Dr.mimaが医原病を斬る!

C型肝炎の解決を目指し、国の責任を追及するため闘っています。

わが一生の思い出

2015年05月19日 07時00分00秒 | その他


私は柳澤謙が「わが一生の思い出(非売品)」という遺稿集を自費出版していたことを知ったのは2007(平成19)年8月末のことである。
その後どうしても柳澤謙の遺稿集(わが一生の思い出)の全文を読破しない限り、BCG研究の全容を解明できないと判断して彼の遺稿集を必死で探した。
その結果、彼の故郷が新潟県中頸城(なかくびき)郡津有(つあり)村であることが解った。
ここは現在の高田市に当たる。
2007年12月、高田市立図書館へ電話したところ、図書館が所蔵していることが判明した。
早速札幌市立中央図書館に貸し出しを依頼して送ってもらった。
「わが一生の思い出」は、第一編 誕生から結婚まで、第二編 研究生活とその周辺、第三編 海外旅行の印象記からなっていた。
暮れも押し迫った12月28日、第二編 研究生活とその周辺を全部コピーした。
その後幸運なことに古本屋にあることが解り、2015(平成27)年4月16日購入することができた。
ついに核心に迫れる時がきたのである。
 この自叙伝は、1977(昭和52)年8月、彼が国立予防研究所(現国立感染症研究所)所長を70才で退職後、毎年夏の一ヶ月半、山中湖の別荘にこもり、執筆していたものであることが解った。
「わが一生の思い出」は未完であったが、彼の息子は父の意志を次いで出版しようと考え、遺稿集(非売品)を出版した。
第二編は出版の前に家族が国立予防研究所(国立感染症感染症研究所)の検閲を受けていた。
その結果、彼の業績目録の中から肝心な論文は削除射さていた。
この自叙伝は、1977年(昭和52)年8月、彼が国立予防研究所の所長を70才で退職後、毎年夏の1ヶ月半、山中湖の別荘にこもり、執筆していたものである。
 ところが、「悪魔の飽食」が1981(昭和56)年11月に発売された。
発売と同時にベストセラーにもった。
 彼にとって人生最大の恐怖だったと予測される。「悪魔の飽食」出版半年後の1982年5月3日に心筋梗塞をおこし、一時よくなるも6月18日には再発作をおこし死亡した。75才であった。


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