Dr.mimaが医原病を斬る!

C型肝炎の解決を目指し、国の責任を追及するため闘っています。

意見陳述②

2014年11月06日 10時13分08秒 | 意見陳述
意見陳述(第2回口頭弁論)
平成24年10月3日
黒澤 誠二

1 私は、原告番号2番の黒澤誠二です。私は、由仁町三川地区にあった診療所で、消毒されていない注射器で注射されたことによってC型肝炎ウイルスに感染しました。

2 まず、私がC型肝炎に感染した経緯をお話しします。
私は、昭和24年11月4日、札幌で生まれました。昭和43年に酪農学園機農高等学校を卒業しましたが、昭和44年に父が北海道千歳市に牧場を作ることになり、私達は有限会社黒澤酪農園を設立しました。黒澤酪農園は千歳市にありますが、千歳市と由仁町は隣接しており、牧場から三川地区までは約5キロメートルとすぐ傍です。
昭和45年の冬、私は知人の岩崎さんのお宅にいた際に風邪を引いており、岩崎さんから「隣に診療所があるから注射を打っていけ」と勧められ三川の診療所に行きました。診療所では、流れ作業のように患者さんが診察席に座るとすぐに医師から注射をされていましたので、私の順番はすぐに回ってきました。私が医師と向かい合って診察席に座った途端、その医師は「口を開けて」と述べて金属のへらを使って私の口を大きく開けました。そして「真っ赤だな」と述べた後、聴診器も当てずに「打つわ」とだけ述べてすぐさま私の腕の静脈に注射をしました。医師が使った注射器は、医師のすぐ傍のストーブ上に載っていたステンレスの入れ物に入っていたと記憶しています。ステンレスの入れ物には水が入っていて、何本か注射器が用意されていました。 注射された時は、全身が熱くなるように感じました。耳から始まって尻の穴、さらには風邪で痛かった喉も熱くなり、注射が効いているのだなと感じたことを覚えています。
私は、この診療所に同じ時期に3回通い、3度注射されたと記憶しています。私は、この3回以外にこの診療所で治療を受けたことはありません。
私達か億がいつも通っていた柳沢医院と岩崎さんの隣の診療所では、大きく異なる点がありました。柳沢医院では注射器を入れる容器には蓋がされていて、電気を通すコンセントにつながれて煮沸消毒がされていました。別の容器の中の注射器には青い光が当てられ滅菌消毒がされていました。
その当時同じ診療所でも随分違うのだなと感じました。
その後、昭和48年に結婚し子供も2人産まれ、酪農の仕事に励んでいました。
しかし昭和54年頃、たまたま健康診断で初めて肝臓の数値が異常だと指摘されました。昭和45年に診療所で注射をされてからすでに9年が経過していました。しかし、その頃私は「肝炎」という病気のことを全く知らなかったですし、気にも留めていませんでした。
その後平成元年の春に胆石が原因で手術をしました。この頃、私の義理の兄は肝臓が悪いと診断されて病院に通っており、開腹手術を受け苦しんでいました。私が手術をした際、医師から肝臓の数値が高いから検査した方が良いと勧められました。医師からはひょっとしたら肝炎かもしれない、輸血をした経験があるかと聞かれました。私は輸血をした経験がなかったので、ありませんと答えました。
約1ヶ月後、正式な検査結果が出て、医師から「非A、非Bの肝炎です」とはっきり告げられました。
この医師による告知をきっかけに私の人生は大きく変わりました。

