「幸福の科学」観察日記

「幸福の科学」を観察しつつ、心に浮かんだ感想などを綴っています。

聖霊を汚す罪について 1

2013-02-08 | 感想 2

 

宗教詐欺・マインドコントロールに荷担する信者の例 幸福の観測所

 

 

上の記事を読み、ひさしぶりに聖書を開いてみました。そして次の記述を見つけました。

 

霊媒を訪れたり、口寄せを尋ねたりして、汚れを受けてはならない。
(レビ19.31)

男であれ、女であれ、口寄せや霊媒は必ず死刑に処せられる。彼らを石で打ち殺せ。彼らの行為は死罪に当たる。
(レビ20.27)

その預言者が主の御名によって語っても、そのことが起こらず、実現しなければ、それは主が語られたものではない。預言者が勝手に語ったのであるから、恐れることはない。
(申命記18.22)

『見よ、ここにメシアがいる』『いや、ここだ』と言う者がいても、信じてはならない。偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちをも惑わそうとするからである。
(マタイ24.23-24)

 

これらの記述から判断すると、大川隆法は偽メシア、偽預言者ということになるようですし、その信者も間違いを犯していることになりそうです。日本では霊言をしたからといって石打の刑にされることはありませんが、、聖書的にはそれほどの大罪となるのでしょう。

ガンブロさんは、聖書を根拠にして、仏陀・救世主である大川隆法や、高級霊の霊言を汚してはならないとしているようですけれども、同じく聖書を根拠にして判断すれば、大川隆法とその信者の方こそが大きな罪を犯しているとせざるをえないのが現実です。

また、ガンブロさんが省略して引用している部分を、その省略部分をも含めて引用すればこうなります。

 

はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを追う。」イエスがこう言われたのは、「彼は汚れた霊に取りつかれている」と人々が言ったからである。
(マルコ3.28-30)

 

聖書の巻末にある用語解説によれば、聖霊とは神の霊の別名であり、人の子は旧約では「人間」、新約ではメシア、イエス自身を指すことが多いとのことですから、この文章の大意は、救世主イエスの罪はすべて赦されるが、それ以外の者が神を冒涜するのは赦されないということでしょうか。たしかに、福音書の中のイエスは、安息日にずいぶんと大胆な言動をとっていますから、上のようなことはあるのかもしれません。

ただそうであっても、先に引用した申命記18.22などから判断すれば、大川隆法は偽預言者、偽救世主であろうし、救世主としての特例は適用されることはなく、聖霊を冒涜する罪からは逃れることはできないでしょう。特に、神の霊によって書かれたとされる聖書に対して、霊界理論が不足しているとか、すべてが上からの指導によって書かれたものではないなどという発言は、イエスは汚れた霊に取りつかれているという発言と同程度の罪になるかもしれません。

大川隆法とその信者を見ていると、自分たちに有利なことは大いに活用しようとするものの、不都合なことは隠したり、無視したりすることが少なくないようです。これは故意にそうしているのか、無意識にそうしているのかは分かりません。ただどちらにしても、これは卑怯、卑劣なことですから、早急に改めるべきだと思います。幸福の観測所さんの記事を読み、そのようなことを強く感じました。

 

 



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