LKR日記

日常の身辺に起きる四方山な出来事を書き連ねたブログを始めました。
興味のある方は、お立ち読みください。

糠漬け・・・のことなど

2012年05月31日 07時06分50秒 | 雑談・その他
 毎年この時期になると、キュウリとナスの糠漬けが楽しみになります。
私の家族では、私と次男が食べるだけですが、朝糠床にキュウリ2本とナス2本を漬け込むと、帰宅して食事の頃はちょうどいい加減になっています。
 
 信楽焼きの陶器の甕を購入して、鋳鉄の塊を入れてからは、特にナスの漬けあがりが、いいような感じがします。

 その日の天気や、気温が幾日か高く続いたときの微妙な漬けあがりが、糠床の微生物醗酵の状態とか、塩分濃度による浸透圧の加減が微妙な感じが面白く思います。
 糠床は、乳酸菌醗酵だと思うので、昔から女性の手が入らないと・・・とよく言われますが、拙宅の糠床は女子禁制の状態になっています。

 配偶者の手を無理やり糠床に入れたりしたら、乳酸菌がビックリして、腐敗してしますかも知れませんね・・・。
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明治ミルクチョコレート・東京オリンピック・ニコンF・・・のことなど

2012年05月30日 07時02分29秒 | 雑談・その他
 明治ミルクチョコレート・東京オリンピック・ニコンFと続けて書くと、なんのことなのか、と思うのは誰でも思うところです。

 小学校に上がる前に父親がパチンコで景品に持ってきてくれるのが明治のミルクチョコレートでした、包み紙のアルファベットが小学校入学前の子どもには新鮮なレタリングでした。
 東京オリンピックのポスター、日の丸と五輪そして1964のロゴが小学生だった私の瞼に今も焼き付いています。
 ニコンFは大学生になって初めて手に入れた銀塩カメラ(いまではこういう表現になるのですね。)でした。

 何で、一見無関係に思えるような、私自身の思い出に残っている事象を挙げるのかというと、最近知ったのですが、この3つのデザインを亀倉雄策氏がデザインをしていました。
 デザインに詳しい方ならそんなこと知っているよと、言われてしまいそうですが、門外漢の私には、お名前は聞いていましたが、エッと思いました。

 デザインというのは、見た瞬間に感性が共振するような部分があります。
文字のレタリング、ポスターの配置、カメラのデザイン、異なるマチエールですが、たまたま私自身の中で共振したのでしょうか。
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獺祭書屋の続き・・・のことなど

2012年05月29日 06時54分00秒 | 雑談・その他

 先日正岡子規のことをつらつらと書きましたが、私の住んでいる川越の旧市内にも、正岡子規の旅の足跡が記されています。

正岡子規の碑は、川越市大手町の現在は個人宅ですが、元旅籠の跡地に高さ1メートルに満たない自然石に「砧うつ 隣に寒き 旅寝哉」と穿たれています。

夜なべ仕事で砧に布を打ち付けている、音が聞こえている旅籠で、南国松山とは違った、関東の空っ風に吹かれ,疲れた上に冷え切った体で旅の旅籠の独り寝をうたったものです。

 当時子規は、東京帝国大学に入学したばかり、関東地方から信州地方を旅していた頃の時代です。
 砧を使用して布に光沢を出すような行為は、たぶん当時の川越唐桟を作っていたのか判りませんが、青春の彷徨とでも言うような、24歳の子規にとっては大切な人生のターニングポイントだったのかもしれません。
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寝るは極楽・・・のことなど

2012年05月28日 20時49分48秒 | 雑談・その他
 
 親がよく口癖の様に「寝るは極楽、起きるは地獄。」と言っていました。
子どもの頃は何を言っているのか理解出来なかったけれども、齢五十の坂を登り始めると、「そうだよな・・・」と理解できます。
 それに加えて、早起きになってしまいました。
友人が話していた、「寝るにも体力がいるんですよ。」そうか、体力が無いから早起きしてしまうのか・・・。

 高校に入学した頃から、本を読みたいけれど一日の時間が惜しくて、何を削ればいいのかと考えて、結局テレビを見ている時間が無ければ一日かなり時間が割けることが判り、それから40年以上もテレビを見る習慣が無くなりました。
 最も、ニュースや天気予報はみますが、流行り物の歌謡曲やその他のことは無知になってしまいましたが。

 最も、風邪をこじらせて自宅で休んでいる時に、何気なくテレビのスイッチを入れると、平日の日中はこんな番組を流しているんだと思うと、いろいろな商品にこのコストが転嫁されているかと思うと、しばし唖然としたことがあります。

