LKR日記

日常の身辺に起きる四方山な出来事を書き連ねたブログを始めました。
興味のある方は、お立ち読みください。

「大古墳展」見学・・・

2023年07月22日 11時01分44秒 | 歴史探訪
 ここのところ毎日猛暑・酷暑の日が続いていますが、2日ほどは曇天の日が続いて、室内気温も30℃を超えることがありません。
物置の無線室は41℃を超える日が続いていました。
大切な受信機や送信機が熱で故障する事は無いと思いますが、この暑さは心配です。

 先日お隣の市で毎年この時期に開催されている埋蔵文化財の出土展の通知葉書が来ていたので、暑い中でしたが出かけました。
26回目ということですが、確か20年ほど以前の頃から毎年出かけています。
お隣の市は私が住んでいる市よりも規模は小さいのですが、毎年このような発掘展を開催していて、私の様な爺さんでも非常に理解しやすい展示品と説明資料が用意されています。
しかも、写真撮影も自由ということで、見学者の皆さんはスマートフォンで記録しています。
 地形的には縄文海進の影響もあり、湿地帯と台地に富んでいて食料生産も可能で在ったためか、今回の古墳文化も盛んだったと思います。
住宅開発で在ったはずの古墳もかなりの数が墳丘が無くなり新興住宅地に変貌しているようですが、専門の職員の調査で発掘調査が行われているのがよく判ります。

 今回の発掘古墳展もそうですが、「形象埴輪」に出会えるのが毎回の楽しみでもあります。
あちこちの博物館や郷土館で開催されている縄文時代から弥生時代・古墳時代に至るまでの展示は毎回楽しみで居住している地域での、数千年の人の歴史を垣間見ることが出来て楽しみです。

 最近は発掘される形象埴輪でも、人間の表情に興味があります。
人物埴輪を作製した人がどんな気持ちで作製したのか、つい想像をかき立てられます。
 言語も記録も無い中で、埴輪に託した情念が何だったのか考えると人間の歴史とか日本人と爺さんはつい考えてしまいます。
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伊勢物語に更級日記、加えて奥の細道・・・

2023年02月25日 13時23分31秒 | 歴史探訪
 今週は月曜日から源泉を100リットル山里に買いに出かけたり、都内に部品を購入しに出かけたりと、普段の引き籠もり爺にしては動き回ったので、身体を酷使した1週間でした。
 加えて、車庫のキャンピングトレーラを友人に譲った後に息子が車庫を使うので、車庫の整理をしたりと無理がたたりました。

 その反動なのか、週末の時間は古典文学を肴にして、猫達と日向ぼっこをしながら昼呑みをしていました。
平日の午後にこんな贅沢な時間を費やすのは、現役のサラリーマン時代には夢の様でした・・・
そもそも、古典文学なんて授業では感心が無く、専ら理系の勉強が主でしたから、古稀まであと僅かなのに猫達と日向ぼっこしながら酒の肴にするなんて考えられませんでした。

 本棚から文庫本の「伊勢物語」、「更級日記」、「奥の細道」を引っ張り出してきて、寝っ転がりながらの読書でした。
時系列を考えると、前二者は今から大凡1000年もの昔に書かれているし、後者は約400年も昔の紀行記録です。
改めて読み返して見ると、人間の感情(特に男女の機敏・・・)なんて、全然変化していないし、むしろ環境の変化によって今の人間のほうが劣化・退化している様な気がします。
 先日も近隣自治体の縄文時代の発掘記録展に出かけましたが、火炎土器や埴輪を見るにつけ、芸術的な分野では古代の人々の方が感性が豊かだったような印象があります。

3Y0JのBouvetの信号が受信できませんでしたが、しばらくは積み重なった書籍を肴にしたいと思います。

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遺跡発掘調査発表会・・・

2021年12月18日 06時14分52秒 | 歴史探訪
 先日、お隣の市の遺跡発掘調査の展示発表会に行きました。
腰痛の痛さもいくらか軽減したので、低気圧が来る前にと思いくるまで30分ほどの距離なので楽でした。
 
 初めて行ったのが12年前ですから、毎回開催の連絡葉書が開催1ヶ月前に来ます。
今どきの自治体開催の事業年度毎の発掘調査発表会としては、大変努力されていると思います。
市民会館の会議室ですが、職員の説明も懇切丁寧で、知識も深くて聴いていて楽しいものが有ります。

