以前、他の場所で書いた『創造の法』の感想を再掲してみます。
『創造の法』について云々するというよりは、それを読みながら心に浮かんだことをメモしてみたというものです。創造に興味がある人にとって、何かのプラスになればいいなと思います。
創造についてのメモ(1)
創造について思うところをメモってみます。
○アイディアを数多く出す?
アイディアを数多く出すことが重要だという考え方があるけれども、実際のところ、アイディアをたくさん思いついたといっても、それらは、二、三のアイディアが細かく枝分かれしたものにすぎないことが少なくないものだ。
結局、一つの問題解決のための良いアイディアというものは、そう多くあるわけではないのだろう。
数多くのアイディアを追いかけまわすよりも、二、三の良いアイディアを深めることに時間をかけた方が得策かもしれない。
○アイディアの質を高める
頭の中で、アイディアをこねくり回しているばかりでは、その質を高めることは難しい。アイディアは、実際に試すことでこそ、その欠点を知り、修正し、質を高めて行けるように感じる。
質を高めるのに大事なのは、もう一つ、決してあきらめないということ。どこまで粘ることができるかというのは、本当に重要。
○アイディアを出す難しさ
アイディアを出すときの難敵は、自己検閲かもしれない。自分で、自分のアイディアにダメ出ししてしまうのは困りもの。この壁を越えられればアイディアを出すのは、かなり楽になるはず。
○創造力と鑑定眼
人は、自分の持っている創造力よりも、鑑定眼の方が上回っているものだ。たとえば、絵が上手くない人でも、絵の良し悪しは判断できるように。
だから自分の創造したものに満足できないのは当然のこと。創造力が磨かれるほどに、それ以上に鑑定眼も向上するから、心から満足できるものを創造するのは、いつまでたっても、ほとんど不可能に近い。
○インスピレーション
努力を続けた後、リラックスしているときに、インスピレーションが降りてくるという意見があるが、自分の場合は、通常は、仕事中、作業中に降りてくることが多い。
○創造的に生きるには
人それぞれだという現実を受け入れた個人主義者であることが肝要。感性などは、人それぞれなのだから、他人がどうこう言うのをいちいち気にしたって仕方ない。
創造についてのメモ(2)
○アイディアを生む場所
散歩中にアイディアを練るという人もあるようだけれども、自分はこれは避けるようにしている。事故に遭いそうになったことがあるので。
アイディアは、考え事ができる場所なら、どこでも生まれると思うが、外を出歩いているとき、炊事中など火を使っているときに、アイディアを練るのは危ない。
○アイディアは少しずつ、少しずつ形にする
はじめから100点満点のアイディアが浮かんでくることは、まず無い。90点、80点のアイディアも難しい。
アイディアは、思いついたときに、40点、50点と思える程度のもので十分。それを時間をかけて練りこんだり、煮詰めたり、新しいアイディアをプラスしたりして、最終的に70点、80点に持って行くようにする。
一度に、20点も、30点も付加しようと欲張るのでなく、少しずつ練りこんで行く。
○アイディアは蒔かれた種
自分がアイディアを得たら、他の人たちも、それと同種のアイディアを得ていると思って間違いない。
有名人が何かをやったのを見て、「あっ、それ、自分も考えてた!」と思ったことがある人は少なくないはず。一つのアイディアは同時に複数の人に下りてきているのだろう。アイディアは、大空の上から蒔かれた種なものかもしれない。
○批判の受け止め方
ものの見方、感じ方は人それぞれなのだから、自分の創造に対して批判があるのは当たり前のこと。
批判の中には、たまには、「えっ! そんな見方、感じ方もあるのか」という愉快なものも混じっているから、それは楽しめばよい。
創造についてのメモ(3)
○行き詰まったら
その対策は、いくつかあるように思う。
まず一つは、平凡な方法だけれども、基本に返る、初心に返るということ。道が行き止まりだったり、道に迷ったりしたら、一旦は引き返すのが得策。
出発点まで戻り、見直すべきところを見直して、再出発する。そしてまた行き詰まったら、また戻って見直して再々出発。これをひたすら繰り返す。
二つ目は、多くの情報に触れるということ。たとえば古典的で一定以上の評価があるもの、別分野の優れたもの……そういったものに触れると、突破口となるひらめきを得るときがある。
三つ目は、自分の実力を客観的に把握すること。あまり大きな野心を持つと行き詰まりやすいし、過度の完璧主義も同様に行き詰りやすい。
四つ目は、時間をおいてみるということ。煮詰まったら、一旦そこから離れて別のことをしてみる。そうして、しばらくしてから、また再開する。すると以前は乗り越えられなかった壁を、あっさり越えられることがある。
その他にもいろいろあると思うが、とりあえずは、これだけメモっとく。なんだか、えらそーなことを書いてますが、これらは、単に自分はそうしてるってだけの話にすぎなかったりする。
創造についてのメモ(4)
○インスピレーションのために努力は必要か?
