地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

秩父鉄道の20年前・100系から1000系へ

2007-08-17 21:42:42 | 懐かし画像


 いつも当ブログをお楽しみ頂きましてありがとうございます m(_ _)m このたび、当ブログは40万アクセスを達成しました。30万アクセスからは僅か1ヶ月と20日! その背景には、E655系の登場という超弩級の話題に伴う一時的なアクセスの急増がありますが、それだけにアッという間の40万アクセスには今ひとつピンと来ないのも事実です (^^;)。最近はふたたび、マイナーで濃いぃ話題が続いているせいか、ようやくアクセスの乱高下も収まり (それでも毎日1000超とは……)、もっぱら地味でシブい車両をしみじみと味おうという方を中心にお楽しみ頂いているのではないかと思います。今後も当ブログはあくまで自己流で、時間の余裕がある限りぼちぼちと更新するつもりですので、お楽しみ頂ければ幸いです。m(_ _)m
 今回は40万アクセス記念として、国鉄色の復活でにわかに注目が集まりつつある (?) 秩父鉄道の20年前を回顧してみましょう。これらのシーンを撮影した1987年初春は、ちょうど秩父鉄道が国鉄から購入した101系が1000系としてデヴューして間もない頃でして、秩父オリジナル半鋼製釣掛式電車の100系 (デハ100・クハニ20・クハ60の総称) が消滅の危機に瀕しておりました……。



 昭和20年代半ばに登場した100系は、当時の他の私鉄の新車と同様の運輸省規格型ですが、デハ100は扉の位置がかなり内側に寄った2扉である一方、クハ60は3扉で、さらにクハニが存在するなど、扉の位置がまちまちなあたりが独特の雰囲気を醸し出していました。そして車内は、見事すぎるほどに艶光りしたニス塗りの木製内装……半鋼製釣掛式電車命だった変わり者の少年 (^^;) にとっては、素晴らし過ぎて目まいがするほどの電車でした (*^^*)。
 そんな100系に揺られ、谷間にこだまする豪快な釣掛サウンドを聴きながら、緑豊かな秩父の風景を眺めれば……そのときだけは中学・高校でのイヤなことの連続を忘れることが出来ました (笑)。この100系をはじめ、急行用の湘南型300系、そして各停用の湘南型500系といった、じつに堂々とした風格の電車を自社オリジナルで揃えている秩父鉄道という会社は、その長大な路線や、今とは比べものにならないほど活発だった貨物輸送とあわせて、地方私鉄にしてはとんでもなく立派な会社だなぁ……という強烈な印象を抱いておりました。
 そんな100系が、何と国鉄101系によって置き換えられてしまうことを知り、実際に置き換えの過渡期の光景を眼にしたとき……親しい存在が突然消えるという限りない寂しさを覚えたものです。今でこそ超貴重な存在の101系改め秩父1000系ですが、当時は103系が全盛で、このスタイルの電車は最もありふれた存在のひとつだったことは否めません。というわけで、愛すべき秩父鉄道が、そんな車両によって塗り固められてしまうつまらない路線になってしまうのか……と思った当時の私は、1000系を見るたびに「ク○1000」と呼んでおりました (^^;;)。
 しかし今思えば、秩父鉄道が101系を購入して丁寧に使い続けてくれたことは、趣味的に見て非常に有り難いことでした。この交代劇からはや20年……。「ク○1000」などと呼んでいた10代の自分の浅薄さを「フフン」と鼻で笑い、100系の現役時代や登場直後の黄色い非冷房1000系の姿はただただ懐かしい……と思えるほど、いつの間にか長い年月が流れてしまいました。
 デハ100とクハニ20が三峰口駅の車両公園で現存しているのは実に幸いなことですが、外装は最近塗り直されたのに対し、内装の劣化は気になります。ニス塗りの壁の艶光りは最早戻らないのでしょうか……。

