オーケーさんのブログで、「幸福の科学根本教義批判」を読ませていただきました。
マインドコントロールから抜け切れていない人のなかには、「HSにはおかしなところがあるかもしれないが、その教えの正しさは否定できない」という人もいるようですから、HSの教えにもおかしなところがあることを指摘することは、とても意義があると思います。
*
自分としては、「幸福の科学根本教義批判」のなかで、特に興味深く感じたのは次の部分でした。
本当は、「与える」ということの対極に、「受け止める」という考え方が必要であった。光を放射するばかりでなく、相手の内から光を引き出すという考え方が必要であった。
「奪う愛から与える愛へ」というスローガンの問題点
仮に「〇〇の愛」という形に当て嵌めるならば、「育む愛」という概念になるだろう。私は、二十年間、幸福の科学の信者であったが、「育む愛」という言葉をついに聞かなかった。幸福の科学には「育む愛」がない。
教義に欠けた「母性愛」
これはその通りであると思います。わたしはHSから離れた時期に、林道義の母性論や、フェミニズム批判を愛読していたのだけれども、案外、自分でも気がつかないうちに、HSに不足しているものを林道義の著作で補おうとしていたのかもしれません。
HSでは、当初は、「男らしさ、女らしさ」を尊重し、男性には男性の魂修行があり、女性には女性の魂修行があるとしていましたが、近頃はそれとは反対に、ジェンダー・フリー的な方向に進んでいるようですし、この調子では母性愛はもちろん、父性愛? の教えも説けない可能性は低くはないようです。このようなHSが保守を名乗るのはおかしな話です。
最後に、HSに擁護的なことも申し添えておくと、自分がまだ会員だったころに、「聖母マリアを招霊しても、説法することなく、黙って微笑んでいるばかりだから、聖母マリアの霊言集は出せないそうだ」という噂話を聞いたことはあります。
当時の自分は「聖母マリアのイメージ通りだな」という感想を持っただけでしたが、今にして思えば、当時の教団内に、教義に母性愛が欠如していることに気付いた人がいて、その理由づけが必要だったために上のような噂が流されたのかもしれません。……いや、やっぱりそれは考えすぎですね(笑)。