 話がわき道にそれてしまいましたが、今では寝る前の時間が至福の時になりました。
寝相が悪いので、ここのところ羽毛のシュラフに寝ているのですが、シュラフに潜って、寝ながら、溜まった月刊誌を読んでいると最近は5分持ちません。
 椎名誠氏のエッセイの中に、「厳冬期の冬山でテントの中で停滞しているときに、シュラフに潜り、文庫本を読みふけるのが至福の時間なのだ。」の様な文章を読んだことがありますが、それに近いものがあります。
 「寝るは極楽、起きるは地獄」、たぶん昔の過酷な労働をしていた頃の庶民の伝承だと思いますが、寝るは極楽ですね。
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獺祭書屋・・・のことなど

2012年05月27日 20時27分22秒 | 雑談・その他

 昨日は親の介護やら買い物やらで一日を過ごしたので、今日は晴れているので、久しぶりにラブラドル犬3頭を洗うことにしました。
 元々この犬種は、水浴びが大変好きです、真冬の1月2月でも、川辺を散歩していて、気を抜くと川に飛び込まれて、飼い主も飛び込み風邪を引いたことがあります。
 大型犬なので、3頭の頭から、尻尾の先まで洗うとさすがヘトヘトになります。

 しかしながら、洗ってから綺麗に乾かすと、ビックリ、ぬいぐるみのようにぱさぱさになるから不思議です。
 たぶん、犬は体の表面から体脂を出して、防水の機能を働かしているのだと思います。ですから、ぬいぐるみ状態は、人間にとってはいいのでしょうが、犬たちにとっては、無防備状態なので、あまり良くないのかも知れません。

 今日は、そんなことをしていると、通りがかった見知らぬオジサンから質問をいただきました。
 実は、私の家の玄関に「獺祭書屋」と2×4のパイン材に書かれた表札が架かっています。
 読み方は「だっさいしょおく」と読みます。意味は「かわうそが魚漁をした時に、獲物の魚を周りに並べるしぐさ」のことを表現しています。
 私の心酔する、正岡子規が自分の書斎を表現して、好んで使用していました。
そんな、こんなで私も借用させてもらっています。
 
 そのオジサンは、「いつも通るたびに、見たこともない漢字で、いつか聞いてみようと思っていた。」とのことでした。
 オジサンに、正岡子規と川越のことや、言葉の意味を話してあげました。
今日は、なんだかいい一日でした。
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Product Review・・・のことなど

2012年05月26日 07時57分09秒 | アマチュア無線

 昨日は気象庁の天気予報も外れて、雨に祟られた出張でした。
所用で会議があり、久しぶりに浦和まで出かけました。
 午前中の会議は無事終了し、いつものY家の牛丼の大盛りとショウガをたらふく食べて、いつものS屋書店に寄りました。

 さすが、文教都市浦和!! CQ誌が平積ではありませんか!!
発売から1週間を経過していますが、平積の場所は確保されていました。
 その隣には、「QEX Japan」まで平積になっていました。
特集が「QSTのProduct Revierの読みこなし」と「HENTENAのすべて」とあり、思わず購入してしまいました。

 鬼籍に入られた年上の友人のSさんには、「QSTのProduct Reviewはすごく参考になるよ!」と私は10歳余りも年下で、仕事も違いましたが、趣味が同じだけで、いろいろな教示をいただいたことがありました。

 私自身そのころに、ARRLのLIFE MEMBERにすでになっており、毎月QSTが自宅に届くのですが、簡単な部分は読めるのですが、技術的な解釈がもう一歩でした。
 今回の特集のような「読みこなし」のHOW TO文献が欲しかったのです。
今回の特集の執筆はJJ1GRK高木OMが担当されており、これからじっくりと時間をかけて「読みこなして」みようと思います。
 
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VW1302S・・・のことなど

2012年05月24日 20時04分04秒 | 
 VW1302Sと書くと、興味の無い人には何かの記号か、と思われるかもしれません。

 昔々、私が高校生だった頃、父親が勤めていた会社の社用車がVW1302Sでした。
確か1971年製、1600cc、4速フロアシフト、右ハンドル、ソリッドカラーのクリーム色で、ディーラーはヤナセでした。
 今だから書けることだけど、初めて運転した車がこの車でした。

 その頃既に、大型自動二輪(今の時代と違って、その当時のバイクの免許制度は、50cc以下かそれ以外の2種類しかなかった)の免許を持っていたので、難なく運転はできましたが、ステアリングの切れ具合、サスペンションの堅さ、座席のすわり心地、国産車のフニャフニャとは似て非なるモノを高校生として感じました。
 父親は約10年乗り、最終のオドメーターは570,000㎞を越えていたのを記憶しています。

 その頃、ドイツ製のモノは頑丈なんだと、高校生であった私は肌で感じたものでした。
車載工具も、ハゼット社だと思うのですが、まさに「堅牢」な車載工具でした。

長じて、一時期ライカのM4というカメラを使っていたことがありますが、使用していて、「あっ、これはVW1302Sと同じ感触だ!」と感じたことがありました。

 たぶん、もう「モノつくり」の生産拠点は、ヨーロッパ諸国においても人件費の高騰から、東南アジアや、南米に移ってしまったのではないかと思います。
最新の技術で安い価格にはかないませんが、所詮人間の能力は大きな変化があるわけないのですから、技術にたよった運転をしてはいけないことをつくづく感じる今日この頃のLKRおじさんです。
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世界史・・・のことなど