努力というか、なんというか、少なくとも考え続けることは必要だと思う。ただ自分の場合は、あまり根を詰めると燃え尽きてしまい、しばらく何もできなくなってしまうので、ほどほどの集中で、ちまちまと長く続ける方が合ってるらしい。その中途で、ひらめきが訪れる。短期集中型の人もいるかもしれないが、自分の場合は、おそらく、ちんたら長期型だ。
○リラックス
極度の集中と努力の後で、気分転換し、リラックスしているときに、インスピレーションを受けることが多いという説がある。
けれども自分の場合は、先にも書いたが、それなりの集中力で、それなりの努力をしているときに、インスピレーションが下りてくることが多いように感じる。だから、リラックスしているときに云々というのは「本当かなぁ」と、ちょっと疑問がある。
私事だが、以前、あるコンテスト会場で、司会者から「どんなときにアイディアが生まれますか?」と問われて、つい「ぼんやりしてるとき」と答えてしまって、会場に笑いが起きたことがあった。
本当は、「それなりの集中力で、それなりの努力をしながら作ってる」と言えばよかったのだろうけれども、その時はうまく言葉にできなくて、「ぼんやりしてるとき」という一言が、つい口から出てしまったのだった。
それだから、というわけでもないのだけれども、「どんなときにアイディアを得るか?」というのは、「こっちが聞きたいよ」という質問でもあろうし、そういう面倒な質問に、「リラックスしてるとき」と誰かがたまたま答えてしまったためにそれが伝わっているだけではないかという気がしないでもない。
○インスピレーションの受け方
インスピレーションは誰でも受けられるものではなかろうか。ただそれを実現する能力の有無が重要となる。
たとえば、「あの山を登ろう」と思うことは誰にでもできるが、実際に山を登れるのは、それなりの体力、技術がある人に限られる。文学でも同じで、壮大なテーマを思いつく人は多いだろうが、筆力がなければそれを文学的に表現することはできない。
インスピレーションを受ける器作りに励むよりも、それを実現する能力を磨き、鍛えることが大切。
○個性の見極め
誰でもインスピレーションを受けられると書いてるそばから矛盾したことを書いてしまうけれども、人には、創作に向いてる創造タイプと、知識を集積するのが得意な百科事典タイプがいるように見える。こういう自分の個性を見極めておくことも大事かもしれない。
○良いインスピレーションを受ける条件
いくつもあるだろうけれども、まず思いつくのは、高い倫理観、道徳心があること。倫理、道徳にかなったインスピレーションを受けるにはそれらが必要であることは当然。
二つ目は考え続けること。三つ目は刺激を受けること。他人との交わりでも、書物を読むのでも、観察するのでも……何らかの衝撃、感動、驚きなどがあればよい。
四つ目は謙虚さ。謙虚さは、奇をてらってるだけのもの、陳腐なものを防ぐ効果があるように感ずる。別な言い方をすれば、軽薄な自己顕示欲や高慢さから離れていれば、珍妙、陳腐な発想からも離れられるということ。
○読書の心得
これもいくつかありそうだ。まず一つは欲張りすぎないこと。あれもこれも読めればいいが、現実にはそれは難しい。必要、不必要を見切ることが大事。
二つ目は「知ったかぶり君」にはならないこと。断片的な知識ばかり覚えても仕方ない。付け焼刃的な知識は大恥をかく危険性が高いし、避けた方が無難。
三つ目は、たまには冒険してみること。たとえば未知の分野の本を読むと、頭の中の普段は使っていない部分を刺激されるようで快感がある。
四つ目は直感に従うこと。読むべき本は書棚をざっと見渡しているだけでピンと来るものだと思う。五つ目は読書家の友人を持つこと。自分で読むべき本を探すのもいいが、物知りさんから聞くのは、それよりずっと近道ではある。
○メモはするべきか?
