幸福の科学の間違った霊的世界観について
http://antikkuma.hatenablog.com/entry/2012/12/13/231821
スピリチュアリズムから見た新新宗教
http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/sp_newsletter/spnl_backnumber/spnl-03/spnl-03-1.htm
【感想】
下段リンク先にある大川隆法氏に対する見解には、概ね共感できた。
思うに、幸福の科学は教義変更が頻繁にある教団ではあるが、それでも長く変わらないところもある。
それは、大川隆法氏に対する崇拝と、お金がかかるというところである。
物事の本質を見抜くには、変化する現象の奥にある変化しないものを見つけることが肝要だと言うけれども、これは宗教にもいえることらしい。
教団の本質を知ろうとするならば、上辺の綺麗事に惑わされず、終始一貫して変わらないのは何であるかを見抜きたいものである。
お金の件は、ひとそれぞれでしょう。
本の購入も行事の参加も、布施も一切強制はありません。
皆無です。
物足りないぐらいに放置されます。
お金は出したい人が自分の意思で出しているだけです。
幸福の科学を信じる=お金がかかる
というような誤った認識は改めて下さい。
おっしゃる通り、
一応、信者籍があるだけで、
それほど熱心に信じていない人は、
あまり、お金は使いません。
でもこれを別の角度から見れば、
熱心な信者は、
布施に励み、行事に積極的に参加して、
たくさんのお金を使うということにもなるでしょう。
つまり、
幸福の科学を信じなければ、お金はかからない、
しかし信じるならば、信じるほどに、お金はかかる、
という結論になるかと思います。
また強制の有無について言えば、
幸福の科学では、
信仰が足りないと天変地異が起きるだとか、
国が亡ぶなどと説いているでしょう。
救国植福なるものも要請していたのでしょう。
これを見ると、
強制はしていないと断言するのは、
難しいように思えます。
お布施は布施行という修行です。
もちろん強制はありません。
熱心な信者でも全ての祈願を受けるわけもなく、
すべてのご法話を拝聴するわけでもありません。
総裁自身も、自分の興味に合ったものを選んで聞いたらいいと言ってました。
そてでも敢えて、全部見たい聞きたいという人は、アイドルの追っかけのようなものなので当然お金が掛ります。
しかし、いずれにしろ個人の裁量です。
熱心な信者でも経済的に豊かでない人は、折り合いを付けて活動されています。
>信仰が足りないと天変地異が起きるだとか、
>国が亡ぶなどと説いているでしょう。
これはお金を出せば天変地異が起きないとは言っていないのでお金とは別問題です。
お布施が少ないから天変地異が起きるとんも聞いたことがありません。
>救国植福なるものも要請していたのでしょう。
要請であって強制ではありません。
出来る人が出来る事を淡々とするだけです。
20年くらいは在席していますが、幸福の科学が組織として信者に何かを強制することは一切ありませんでした。
おっしゃる通りです。
HSを信じ、活動するには、とてもお金がかかります。
だから、熱心な信者であっても、裕福でないならば、
活動を控えなければならなくなります。
天変地異と布施についてですが、
この二つは大いに関係があるでしょう。
天変地異を防ぐには、伝道が必要であり、
伝道のためには、その費用(お布施)が必要ですから。
見方によっては、
お布施がないと天変地異は防げない、
ともいえるかもしれません。
強制については、
HSが問題視されているのは、
多額の布施を、強制されているというよりは、
自らすすんで多額の布施をする心理状態にされているのではないか、
ということだと思います。
だから、強制はないといくら繰り返しても、
あまり意味がないように思います。
本来の活動を伝道とするならば、自分のお金ではなくともできます。
支部には献本用の書籍が用意されている時もありますし、布教誌もあります。
自分のためにご法話を拝聴したいということなら、世の中何をするにもお金が必要なのは当然です。
幸福の科学の行事は”奉納”なので、事情を話せば臨機応変に対応してくれることもあるかもしれません。
>伝道のためには、その費用(お布施)が必要ですから。
これは宗教ならどこでも同じです。
取り立てて言うほどのことではないと思います。
出せる人が出せばいいと思います。
