新古今和歌集の部屋

鴨長明方丈記之抄 余算山の端2 もし人このいへる事を

 

もし人此いへることをうたがはゞ魚鳥の

有様を見よ魚は水にあかずうほに

あらざれば、其心をしらず鳥は林を

ねがふ。鳥にあらざれば其心をしらず

閑居の気味も又かくのごとし住ずして

誰かさとさん抑一期の月影かたぶ

きて餘算山の端にちかし忽に三

途のやみにむかはん時何のわざをかか

こたんとする仏の人を教給ふおこりは、

事にふれて執心なかれと也今草の庵

を愛するも科とす。閑寂に

 
 
もし、人このいへる事を疑はば、魚•鳥の有様を見よ。魚
は水に飽かず。うほにあらざれば、その心を知らず。鳥
は林を願ふ。鳥にあらざれば、その心を知らず。閑居の
気味も、又かくの如し。住ずして誰か悟さん。抑、一期
月影かたぶきて、余算山の端に近し。忽に、三途の闇
に向はん、何の業をか、かこたんとする。仏の人を教
へ給ふおこりは、事に触れて執心なかれとなり。今、草
の庵を愛するも科とす。閑寂に
 

(参考)前田家本
もし人、このいへる事を疑はゞ魚と鳥との有様を見よ。魚
は水に飽かず。にあらざれば、その心を知らず。鳥
は林を願ふ。鳥にあらざれば、その心を知らず。閑居の
気味も、また同じ。住まずして、誰か悟らん。そもそも、一期
かたぶきて、余算山の端に近し。たちまちに、三途の闇
むかはん時、何の業をかかこたんとする。仏の教
へ給ふ趣は、事にふれて執心なかれとなり。今、草
庵を愛するも、咎とす。閑寂に
 

(参考)大福光寺本
若人コノイヘル事ヲウタカハゝ魚ト鳥トノアリサマヲ見ヨ。魚
ハ水ニアカス。イヲニアラサレハソノ心ヲシラス。
トリハ林ヲネガフ。鳥ニアラサレハ其ノ心シラス。閑居ノ
氣味モ又ヲナシ。スマスシテ誰カサトラム。抑一期
の月カケカタフキテ餘算ノ山ノハニチカシ。タチマチニ三途ノヤミニ
ムカハントス。ナニノワサヲカヽコタムトスル。仏ノヲシ
ヘ給フヲモムキハ事ニフレテ執心ナカレトナリ。今草
庵ヲアイスルモ閑寂ニ
 
 
ことにふれて執心なかれ
 金剛経曰、有我相人
 相衆生相壽者相則
 非菩薩。詮衆生佛
 性無有異縁有四相
 不入無餘涅槃有四
 相則是衆生無四相
 則是佛迷則佛是衆
 生悟則是衆生是佛
 特有財寶學問族姓
 輕慢一切人名我相
 雖行仁義礼智信而
 意髙自負不行普敵
 言我解行仁義礼智
 信不合敬尓名人相
 好克皈己悪事施於
 
 
日野 方丈石案内碑
 
 
 
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