頭に浮かんだことは必ずメモを取るべきだという意見があるが、それとは逆に、「メモの必要はない。メモしないと忘れてしまうようなアイディアは、もともと大したアイディアではなく、そんなものは忘れてしまっていいのだ」という意見もある。
たしかに重要なアイディアは、頭にこびりついて離れなかったりするものだ。でも、時には、「あのときのアイディアはすごく良かったはずだが、忘れてしまった。ああ、ちくしょう」という場合もないではない。こういう悔しい思いを避けるためにも、メモは取っておいて損はない。
創造についてのメモ(5)
○時代の流れをつかむ
時代の流れに逆らうのは難しい。おそらく時代の流れは止めることができない。
だから、その流れに逆らおうとするよりも、うまく乗ることが無難ではある。(その年の流行に乗れというような意味ではなく、もっと大きな時代の流れについての話)
○人生いろいろ、時代の流れもいろいろ
時代の流れと一口にいっても、一切が衰退して行くとか、一切が発展しているということは有り得ない。
多くが衰退の流れにあっても、その中には発展中のものもあり、多くが発展していても、その中には衰えて行くものもある。この辺りの見極めも大事。
○温故知新
時代の流れは、流れであるから、突如として、別物になることは基本的にない。急流のように急激に変化することはあっても、前と後とで全く関連がなくなることはないといっていい。
新時代が到来したといっても、それは突然、出現したというよりも、すでにその種は旧時代に蒔かれているもの。
だから、歴史、文化、伝統を学ぶとか、温故知新というのは、創造のためにはとても有用なこと。
○時代と自分との位置関係
もし流れに乗った創造ができれば、成功する可能性は高まるだろうし、あえて流れに逆らった創造を志すならば、成功は難しくても、独創性ということで一部には高評価されたり、後の世になってから認められることもあるかもしれない。
もちろん、そんな流れなんか一切、気にすることなく、わが道を行くというのもOK。
要は、時代の流れと、自分の創造との位置関係を知っておこうということ。
○全体と各部分
創造には、おそらく、全体の創造と、全体を支えている各部分の創造とがある。
全体の創造がうまく行かない場合、全体を支える各部分がそれぞれの役割を果たせず、機能不全に陥っていることが少なくないから、ここのところを修正すると、途端に、全体の創造もうまく行くことがある。
○型を利用する
人によっては、「全体のイメージはできても、個々の部分がうまく行かない」とか、「個々の部分のアイディアはたくさんあるが、それらをまとめて一つの完成形がつくれない」とかいう人がいると思う。
こういう場合は、思い切って、ありふれた型を利用するのがいい。本当は感性によって、パパッと完成できたら理想ではあるけれども、それが難しいなら、理知によって、ありふれた型を活用し、とりあえずの完成形をつくってしまう。
そうして、しばらくしてから、それを見直し、手直しすることを何度も繰り返していると、徐々に、自分らしさが表現された、よいものができあがってくることがある。
○おしまい
……いろいろと偉そうなことを書いてきましたが、ここらで筆をおくことにします。〈了〉