Dr.mimaが医原病を斬る!

C型肝炎の解決を目指し、国の責任を追及するため闘っています。

C型肝炎問題を考える会について

2014年11月06日 10時04分51秒 | 由仁・三川C型肝炎訴訟
この会が出来たのは、2006(平成18)年11月11日のことです。

1.この町は札幌市から東へ約42kmの所にあり、空知管内の最南端に位置し、ひょうたん型の農村地帯です。
北海道では最も肝がんの死亡率が高い地域(全国平均の3倍である)であります。
原因究明のため町長、斉藤外一(さいとう といち)氏は同年10月20日、庁舎で疫学調査について賛同してくれるばかりか、町の保健婦をつけてくれるとまで言ってくれましたが、結局それは実現しませんでした。
このため昔からの友人、黒澤誠二(黒澤酪農園経営)とともに、三川地域の疫学調査をはじめました。
11月末からはじまり、新聞折り込みチラシと、老人クラブの協力を得て、20才以上を対象に肝機能検査、肝炎ウイルスマーカー、腫瘍マーカーを調べました。
協力者は20才以上で210人、三川の住人の12.3%が疫学調査に参加してくれました(第1次調査)。
 この時はHCV抗体陽性者(既感染者および現在感染している者)には、すべて超音波の検査を家庭訪問の上行いました。
その後、由仁町全体の疫学調査は中断していましたが、決してあきらめた訳ではありませんでした。
 そんなある日、思わぬ出来事がおこりました。
三川の疫学調査からほぼ2年が経った2009(平成21)年2月5日、受診者の1人岩崎昭明(岩崎鉄工所社長)がやっと病院を訪れました。
 検査(超音波、CT)では大小4個の肝がんを認め、小さながんは経過を見ることにしましたが、岩崎のショックは計り知れないものでした。
病院にきた途端、がんと言われたのですから、死を宣告されたと同じ気持だったと言います。
黒澤は由仁で感染しましたが、由仁の生まれ育ちではなく、いわゆる外者でした。
黒澤は由仁町の肝がん多発の問題を解決するためには岩崎しかいないと考えていました。
また岩崎とは遠い親戚でもありましたので精神的に支え続けました。
 岩崎は大きな1個の肝がんをラジオ波焼灼術でつぶし、そのあと7月2日からはインターフェロン治療を開始しました。
発熱、食欲不振、鬱(うつ)状態などの副作用にも耐えながら、2009(平成21)年9月11日「C型肝炎問題を考える会 由仁」を発足させ、自ら会の代表になりました。
発足と同時に岩崎を中心に人の輪はどんどん広がっていきました。

2.前代未聞の町民による三川地区以外の由仁町の疫学調査も着手しました。
この疫学調査は2009(平成19年)年11月23日から2010(平成22)年4月2日まで続きました。
この時も三川の時と同じような項目の採血を行いましたが、超音波検査はHCV抗体陽性で、過去にC型肝炎ウイルスに感染し、自然によくなった者(20~30%)を除く住民を対象に行いました。
対象者は20才以上で、疫学調査の参加者は309人、約8.5%の協力がえられました(第2次調査)。
第1次調査では210人の参加者がいましたが、「輸血歴のない者」179人で、「輸血歴のある者 31人でした。
第2次調査では309人が参加し「輸血歴がない者」は261人で、「輸血歴のある者」は79人でした。
 したがって第1次調査と第2次調査の合計は519人で「輸血歴のない者」は440人、「輸血歴のある者」は、79人でした。
「輸血歴のない者」のHCV抗体陽性率は38.5%(179人中69人)、第2次調査では19.5%(261人中51人)第1次調査および第2次調査の合計では27.3%(440人中120人)でした。
疫学調査参加者からの聞き取り調査からは、由仁町の開業医から「山内医院を受診した者」「山森医院を受診した者」「山内医院または山森医院を受診した者」「山内医院も山森医院受診しなかった者」(輸血歴のない者)を区別し、統計学的に処理をしますと、町全体のHCV抗体陽性率27.3%(440人中120人)でありました。
山内または山森医院を受診した者のHCV抗体陽性率は45.8%(214人中の98人)でしたが、これに対して「山内医院も山森医院も受診しなかった者」は9.2%(220人中22人)でありました。
更に聞き取りを重ねますと、山内医院、山森医院では注射器や針の使い回しが行われていました。

3.疫学調査が終わるたびに由仁町では、岩崎昭明を中心に疫学調査の報告会が行われました。
そして2011(平成23)年2月22日「C型肝炎問題を考える会 由仁」主催の報告会で、裁判闘争を辞さないことが確認されました。
翌2012(平成24)年10月9日、国を相手取ったC型肝炎(注射器肝炎訴訟)訴訟の第一歩がはじまったのです。
被害者救済に西村武彦(道央法律事務所 現西村法律事務所)弁護士を始めとする弁護団が立ち上がりました。
その後、由仁在住者および由仁出身者を含めて100人を超える原告が集まり、翌2013(平成25)年3月15日、札幌地裁に提訴しました。
この間HTB女性記者の大奮闘がこの裁判大きな後押しになりました。
原告団団長には岩崎昭明、副団長には黒澤誠二、南川公江となり、「C型肝炎を考える会 由仁」の代表には吉田秀弘が就任、由仁・三川C型肝炎訴訟の体制づくりが出来ました。
提訴後、札幌の「C型肝炎問題を考える会」は一定の役割を果たしたとして解散し、「由仁・三川C型肝炎訴訟を支援する会」を、名称を由仁・三川訴訟に全力をあげることにしました。

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