「 幸福のアンテナ 」を通して、ひさしぶりに「 幸福の科学 支援サイト 」を見ました。以前、少し覗いたことがありましたが、改めて見るとなかなか興味深いサイトです。
まず、サイト紹介がとても印象的です。それはおよそ次のような流れになっています。
私たちは、幸福の科学(Happy Science)のファンの集まりです。このたび、在家の幸福の科学ファンの有志が任意に集まって、自主的に本サイトを立ち上げました。
本サイトは、総合本部や支部など幸福の科学の組織とは、何ら関係があるものではありません。
現代の仏陀と救世主を合わせた存在である、主エル・カンターレの下生の時代
基本的な神仏への信仰を取り戻し、そして、それだけに止まらず、主エル・カンターレへの信仰を打ち立てることも本サイトの目的であります。
間違っても、仏陀や救世主を誹謗や中傷する存在には、決してならないことを心からお祈りして・・・。
これを要約すれば次のようになるでしょう。
・自分たちは、幸福の科学のファンの集まりである(信者ではなくファン? シンパ?)。
・自分たちは教団とは〝何ら〟の関係もない(信者籍もない? 講師などから教えを受けていない?)。
・大川隆法は仏陀で、救世主で、主エル・カンターレであると信仰告白。
・エル・カンターレへの信仰を打ち立てたいと伝道宣言。
・不退転の決意(現在は信仰者だということ?)。
はじめに自分たちは信者である告白してから、伝道宣言、不退転の決意を述べるなら、それは自然な流れではありますが、このサイトの紹介文では、自分たちは信者ではなく、教団とは無関係のファンの集いだとしておきながら、その直後に、情熱的な信仰告白などをするのだから変わってます。
何といったらいいか。この紹介文には捻じれがあるし、それはいかにも幸福の科学っぽいような感じがします。
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サイトの紹介文の他に、免責事項にも興味深いものがあります。
いかなる場合であっても、その内容に責任を負うものではありません。
これは通常なら何気なく読み飛ばしてしまう文章ですが、自己責任を説いている幸福の科学のファンと称する人たちが、読者側には自己責任でサイトを読むことを要請しつつ、サイト運営者の自分たちは〝いかなる場合〟も責任を負わないと宣言するのは変な感じがします。
サイト側の人たちは、この捻じれに何の違和感も感じないのでしょうか。
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さらに、真理問答集を覗いてみると、「 そのままでいいなら宗教はいらない 」という問答が目をひきます。そこには次のようなことが書かれてます。
ここに『悟りの挑戦(上)』の本を持って来ていますので、その部分を読ませていただきます。 210ページです。
「(中略)、自然のままに任せると、悪いことのほうが多いのが人間の常です。 放置しておいて、いい方向に行くのならば苦労はしないわけで、宗教はいらないのですけれども、 放置しておくと全然違うほうに流れていくのが、普通の人間なのです。」
その部分の趣旨は、人間はそのままで放っておくと悪いほうに行ってしまう。だからそのために宗教が必要なのだということです。 つまり、もし、この地上世界に宗教がなければ人間は、悪い方向に行ってしまうという法則があるということですし、 簡単に言えば、「そのままでいいなら宗教はいらない」ということなのです。
ここにも、幸福の科学らしい捻じれがあるようです。
幸福の科学の立場は、人間には仏性があるとする性善説でしょう。それならば、人間は本来善であり、どのような環境下でも、善を求めてやまないものだとするのが当たり前です。
それなのにここでは、なぜか人間は自然にしておけば悪くなるので、宗教で矯正する必要があるという風に、性悪説的な考え方になってます。
性善説を掲げながらも、性悪説的な教育論を説く……この捻じれはいかにも幸福の科学という感じがします。
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話は少し変わりますが、最近、退会者の間では、ありのままを受け入れる大切さを語る人が増えています。
もしかしたら、上の問答は、この動きを意識したものなのでしょうか。そうだとしたら、ここにも捻じれがあるかもしれません。
退会者の言う、ありのままを受け入れるとは、努力を放棄して、風の向くまま、気の向くままに、怠惰に生きることではないからです。
多くの場合、退会者の言う、ありのままを受け入れるとは、見失っていた本来の自分を取り戻すとか、事実から目を背けるのでなく直視しようとか、そういった意味合いで語られていることです。いわば、ものごとを正しく見、中道に入るということです。
ですから、もし仮に、このような意見に対して、上のような問答が為されたのなら、相当にズレていることになります。
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思うに、幸福の科学に捻じれが目立つのは、事実をありのままに見、ありのままを受け入れ、ありのままに話す姿勢が不足しているためかもしれません。それだから、あちこちに捻じれや矛盾が生じ、つじつまが合わなくなるのではないでしょうか。
偉そうなことを言うようで恐縮ですが、幸福の科学を再生するためには、「こうであってほしい」という願望を排して、ありのままに見、「そんなことは認めたくない」というプライドを排して、ありのままを受け入れ、「よく見られたい」という貪欲も排して、ありのままに正直に話すことが、どうしても必要であるように思います。
これらのことは多くの退会者が実践していることですし、それならば、現在の幸福の科学職員、信者にもできないはずがありません、みな同じ人間なのですから。関係者にはこの点、ぜひ御一考をお願いします。