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主夫の徒然なるままに

毎日の夕食作りに奮闘する主夫の独り言

女子の貧困

2022年03月31日 | 日本の現代社会
「シングルマザーの貧困」水無田気流著 を読んだ。

4組に1組が離婚するという、そのままシングルマザーになるパターンも多い。ただし、新婚の25%が離婚するわけではないのに注意が必要だ。
塾講師をしていると生徒の親がシングルである比率が結構高いのに驚く。さらに、その母の職業が、看護師であることにも驚き、また、納得もする。
貧困の連鎖、10代での妊娠結婚、この場合の離婚率は70%もあるそうだ。そして、そのシングルマザーは、貧困へと落ちていく。さらに、その子供たちも学業への不振から、貧困が再生産される。看護師であれば、ある程度の経済力があるので、せめて、良い高校、さらに大学への進学で貧困の連鎖を断ち切ろうとするのは当然であろう。
 社会の階層化が問題になるが、結婚でも二極化が進んでいる。高度な学歴を持つ女性は、同類の男性と結婚する。女医の75%が医者と結婚するという。女性の大卒者は、大卒男性との結婚を望む。看護師のお母さんが、とにかく塾に通わせ、学力を付けさせ、大学まで行き、上の階層を目指してほしいと子供に願うことになるのは当然であろう。

 福祉施設で働く女性の多くは、シングルマザーであった。看護師よりは、学歴などの資格がなくても需要が高いからである。その職に働く中卒、高校中退の働く若い女性に複数会った。共通していることは、勉強しておくべきだった、高校は卒業すべきだった、という後悔の念である。社会とは、こんなに冷たいのかを痛感したことであろう。学歴は、社会を二極化、貧富の差を増大させる方向にさらに進んでいる。
 塾講師を30年以上続けて思うに、私の時代は、豊かさを求めて働く親とその子共であふれていた。貧困を知らない世代の子供たちに教えていたようだ。いや、私自身が貧困の家庭を相手にしなかったのかもしれない。現在の子供たちには、貧困のにおいが、あふれかえっている。教育に投資できないシングルマザー、教育に投資続けることで貧困にあえぐシングルマザー。世代の貧困が、引き継がれていく。
 日本中が、貧困にあえいでいる!



<主夫の作る夕食>
ぶりの照り焼き、上手にできました

<想い出の一枚>
若いころ、こうやって働いていた時期もあった。




「葬式は要らない」を読んで

2022年03月10日 | 日本の現代社会
「葬式は要らない」島田裕巳
アメリカドラマや韓国ドラマを見ていて葬式は、けっこう簡略なものだと、誰もが知っている。インドにいたっては、火葬のあとガンジス川に流すだけである。日本では、今でこそ見ることがなくなったが、華美は霊柩車が代表されるように豪華な祭壇を準備して儀式が行われる。

 仏教が、根本的に哲学的思想から始まったにもかかわらす、日本では、なぜ、葬式仏教になったのか、さらになぜあのように派手な葬儀が必要になったのか、その疑問にこの本は、答えてくれた。

 奈良時代に取り入れられた仏教は、当初、学問的色彩が強かった。次に輸入されたのが平安時代の「密教」である。疫病や天変地異の厄災を取り除き、祟りを抑え、個人の病を癒す現生利益をもたらす。密教では、現実世界の他のさまざまな世界が存在する。曼荼羅の世界や千手観音や不動明王などの異形の存在など、密教を認めることで現実は別の世界の存在を受け入れることになる。

 次の浄土信仰により死後の世界、特に地獄の恐ろしさが強調される。そこから極楽浄土への往生する方法が生まれる。庶民には、「念仏」。貴族は、末法思想に対して現生の贅沢な生活を死後の世界に求め、現生の極楽浄土を出現させようとした。代表的なものが、平等院鳳凰堂や中尊寺金色堂など。浄土を模した祭壇をつくるなど、ここに日本人の葬式が贅沢になる根本原因があった。
 親鸞による仏教の大衆化、禅宗により戒名をあたえる葬式の儀式が確立される。さらに江戸時代に庶民を把握するための檀家のシステムが完成。村社会の格式にとらわれる葬儀が一般化し、戒名による家の格が存在するようになる。

 さて、現在では、結婚式も葬式も「家」を基本とする歴史が長かったが、高度成長時代からの核家族が一般的になった。そのため、結婚式も「仲人」などもなくなり、簡素化された。同じく、葬式も「家族葬」などが一般的になりつつある。さらに「戒名」も自分で考えたり、僧侶をよばない葬式や散骨なども増加しているそうだ。

 この本では、高額な葬式費用、戒名費用などを詳しく述べ、最後は、葬式無用論についての意見も語られるが、結局は、どう生き、どう最後を締めくくるかを考えることが重要だと結論づける。
 楽しく読ませてもらった。


<主夫の作る夕食>
初めて「豚丼」を作ってみた。基本、砂糖と醤油でつくるのにびっくり!そんなに簡単なんだ!




