自燈明・法燈明の考察

公明党の政界進出の本質

 梅雨も終盤だと言われていますが、毎日が曇天では洗濯物が乾かせず、着る服がなくなってしまい、大変に困っています。そういえば気象庁のホームページで気象衛星ひまわりの画像を見る事が出来るのですが、水蒸気の流れが中国大陸南部から日本に断続的に流れ込んでいるのが解ります。

 九州・中国・中部方面で、集中豪雨の災害が起きていますが、早く梅雨が終わって欲しいものです。でも恐らく梅雨が終わったら「酷暑」が始まるのでしょう。酷暑となれば、今度は熱中症だ黄化学スモッグだと騒ぎになるかもしれません。
 そう考えてみると、日本という国も昔に比べたら、過ごしずらくなっている感じもします。

 さて、ここ最近、新型コロナウィルスの感染拡大の傾向が見え始め、世間で話題に上っています。「第二波襲来か」「これは東京問題だ」など、様々な意見が噴出していますが、どのみち日本国内で感染拡大が、再度起き始めていると考えて間違いない事でしょう。
 そんな中、赤羽国土交通大臣は、「Gotoトラベルキャンペーン」を前倒しで実施する事を決定しました。新型コロナウィルスの感染拡大を抑えるには、今回のパンデミック当初から「人の動きを抑える事」と言われていましたが、日本政府は感染拡大の兆候が見える中、人が日本国内を旅行で活発に動く事を後押しする政策を出した訳です。



 訳わかりません。
 でも恐らく旅行業界からの強い要望もあり、政府として景気対策の一環として決定したと思いますが、どうせお金をかけるのであれば、この時期、まずは医療機関や医療従事者に対してであり、何故この時期に旅行業界なのか、まったく判りません。これは前にあった新型コロナウィルス対策の「お魚券」とか「牛肉券」と同じ類の愚かさです。

 まだパンデミックは世界的にも収まっていませんので、そんな過去の日常を取り戻すような行動を取る時期では無いと思います。

 さて、この決定の主管官庁は国土交通省であり、そこの主管大臣は言わずとしれた、赤羽国土交通大臣。この人は公明党出身の大臣ですね。公明党と言えば「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」なんてキャッチコピーを出していますが、本当にそんな政党なんでしょうか。今回のキャンペーンの前倒し実施を決定なんて、一体この人はどこを見て政治をしているのか、公明党はトチ狂っているのか、大いに疑問です。

 この公明党の熱烈な支持者は言わずと知れた創価学会の活動家です。
 本来なら公明党の支持者たる創価学会の活動家が、こういったリスクある行動を日本が行う事に対して異議を唱えるべきとも思いますが、それは期待できません。以前の安保法制の時にも、自分達、創価学会が過去に主張していた内容とまるで違う法案であったにも関わらず「現実的な路線だ」とか「公明党は頑張っている」という事で議論が終わるばかりか、一部の活動家などは自民党本部に賛成の署名なんかを提出していました。

 要は政治や政策に、彼ら支持者たる創価学会の活動家が、如何に興味を持っていないのか如実に示す事でした。何故、その様な事なのか。それは創価学会と公明党の過去の歴史を見て行けば解る事なのです。

◆創価学会の政界進出
 創価学会が何故、政治に関与したのか、それは戸田会長が1954年11月に組織内に文化部を設置、政界進出に備えた事から始まりました。この時、戸田会長は「王仏冥合論」という観点を提起し、この政界進出は国立戒壇を建立するためであり、「三大秘法の南無妙法蓮華経の広宣流布」を推進する為だと語りました。
 講演の中で戸田会長は、文化部のメンバーが選挙に立候補する事に触れて、次の様に述べました。

「これらの人々の中から衆議院議員や、参議院議員が出て、この人達から国立戒壇の誓願が出され、国会で可決され、天皇陛下もまたこの御本尊の有難さを知ってこそ始めて広宣流布が出来るのであります」

 この事は当時の機関紙である「大白蓮華」63号においても、以下の様に戸田会長は記しています。

「我らが政治に関心を持つゆえんは、三大秘法の南無妙法蓮華経の広宣流布にある。すなわち、国立戒壇の建立だけが目的なのである」

 この国立戒という考え方は、昭和初期に国柱会の田中智学が提唱したものであり、それを当時の日蓮正宗は主張していて、創価学会の戸田会長も主張していた事なのです。そして創価学会が政治に進出したという事の根本には、この宗教的な目的があったという事なのです。