 毎回思うのですが、関東地方の辺境の地ですが、発掘された縄文時代の火炎土器を見ていると、今から遡ること一万年ほど前にあれだけの芸術性のある文様を作る人々が居たことを考えると、現代人が文明の中で失った物が多いような気がします。

 理科系のお勉強をしたためか数値に置き換えて考えると、100年を1cmとすると、約1万2千年前から2千年ほど前の約1万年の間になりますから、縄文時代は約100cmの間も続いていたことになります。
地球上の気候から見ると間氷期が終わり温暖化になり、縄文海進となり関東地方の奥地まで東京湾が入り組んでいたと想像できます。

 縄文人の居住していた発掘された住居跡を見ると、おおかたが現在人が住居を建てるので試掘して発見されたものが多いようです。
縄文人も現代人も同じような地形の所に居住場所を選択するのが面白い所です。
 

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古本三昧・・・

2021年11月05日 09時15分44秒 | 歴史探訪
ここのところ小春日和の日が続いていますが、腰痛が酷くて外出は避けていますが、無線室の整理や短波帯のアンテナの組立てで半ば椅子に座った状態の作業が続いています。

ご近所の福祉作業所で古本市があり、覗いて見たところ、なんと欲しかった本が2冊もあり、@100の値段でまたビックリ!!
「埼玉県入間郡誌」と「新編武蔵風土記稿 埼玉編」の2冊で合計200円!!!!!!!
2冊で厚さが30cm程になりますか。

以前から図書館で借りていましたが、値段が高くて神田の古書市でも購うことが出来ませんでした。
それがなんと、自宅から歩いて30秒ほどの福祉作業所の古本市でありました。
かたづける人がいれば、捜している人もいます。
パラパラとページを捲りましたが、もう面白くてしかたがありません・・・
さすがに厚い書籍なので、就寝前の読書には出来ませんが、無線工学辺りの本を読んだ後には、異なる次元のジャンルなので頭の中のシャッフルになります。
「断捨離」とか「終活」とかを標榜しているのですが、「知識欲」は抑えられませんね・・・

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三軒長屋のラタン家具・・・

2021年06月25日 09時42分18秒 | 歴史探訪
 物心がついた頃から、不思議だなと思っていたことが、最近になってようやく氷解できました。

 小学校入学の頃から、高校生2年生の中頃まで、我が家は三軒長屋の真ん中でした。
窓が無い家で、夏は県道に面した引き戸は、昼夜関係なく開け放しでした。
そんな家にも関わらず、我が家にはラタンの家具がいくつもあり、なんだか小屋の様な別荘に住んでいるような状態でした。
父親の趣味でそうなっていましたが、還暦を過ぎて改めて「何でだったんだろうか?」と、調べました。

大凡の推理は見当がつきましたが、3世代に遡り判明しました。
父親の父親、私から見ると父方のお爺さんですが、大正時代の逓信省の官吏でした。
当時のお爺さんのアルバムを見ると、高価そうな服を着てソフト帽をかぶり、宴会の席ではビールを飲んでいる場面が多かったように思います。
当時の社会階層から考えると、ビールを飲むなんて行為は、おそらく高給取りでなくては出来ないと思います。
孫に当たる私はというと、スルメを囓りながら梅チューハイを呑んでいるくらいです。
当時の官僚と言えば、たぶん階層的には裕福な部類だったのでしょうか、第二次大戦の真珠湾攻撃の前年に亡くなっていますから、戦後の極貧の生活を知るよしもありませんが。

 そのあたりから推測すると、第一次大戦後のベルサイユ条約で日本がドイツから委譲を受けた委託統治の南洋諸島のサイパン島やトラック島を含む一帯を監理するのに大正末期に南洋庁を設置して、第二次大戦の敗戦まで委託統治をしていたことがあります。

物の本でかつて読んだことがありましたが、当時「南洋趣味」が流行して、ラタンの家具と庭先にヤシ科の常緑高木の棕櫚の木を植栽として植えるのが流行っていた事を知りました。
おそらくは、その頃の裕福な生活で、都内で生活していた父親を含む一家はラタンの家具に囲まれている生活を享受していたのではないかと思います。

