新古今和歌集の部屋

方丈記大福光寺本書写者についての一考察

方丈記大福光寺本には、いくつかの誤写、脱落が知れている。

平安・鎌倉時代の貴族の子息のうち、宗家を嗣がない者は、小さい頃に寺に預けられて教育を受ける。
その教育は、仏典とその速読法である片仮名である。

一方、平仮名は、女字で主に宮廷内で発明され発展してきた。変体仮名と後世に呼ばれたものも多数有る。
和歌は、その褻の中で育った為、古今集が公的に認知されるまでは、平仮名が認められるものでは無かった。

鴨長明は、神官の出であり、日常は漢文で記載し、読み下していたと思われる。方丈記には、琵琶行を始めとして、白居易の影響を受けている事が知られており、漢詩の教養が合った。
しかし、和歌を若い頃から学んできた長明にとっては、平仮名も日常的に使用していた。
しかし、僧侶字である片仮名は、大原に隠棲するまでは、親しむ文字では無かったとも考えられる。

方丈記の原文が、平仮名で書かれていたと仮定した場合、醍醐寺に保管されたものを、僧侶が見慣れない平仮名を読み、多くの変体仮名に苦労して片仮名に書写した時には、読み違い誤写が有っても可笑しくない。
又、方丈記研究者が、大福光寺本を評するに、「急いで記載した」と有る。

以上の事から、原方丈記は、平仮名で記載されていたと考える。

そう言う風に考えると、「ス」と「ヌ」の誤筆又は誤読説は成り立たなくなる。

真字本方丈記は、全て漢文で記載されているが、漢文は当時の男性貴族、僧侶の日常の書体である。池亭記も漢文である。
これらの者を読者としたい場合、真字で記載する必要が有る。
当初は、これらの読者の為に漢文で記載したが、武士階級まで読者層を広げる為に和漢混合文にしたとも考えられる。

何れにせよ、鴨長明の自筆が無い以上仮説の域を出ない。
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