30万アクセス御礼・東急の名車3450形

2007-06-28 23:34:15 | 懐かし画像


 おかげさまをもちまして、当ブログはこのたび30万アクセスの大台に達しました。20万アクセスからは僅か4ヶ月少々。内容と見解が偏りまくりの濃くマニアックな話題ばかりを垂れ流しているに過ぎないのですが、そんな酔狂にお付き合い頂いている皆様に改めて心よりお礼申し上げます m(_ _)m
 そこでお送りする30万アクセス記念アップは、ここのところの東急懐旧の流れに合わせまして、「東急の名車といえばこれ」との誉れ高い3450形です! 
 3450形といえば、東京横浜電鉄と目黒蒲田電鉄が昭和6年以降新造した、まさに戦前の私鉄黄金時代の銘品と呼ぶべき車両。半鋼製釣掛式電車として完成されたスタイルと性能を備え、長らく多くの鉄道ファンが東急に魅せられるきっかけともなったとされる車両で、大部分の車両の貫通扉化や、昭和40年代のアコモ改造・窓の大型化などを経ながら、非常に丁寧に使われてきたことも大きな特徴です。まあもちろん、他の私鉄 (特に関西) の居並ぶ駿足王と比べたら、スピードを出さない東急の旧型車は地味な存在なのかも知れませんが、東京城南地区で50両が用意されて圧倒的な存在感を誇ったことが名車の誉れを高めたのでしょう。



 3450形の廃車開始は1980年代に入ってからで、どの車両も45〜57年間東急線で現役で走り続けたという点も特筆すべきでしょう。「走るんです」が跋扈し、未来永劫走るかに思われた8000系列が車齢30年+α程度で続々と廃車になってゆく東急の現状から考えても、今からつい約20年前まで3450形をはじめとしたグリーンの釣掛式電車が元気に走り回っていたことが……何だか半分信じられず、半分たまらなく懐かしいものに思えてきます。
 もっとも、3450形が余りにも良く出来た車両で、東急で長年重宝してしまったために、地方私鉄に1両も転出しなかったのは残念 (?) です。長電の地下化にあたり、東急は3450形を推薦したものの、長電は5000系を欲しがったというのは有名な逸話。まあ確かに、1970年代末になって戦前製釣掛式電車を中古として購入しても美味しくないわけで……。でも、例えば長電リンゴ色や、上田交通旧塗装をまとった3450形なんていうのも見てみたかったですね。イラスト化するしかないか (模型はやってないもので ^^;)。
 ちなみにこれらの画像は、前にアップした東急5000系画像と同じ1984年9月の撮影です。確か中学校の体育祭翌日の代休日に出かけたはず (単焦点コンパクトカメラでの撮影につき、1枚目は相当トリミングしております ^^;)。この頃は8090系の増備が続き、玉突きでついに池上線にも7200系の勢力が及び始めていました。
 そして今や、目蒲・池上線から3450形をはじめとする半鋼製釣掛式電車を追いやった7000→7700・7200→7600系すら、廃車カウントダウンに突入しつつあるとは……昭和は遠くなりにけり (-_-;)。僅かな救いは、デハ3450が保存され、デハ3498→デワ3043が恩田で現役であること、そしてこれらの画像を撮影した久が原界隈の雰囲気が今も当時とそれほど変わらないことでしょうか。

20万アクセス御礼・秩父鉄道800系

2007-02-18 16:38:49 | 懐かし画像


 いつも当ブログをご覧頂きまして誠にありがとうございます m(_ _)m おかげさまをもちまして、このたび当ブログは20万アクセスの大台に達しました。04年10月にひっそりと始めて以来約2年、昨年の9月に10万アクセスとなりましたが、それから僅か半年以内で20万とは……正直なところ驚くばかりです。私としてはあくまでマイペースで、個人的な経験や記憶に照らした鉄道趣味の楽しみ方を地味にテキトーに追求しているだけなのですが、それでもお楽しみ頂いている方がおられることは感無量です。
 もっとも、最近は「アクセス数の多いブログは、読む側のニーズや感情を常に配慮しながら記事やコメントを書くべきだ」と考えておられる真面目な方がご覧になっているのでは?と思わせられる一幕もあります。しかし残念ながら、私自身はあくまで僅かな余暇の一環として鉄道趣味を楽しんでいるだけですので、正確無比なレポートや、最新の話題を常に追い求めることには興味がございません。そのような方には、貴重なお時間を節約して頂くためにも、他のサイトやブログをご覧になりますようお薦め致します。
 というわけで、少々前置きが長くなりましたが (^^;)、今後ものんびりほのぼのとした「味わい鉄」の世界を楽しんで頂ける皆さんと、少しばかりでも何かを共有できれば幸いですので、よろしくお願い申し上げます。m(_ _)m



