吉記 元暦の大地震 7月9日
吉記 元暦二年七月 九日 天晴臨夕陰。午剋大地震。洛中可然之家築垣皆頽。舎屋或顛倒或傾...
吉記 元暦の大地震 7月10日
吉記 元暦二年七月 十日 雨降。今日依地震事、有軒廊御卜《諸社怪異被加行云々》。上卿源中...
軒端の梅 吉記 元暦の大地震 7月12日
吉記 元暦二年七月 十二日 天晴。地震猶有度々。午剋先參最勝光院、北釣殿廊顛倒、同二階廊半倒了、進物所屋又顛倒。其外所々屋以傾危。眼前見滅亡、不堪悲涙。 次參八條院、寝殿已下御所...
軒端の梅 明月記 治承四年五月 以仁王宇治合戦
明月記 治承四年五月 十七日 夜雨止み、朝天晴る。巷説一ならず。園城寺騒動、關を固め城...
軒端の梅 明月記 式子内親王病状
明月記 正治元年五月 一日 天晴る。大炊殿女房告げ送りて云ふ、雑熱の事候ふ間、医師等を召すと云々。 十二日 天晴る。巳の時許りに大炊殿に參ず。御肩に雑熱。一日より大黄を止め、膏薬...
式子内親王集 山家の道
正治二年後鳥羽院初度百首 287 我が宿は つまきこり行く 山賤の ...
軒端の梅 明月記 後鳥羽天皇譲位
明月記 建久九年正月 七日 天晴る。青侍等説に云ふ。譲位あるべしと云々。辰の時許りに或人告げて云ふ。此條実説なり。來たる九日、大炊殿に行幸。十三日、傳國あるべしと云々。兼定を以て...
軒端の梅 明月記 正治二年十一月 七条大火
明月記 正治二年 十一月 三十日天晴る。風病甚だ不快。午の時許りに、京を出で、日吉に參詣。蓮華王院の邊りに於て、西の方に火を見る。風甚だ猛なり。烟、巽に赴く。須く歸宅すべしと...
吾妻鏡 長明
建暦元年(1211年)十月十三日 鴨社の氏人菊大夫長明入道《法名蓮胤》、雅經朝臣の擧により...
軒端の梅 明月記 常光院の喧嘩
明月記 正治元年七月 十八日天晴る。辰の時許り、大臣殿に參ず。巳の一点に御出。院に參ぜしめ給ふ。地下進退谷まると雖も、應ひて參入す。昇らしめ給ふの後、下侍《殿上の下》の縁の邊りに昇...