先日、以下の動画を見ていました。
宇宙のどこかにあるとされるアカシックレコードとは?!(深堀)
ここで言われている「アカシックレコード」という話について、少し興味が湧きましたので、少しこの件について私見を記事にしてみたいと思いました。
この言葉を読むと、如何にも近年のオカルト的な思想とか、ニューエイジ的な思想だと思われるでしょうが、実は仏教にも似た概念があります。またフランス学士院のジャン・ピエール・プチ氏の著書「宇宙人ユミットからの手紙Ⅱ」にも近しい内容が記載されていて、これらを読むと私達の心の構造について改めて想いを馳せるものであると思うので、その事について記事を書いてみます。
◆アカシックレコードについて
Wikipediaを調べてみると、アカシックレコード、アカシャ年代記は、1875年にアメリカのニューヨークで設立された神智学協会の創立者、ブラヴァツキーが最初に使った言葉、もしくは同協会に属し、のちに人智学を提唱したルドルフ・シュタイナー(1861年 - 1925年)が作った言葉と言われています。
シュタイナーは、透視能力のある意識のみが近づくことができる宇宙の超感覚的な歴史、「世界で起こったあらゆることが記録されている」「巨大な霊的パノラマ」を「アカシャ年代記」「アカシアの記録」と呼びました。近代神智学系の思想家・オカルティストたちによると、物理界・幽星界・神界・天空などの世界の果てに、それを取り巻くように不思議な境界線が遠く伸びており、ここには全宇宙の歴史が時間の流れにしたがって配列されており、これがアカシャ年代記・アカシックレコードであると述べています。アカシックレコードは解読不能な言語によって記された書籍に喩えられてもいます。
◆阿頼耶識という概念
このアカシックレコードという事を調べてみると、実は大乗仏教の中にある「阿頼耶識」という概念に近いのではないかと思いました。

阿頼耶識とは天台大師智顗の「九識論」を元に、このブログでは以前の記事でも幾度か取り上げましたが、人の心の深層には、過去からの記憶が余すことなく蓄積されている処があり、それを「蔵識」とも「阿頼耶識」とも呼んでいます。この阿頼耶識という概念ですが、大乗仏教では弥勒を祖として、無著菩薩や世親菩薩といった過去の論師(弥勒は実在したのかどうか、そこは判りませんが)の教学から構成されている「瑜伽行唯識学派」独自の考え方だと言われています。そしてこの唯識派仏教は後に玄奘三蔵によって中国に伝来し、そこから法相宗という宗派が立てられたと言われています。
法相宗など唯識派仏教では、この「阿頼耶識」を心の本質と捉えていますが、天台大師智顗はこの阿頼耶識の更に奥底に「阿摩羅識」というものを立てて、そこを「九識心王真如の都」とも呼び、それこそが心の本質「仏性」であるとしています。そして日蓮の教学も基本的には、この天台大師智顗の教学を踏襲したものとなっているのです。
一言で言えば、この「阿頼耶識」とは、人の心の深層に刻まれた「記憶」であり、まさに先のアカシックレコードに近しいものと言えるでしょう。
◆宇宙人ユミットの解釈
さて、これに近い概念としてはフランス学士院のジャン・ピエール・プチ氏の「宇宙人ユミットからの手紙Ⅱ」という著書に記されている事を先に述べましたが、その内容についても少し触れてみます。この事については、過去の記事 心のかたちについて-ウンモ星人➂ - 自燈明・法燈明の考察 でも触れていますが、ここで改めて概要について書いてみます。
ウンモ星人の概念では、この宇宙は「双子構造」となっていると言われています。そして私達が日常生活しているこの宇宙とは別に、形而上的な宇宙がもう一つ存在し、私たちはそこからこの世界に現れてきていると言うのです。
私達の心の本質は、この形而上の宇宙にあり、そこからこの現在の宇宙へと出現していると言っていますが、そこの接点は脳下垂体部にある希少金属にあると述べており、この希少金属の接点は量子的な構造となっていて、形而上の宇宙との交流をしていると言います。
近年では「松果体」という私達の脳にある部位が、何かと話題になっていますが、恐らくこの脳下垂部の希少金属とは、その部位を指していると思います。
そして私達の誕生とはこの接点が繫がり、形而上の宇宙からこの現在の世界に出現する事であり、死とは何らかの理由でこの接点が説かれてしまうという事だと言っており、私たちがこの世界で体験した記憶は形而上の宇宙にある私達の心に全て記録されていくと言うのです。
またこのウンモ星人の論によれば、生物の進化なども実は偶然の結果、現れるのではなく、形而上の宇宙で計画されたものが、この現実世界に現れる事であって、それは計画的なものであり、偶然などではないと言うのです。
まあ「ウンモ星人」という名称が出てくる事で、内容がかなり胡散臭く聞こえてしまいますが、このジャン・ピエール・プチ氏の著作でいう、双子宇宙論の中にある、形而上の宇宙というのも、先のアカシックレコードに近い概念では無いかと思われます。
先の神智協会では、このアカシックレコードを「物理界・幽星界・神界・天空などの世界の果てに、それを取り巻くように不思議な境界線が遠く伸びており、ここには全宇宙の歴史が時間の流れにしたがって配列されており」と言っていますが、恐らくこのアカシックレコードとは、私たちの深層心理と言われる心の奥深くにあるものであって、決して宇宙のどこかにあるとか、そんなモノでは無いと私は思うのです。
そしてこの「深層記憶」とも言うべき記憶とは、何も個人に独占されているものではなく、実は人類や、広く言えばこの宇宙の生き物たちと共有されている部分でもあり、それこそ深層心理へのアクセスが出来る人達、例えば仏教でいう内観が出来る人達などは、そこの領域にある様々な情報へアクセスする事が出来るのかもしれません。
また臨死体験者である木内鶴彦氏や、アメリカのアレクサンダー・エベン医師などが、その臨死体験の段階で、「宇宙の深淵の事について知る事が出来た」という様な発言をしていますが、これも死を越えた先の心の世界では、こういった情報が共有されているという証左なのかもしれません。
また何よりも、先の動画でもアインシュタインの相対性理論の話や、二コラ・テスラ氏の様々な科学的な発見の由来についても、実はこういった「深層記憶」によるものかもしれません。
この様に考えると、もしかしたら現代の人類文明の閉塞感を打破するヒントも、人々の心の深層にある、こういった記憶の類なのかもしれません。そうであれば私達はもっと自分の「心」という事について、真摯に向き合う必要があると思えてならないのです。