ようくはんだう
永観堂
聖衆来迎山禅林寺永観堂は南禅寺の北に隣てあり。浄土宗にして西山流也。
本堂の阿弥陀如来を顧本尊と號す。長三尺余の立像なり。當寺は舊
清和天皇の勅願所として眞紹僧都の草創也。又中興の開基永観
律師永保二年二月十五日晨朝衆僧ともに行道の念佛聲をおしまず
信感つねならずして乾の方にてしばらく躊躇せり。本尊壇よりをり
給ひて永観をそしと顧命し給ふ。律師感涙を流し是ぞ末世の衆
生を摂取引接の證なりとて自その由縁を記されたり。(今當寺ニあり。
律師は花山院
の皇子深観僧都の弟子なり。南都東大寺の勧進職に補せられ四十二歳
にして此地に閑居しひたぶる浄土を願ひて往生十囚等の書を著せり )祖師堂には
善導大師(自作 圓光大師西山上人の三影を安置す。(當山はむかし真言宗なり。
なり) 池ノ大納言頼盛卿の息静
遍此所に住して源空の減後撰択集を披閲して一向専修の義を立。源頼朝卿
ふかくこれに帰依し給ひて武運長久の為に大般若経を轉讀す。其例今にあり)経蔵
の額法海の二字は黄檗髙泉の筆なり。聖衆来迎の松は堂前にあり。ある
夜四方に異香薫じ音楽聞へて菩薩来集の粧ひ此松の枝にありしと也。
(山号は此謂 中門の左に諸化の学校あり。會下と称す。(講堂には甘露殿
によるなり) といふ額あり )