一間社流れ造、彫物のみケヤキ製。屋台各所には精巧な彫物がたくさんつき、妻部には「力神」、その下部には仙人になる。正面中備は「八岐大蛇退治」で小西組、新諏訪町と共通する。海老虹梁の「龍」は、立体感があって重厚なものである。作風は儀作のものといって矛盾しない。
現役で使用され、「ながの獅子舞フェスティバル」(2017年から開催)でも披露された。制作年、制作者の記録ないが、町の伝承で「明治後期、当時新拍手といわれたポンポコ太鼓の神楽の流行をいち早く取り入れて、新しい今の神楽屋台を購入した」とされる。また、購入に際して「新しくするならば、近郊一番の立派な神楽屋台を購入しようと中町村民が一体となって買い求めた」と伝わっている(『なかまち文庫だより』第1号)。
神楽屋台 前面 中備「素戔嗚尊」、木鼻「振り面獅子」
神楽屋台 左側面
神楽屋台 右側面
妻部の「力神」、下部の「通玄仙人(瓢箪から駒)」
右海老虹梁「龍」 手挟み「波に亀」
神楽屋台後部 「獅子」、「龍」
右脇障子「鉄拐仙人」
左脇障子「蝦蟇仙人」
(比較)長野市東町の祇園祭屋台「蝦蟇仙人」(明治5年、山嵜儀作)
神楽屋台は「太神楽」(単に「神楽」)と呼ばれ、箱型の長持に貫を通して、その上に社殿形の祠を載せ、後部に太鼓が取り付けられた形態である。以前は担いで移動したが、近年はリヤカーに載せて移動している。この神楽屋台は、水内地方以外では確認できず、当地方で独自に発展してきた文化といえる。神楽屋台の装飾彫刻を担当したのが彫工、彫物師と呼ばれる技術者になる。寺社彫刻のミニチュア版の彫物は精巧につくられ、この水内地方の文化の独自性と高さを示す芸術品でもある。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます