いきなり、「飛燕の掩体壕」ってなんだろうか・・・・
先週末に、はるばる都下の調布まで出かけて、息子のアメフトの最終戦を配偶者と応援に出かけたのですが・・・
以前から、見ようと思っていた、旧陸軍調布飛行場の首都防空隊の飛燕の掩体壕が確か残っているのではないかと思い、試合会場から30分ほどの旧陸軍調布飛行場跡にいきました。
ありました、ありました、雑木林の中にコンクリートのドラム缶を縦に半分にしたような掩体壕が。
半分は埋まっていましたが、二箇所ありました。
もう日本には、そんなに数多くは残っていません。
戦争遺跡と呼ぶには忍びないのですが、この掩体壕の中にあの飛燕が格納されていたとは。
なぜゼロ戦ではなくて、飛燕なのか。
そう、空冷エンジンではなくて、液冷エンジンのあの独特な、スマートさなのです。
もう五十年も前に、プラモデルを作っていた私は、あの独特なデザインに若くして惚れ惚れしたのです。
当時の同盟国のドイツのダイムラーから技術導入して確か、三菱でもなく中島飛行機でもなく、確か川崎重工だったと思います。
よくよく考えると、長じてホンダやヤマハではなくて、カワサキのダブワンに乗った時から、カワサキの粋を感じていたのでしょうか・・・
それにしても、戦争末期に首都防衛を考えて、こんなところからあの飛燕がB29めがけて飛んで行ったのを考えると、イヌワシをめがけて、ショウドウツバメが飛んでいくような状態だったのかなと、思いに耽ってしまいました。
リタイア後に時間が出来たら、全国の掩体壕探訪に行きたいと思っています。