3 次に、私がC型肝炎に感染したことにより、受けた被害についてお話しします。
私は医師から非A非Bの肝炎であると告げられた際、義理の兄の肝臓の病気で苦しんでいた状況を見ていましたので、深刻な病気だと受け止めました。肝炎になれば大体肝硬変や癌になると聞いていましたので恐怖を感じました。
その後、インターフェロンの投与を受け始めましたが、副作用でうつ、味覚障害、頭痛、吐き気、体の痛み、かゆみ、だるさといった症状が出始め、朝起きるのもつらい状態になりました。当時の肝臓の数値は200と高かったと記憶しています。私の酪農園では、その頃牛を130頭飼育しておりました。大変忙しく、毎日午前0時頃、遅い時には午前3時過ぎまで仕事をしていましたので体は悲鳴を上げていました。
私が肝炎に感染したのは、三川の診療所のたった3回の注射が原因だと分かったのは、平成2年頃のことです。当時、私が入会していた北海道ウイルス肝炎友の会南空知支部の会合で三川の診療所の話が出ました。
三川の診療所で注射された人に限って肝炎に感染している方が大勢いるということを聞きました。
私はその話を聞いて愕然としました。私もあの3回の注射が原因で肝炎に感染したのだと確信しました。「そういうのってありかよ」心から怒りを感じました。義理の兄も三川の診療所に通っていました。
三川の診療所で注射された当時は、牧場で飼っている牛に対して予防接種や採血のため注射をする際、使い捨ての注射器を使うのが常識でした。もちろんその理由は伝染病を防ぐためです。牛に対する注射でも使い捨ての注射器を使用しているのに、なぜ人間に対して使い捨ての注射器を使用しなかったのでしょうか。
その後、私は慢性肝炎の診断を受けました。
平成7年には義理の兄が47歳の若さで肝硬変が原因で死亡しました。兄の晩年はすさまじいものでした。肝硬変が進行し肝性脳症になり意識障害が原因で、運転中にバスと衝突しそうになったこともありました。死ぬ直前には吐血し静脈が破裂して目から出血をしていました。
私は兄の壮絶な死を目の辺りにし、恐怖心を現実的に抱きました。私の義理の父と母も三川の診療所に通って注射され、C型肝炎になりました。
私の妻やその兄弟二人も三川の診療所に通って注射されC型肝炎になりました。三川の診療所に通って注射された人はことごとくC型肝炎になっているのです。
私が経営している黒澤酪農園の牧場では、現在牛を130頭飼育していますが、家族4名だけですので人手に余裕はありません。
しかし、私には酪農という過酷な仕事に耐えられる体力が残されていません。
私の酪農の仕事は祖父の夢につながります。私の祖父の黒澤酉蔵は茨城県の大変貧しい家で生まれた後、足尾銅山鉱毒事件に関わった田中正造の弱者救済の精神に共鳴し、その運動に参加しました。運動に参加したため警察に逮捕されたこともあります。その後北海道に渡り札幌市山鼻で牧場を作り牛乳売りを始めました。その後仲間と雪印の前進となる組合を結成し、国会議員にもなりました、祖父は酪農に携わる人材を育てたいという思いで現在の酪農学園大学を設立しました。そのような祖父の働きが評価され民間人として初めて勲一等瑞宝章を受章しました。
私は祖父の酪農に対する思いを受け継ぎ、黒澤酪農園を引き継ぎました。しかしながら、私は自分の体が思うように動かず酪農に力を注げていません。患者の一人として、不条理な理由によってC型肝炎に感染した患者を救済したいと考え、多くの時間を裁判に費やしています。
祖父の酪農への思いを引き継ぎたいという、自分の思いとは異なる状況に、私は追い込まれています。

4 次に、私達原告がこの裁判に辿り着いた道のりをお話しします。
平成16年に主治医であった美馬医師から由仁町のC型肝炎患者に対する疫学調査を考えていると打ち明けられました。それを聞いて大変興奮したことを覚えています。三川のC型肝炎問題に光を当ててくれるのかと期待したからです。
平成18年にはC型肝炎問題を考える会が発足しました。
調査開始にあたっては障害もありました。調査を由仁町で実施するに先立ち町長に挨拶に出向いたところ、町長から「やりたいならどうぞ。但し風評被害は出すな。」と釘を刺されました。私達考える会は町からの支援は受けられませんでした。
当初三川地区を中心に調査を実施していましたが、大変深刻な状況であることが分かり、調査地域を由仁地区にも広げました。疫学調査の結果由仁町全体のC型肝炎患者の数は当初の予想を遥かに超えていました。感染者の自宅所在地は特定の医院の周りに集中していました。愕然としました。
平成22年7月に考える会で疫学調査の報告会がありました。私達考える会の会員は立ち上がり、裁判で国に救済を求めることを決意しました。
私達は協力してくれる弁護士を探し、原告団長の岩崎さんを中心として由仁町の方々に呼びかけました。106名が手を挙げました。
由仁町ではいまだC型肝炎患者に対する差別が根深く、自分が肝炎患者であると表明することは大変困難です。いまだに訴訟に参加出来ずC型肝炎患者であることを隠し続けている方がいるのも現状です。
裁判所に分かっていただきたいことは、私達原告はやっとの思いでこの裁判に辿り着いたということです。差別と闘いながら患者会を立ち上げ、4年の歳月をかけて疫学調査を進め、原告を募りました。私達原告の大半は高齢です。過酷な農業や酪農の仕事を続けながらこの裁判に参加しています。このことが如何に大変なことかを理解していただきたいのです。

5 私は、三川の医師のたった3回の注射によってC型肝炎に感染しました。長年のインターフェロン投与の副作用で大変苦しい思いをし、一時体重は14キロも減りました。しかし少しでも治りたい一心で耐えてきました。
私は先日の検査で慢性肝炎から肝硬変に進んでいることが分かりました。義理の兄が逝った時の顔が今もまざまざと蘇っています。私はまだ生きています。しかし、もっと大変な人もたくさんいます。原告は皆明日の命を懸けています。
車を運転する人は免許が必要です。国は医師に免許を与えてそれでおしまいなのでしょうか。免許を与えた医師の医療行為を国が管理監督する義務はないのでしょうか。国が注意喚起をしていれば医師は注射器の消毒を徹底したのではないでしょうか。
国の責任で生じた不条理を放置しないでほしい、きちんと救済してほしいのです。
裁判所には、良識ある判断をお願いするのみです。

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