<思い出の一枚>





「上級国民/下級国民」橘 玲著 を読む

2022年03月06日 | 日本の現代社会


「上級国民/下級国民」橘 玲著を読んでみた。あまりの面白さに一日で読んでしまった。上級国民というとあの池袋の事故を思い出すが、この本では、下級国民に焦点をあて、世界の貧富の差の拡大、富の二極化について語られている。
 【パート1 下級国民の誕生】
 平成の時代、若者男性の雇用が破壊され、中高年(団塊の世代)の雇用(=終身雇用・正社員雇用)は、守られた。若者男性世代=非正規・フリーター→パラサイトシングル→ニート・ひきこもり
 上級国民=「日本人・男性・中高年・有名大学卒・正社員」=権利、人権が守られる(た)
 下級国民=「外国人・女性・若者・非大卒・非正規」(マイノリティ)=人権の無視される(た)
 →格差の拡大
 →平成=団塊の世代の雇用(正社員の既得権)を守る。
 
 令和の時代、団塊の世代の退場で「働き方改革」の開始
 →令和=団塊の世代の年金を守る。(=政治家の最大の票田)
 団塊の世代の消滅を待つ政治、その後の日本は?

【パート2 「モテ」と「非モテ」の分断】
 ・現代社会において、下流の大半は、高卒・高校中退の「軽学歴」層
 教育の本質は、「上級/下級」に社会を分断する「格差拡大装置」である。
 ・日本社会のマジョリティは、「男性」→「モテ(持てるもの)」と「非モテ(持たざるもの)」分断・格差が拡大する。ビジネスで成功できないもの「持たざる者=下級国民」は、会社共同体から排除され、さらに性愛からも排除される。結婚もできない。人生の否定へ。

【パート3 世界をゆるがす「上級/下級」の分断】

現代=後期近代
▼「知識社会化」=人々は知能によって分断される
 最先端テクノロジーを開発する少数の知識層に富が集中化する。
 ✕反動→知識社会に適応できない白人=トランプ旋風

▼「リベラル化」=個人の自由(自己実現)の最大化
 リベラルな社会の本質は、能力主義 =究極の自己責任の世界
 ✕反動→これまでの共同体が解体、流動化・液状化し、対応できない人々との上級下級への分断を加速化させる。

▼「グローバル化」
 世界の豊かさは、グローバル化により発展。しかし、世界の先進国の中間層の没落が顕著となる。アメリカ中流層の崩壊、日本の大卒若者の非正規、中高年のひきこもり・・・・


現代の社会において、階級の2極化がすすみ、日本にも貧困層が拡大している。世界2位の経済力を誇った日本もいつの間にか、貧困国に成り下がっている。その現象の原因はどこにあるのか、考えさせられる本に巡り合えた。


<主夫の作る夕食>
ホッケ焼きました。長芋を薄く切って焼いてみた、美味しかった。

<思い出の一枚>
台湾のお寺





 





やりなおす「経済史」(蔭山克秀著)を読んだ

2022年01月17日 | 日本の現代社会
 蔭山克秀氏の哲学入門がたいへん変面白かったので、「やりなおす『経済史』 」を読んでみた。

 <初めにから>「経済史は、悪い奴らが紡ぎだした<欲望のドラマ>だ。~そこでは、国家元首も英雄も出てくるが、みな一様に欲深く、全員がそれぞれの立場の損得勘定で動いている。彼らは政治の場では美しいスローガンを口にするが、よく見ると目は全員[$]マークになっている。」こうやって始まる経済史、面白くないはずがない。