 それはさておき、20万アクセス記念のアップは、先日の小田急新4000形登場の話題に関連しまして、20年前に撮影した秩父800系です。いくら秩父800系が元小田急1800形だからといって、新4000形とは一体何の関係があるのか……と思われる方もおられるでしょうが、よくよく考えてみれば、自社オリジナルのデザインや技術に割とこだわる小田急の歴史上、国鉄63系を運輸省から割り当てられて誕生した1800形と、E233系の技術を採用した新4000形は、どちらも例外的に国鉄~JRの技術を導入した点で、実は似たもの同士だから……です (すごいこじつけ ^^;)。
 そんな1800形、東武7300系・相鉄3000系などと同様、のちの20m車本格導入のために果たした意義は絶大だったわけですが、昭和30年代に入ると、早くも小田急テイストな全金属製の車体に更新されました。それでも切妻&グロベンの車体は異彩を放っていましたね~。晩年は毎朝江ノ島線内を2往復するだけの運用に固定され、毎朝決まった時間になると4000形とは違うややかん高い音の釣掛サウンドが聞こえてきたものです (*^^*)。そんな1800形を、私が通っていた学校では「カマボコ電車」と呼んでいました (笑)。
 1800形は1981年頃に多摩線でのさよなら運転を最後に引退し、秩父800系として活躍を開始、何度も撮り鉄に訪れたものですが……国鉄101系あらため1000系と入れ替わりで1989年までに廃車となってしまいました (T_T)。秩父の山河に釣掛を響かせた日々も、意外と短命に……。それでも一応こうして、塗装変更した以外ほとんど小田急時代と変わらない姿をポジで記録しておいて本当に良かったなぁ~と思います (^^)。フィルムは最近発売中止が決まったコダクローム。諸行無常のさまには愕然とするばかりです……。

惜別!東武釣掛 (6) 遠い日の名場面

2006-12-21 12:44:33 | 懐かし画像


 数回にわたって特集しました東武釣掛惜別特集の最後を飾るのは、80年代の名場面! 一応、所詮中学1~2年レベルの技術で撮影した劣化が著しいネガから、トリミングして必死に色を再現したものですので、名場面も迷場面になっておりますが (汗)、その点はご容赦頂いたうえで……東武沿線の素晴らしい風景の中を釣掛の音高く電車が走り去って行くさまを想像して頂けるとうれしいです (^^)。
 まずは7300系@東上線・玉淀鉄橋です! このシーン、確か保育社カラーブックスか何かに、8000系のハイキング特急が鉄橋を渡って行くところが掲載されていまして、中学生ゴコロに「よっしゃ! 同じように撮ろう!」と決めたのですが、所詮広角単焦点のコンパクトカメラでは、やや望遠気味に近景から遠景まできっちり捉えた所掲シーンを再現することなど出来なかったのでした (笑)。それでも、冬の斜光線に台車がギラリと輝いている7300系の雄姿は……荒川を吹き抜ける冷たい風の感触とともに、今でもありありと思い出されます (*^^*)。



 そしてこちらは、先日も5050系さよなら列車がひときわ大きな釣掛音を奏でながら走り抜けた板荷~下小代間を行く5700系です! 実はこの日……勾配の築堤上を走る優等列車や3000系の普通電車、そして8000系「たびじ」を撮影したのですが、5700系の「だいや93号」が走ることを全く計算に入れていませんでした (苦笑)。そこで、板荷駅に向かう途中、やおら近くの踏切が閉まって猛烈な釣掛音が迫ってきたことに激しい焦りを感じ (^^;)、大慌てで後追い撮影をしたという次第……。
 というわけで、かなり後悔が残ってしまったのですが、加えてこのとき7870形は昼間日光線北部に入線せず、板荷駅で乗った東武日光行がようやく7870形で現れたこともあって、「う~、結局ナナハチを板荷~下小代で撮れなかった……」と一層後悔。さらに、このときを最後に数年前に撮り鉄活動に復帰するまで5700系や5050系2連を全く記録しておりませんので、5700系を撮影したのは実はこれが最初で最後……(激しく冷汗)。
 まあ、限られた時間と資金の中で各地のお気に入り車両を撮り歩こうとすると、どうしても後悔ばかりが降り積もって行くのがこの趣味の宿命といったところでしょうか……。
 そこで、東武に関して同じ後悔は繰り返したくないということで、5050系の引退を見送ることが出来たのは本当に良かった……と思っています。そしてこれからは、快速政策の変動によっていつどうなるか先行き不透明になった6050系を熱く見守って行きたい……と思っているところです。
 というわけで、辛うじて救済した昔の写真におつき合い頂きありがとうございました。m(_ _)m