2012年05月23日 21時38分29秒 | 雑談・その他
 
帰宅すると、食卓の上に教科書を広げて息子が中間考査の勉強をしていました。
 教科書を見ると、「世界史」、暗記をしていたのか、「ビザンチン帝国が・・・」とブツブツ言っていて、「ただいま!」と話かけても返事はありませんでした。
 教科書をよく見ると、山川出版社と書いてあり、いまから40年も前の夏の日を急に想い出しました。

 私が高校3年生の夏でした、在学していた工業高校では、就職が既に解禁となり、当時はあちこちで公害問題が発生して、高度経済成長の負の部分がクローズアップしはじめたころでしたが、まだオイルショックの前のためか、就職は、売り手市場の状態で、希望する生徒はほとんど就職できた状態でした。
 そのような中で、一部の進学希望の生徒は、前に立ちはだかる大学受験という大きな壁に対峙せざるをえませんでした。
 当時生徒会を一緒にやっていた、Sもその中の一人でした。
お互いに第一希望は、国立大学の二期校(当時はそんな呼び方をしていました。)でしたが、受験科目の世界史Bが難しく、共通の意見としては、「やはり教科書に戻るしかない!」となりました。
 当時の工業高校では世界史はAだけでした、そんな訳で夏休みも終わりかけていた8月の終わりに、電車を乗り継いで、当時神田神保町にあった山川出版社に行き、普通高校で使っている世界史Bの教科書を購入しようと思いました。
 事務所に入れていただき、女性の事務員の方に訳を話すと、「あんたたち大学受験頑張りなさい。」と私とSに1冊ずつ世界史Bの教科書を無償で持たせてくれました。
 そのときにいただいた世界史Bの教科書の厚みと、グレーの表紙の感触は40年の時間が経ったいまでも脳裏に刻まれています。
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東京スカイツリー・・・のことなど

2012年05月22日 21時49分28秒 | 雑談・その他

 東京スカイツリーが今日開業したそうです。
私の仕事場の7階会議室からは、冬期の晴天時ですとはっきりと確認することができます。
東京タワーも小学校の2階の図書室から、昭和30年代は確認することが出来ました。
 南の方に目を向けると、約20㎞遠方に「スカイタワー西東京」の195mの鉄塔も見ることができます。

 6年ほど前になりますが、息子と二人で近くを流れる新河岸川をカヌーで東京湾まで下ったことがあります。
 もともと、新河岸川は江戸時代から舟運があり、川越から浅草の花川戸まで下りは川越近辺で集荷された農産物、上りは江戸の産物といわゆる平底の高瀬舟が行き来していたようです。
 そんなこんなで、息子と父親の修学旅行をしようと、二人乗りのファルトカヌーにテントやいろいろな道具を積んで約10時間余りの川下りを楽しみました。
 最後は花川戸の先まで下ったのですが、両岸は切り立ったカミソリ堤防で、かろうじて転落した人を助けるための、金属製の梯子から隅田川の右岸に上陸することができました。
 今なら、川面の涼風に吹かれて、できたての東京スカイツリーを海抜0mから見物できるのでしょうか。
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金環日食・・・のことなど

2012年05月21日 20時57分25秒 | 天体観測
金環日食・・・のことなど

 今朝の金環日食を、国内の可視範囲の方々はどのくらいの人数が見たのでしょうか。
 私の家でも配偶者と長男と私で、一つの日食サングラスを取り合いながら天体ショーを楽しみました。

 26年前の1986年にハレー彗星が回帰して来たときは、実家の庭から、7×50の双眼鏡で母親と毎晩眺めては、全天恒星図にハレー彗星の位置を記入していたことを思い出しました。
 次にハレー彗星が回帰して来る2061年には、私自身は当然生きてはいませんが、息子たちは元気なら、66歳と68歳のお爺さんになっていると思います、息子たちの孫に、曾お爺さんが使っていた双眼鏡と鉛筆で書かれたハレー彗星の位置をたどっていたら、面白いなと思いました。

 私の家の周囲では、朝7時ころから、近所の家では庭に出てお婆さんもお爺さんも、日食用のサングラスをして、世紀の天体ショーを見ていました。
 近くのマンションではベランダに小学生から、お母さんが鈴なりの状況でした。
 7時30分を過ぎたころでしょうか、いよいよ金環日食が始まると自宅のラブラドル犬が急に吠え始めました、やはり動物の感性なのでしょうか、不思議です。

 古代から、日食については、サロス周期によって知られていましたが、現代人もやはり、太陽が暗くなったりする現象が畏怖の心理が働くのでしょうか
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