たぶんその頃の父親の幸せな思い出として、ラタンの家具が記憶の中に取り残されていたのではないかと思いました。

 「終活」と称して、かなりの身辺整理をしてしまいましたが、短波帯の受信機と送信機にアンテナの試作品がゴロゴロしている物置を見るにつけ、後の世代の孫達は「お爺さんは何でこんな趣味をしていたんだろうね・・・」と考えるのかと思うと、楽しみでもあります。
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アメリカの独立戦争とフランス革命の相関関係・・・

2020年10月23日 16時10分15秒 | 歴史探訪
高校受験の頃から殆どテレビを観ない習慣がついてしまい、もう半世紀の時間が経過しました。
なにせ、時間がなくて見る時間がない上に、高校に入学してからは学校とクラブ活動(アマチュア無線クラブでしたが)に土曜日曜日はガソリンスタンドのアルバイト、加えて工業高校からの進学でしたから、さらに時間がなくて、テレビを観る習慣がいつの間にか無くなりました。
今思うと、あの頃はどんな歌が流行っていたのか、年代と共に振り返る番組なんかを観る機会があると、アルバイトの情景が頭の中を走馬灯のように思い出されることがあります。

今日は何気なく昼のニュースを観ようと思い、リモコンのスイッチを入れたところ、国営放送の教育番組で高校生向けの世界史を特集していました。
アメリカの独立戦争とフランス革命の時代でした。
悲しいことに、当時の工業高校では日本史Aしか授業にはなく、受験勉強の科目として世界史Bを独学しただけでした。
そんな訳でしたから、清教徒革命と東部13州とワシントンとか、ジャコバン派のロベスピエールやナポレオン・ボナパルトの固有名詞は記憶にあるのだけれども、その関係が頭の中で整理されていませんでした・・・
いままでは、フランス革命は浅間山の噴火で、成層圏に粉塵が飛び散り時のヨーロッパで何年にも渡り飢饉に遭遇したのかぐらいの知識しかありませんでした。
たまたま、たかだか20分の番組でしたが、還暦過ぎの爺の頭の中にもスッキリ理解できました。
テレビに関しては、ほとんど興味がありませんでしたが、ビジュアルな方法での理解の補助にはもの凄く効果があるとこの歳になってよく判りました・・・
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ロングプリー事件・・・

2020年09月07日 16時22分36秒 | 歴史探訪
今朝の国営放送の「今日の出来事」を聞いていて、62年前に起きた進駐軍のジョンソン基地(現狭山市の航空自衛隊入間基地)で発生した米兵による銃撃事件の事を思い出しました。
同時代的には、群馬県で起きたジラード事件と類似した駐留していた進駐軍と住民の悲劇の事件でした。

このロングプリー事件では当時音楽大学に通学していた大学生が西武線の電車に乗車していて、米兵に狙撃され死亡した、偶発的な事件でした。
私の父親が元気であった頃に、何回か聞かされました。
たぶん父親にとっても衝撃的な事件だったのでしょうか。

現在では「進駐軍」という言葉自体が、若い年代の人には通じなくなっています。
ここで、「戦争とは」とか、「駐留米軍」とは、なんて議論するつもりはありませせん。
この日の出来事として、国営放送がこの事件を忘れていないことが、むしろほっとします。
犠牲となった音大生の男子学生が、あと30㎝乗車位置がずれていたら、と思うと毎回人生が異なっていたと悲しくなります。

我々の今までもこれからも、わずかな立ち位置や時間のずれで、生き方や未来が大きく変化してしまうことが偶然性に支配されているのかなと思います。

合掌
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日本史と世界史と・・・

2020年04月16日 04時42分29秒 | 歴史探訪
ここのところ無線工学の本ばかり読んでいて、工業高校の生徒だった半世紀も前の復習ばかりしていました。
読み返すと、当時は真空管の時代でしたので今の時代の中身とは合わないのですが、真空管の理屈の方が面白いのです。

終活を兼ねて積んである書籍の整理もしていますが、なかなか整理がつきません。
図鑑などの書籍は再度調べたい時に使うので、そのままなのですが、リタイア後に読みたいなと思っていた本がかなりの冊数があります。

高校生の時や大学生になってからも歴史に興味はありましたが、工学系の勉強ばかりでしたので、なにせ時代を追っての勉強はしていません。
整理していた書籍の中に歴史関係のY出版社の日本史と世界史が出てきました。
購入当時でも結構な価格でした。
ペラペラと読み始めると、つい読み始めてしまいます・・・
たぶん、授業での勉強をしていないから余計にこの年齢になってからの方が面白いのでしょうか。