 いま創価学会の活動家に「何故、公明党を支援するのか?」と質問すると、「同じ信仰している人達が政治の世界で活躍する事を応援するため」と言いますが、その根っこを辿るとこの様な思想があったという事を、まずは理解する必要があります。

 要は初めから政治活動をするという事が目的ではなく、自分達の信仰の目的達成のための政治活動であり、信仰活動の一環として政治に首を突っ込んだという事なのです。

◆公明党の結党
 宗教団体として政界進出を行った戸田会長ですが、この目的もあってか政党結成に関しては以下の様に述べていました。

「文化部員の中で一人が社会党員であり、一人は自由党であり、一人は民主党であり、中には共産党がいても一向に差支えないのであります。それは政治のための政治ではなく、広宣流布のための政治だからです」
(聖教新聞1955年4月3日掲載)

 つまり目的は国立戒壇の建立であって、政治に関しては既成の政党政治の中で行われればよいという視点を示したのでしょう。

 1960年5月、創価学会の三代会長に就任した池田会長は、当初、この戸田会長の政治に関する立場を堅持する姿勢を見せていましたが、創価学会の組織を急速に膨張させると共に、衆議院に進出、公明党という政党を創設し、この政治的な姿勢についても変化をさせました。

「自分の指導のもとで公明党を創設したけれども、本当は私は衆議院には出したくなかった。それは戸田会長が『衆議院には出さないほうがよいと思う』と言っていました。しかし、当時の議員たちが『衆参両院なければ本当の政治はできない』といいはじめた。だから、これも時代の流れ、社会と人心の動きというものと思い、時代に即応してゆく事が正しい事と判断したものです」
(田原総一郎『戦後50年の生き証人』に聞く④から抜粋)

◆考察
 簡単ですが、以上が創価学会が政界進出するまでの歴史的な流れとなります。まあ戸田会長は信仰目的達成の為だけで、政治を目的とせず政界進出し、池田会長は「時代の流れ、社会の人心の動き」という事で、結果として公明党という政党を創設し、現在に至っています。

 そういえば池田会長は日顕退座要求書の中で「時流とは何か!」と、時流に任せた発言をした幹部を叱咤したシーンもありましたが、自分自身が「時流」で公明党を創設し、衆議院にも進出していたわけです。

 本来であれば、創価学会が擁立した議員が「衆参両院に出なければ政治は出来ない」という事を言った時点で、公明党を解党し、それぞれの議員が各既成政党へと別れて行けばよかったのではないでしょうか。

 何故ならば、彼らが戸田会長により国政へ出された事は「国立戒壇建立と広宣流布」が目的であり、そもそもの戸田会長もその様に名言していた訳です。もし彼らが本当に政治をしたいというのであれば、それぞれの政治的理念に近い政党に入る事が、一番良い選択だった思うのです。

 また戸田会長が主張した「国立戒壇」という事については、共産党から1970年に国会において「国立戒壇論は『国から特権を受け』る事になり憲法20条に違反する思想といわなければならない」と指摘されてしまい、当時の創価学会で慌てて政教分離の原則とか、公明党議員は創価学会の役職を外すとか、最終的には当時の宗門かもら院達で「国立戒壇」という名称使用を封じさせました。

 そもそも自分達の政治活動の根本的な目的が変更された時点で、創価学会としては明確に政治活動から撤退すべきであったと思うのです。

 にも関わらず、創価学会としては未だ公明党を支援し続け、今や政権与党に組み入れられ、創価学会は自民党から見ても大票田の一つとしての組織になっています。

 そればかりではありません。

 こういった淵源を持つ、創価学会の支援活動というのは、民主主義の根幹である「一人ひとりが政治について関心を持つ」という事を打ち崩し、多くの創価学会の会員に対して「選挙活動=信仰活動」として刷り込み、結果として民主主義の精神を壊しています。これは創価学会の活動家ほど政治に疎いという現実を見れば解る事です。
 また「F(フレンド票)活動」で活動家に集票活動あおる事で、創価学会の活動家達は無遠慮に取り組み、その姿勢が結果として国民の中に選挙への「胡散臭さ」を増加させ、一部の国民に対して政治離れを加速させてしまった疑いもあります。

 果たしてこのような政党や宗教団体が、日本の政治に今後も関与する事が、どれだけ日本の国益を損ねてしまうのか、その辺りについて思いを馳せてしまうのは、果たして私だけなのでしょうか。

 此の事を、日本に住む多くの人達に、考えてほしい事なのです。



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