 東 武 釣 掛 の 輝 き よ 永 遠 な れ !

※お知らせ:撮り鉄遠征のため、次回の更新は25日夜以降とさせて頂きます。

惜別!東武釣掛 (5) ロクサンの残影

2006-12-20 20:20:39 | 懐かし画像


 東武半鋼製釣掛式通勤電車の最後を飾った電車と言えば、一般的に話題に上るのは7800系だと思われますが、ナナハチが一気に総崩れとなる1980年代前半まで同時に存在し続け、同時に消えていったのが7300系! ナナハチが純粋な新造車両であったのに対し、7300系は終戦直後の極端な車両不足を補うために、運輸省によって割り当てられた国鉄63系改め6300系をルーツとしています。広大な農村地帯へと食糧の買い出しに殺到する人々を輸送するにあたって、20m車の6300系はさぞかし威力を発揮したことでしょうが、同時にこの電車の導入に伴って車両限界を改めたことは、その後東武はもとより小田急・相鉄・南海などで20m車を大量に増備する基礎となったという意味で、大いに歴史的意義を持つ車両であると言えるでしょう。
 その後、東武は国鉄63系をうまく使いこなせなかった名鉄からさらに譲渡を受けたり、戦前型国電の被災車を再起させるなどして6300系を増やして行きますが、如何せん桜木町事件でも悪名高きロクサン形。補修を重ねて7300系と改番しても、酷使がたたって老朽化が進んだことから、昭和30年代後半に下回りと通風器などを流用し、ナナハチと同じ車体に作り変えることによって、その後さらに急増する東武の幹線通勤輸送をナナハチや8000系とともに支えることになったのでした。
 7300系と7800系の見分け方は至って簡単で、7300系はグロベン・TR25台車という如何にも国鉄型車両な外観を持っていたのに対し、7800系は押込式通風器とFS-10台車が東武の独自性を主張していました。というわけで、どうしても7300系にはイマイチ継子的な雰囲気が漂っていたんですよね……(^^;



 とは言いつつも、ほとんど薄れかけた記憶の糸をたどってみると、私の場合はまず7800系よりも7300系への興味から東武の世界にのめり込んで行ったような気も……。もちろん、そのきっかけは「ロクサンつながり」! (^^;)。江ノ島線における毎朝2往復の限定運用を最後に小田急を去っていったロクサン車体更新車・1800形 (地元では「カマボコ電車」と呼んでいました。笑) と同じような来歴を持つ電車が他の私鉄にもいるらしい……ということで鉄道雑誌の記述を注意していると、存在が浮上したのが7300系! そしてその発展形態としてナナハチが大量新造されたということを知るに及んで、いよいよナナハチへの関心、そして愛が深まっていった……というわけです (爆)。
 とまあ何のかの言いながら、東上線&越生線で最後の活躍をしていた7300系に乗って撮ったときは、勿論ナナハチと同じように満喫しまくったことは言うまでもありません (*^^*)。特に東上&越生初訪問の際は、その後秩父鉄道にも移動して小田急1800形改め秩父800系を楽しむなど、ロクサンの残り香にどっぷりと漬かる一日となったのでした。この頃の武州路は本当に夢のような世界でした……。

 なお、これらの画像はカラーネガで撮影しているのですが、フィルムの劣化やスキャナのボロさゆえに色再現が悪くなってしまいました。そこで、思い切ってカラー情報を捨ててアップしております (あと、勿論トリミングも ^^;)。1枚目の画像は東毛呂駅、2枚目の画像は越生駅手前の八高線との並走区間での撮影です。