの事はあってそう言う話はまだ少ないのかと思います。
ただ、反面出演者の選定や演出で反感を買うのが続いてしまいます。
それもテレビ業界や雑誌記者には年中行事なんでしょうね。
ハッキリ言えば、そう言った人やそう言った人が取材した記事に踊らされる人くらいしか反応しないのでしょう。
下手すると知らない人が出てきて歌を歌うけど、スールーでも構わないのでしょう。
目的の歌手などを見ればそれで満足な人もいるのかと思います。
こんな話をした後ですが、立憲民主党の「1億総中流」の幻想が崩壊したのが平成に入る頃だったんだと目に見えて分かりました。
昭和の頃は視聴者も単純で出された物を有難く受け止めていました。
バブルの崩壊と共に必要な事は言わないといけないし、かつ価値観の多様化を認めて欲しくなったのかと思います。
結局、思うのは紅白歌合戦に誰が出ようと構わないし、それを騒がないといけない時点でその程度の事に執着出来るような状況な人なんだと言う話でしかありません。
残念ながら政治家も野党の議員さんは一方で多様化を主張し、また一方で平等を主張するご都合主義の理想論者なのかもしれませんね。
全てに言える訳ではありませんが、多様化していけば、それをフォローし切れなくなるのも現実のリソースが有限だからなのにそれを分かりそうな物なのにスールーしていますよね。
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