日本史と世界史のテキストを対照して読み始めると面白いのです。
天明年間に浅間山が大噴火して軽井沢の「鬼押し出し」を作りましたが、成層圏まで吹き上がった火山灰は地球的な飢饉をもたらして世界の農業を疲弊させ、それから数年後のフランス革命の発端になったのかな?とか、シーボルト事件で国外追放されたシーボルトが今の私くらいの年齢の時に日本に戻ってきた時に「お滝さん」との間に出来た娘の「おいね」とどんな逢い方をしたのか?もう、小説でも書けそうなくらいに頭の中は筋書ができてしまいます・・・

だんだんと、終活の整理が遅くなってしまいます・・・
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荻生徂徠の「政談」を読んで・・・

2019年12月11日 08時17分05秒 | 歴史探訪
ここのところ就寝前の読書で荻生徂徠の政談に夢中になっています。
爺がそんなもの読んでどうするんだ! との意見がありそうですが・・・

荻生徂徠に興味を持ったのは高校生の時でした。
当地の古文書を読んでいたら、私の実家の地先にしばらくの間居住していた記録がありました。
当時の城主であった柳沢吉保に仕えていたためだと思います。

元禄9年の荻生徂徠がまだ三十路に入ったばかり、今から数えること300年以上も昔の出来事です。
こんな田舎から、江戸城の徳川綱吉に拝謁しに出かけたのかと思うと、昔の人たちの脚力には頭が下がります・・・

その荻生徂徠が書き著した「政談」ですが、300年前の江戸時代の徳川幕府の時代背景と現在の日本の政治経済状態があまりに相似していて、驚くばかりです。
社会状況、住民の自治の在り方、武士階級の堕落、士農工商の階級社会のヒエラルキーの在り方・・・

現役時代に購入して書棚に積んでおいたのですが、テレビや雑誌・新聞を熟読するよりはよっぽど面白くてたまりません。
人間の成せる業は、300年昔も現在もなんら変わりがないのですね。
技術の進歩進捗はあっても、人間の存在のあり方は全然進歩がありませんね。

当たり前の事ですが・・・
朝からまた爺の戯言でした。

今日は暖かそうなので、寒くなる前に梯子タワーに短波帯のアンテナを取り付けましょうか。

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ウィリアム・ガウランド・・・

2019年11月21日 12時02分01秒 | 歴史探訪
 昨日は当市の博物館で開催された、ウィリアム・ガウランドについての講演を聴いていました。
市の広報に出ていたのですが、さすがに専門分野が狭いので参加者は少ないだろうなと想像していましたが・・・

 会場入り口でチェックがありましたが名簿は20人ほどでした。
会場に着席すると、年齢的には私が一番若年層な感じでした。

ウィリアム・ガウランドは明治初期のいわゆる産業振興のためにイギリスからのお雇い外国人です。
冶金学者で大阪造幣局に招聘されて、銅貨の鋳造技術を日本に伝えた技術者でした。
また、日本の古墳研究の先駆者でもありました。

ちょうど昨年の今頃でしたが明治大学で古墳についてのシンポジウムが開催されて、同時に博物館でガウランドの企画展があり、楽しみにしていました。
今回の講演会も当市の博物館で開催されていましたが、物凄くピンポイントな題名でしたが興味のある私にとっては楽しみでした。

明治初期のお雇い外国人はモースやナウマンの名前を出すまでもなく、日本の殖産興業や文明開化に力を注いだ外国人です。
150年もの昔に異国の地から極東の島国にわざわざ来て技術の伝播をしたのですから、彼らが居なかったら今の日本の技術的な発展は望むべくもなかったでしょうか。

 リタイアしてから、今までそれなりに仕事に注いでいた時間を自由に使えるようになり、明治初期に日本に来た外国人を調べているのですが、彼らの行動力とか遺されたものを見るにつけ、その努力には敬意を払います。
心臓手術で入院していた時も、イザべラ・バードの書いた資料を持ち込んで3週間もどっぷりと読めたのも一つのきっかけでした。

 日本は鎖国をしていた時代にそれなりに文化の発展は有ったのでしょうが、明治の時代になり列強外国に後れを取るまいと、お雇い外国人を招聘して今の時代になりました。

なんだか、学生時代には勉強しなかったのですが、遅れて勉強をしたくなりました。
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