 前半は、世界史を経済の視点から解説、世界史が非常にわかりやすく感じてしまった。いままでおや?っと思っていたことがなるほどと理解できたような気がする。産業革命後のイギリスを中心に、さらに、第一次世界大戦後のアメリカを中心にしたやくざの親分たちのような悪辣非道な人々(国々)の戦いをじっくり楽しませてもらった。さらに、戦後は、日本を中心に解説してくれるのだが、自分が生きた時代の、60年代から90年代、さらに現在まで、あの時のあの事件は、そういう意味だったのかと自分の知らなさ加減に驚くとともにすっきりした気分にもなれた。悪い奴らが多かったことも理解した。

 さて、コロナ不況と言われる現在の日本、そして全世界。お金をばらまき続ける政府、史上最低の金利を継続する日銀、これらの流れは、今までの経済の歴史を見ていると正しいのかどうか、疑ってしまう。
 
美しいスローガンの裏で誰が極悪非道の仁義なき戦いをしているのか。
 今からの日本、どうなるのだろうか。





<主夫の作る夕食>
だいこんとしめじと鶏肉、美味しく頂きました。



<思い出の一枚>
中国 南京

日本人向け中華料理、南京にて


幼児とスマホ 「スマホ脳」を読んで

2021年06月04日 | 日本の現代社会
 忙しいお母さんは、昔、子守りの代わりに赤ちゃんにテレビを見せていた。時代は少し進んで、ビデオを見せていた。同じ「101匹ワンちゃん」を毎日、飽きることなく見ていた(見せていた?)。さらに時代は進んで、子守りの代わりは、インターネットになった。さらに、タブレットやスマホのアプリとなった。シートベルトにしばられて泣きじゃくる赤ちゃんもタブレットで映像を見せると即座に静かにり、かなりの時間じっとしている。赤ちゃん用アプリも豊富にあり、絵本と同じようなものから学習用のアプリもあり、飽きさせない工夫が随所にみられる。1歳から2歳にかけてはアンパン系の動画だったが、動物アプリや数字アプリも一人で動かすようになり、さすがI T時代の幼児だと感嘆する。2歳を過ぎてくくると英語の動画やアプリも加わってインターネットに接する時間が長くなってきた。母親は、職場から帰るなり、ひと時もスマホを手放さない。ドライヤーをかけながらスマホをする姿を見ていると唖然とするが、その間、子供にはネットでお気に入りの動画を見せている。
 そんなに毎日、タブレットやインターネットに没頭させていていいものだろうかとふと疑問に思う。書店で手にした「スマホ脳」という本の目次に<幼児には向かないタブレット学習>というのを見つけて購入してみた。 
 スウェーデンでの調査だが、乳児(月齢12カ月まで)の4人に1人がインターネットを使い、2歳児の半数以上が毎日インターネットを使っている。7歳児にほとんどが毎日ネットを使い、11歳は全員が自分のスマホを持っている。ティーンエイジャーは、毎日3~4時間スマホで費やしている。これは、日本でもほとんど同じではないかと思う。驚くべき数値だ。
 では、なぜそんなにスマホが魅力的で手放せなくなるのかを著者のアンデシュ・ハンセンは、人間の脳の歴史からわかりやすく説明してくれる。さらにスマホからくるメンタルヘルスへの影響などを精神科医としての切り口で具体的に解説し、さらに、デジタル時代の明快なアドバイスも提示している。残念なのが、乳幼児への影響について詳しく知りたくて読んでみたが、その部分の著述は少なかった。学校でのタブレット学習が話題になっているが、その功罪なども知りたがったが、そこまでの記述はなかった。
 とにかく、スマホ依存は、精神的にも肉体的にも、そして生きる時間の無駄さ加減に関しても、あまり喜ばしいことではないことは確かで、みな、心の底で多少ともなんとかしなくてはと思っている、アルコール依存症、ギャンブル依存症、薬物依存症とまでは考えていないけれども。

 さて、2歳8ヵ月の幼児にインターネットやスマホ、タブレットから遠ざけるようにしてみた。実に簡単なことであった。一緒に公園で遊んであげ、ボールと遊び、本を読んでやり、白い紙と色鉛筆を用意して見守る、いろいろと話をし、聞いてあげる、一緒に歌を歌う。ネットが見たいなんて一言も言わなかった、当然である。要するに大人が原因なのだ。

 「スティーブ・ジョブズは、わが子になぜiPadを触らせなかったか」
  
                ・・・・ なるほど!



<主夫の作る夕食>
3色どんぶり作ってみました。炒り卵、結構手間暇かかりますね。でも、美味しかった。(笑)



<思い出の一枚>
バチカン市国