・自らすすんで多額の布施をする心理状態にされているのではないか、
「させられる」「~心理状態にされる」はありません。
現に私は20年、布施をする心理状態にされたことは一度たりともありません。
そうなれたらどれほど楽だったかと思っています。
献本用の書籍や、布教誌、
場合によっては、行事参加でさえも、
タダになるということは、
その費用を、
熱心信者が肩代わりしているということでしょう。
それならば、タダのものが多いほどに、
一部の熱心信者は大きな負担を強いられていることになりそうです。
また
大川隆法氏は、
HSは他教団よりも資金力があると自慢してます。
つまりこれは、
HSは、他教団よりも、
より多くの布施を集めているということであり、
信者の負担はキツイということです。
これでは、他教団にも布施、献金があるといっても
仕方ないです。
>現に私は20年、布施をする心理状態にされたことは一度たりともありません。
そうなれたらどれほど楽だったかと思っています。
これは、
「布施をする心理状態にされたい。そしたらどれほど楽だったか」
ということでしょうか。
そうだとしたらとても心配です。
これは布施をしまくる状態の前段階でしょうし、
気をつけてくださいね。
議論をはじめるというのは、
よくないことかもしれませんね。
失礼しました。
これからは、
コメントに対して、
反論するような不作法は
慎むように努めます。
一応信者さん、
また、記事を見て、
何か気がついたことがあったら、
気楽にコメントしてください。
ではまた。
反論されてもまったく気にしていません。
大丈夫です。
ただ、ネットでの議論は時間がかかるのでやっているうちに熱が覚めて尻すぼみになってしまうのが難点です。
skypで直接お話う伺いたいくらいです。
jiyuuさんは、どうしても幸福の科学がお金をむしり取るというふうにしたいようですが、もしかして昔はご自身がかなりお布施をしておられたのでしょうか。
私は祈願も過去に1,2度した程度ですし、植福の会も入っていませんので、ご法話の拝聴と書籍代ぐらいしかかかりません。
>場合によっては、行事参加でさえも、
>タダになるということは、
>その費用を、
>熱心信者が肩代わりしているということでしょう。
私はタダになるとは書いていません。
誰かがご法話の拝聴の奉納金が払えないからといって、それを誰かに代わりに出させるというようなこともありえません。
よって、一部の熱心信者は大きな負担を強いられるということはありません。
>HSは他教団よりも資金力がある
それは結果論であり、くどいようですが強制的にお金を取られるようなことはないのです。
そういうのは三輪清浄の考えからしてもお布施にならないということはご存知だと思います。
アンチの方が「お金をとられた」というのは、信仰を失ったから意味を感じなくなり因縁をつけているだけです。
昔好きだった女性にプレゼントをたくさんして、嫌いになったとたんに全部返せと言っているようなものです。
そういう人は人間として下の下ですよね。
>「布施をする心理状態にされたい。そしたらどれほど楽だったか」
>ということでしょうか。
お布施をしたくなるほどの信仰心が欲しいということです。
残念なことに、ご法話についてもあまり価値を感じていません。
「『布施は身の丈相応?』植福大論争」の後編が
参考になるかもしれません。
最後に貼っておきます。
ちなみに、
わたしは、婦人部のことは分かりませんが、
ただそれでも、
お布施が一定額に達しないときに、
その不足分を、一部の熱心信者たちが埋めていたのを目撃しているので、
「布施は身の丈」論争のアンチ側の主張に違和感は感じません。
他の論点については、
よくある反論でもあるし、
「信者からの反論について」という記事に
まとめておきました。
>【拝金宗教・幸福の科学】「布施は身の丈相応?」植福大論争【舞華氏vs名無し信者】 後編
http://blog.livedoor.jp/warehouse_2chlog/archives/51317738.html
>信者からの反論について
http://blog.goo.ne.jp/jiyuu1107/e/8a0ff63aedce69da3c667380cb22b88a
「決して自分の家計の中からだけやりくりしようという小さな心でもってはいけない」
これが大川隆法の本心だと思うよ。お金ないならお金持ちをひっぱって来いという考え。幸福の科学は結局はお金なんだよ。