「幸福の科学」観察日記

「幸福の科学」を観察しつつ、心に浮かんだ感想などを綴っています。

「幸福の科学」の捻じれ現象

2013-02-11 | 感想 2

幸福のアンテナ 」を通して、ひさしぶりに「 幸福の科学 支援サイト 」を見ました。以前、少し覗いたことがありましたが、改めて見るとなかなか興味深いサイトです。

まず、サイト紹介がとても印象的です。それはおよそ次のような流れになっています。

 

私たちは、幸福の科学(Happy Science)のファンの集まりです。このたび、在家の幸福の科学ファンの有志が任意に集まって、自主的に本サイトを立ち上げました。

本サイトは、総合本部や支部など幸福の科学の組織とは、何ら関係があるものではありません。

現代の仏陀と救世主を合わせた存在である、主エル・カンターレの下生の時代

基本的な神仏への信仰を取り戻し、そして、それだけに止まらず、主エル・カンターレへの信仰を打ち立てることも本サイトの目的であります。

間違っても、仏陀や救世主を誹謗や中傷する存在には、決してならないことを心からお祈りして・・・。

 

これを要約すれば次のようになるでしょう。

・自分たちは、幸福の科学のファンの集まりである(信者ではなくファン? シンパ?)。
・自分たちは教団とは〝何ら〟の関係もない(信者籍もない? 講師などから教えを受けていない?)。
・大川隆法は仏陀で、救世主で、主エル・カンターレであると信仰告白。
・エル・カンターレへの信仰を打ち立てたいと伝道宣言。
・不退転の決意(現在は信仰者だということ?)。

はじめに自分たちは信者である告白してから、伝道宣言、不退転の決意を述べるなら、それは自然な流れではありますが、このサイトの紹介文では、自分たちは信者ではなく、教団とは無関係のファンの集いだとしておきながら、その直後に、情熱的な信仰告白などをするのだから変わってます。

何といったらいいか。この紹介文には捻じれがあるし、それはいかにも幸福の科学っぽいような感じがします。

 

   *

 

サイトの紹介文の他に、免責事項にも興味深いものがあります。

 

いかなる場合であっても、その内容に責任を負うものではありません。

 

これは通常なら何気なく読み飛ばしてしまう文章ですが、自己責任を説いている幸福の科学のファンと称する人たちが、読者側には自己責任でサイトを読むことを要請しつつ、サイト運営者の自分たちは〝いかなる場合〟も責任を負わないと宣言するのは変な感じがします。

サイト側の人たちは、この捻じれに何の違和感も感じないのでしょうか。

 

   *

 

さらに、真理問答集を覗いてみると、「 そのままでいいなら宗教はいらない 」という問答が目をひきます。そこには次のようなことが書かれてます。

 

ここに『悟りの挑戦(上)』の本を持って来ていますので、その部分を読ませていただきます。 210ページです。
  「(中略)、自然のままに任せると、悪いことのほうが多いのが人間の常です。 放置しておいて、いい方向に行くのならば苦労はしないわけで、宗教はいらないのですけれども、 放置しておくと全然違うほうに流れていくのが、普通の人間なのです。」

その部分の趣旨は、人間はそのままで放っておくと悪いほうに行ってしまう。だからそのために宗教が必要なのだということです。 つまり、もし、この地上世界に宗教がなければ人間は、悪い方向に行ってしまうという法則があるということですし、 簡単に言えば、「そのままでいいなら宗教はいらない」ということなのです。

 

ここにも、幸福の科学らしい捻じれがあるようです。

幸福の科学の立場は、人間には仏性があるとする性善説でしょう。それならば、人間は本来善であり、どのような環境下でも、善を求めてやまないものだとするのが当たり前です。

それなのにここでは、なぜか人間は自然にしておけば悪くなるので、宗教で矯正する必要があるという風に、性悪説的な考え方になってます。

性善説を掲げながらも、性悪説的な教育論を説く……この捻じれはいかにも幸福の科学という感じがします。

 

   *

 

話は少し変わりますが、最近、退会者の間では、ありのままを受け入れる大切さを語る人が増えています。

もしかしたら、上の問答は、この動きを意識したものなのでしょうか。そうだとしたら、ここにも捻じれがあるかもしれません。

退会者の言う、ありのままを受け入れるとは、努力を放棄して、風の向くまま、気の向くままに、怠惰に生きることではないからです。

多くの場合、退会者の言う、ありのままを受け入れるとは、見失っていた本来の自分を取り戻すとか、事実から目を背けるのでなく直視しようとか、そういった意味合いで語られていることです。いわば、ものごとを正しく見、中道に入るということです。

ですから、もし仮に、このような意見に対して、上のような問答が為されたのなら、相当にズレていることになります。

 

   *

 

思うに、幸福の科学に捻じれが目立つのは、事実をありのままに見、ありのままを受け入れ、ありのままに話す姿勢が不足しているためかもしれません。それだから、あちこちに捻じれや矛盾が生じ、つじつまが合わなくなるのではないでしょうか。

偉そうなことを言うようで恐縮ですが、幸福の科学を再生するためには、「こうであってほしい」という願望を排して、ありのままに見、「そんなことは認めたくない」というプライドを排して、ありのままを受け入れ、「よく見られたい」という貪欲も排して、ありのままに正直に話すことが、どうしても必要であるように思います。

これらのことは多くの退会者が実践していることですし、それならば、現在の幸福の科学職員、信者にもできないはずがありません、みな同じ人間なのですから。関係者にはこの点、ぜひ御一考をお願いします。

 



1 コメント

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( ^_^)人(^_^ ) (一筋の光り)
2013-02-13 23:55:39
この記事を書いた方は素直さがないのが売りなんですかね!基本的に正しく悟りを得て、正しい霊的真理が説かれ、そして学び正しい信仰を持つことが基本です!幸福の科学は信者が更に魂の成長を促すための組織と考えれば良いことです。霊的に正しい道を脱線しなければ、成長する過程で自立精神が育つのは良いことです。このブログを書かれている方は、人を素直に見ようとせず、偏見と人に対する被害妄想が少々有るのではないかと心配致します。人はあなたが思ってるほど愚かではないと思いますよ!?

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