世田谷美術館(東京都世田谷区)で企画展の『世田谷時代の岡本太郎』展が開催されている。
http://www.setagayaartmuseum.or.jp/
1970年の大阪万博の「太陽の塔」の製作者として知られる岡本太郎だが、漫画家岡本一平、作家岡本かの子の息子として生まれた岡本太郎は独特な家庭に育ち、19歳から29歳までをフランスで過ごした。
そののち帰国、応召して中国戦線で二等兵として転戦、この間空襲で滞欧中の作品すべてを消失している。帰国後に画家活動再開、以降前衛芸術活動に邁進する。
今回の展示ではこの消失した作品の複製や世田谷時代といわれる1946年から54年までの作品が展示されている。異色なのは従軍中の所属師団長の肖像画だ。
特に興味深いのは「太陽の塔」の原型ともいえる彫刻「顔」である。岡本太郎が縄文土器に強い衝撃と関心を持ち、それが「太陽の塔」製作の基本となったことがよく分かった。
また、岡本太郎自身がフランスのマスコミに対してフランス語でインタビューに答え、自らの芸術観を語っているVTRが流されているがこれは必見である。岡本自身にとって作品が芸術の枠にとどまらない生きることと同値であることがよく分かる。
同展は5月27日まで。なお、神奈川県川崎市の岡本太郎美術館でも7月1日まで「青山時代の岡本太郎」展を開催中である。
http://www.setagayaartmuseum.or.jp/
1970年の大阪万博の「太陽の塔」の製作者として知られる岡本太郎だが、漫画家岡本一平、作家岡本かの子の息子として生まれた岡本太郎は独特な家庭に育ち、19歳から29歳までをフランスで過ごした。
そののち帰国、応召して中国戦線で二等兵として転戦、この間空襲で滞欧中の作品すべてを消失している。帰国後に画家活動再開、以降前衛芸術活動に邁進する。
今回の展示ではこの消失した作品の複製や世田谷時代といわれる1946年から54年までの作品が展示されている。異色なのは従軍中の所属師団長の肖像画だ。
特に興味深いのは「太陽の塔」の原型ともいえる彫刻「顔」である。岡本太郎が縄文土器に強い衝撃と関心を持ち、それが「太陽の塔」製作の基本となったことがよく分かった。
また、岡本太郎自身がフランスのマスコミに対してフランス語でインタビューに答え、自らの芸術観を語っているVTRが流されているがこれは必見である。岡本自身にとって作品が芸術の枠にとどまらない生きることと同値であることがよく分かる。
同展は5月27日まで。なお、神奈川県川崎市の岡本太郎美術館でも7月1日まで「青山時代の岡本太郎」展を開催中である。