自燈明・法燈明の考察

立正安国論に想いを馳せる事があります

 最近の私は創価学会の事は、すっかり見切りを付けました。

 若い頃には日蓮大聖人仏法を広宣流布する事で、人類社会の平和を打ち立てる事が出来ると信じ切り、公明党の支援活動にしてもその一環なんだと信じていたので、馬車馬の様に学会活動に邁進してきました。しかし今世紀に入り、自公連立政権になってから、創価学会の動きはどうもオカシイと感じ、少しでも青年時代に受けた指導を元に行動しようとしましたが、結果、組織から言われたのは「いい加減、広宣流布の現実を見ろ」と言われ、それでも意見をすると「じゃあお前はイラね」と言われてしまいました。

 それから十数星霜の間、池田大作という人物の本当の姿を知りたい、日蓮大聖人の思いを知りたいと考えながら、様々な人に会って話を聞く中で、実は教わって来た実像とは異なる創価学会を見て、正しい教えだと言われていた日蓮大聖人仏法のカラクリを知るに至りました。

 もうそこら辺から、創価学会には急速に興味を失ってきました。

 そういった事実を組織内で語ろうにも、創価学会の活動をしている人達の大多数が、単なる惰性で活動を行っているか、幹部の中には「おかしな創価学会、日蓮大聖人仏法の間違い」を知りながら、確信的に惰性で動く会員達に身を任せ、信濃町本部の指導する創価学会の活動を推進している人ばかり。

 もうどうでも良い事です。

 考えてみれば創価学会の問題なんてさておいて、今の日本という国の状況、また人類社会の状況は「待ったなし」で異常な方向にどんどん進んでいます。だからそちらの状況を見つつ、如何に自分の家族を守り、自分自身の人生の意義を考える事の方が、幾億倍も大事な事だと最近は感じています。

 ここで少し、最近感じた立正安国論の内容に纏わる事を少し書いてみます。

 これは金光明経を引用した部分なのですが、以下の様に書かれています。

「其の国土に於て此の経有りと雖も未だ甞て流布せしめず捨離の心を生じて聴聞せん事を楽わず亦供養し尊重し讃歎せず四部の衆持経の人を見て亦復た尊重し乃至供養すること能わず、遂に我れ等及び余の眷属無量の諸天をして此の甚深の妙法を聞くことを得ざらしめ甘露の味に背き正法の流を失い威光及以び勢力有ること無からしむ、」

 ここでは「此の経」とあります。これは一往、仏教の経典を指していて、日蓮は法華経がこれに当たると説きました。法華経とは自分自身の心の姿を説く経典なのですが、これは単に仏教や経典の事だけを指している訳では無く、要は人々が自分自身の内面を考えようともせず、そういう内省的な考え方や行動を軽んじ、バカにする様な風潮になって行った時、ここでは「眷属無量の諸天(善神)」と言われていますが、人々の中にある「善性の心」はどんどんと失われていくと書いています。

「悪趣を増長し人天を損減し生死の河に墜ちて涅槃の路に乖かん、世尊我等四王並びに諸の眷属及び薬叉等斯くの如き事を見て其の国土を捨てて擁護の心無けん、但だ我等のみ是の王を捨棄するに非ず必ず無量の国土を守護する諸天善神有らんも皆悉く捨去せん」

 そうなると、その国は社会的な雰囲気が悪化し、そこに住む人達は生死に基づく苦悩に覆われていく事となるというのです。そしてここでは「我等四王並びに諸々の眷属」と述べていますが、その国を本来は守るべき働きも無くなっていくと書いています。
 またそれだけではなく「無量の国土を守護する諸天善神」とある様に、その国以外の様々な外国にあった、その国を護って来た働きも消え失せていくというのです。

「既に捨離し已りなば其の国当に種種の災禍有つて国位を喪失すべし、一切の人衆皆善心無く唯繋縛殺害瞋諍のみ有つて互に相讒諂し枉げて辜無きに及ばん」

 そして結果、その国から「善性の心」が完全に消失した時には、その国には様々な災禍が巻き起こり、結果として国という形すら維持できなくなるというのです。そしてその国に住む人々の中には、互いに束縛し合い、殺し合い、諍いばかりが起きるだろうし、無実の罪人も多く出てくると書いています。

 また仁王経を引用した部分には、以下の事が書かれています。

「国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るるが故に万民乱る賊来つて国を刧かし百姓亡喪し臣君太子王子百官共に是非を生ぜん」

 国が乱れる時には、まず始めにその国の「善悪」というモノ事の考え方が乱れてくるというのです。要は社会で「何が良い事」であり、「何が悪い事」なのか、その社会的な基準が崩壊するというのです。すると当然、社会の中の人々(万民)は混乱するので、その機に国の外から国を混乱し略奪しようという人々が流入し、結果として国を営む全ての人々は衰えていき、国の指導者層も内輪もめばかり執心する様になると言うのです。

 私はこの立正安国論にある金明光経や仁王経は、そもそもの仏典にあったものとは考えていません。恐らく大乗仏教が中国に流入した際に、中国にあった治世の思想が混入して出来たものだと考えています。治世の思想であれば、やはり中国では古代から様々な国の勃興があった事から、その歴史的背景の下に出来た考え方だと思うのです。

 どうですか?
 最近の日本社会を見ると、これら記述にある状況は、何か合致する処が多くありませんか?

 多様性やLGBTQ、SDGsなどで議論されている内容は、いずれも問題の本質からずれた議論ばかり。NTT株を売却して防衛費にあてるという議論もおかしな話で、通信インフラのメイン企業の株を売却して国を護るなんて出来るはずもなく、そんな感覚の政治家が「国防」なんて議論も出来なければ有事の際には自衛隊の指揮なんて取れません。

 社会の課題を議論する論客にしても、「高齢者は自決すべき」なんて事を平気で言う様な人物がもてはやされ、移民問題にしてもそこに潜む「(民族)多様性」の本質を理解もしていない人物や政治家ばかりが推進しているのです。

 誰ですかね?移民は国の宝なんて言う政治家は?

 今の日本は「何が本当に大事な事なのか」という事を亡失し、「(社会的な)善悪とは何か」も浮ついた議論しか出来ません。まさに立正安国論にある通りだなぁ。。。そんな事を私は感じてしまいますが、皆さんはどう思われますか?


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